鏡に映る翳

 パイプ椅子から立ち上がり、踵を返して立ち去る間際に源治は突然思い出したようにぶっきらぼうに言い放った。
「ああ、それと……生きてここから抜け出せたら今度は特定の組織を敵に回すことになる……って言うのは理解しているな?」
 突然の意味不明な、そして生還出来るというその状況が有り得ない場合を突然口走る。源治の背中に対して露骨に眉をひそめた。源治はそのまま、男たちを掻き分けて退室する。
――――? ……何だって?
――――何を言いたいの?
 怪訝に首を傾げる公子の毛布が突然剥ぎ取られ、多数の男に体勢を無理矢理変えられる。
 仰向けの状態から今度はうつ伏せにさせられる。膝を突き、上半身は床に押さえつけられる。足首に鉄パイプをあてがわれMの字に固定されたままなので秘めやかな部分が男たちに晒される。
 後は我先に群がる男たちを一方的に受け入れさせられた。
 覚悟の範疇での出来事なので特に屈辱は感じない。
 口から押し込まれたソレも、噛み千切ってやろうかと考えたが、一人を不具にしても何も好転しないと悟ったので大人しく舌を用いて愉しませてやった。



 それからは自我をシャットアウトし、性的快感を受け入れることだけに専念した。
 連中が悦んでいる間は殺される事が無い。
 どれだけの性欲の具現を胎で受け止めても、公子が大人しく雌犬に成なりさがっている今は命の危険を感じない。
 時間の経過も曖昧になるくらいに公子自身も乱暴な性技に応えた。
 空腹を訴えれば食事を用意してくれるし、用便を訴えれば首輪付きで男たちが好奇の目で見守る中、用を足すことが許された。
 昼夜問わない陵辱だったが、連中が酒を呷りながら性欲を撒き散らしてる間に意外に簡単に脱出する機会が訪れた。
 確か、8度目の食事――相変わらず、缶詰のドッグフードと水だけ――が済んだ頃。
「……」
 食事や用便の度に手錠と鉄パイプを外していたのでは面倒臭いと誰かが言い出した。
 それを聞いてから、くだらない輪姦の被害者を演じながら恐怖で従順に折れた女を演じた。
 大した時間が掛からず思惑通り、手足が自由になる。
 関節や筋肉がギクシャクと油が切れたように動く。今、ここにいる連中の数は7人。例外無くアルコールが廻って気が大きくなっている。
 手足に自由が戻っても大人しく、慰み物を演じる。
 心が完全に折れて、性宴に溺れる女を演じる。
 首輪は大型犬のものを使っているので鎖に繋がれていても、両手が自由になった人間である公子には難無く外せる。
 鎖の一端は部屋の端に有るオイルヒーターに繋がっているが、5kg用アルミチェーンなので全力で引っ張れば簡単に千切れる自信があった。銃撃戦で受けた左腕の銃創も薄皮が再生するほどに回復している。
 鎖の長さは約5m。
「……」
――――さて。やるか。
――――人形ごっこも飽きたな。
 脱力して寝転がった体勢から何の抵抗も感じず、何の支障も来たさずスッと音も無く立ち上がる。
 ぐい、と鎖を掴み、一気に引き千切る。予想通りに脆い金属だ。ただの見た目の拘束力を誘発させるための玩具だったのかも知れない。
 キーンという弾ける金属音と共に鎖から解き放たれる。
 左上腕部の銃創が再び裂傷を起こすが激しい流血や激痛は感じられない。
 アルコールと大麻がほどよく廻った連中――どいつもこいつも下半身は丸出し――は目前で起きている女の行動が視界に入っていても誰一人、反応しない。獲物は丸腰で繋がれて、性処理専用の奴隷に成り下がったという錯覚が酒や薬物で増幅しているのだ。
 ごく自然な手付きで首輪を外し、辺りを見回す。
 雑魚寝の男ばかりが8人。大した脅威では無い。
 少し前まで、自分の足を拘束していた鉄パイプを拾い、杭でも打つフォームで次々と男たちの頭部を強打し、昏倒させる。目隠しをしないスイカ割りをしている気分だ。
 連中が脱ぎ捨てている衣服を物色して自分に合うサイズを選ぶ。
 無用心に拳銃を差し込んだホルスターが後ろ腰にぶら下がっている。拳銃も選ぶ。口径や弾倉に互換性が無く、口元をヘの字に歪める。
 一番、使い減りしていないマカロフを選ぶ。予備弾倉を4本集め、ジーンズパンツのポケットに捻じ込む。上着はポロシャツに中国製のフライトジャケットだ。
 自分の衣服や相棒のパラオーディナンスP-12を探している余裕は無い。
 唯一の出入り口であるドアを開けて低く屈んだ状態から左右を確認する。
 左右に長さ3mの廊下。雰囲気からすれば床延べ面積が広い洋風住宅の内部だと感じた。
 窓から差し込む風や光。都市部のざらついた匂いはしない。どこかの保養地か郊外の山荘だろうか?
 ドアから出て左右二手に分かれる突き当りが見える。右側の通路を選ぶ。
「おい!」
 不意に後ろから声がする。
 心臓が口から迫り出しそうな顔色で振り向く。
 腹のベルトに差し込んだマカロフを素早く握り、盲撃ちする。
 碌に狙っていない。
 弾倉が空になり、スライドが後退して停止する。
 黄緑のトレーナーに灰色のカーゴパンツを履いた青年は右胸、左脇腹部2箇所に被弾して尻餅を搗く格好で仰向けに倒れる。青年の手から拳銃が零れ落ちる。
 盲撃ちした後、着弾を確認せずひたすら逃げるつもりで踵を返した公子は、青年の手から零れ落ちた拳銃が床に当たって暴発した銃声を確かに聞き止めた。
「!」
 紛うことのない45口径。
 逃げ出すために踏み出した足が釘付けになり、双眸が驚愕に開いたまま、そちらを、仰向けに倒れた青年の方を向く。
 倒れた青年の足元には相棒が、パラオーディナンスP-12が硝煙を立ち昇らせて佇んでいる。
 マカロフを左手に持ち替えて、パラオーディナンスP-12に飛びつく。
 予備の弾倉も調べたかったが、死角になって見えない廊下の角の向こうから、銃声を聞きつけた男の声が聞こえてきたので、相棒だけを回収すると、勝手を知らない建物内部を、勘に任せて走り去る。


「どうした! 何が有った!」
 男は執拗に大声で喚く
「どうした! どうしたんだ!」
 床で被弾して倒れていた青年は頭の上で棒読みで喚くブラウンのジャケットの男を瞼を開けて見上げた。
 体に被弾して動けない青年は元気の良い声でこう言った。
「ちょっと、源治さん。五月蝿いッス。もう良いですから」
 倒れる青年の頭元で咥え煙草のまま白々しく声を張り上げていた源治は青年に声を掛けられると、わざとらしい棒読みの喚き声をピタッと止めて、ゆっくり煙草を吸い込んだ。
「はい。ご苦労。お疲れさん」
「本当にご苦労ですよ……」
 被弾した青年は何事も無く上半身を起こすとトレーナーの背中に手を回してスリングを解除した。
 トレーナーの前部内側からセカンドチャンスのブレストパーツが滑り落ちる。それには9mmマカロフがめり込んだ血糊のパックが貼り付けられている。
「もうこんな頼みは聞きませんからね! あいつのタマが頭に当たってたら冗談じゃ済まねぇッスよ。手とか足とかに当たっても痛いから嫌ですからね!」
「今度、天ぷら蕎麦奢るから」
「ちょっ……俺の命って天ぷら蕎麦と同じ値段ですか?」
「ビールも付けるから」
「……俺はそんな源治さんが大嫌いです」
 遣る瀬無い溜息を長く吐く青年に源治はセブンスターを勧めた。
 青年もそれに応えて一本抜く。
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