風よりも速く討て

 貴澄曰く「誕生日プレゼントの半分はお父さんのカンパなんだよ」と。
 和穂は素直に「喜ぶ」「嬉しい」「感謝」という言葉の意味を噛み締めて大粒の涙を流したものだ。
 あのときの胸の温かさを伴う涙は忘れられない。改めて、「先桐さんのためなら!」と若年にして覚悟の意気を頭と腹と肝に叩き込んだ。それが『飼い犬』を躾ける手段であったとしても構わない。『飼い犬として飼ってくれるのなら』。
 携帯電話での通話が終わる。
 衣服を身にまとい、ショルダーホルスターを装着。ヒップバッグに有りっ丈の弾倉を詰め込む。
 バーゲンで買った、MA-1フライトジャケットのレプリカに袖を通す。ショルダーホルスターにH&K HK4を差し込む前に薬室に初弾を送り込み、フルロード状態で撃鉄をデコックする。
 先ずは少しでも正確な情報を求めるために所属する組織に携帯電話で連絡を取ろうとする。
「!」
 携帯電話に手を伸ばした途端、着信メロディが甲高く鳴る。サブディスプレイには『先桐さん』と表示されている。
 通話ボタンを押さない理由はない。空かさず、通話する。
「御鹿園……和穂だな」
 若い男の声。怒りを含んだ、低くドスを効かせて喋っているのが、声の抑揚の付け方で解る。
「ああ、その前に……『俺はお前のことを知っているがお前は俺のことを知らないだろう』という喋り方は絶対にしないでよね。『殺したくなるほど、嫌いなの』……で、お前は?」
「辺里と言う組織者を『知っていたな』。『俺達はその飼い犬だ』。尤も、今じゃ、『俺1匹だがな』」
「……」
 言葉を辿れば、挑発しているとしか思えないが、ニュアンスを探れば別の意味が見える。それを勿体ぶられる前に和穂は牽制した。
「俺と勝負しろ。でないと人質を殺す……そんな所?」
「……『俺はお前の事を知っているがお前は俺の事を知らないだろう、と言う喋り方は絶対にしないで』欲しいな」
 和穂の鎌掛けは的を射抜いたらしい。
「『人形遣い』もキャリコの2挺撃ちもアンタの『身内』?」
「『巾木と五木(いつき)が世話になった』な。この際だ、ネタを全部バラしてやる……俺達は先桐に破門させられた辺里と言う男の『飼い犬』だ、そして」
「で、辺里が死に際に言い残した指令を実行する段階で私を消すのが先だった。だけどことごとく失敗。それで人質と私を葬るしか手段が無くなった……そんなところかしら?」
 若い男の言葉を制して和穂は自分の見解を並べる。
「話が早過ぎるのも腹に立つってことが今解った」
「あら。良かったわね。一つ利口になったわね」
 先桐の携帯電話からの着信であるからには、先桐自身も少なからず危機にある。和穂はゆっくり時間を稼いで先桐が何かしらのアクションでも起こしてくれればと、話を伸ばそうとする。
「それで、どこで待ち合わせしてくれるの? 女性を誘うのだからそれなりの心得は出来ているのでしょう?」
「減らない口だなぁ……まあ、良い。待ち合わせ場所は……」
 電話の向こうで机か椅子か、スチール製の軽い『何か』が倒れる音がする。
「こ、コイツ!」
 耳を聾する銃声。腹に堪える。かなりの大口径だ。
「くっ……聞け! 和穂!」
「先桐さん!」
 想像以上に早く先桐が何かしらの行動に出たらしい。
 先桐が大声で怒鳴る。
「『命令だ! 俺を助けに来い!』 生きて助けに来い! 解ったな! 『この洟垂れ一人も始末出来ない奴に用は無い!』」
 怒鳴り散らす先桐はまだ言葉を繋ぎたかったが、途中で殴り飛ばされる鈍い音がして、それきり、声が聞こえなくなった。
「先桐さん!」
「年寄りは黙ってろ! いいか、今から30分後に『P岸壁』まで、一人で来い! 他に人影でも見たら」
「解ってる! 大人しく待ってろ!」
 通話がそれきり、切断される。一方的に切られた。
――――『P岸壁』か……。
 今では廃船の繋留場として使われている港湾部の外れだ。
 現在、午前5時10分。
 和穂は全くの独断で先桐の救出に向かう。先桐が『助けに来いと命令を下した』からだ。
 いつもの短い命令。
 何事が生じても必ず遂行してきた。
 今までがそうだったように、これからもそうだ。
 眠気がすっかり抜けた頬に、活を入れるために握り拳で殴る。口の奥に広がる鉄錆の風味が、程よい緊張感を高める。



「この、糞爺……」
 携帯電話を切った青年は後ろ手に手錠を填められて床に転がっている先桐を見下ろした。
「……ああ。思い出したよ」
「ああ?」
 擦り剥いた額から少量の血を滲ませながら先桐がその場で胡坐を書いて座り直した。
「『巾木に五木』……『俺一人』……つまりお前は『日木』(くさき)か。辺里がそんな、『安直な名前を与えた飼い犬を自慢していたな』」
 またも頭に血が上った青年、日下は右回し蹴りで先桐の側頭部を蹴り飛ばす。
 意識を失いそうな激痛に耐えて、のろのろと床に座る。いつものスリーピースや革コートが砂埃で汚れていても、その薄汚れな雰囲気も彼は着こなしているように似合っていた。
「誰にも気付かれずにこの俺を拉致るたぁ、随分な腕前じゃないか。『これから消されるには惜しい逸材だな』」
 ゴツッ。
 先桐の額に銃口が押し当てられる。
 大型リボルバー拳銃だ。
「……益々、惜しいな。『今時、そんなハジキで渡り歩く奴なんか俺の世代にも居なかったぜ』」
 悪鬼が乗り移った表情で日下は『大型の古式銃』の撃鉄を起こした。重々しい音を立てて、シリンダーが6分の1回転する。
 イタリアのアルミ・サン・パオロ社製レプリカである、レミントン・アーミーだ。44口径6連発全長345mm。重量1.2kgの大型パーカッションリボルバー。【続・夕陽のガンマン】でリー・ヴァン・クリーフが遣っていたことで一躍有名になった古式銃として記憶している人間が多い。
 日下はそれを、これまた古式ゆかしいガンベルトに突っ込んで携行していた。
 どこにでも居る20代中頃の少々野性味が強い顔付きをした青年だが、カジュアルな赤いトレーナーとオレンジ色のダウンベスト、ジーンズパンツ……それに対してアンバランスなガンベルトが全くの異風だった。
「糞爺。次に下らねぇこと喋ったら、引き金を引く。お前と『飼い犬』は後、30分で俺に殺されるんだ」
「ああ、そうかい。じゃあ、黙っていよう」
 銃口を額に向けられた経験は軽く10回以上有る先桐にとって、自分の子供ほどの青年が粋がってアナーキーな玩具を振り回していても何の恫喝にも感じられなかった。
 ようやく、減らず口が黙ったと感じた日下は撃鉄をハーフコックの位置で停止させると、レミントン・アーミーをガンベルトに差し込んだ。
 きびすを返して『P岸壁』に向かおうとする足がピタッと止まる。
「なあ、アンタ。さっきは……良く、『自分の可愛い飼い犬にあんな酷い命令を言えたな』……」
「……」
 少しトーンの沈む日下の質問に、先桐は口を噤んだままだった。日下に対する恐怖や憐みではない。『日下という青年が一人の人の子だった事実』を飲み込んでいたのだ。
 辺里も『飼い犬』にだけは心を開いていたのだろう。『飼い犬』も辺里にだけは懐いていたに違いない。
「……命令を与えられない『飼い犬』ほど……認められない、惨めな気分を知っている『人間』は居ない」
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