鏡に映る翳
あれは、いつの頃だったか。
初めてのコロシで命の尊さを知り、お礼参りを恐れて安物の拳銃を抱いて眠ったのは、もう遠い昔のような気がする。
中学卒業後に社会に飛び出るが、ほぼ同時期に破産が遠因で一家離散。
両親は公子を連れて無理心中を図るが、公子だけが命を取り留める。昨今では珍しくもない話だ。
路上で何度も補導されながらも恐喝と窃盗で糊口を凌ぎ、カプセルホテルとネットカフェを渡り歩く毎日。この頃から公子に歪んだ死生観が芽生える。
空腹と虚空の心を抱えて街中を彷徨っている中、偶然見かけたヤクザの出入り。
そこで華々しく行われることのない散発な銃撃戦に何故か深く魅入られた。
たった一発の銃弾が本当に簡単に人間の命を終わらせる。
体に何本ものドスを刺されてもしぶとく怒声を挙げる生命力。
人間の散華が凝縮された絵画を見ているように美しかった。
生きたがる人間ほど簡単に死ぬ。死にたがる人間ほど生き残る……この世の不条理と理不尽と、僅かな真実が同居した時間。
途端に魅入られた。
元からアンダーグラウンド側の人間の素質を持った人間である公子は、『この道』でも自分が『満足して生きていける』と負の方向の思考に沈んでいく……今でも本人は正の方向に進んでいると思い込んでいる節があるが。
カチコミ専門の組合が存在していることを知り、若年ということと持ち前の流通業者を用意していないという理由で呆気なく門前払いされる。
大金を叩いてマニューリン/ワルサーPPKを購入するが充分に弾倉と実包を買う金に困り、情けでカチコミの端に参加させて貰う。
予想通り32口径の弱装口径では死を覚悟して突進してくる人間は停止させられずに早々と窮地に陥る。
この時に数が心許ないシングルカアラムと、頼りにならない停止力の32口径は鉄火場では役に立たないとプリンティングされる。
初めてのカチコミで一人に重傷を負わせるが、憧れだけで初めてフィールドに放り出されたサバイバルゲーマーのように逃げ惑うので精一杯だった。
自らも右腕に擦過傷を負うも、その痛みが、今までに無い充足感を覚える。
「自分は『生きている!』」……それと同時に、死に場所を見つけた。頭の中で描いていた幻想が幻滅を伴わず実現した。
以後、懇意になる流通業者を紹介して貰い、どっぷりとカチコミ屋稼業に浸かる。全ては最初の刷り込みが原因だった。
振り返れば、原因などというものは身近に発生する事象で、人間は思った以上に簡単にそれに影響させられる動物なのだ。
お礼参りや仕返しを恐れて拳銃を握って寝具に潜る毎日が続いたが、今ここで眠っている内に頭を撃ち抜かれても、自分はそれにすら対処できない人間なのだと思想が傾く。
いつの間にか、拳銃を手放して大の字で寝息を立てる自分が居た。
「……ん」
早朝4時半。
目が覚める。
生きている。
どうやら誰も自分を楽にはしてくれなかったようだ。
何だか、懐かしい夢を見ていたような気がする。
寝袋を抜け出し、台所で洗面をする。
最近、『自分が揺らぐ』事柄が多過ぎて頭が疲れる。
生き延びたいのか楽にして欲しいのか? 殺したいのか死にたいのか? 自分のサブスタンスに関する事項ばかりが頭を巡り、つまらない疑問が鎌首をもたげ始める。
「自分はいつまでもこんな生活をしていても良いのか?」……そこで「否!」と言い切れないからこそ疲れるのだ。
進むか戻るか。どちらへ進むかどこまで戻るか。
自分の目の前にあらゆる分岐が……自分の周りにはあらゆる道が通じている気がする。
生き続けるのも、ここで終わるのも自由。極論で言えば、誰も介錯してくれないのなら自分で頭を撃ち抜くという選択肢も有る。
どの道、一度でも銃を握ってタマの盗り合いをしたのならロクな最期しか無い。
反社会的存在のレッテル。社会通念上、存在が許されない固体。
「……」
頭を掻き毟り、慣れない内省と頭脳労働を中止する。
「メシだ……」
今は朝食を掻っ込むことを考える。数少ない白物家電の冷蔵庫を無造作に開けて缶詰を漁る。栄養価は低いがカロリーだけは補給できそうな動物性蛋白質ばかりだ。
コンビーフとツナ缶を開けてプラスチックの使い捨てスプーンでもそもそと食べる。浄水器も通していない鉄管水を紙コップに注いで、時折、喉を濡らす。塩分が強いので水分を充分に摂って薄めなければ塩分過多で血中成分が崩れる。
「あ、おはよう御座います……はあ。奴さんの塒は特定できましたけど、どうします?」
「足と塒だけは確実に押さえておけ。近い内に兵隊をけしかける。それと、ハジキとマメを人数分、揃えておけ」
「了解です」
青年は携帯電話をオフにすると、公子が潜伏しているワンルームマンションの前で軽四車を停めたまま、運転席で大きな欠伸をした。
午前8時を経過した。
携帯電話で流通業者と再び繋ぎを取ろうと試みる。
電話は繋がるが、応対が変だ。
そこはかとなく、公子の居場所を聞き出そうとしている。品物を届けてやるとか、落ち合う場所が変更になったなどの理由だが、強い違和感を覚える。
取引相手の情報が特定できる会話など、今までに一度もなかった。
公子は会話の途中で通話を中断した。
携帯電話をポケットに仕舞い込み、しばし考える。
――――ヤバイ!
――――『押さえ』られたか?
視線を、敷きっ放しの寝袋の付近に置いてるパラオーディナンスP-12に走らせる。
空の予備弾倉が5本。封を切っていない100発入りの紙箱が1個。
カチコミ一回分であれば充分な量だが、先の見えない長期戦に持ち込まれれば明らかに戦力不足だ。
取引中の業者とは縁を切って違うシマに移動しなければ補給は望めない。
それと同時に折角のセーフハウスをスマートに、スムーズに引き払うことも考えなければならない。
公子に最低限の矜持を語れと言えば、こう答える。
「公僕の世話にはなりたくない」
社会の秩序が彼女に裁きを下しても死刑は確実だ。
いつ執行されるのか解らない処刑を、銃火で散ることのないくだらない死に方を望んではいない。従って、警察に駆け込む選択は脳裏には一片も無い。
全ての予備弾倉に実包を詰め込む。
弾倉を挿していないパラオーディナンスP-12の各部を作動させ、空撃ちして簡単にコンディションを確認する。サイティングは大方終了している。
スライドを引いて排莢口から薬室に実包を押し込み、スライドリリースレバーを押し下げる。
撃鉄が起きて撃発状態から指で撃鉄を押さえてハーフコック位置で停止させると、弾倉を挿し込む。
ショルダーホルスターと予備弾倉ポーチを纏い、次々と然るべき収納箇所に挿す。残りのバラ弾を10発クリップの弾薬サックに詰めて雷管をカバーするとズボンのポケットに捻じ込む。
本格的な銃撃戦になれば落ち着いて弾薬サックから補弾している暇は無いだろう。
流石に次回は甘い展開等は期待できそうにない。今度こそ本気で命を落とすだろう。
身の回りの物を詰め込んだボストンバッグを肩に担ぐと、ワンルームマンションを出た。行くあては無い。
国外逃亡を視野に入れているが、その地方で口を利いている外国の組織と連絡をつけなければならない。
初めてのコロシで命の尊さを知り、お礼参りを恐れて安物の拳銃を抱いて眠ったのは、もう遠い昔のような気がする。
中学卒業後に社会に飛び出るが、ほぼ同時期に破産が遠因で一家離散。
両親は公子を連れて無理心中を図るが、公子だけが命を取り留める。昨今では珍しくもない話だ。
路上で何度も補導されながらも恐喝と窃盗で糊口を凌ぎ、カプセルホテルとネットカフェを渡り歩く毎日。この頃から公子に歪んだ死生観が芽生える。
空腹と虚空の心を抱えて街中を彷徨っている中、偶然見かけたヤクザの出入り。
そこで華々しく行われることのない散発な銃撃戦に何故か深く魅入られた。
たった一発の銃弾が本当に簡単に人間の命を終わらせる。
体に何本ものドスを刺されてもしぶとく怒声を挙げる生命力。
人間の散華が凝縮された絵画を見ているように美しかった。
生きたがる人間ほど簡単に死ぬ。死にたがる人間ほど生き残る……この世の不条理と理不尽と、僅かな真実が同居した時間。
途端に魅入られた。
元からアンダーグラウンド側の人間の素質を持った人間である公子は、『この道』でも自分が『満足して生きていける』と負の方向の思考に沈んでいく……今でも本人は正の方向に進んでいると思い込んでいる節があるが。
カチコミ専門の組合が存在していることを知り、若年ということと持ち前の流通業者を用意していないという理由で呆気なく門前払いされる。
大金を叩いてマニューリン/ワルサーPPKを購入するが充分に弾倉と実包を買う金に困り、情けでカチコミの端に参加させて貰う。
予想通り32口径の弱装口径では死を覚悟して突進してくる人間は停止させられずに早々と窮地に陥る。
この時に数が心許ないシングルカアラムと、頼りにならない停止力の32口径は鉄火場では役に立たないとプリンティングされる。
初めてのカチコミで一人に重傷を負わせるが、憧れだけで初めてフィールドに放り出されたサバイバルゲーマーのように逃げ惑うので精一杯だった。
自らも右腕に擦過傷を負うも、その痛みが、今までに無い充足感を覚える。
「自分は『生きている!』」……それと同時に、死に場所を見つけた。頭の中で描いていた幻想が幻滅を伴わず実現した。
以後、懇意になる流通業者を紹介して貰い、どっぷりとカチコミ屋稼業に浸かる。全ては最初の刷り込みが原因だった。
振り返れば、原因などというものは身近に発生する事象で、人間は思った以上に簡単にそれに影響させられる動物なのだ。
お礼参りや仕返しを恐れて拳銃を握って寝具に潜る毎日が続いたが、今ここで眠っている内に頭を撃ち抜かれても、自分はそれにすら対処できない人間なのだと思想が傾く。
いつの間にか、拳銃を手放して大の字で寝息を立てる自分が居た。
「……ん」
早朝4時半。
目が覚める。
生きている。
どうやら誰も自分を楽にはしてくれなかったようだ。
何だか、懐かしい夢を見ていたような気がする。
寝袋を抜け出し、台所で洗面をする。
最近、『自分が揺らぐ』事柄が多過ぎて頭が疲れる。
生き延びたいのか楽にして欲しいのか? 殺したいのか死にたいのか? 自分のサブスタンスに関する事項ばかりが頭を巡り、つまらない疑問が鎌首をもたげ始める。
「自分はいつまでもこんな生活をしていても良いのか?」……そこで「否!」と言い切れないからこそ疲れるのだ。
進むか戻るか。どちらへ進むかどこまで戻るか。
自分の目の前にあらゆる分岐が……自分の周りにはあらゆる道が通じている気がする。
生き続けるのも、ここで終わるのも自由。極論で言えば、誰も介錯してくれないのなら自分で頭を撃ち抜くという選択肢も有る。
どの道、一度でも銃を握ってタマの盗り合いをしたのならロクな最期しか無い。
反社会的存在のレッテル。社会通念上、存在が許されない固体。
「……」
頭を掻き毟り、慣れない内省と頭脳労働を中止する。
「メシだ……」
今は朝食を掻っ込むことを考える。数少ない白物家電の冷蔵庫を無造作に開けて缶詰を漁る。栄養価は低いがカロリーだけは補給できそうな動物性蛋白質ばかりだ。
コンビーフとツナ缶を開けてプラスチックの使い捨てスプーンでもそもそと食べる。浄水器も通していない鉄管水を紙コップに注いで、時折、喉を濡らす。塩分が強いので水分を充分に摂って薄めなければ塩分過多で血中成分が崩れる。
「あ、おはよう御座います……はあ。奴さんの塒は特定できましたけど、どうします?」
「足と塒だけは確実に押さえておけ。近い内に兵隊をけしかける。それと、ハジキとマメを人数分、揃えておけ」
「了解です」
青年は携帯電話をオフにすると、公子が潜伏しているワンルームマンションの前で軽四車を停めたまま、運転席で大きな欠伸をした。
午前8時を経過した。
携帯電話で流通業者と再び繋ぎを取ろうと試みる。
電話は繋がるが、応対が変だ。
そこはかとなく、公子の居場所を聞き出そうとしている。品物を届けてやるとか、落ち合う場所が変更になったなどの理由だが、強い違和感を覚える。
取引相手の情報が特定できる会話など、今までに一度もなかった。
公子は会話の途中で通話を中断した。
携帯電話をポケットに仕舞い込み、しばし考える。
――――ヤバイ!
――――『押さえ』られたか?
視線を、敷きっ放しの寝袋の付近に置いてるパラオーディナンスP-12に走らせる。
空の予備弾倉が5本。封を切っていない100発入りの紙箱が1個。
カチコミ一回分であれば充分な量だが、先の見えない長期戦に持ち込まれれば明らかに戦力不足だ。
取引中の業者とは縁を切って違うシマに移動しなければ補給は望めない。
それと同時に折角のセーフハウスをスマートに、スムーズに引き払うことも考えなければならない。
公子に最低限の矜持を語れと言えば、こう答える。
「公僕の世話にはなりたくない」
社会の秩序が彼女に裁きを下しても死刑は確実だ。
いつ執行されるのか解らない処刑を、銃火で散ることのないくだらない死に方を望んではいない。従って、警察に駆け込む選択は脳裏には一片も無い。
全ての予備弾倉に実包を詰め込む。
弾倉を挿していないパラオーディナンスP-12の各部を作動させ、空撃ちして簡単にコンディションを確認する。サイティングは大方終了している。
スライドを引いて排莢口から薬室に実包を押し込み、スライドリリースレバーを押し下げる。
撃鉄が起きて撃発状態から指で撃鉄を押さえてハーフコック位置で停止させると、弾倉を挿し込む。
ショルダーホルスターと予備弾倉ポーチを纏い、次々と然るべき収納箇所に挿す。残りのバラ弾を10発クリップの弾薬サックに詰めて雷管をカバーするとズボンのポケットに捻じ込む。
本格的な銃撃戦になれば落ち着いて弾薬サックから補弾している暇は無いだろう。
流石に次回は甘い展開等は期待できそうにない。今度こそ本気で命を落とすだろう。
身の回りの物を詰め込んだボストンバッグを肩に担ぐと、ワンルームマンションを出た。行くあては無い。
国外逃亡を視野に入れているが、その地方で口を利いている外国の組織と連絡をつけなければならない。