鏡に映る翳
この様な些細なトラブルは珍しくない。
喧嘩の売買が謂わば生活の彩りなのかも知れない。
他人と接するのが苦手なくせに、社会から落伍した人間だというのに、命の安売りを繰り返さなければ自分がアンダーグラウンドの歯車の一つだと認識できない性分。
辺りに他者が居なければ植物のように大人しい彼女もネオン街の闇に潜む放つ猛毒に心と体を蝕まれた一被害者だ。
だからといって「私は可哀想な人間です」と身の上を吐露するほど強い人間ではない。
それは虚無を嫌悪するがゆえに、虚無に飛び込む行動を辿れば簡単に理解できる。
彼女は弱い。
弱くなければ銃を握るということもしないし、底辺から這い上がろうと努力もするはずだ。
現実は……銃を握ると必ず訪れる『至極簡単な生活』に浸かりきっている。
前向きな捉え方をするのなら、生きる糧を探すことが『生きる糧』。
他者の言に対して聞く耳を持っていても、それで自身を糺す勇気が皆無の落伍者だ。
※ ※ ※
静かに煙草を巻く。
掌に細長くキャプテンブラック・ゴールドのパイプ用刻み煙草を伸ばして、リズラの遅燃性煙草紙をそれにあてがう。
優しく両方の掌を合わせて粘土を捏ねるように擦る。
暫くすると細長く整った両切りの煙草が完成する。それを手に取り、シガレットペーパーの糊が付着した一辺を舐めて唾液で湿らせる。
やや強く指で巻きながら形を作ってやれば手巻き煙草の出来上がりだ。
両切のピースやショートホープと同じ長さだ。紙のサイズが決まっているために長さは一定だが、ハンドメイドゆえに太さは毎回僅かに違う。
手巻き煙草専門のローラーを使えばもっと簡単に素早く巻き上げる事ができるが、情緒と風情が無いために公子は余り使わない。
それに手巻き煙草用ローラーは肺まで吸い込む、シャグ専用に設計されているために刻みの間隔が荒く長いパイプ用刻み煙草にはやや不向きだ。
ゆっくり長く大量の煙を味わいたいが、葉巻や本格的なパイプ喫煙ほどの面倒臭いメンテナンスや湿度管理は不要と考えているので彼女にしてみればそれで充分だった。
それに胸腔喫煙のようにニコチンや得体の知れない何かが体内をダイレクトに駆け回る普通の紙巻煙草は生理的に受け付けない。
「……」
できたての手巻き煙草を咥えて無造作にジッポーで火を点ける。
誰にも邪魔されないこの瞬間が格別の調味料となる。
「……」
一息深く吸い込んでから充分に口腔で転がしてゆっくり細く紫煙を吐く。
チョコレートフレーバーが辺りの空気を押しのける。
良質の煙を5秒程楽しむと視線を手元に落とす。
ポーチ型刻み煙草ケースやリズラのペーパー、ジッポーに混じってテーブルの上に展開された二つ折り携帯電話が見える。
「……」
受信メールが表示され、仕事依頼である暗号の欺瞞タイトルが確認できる。尤も、タイトルや文面を確認しなくともメールアドレスを一瞥しただけでどの程度の仕事でどのような内容かまで想像がつく。
メール本文を展開しても近親者を装う欺瞞工作の長文が長々と羅列されているだけで、どこにも仕事内容は記されていない。
最下段までカーソルを下げてそこに記載されているアドレスにリンクすれば詳細が書かれたページに飛ぶ。
一般的なローダーを用いているが隠語と暗号で始終しているために関係者でも解析表が無いと読み取るのは難航する。
面倒な解析作業が待っていると、咥え煙草で眉をしかめて肩を竦める。
「で……これだけかい?」
メールの解析作業が終了し、後日に指定された然るべき場所へ顔を出す。左手で後頭部を掻き毟りながら遣る瀬ない吐息を漏らす。
打ちっ放しのコンクリが剥き出しの建設途中のビル。
そこに集まったのは公子を含めて5人。内1人はスポンサー関係者だ。
日が完全に傾いた時間。
暗がりの中で水銀灯が一つだけで灯りを提供している。全員の顔や風体を確認するのには充分な光量だ。
自分とスポンサー関係者以外の3人はいずれも見知った顔だった。
何度か鉄火場で顔を合わせたことがある。敵同士のときも味方同士のときもあった。
4人供、お互いの顔を一瞥するや否や、一様に「未だ生きていたのか」という表情を作ったが、馴れ合いの会話をする者は皆無だった。
「……さて。お互い知らぬ仲でも無さそうなので本題に入る」
グレイを基調とした高級ブランドのスリーピースを着込んだスポンサー関係者が口を開いた。
オールバックの似合う男で上場企業の管理職を連想させる。歳は40代前半だろうか? 何度かこの人物の指示で仕事を請け負ったことがあるが名前は忘れた。どの道、使い捨ての偽名しか名乗っていないだろう。
「私の元で働いたことのある諸君なら瑣末な説明はしない。本件の依頼人はできる限りのコロシを望んでいる」
スリーピースの男はそこまで喋ると内ポケットからキャビン・ワンの白い箱を取り出して一本抜いた。口に咥えて火を点けながら説明を続ける。
「今回の依頼内容は、いつものヤツだ。タマが切れるまで暴れ回って欲しいとのことだ……難しい仕事ではない。ただの殴り込みだ。作戦概要は建造物の3方向からの掃討。自分たち以外は全て攻撃対象だ。依頼人からの伝達事項は……暴れ回るほどのタマが買えないのなら、必要経費を先に欲しいだけ払う……だ」
公子はアルミの平たいシガレットケースを取り出すとあらかじめ巻いていた手巻き煙草を取り出した。パイプ煙草の風味が逃げてはいけないので無用な量は作らない。10本入りのシガレットケースに入っているのはたったの2本だ。
それを咥えて一堂の顔を見回すが誰もおどけたり茶化したりしない。
簡単な仕事内容の割に生還出来る確率の低さを感じ取ったのだ。
依頼人は本気で自分たちの命を量らずに大量殺戮を依頼してきた。
要するにタマが切れるまで掃討作戦を実行し、帰還するための火力は惜しむなということ。『直訳』すれば、生きて還るだけの気力が有るのなら喉笛に噛み付いてでもコロシを実行しろと言っているようなものだ。
自分以外の誰が何を持っているのかは定かではないが公子自身は心の中でほくそ笑んだ。
――――悪くは無い!
紫煙に歪む表情は神妙でも久し振りの乱戦に心が逸る。
帰宅するなりテーブルの上に7.62mmNATO弾の給弾ベルトを収納する200発用のスチール缶を置く。この中にはシリカゲルと共に15本の予備弾倉と45ACPが100発入った紙箱が10個入っている。さらに押入れからヒップバッグを取り出し、ウエストを少しタイトに調節する。
――――ちっ!
舌打ち。
夜半からの強襲。基本的に公子の仕事は奇襲攻撃が多い。
3方向から建造物へと掃討に入り、敵戦力の殲滅。然る後、回収地点まで撤退。
作戦自体に捻りは無い。
自分を含めた4人は分散して角地に建つ4階建てテナントビルの3つの出入り口から突入。
公子ともう一人がバディを組んで正面から乗り込み、残りの戦力は二手に分かれて突入。
そこまでは一切難しくない。
難しくなったのは、隣の即席の相棒が脳漿を散らして9mmの餌食になってからだ。公子の頬に脳味噌の破片が血飛沫と共にへばり付く。
テナントの2階に突入した途端に反撃が行われた。
喧嘩の売買が謂わば生活の彩りなのかも知れない。
他人と接するのが苦手なくせに、社会から落伍した人間だというのに、命の安売りを繰り返さなければ自分がアンダーグラウンドの歯車の一つだと認識できない性分。
辺りに他者が居なければ植物のように大人しい彼女もネオン街の闇に潜む放つ猛毒に心と体を蝕まれた一被害者だ。
だからといって「私は可哀想な人間です」と身の上を吐露するほど強い人間ではない。
それは虚無を嫌悪するがゆえに、虚無に飛び込む行動を辿れば簡単に理解できる。
彼女は弱い。
弱くなければ銃を握るということもしないし、底辺から這い上がろうと努力もするはずだ。
現実は……銃を握ると必ず訪れる『至極簡単な生活』に浸かりきっている。
前向きな捉え方をするのなら、生きる糧を探すことが『生きる糧』。
他者の言に対して聞く耳を持っていても、それで自身を糺す勇気が皆無の落伍者だ。
※ ※ ※
静かに煙草を巻く。
掌に細長くキャプテンブラック・ゴールドのパイプ用刻み煙草を伸ばして、リズラの遅燃性煙草紙をそれにあてがう。
優しく両方の掌を合わせて粘土を捏ねるように擦る。
暫くすると細長く整った両切りの煙草が完成する。それを手に取り、シガレットペーパーの糊が付着した一辺を舐めて唾液で湿らせる。
やや強く指で巻きながら形を作ってやれば手巻き煙草の出来上がりだ。
両切のピースやショートホープと同じ長さだ。紙のサイズが決まっているために長さは一定だが、ハンドメイドゆえに太さは毎回僅かに違う。
手巻き煙草専門のローラーを使えばもっと簡単に素早く巻き上げる事ができるが、情緒と風情が無いために公子は余り使わない。
それに手巻き煙草用ローラーは肺まで吸い込む、シャグ専用に設計されているために刻みの間隔が荒く長いパイプ用刻み煙草にはやや不向きだ。
ゆっくり長く大量の煙を味わいたいが、葉巻や本格的なパイプ喫煙ほどの面倒臭いメンテナンスや湿度管理は不要と考えているので彼女にしてみればそれで充分だった。
それに胸腔喫煙のようにニコチンや得体の知れない何かが体内をダイレクトに駆け回る普通の紙巻煙草は生理的に受け付けない。
「……」
できたての手巻き煙草を咥えて無造作にジッポーで火を点ける。
誰にも邪魔されないこの瞬間が格別の調味料となる。
「……」
一息深く吸い込んでから充分に口腔で転がしてゆっくり細く紫煙を吐く。
チョコレートフレーバーが辺りの空気を押しのける。
良質の煙を5秒程楽しむと視線を手元に落とす。
ポーチ型刻み煙草ケースやリズラのペーパー、ジッポーに混じってテーブルの上に展開された二つ折り携帯電話が見える。
「……」
受信メールが表示され、仕事依頼である暗号の欺瞞タイトルが確認できる。尤も、タイトルや文面を確認しなくともメールアドレスを一瞥しただけでどの程度の仕事でどのような内容かまで想像がつく。
メール本文を展開しても近親者を装う欺瞞工作の長文が長々と羅列されているだけで、どこにも仕事内容は記されていない。
最下段までカーソルを下げてそこに記載されているアドレスにリンクすれば詳細が書かれたページに飛ぶ。
一般的なローダーを用いているが隠語と暗号で始終しているために関係者でも解析表が無いと読み取るのは難航する。
面倒な解析作業が待っていると、咥え煙草で眉をしかめて肩を竦める。
「で……これだけかい?」
メールの解析作業が終了し、後日に指定された然るべき場所へ顔を出す。左手で後頭部を掻き毟りながら遣る瀬ない吐息を漏らす。
打ちっ放しのコンクリが剥き出しの建設途中のビル。
そこに集まったのは公子を含めて5人。内1人はスポンサー関係者だ。
日が完全に傾いた時間。
暗がりの中で水銀灯が一つだけで灯りを提供している。全員の顔や風体を確認するのには充分な光量だ。
自分とスポンサー関係者以外の3人はいずれも見知った顔だった。
何度か鉄火場で顔を合わせたことがある。敵同士のときも味方同士のときもあった。
4人供、お互いの顔を一瞥するや否や、一様に「未だ生きていたのか」という表情を作ったが、馴れ合いの会話をする者は皆無だった。
「……さて。お互い知らぬ仲でも無さそうなので本題に入る」
グレイを基調とした高級ブランドのスリーピースを着込んだスポンサー関係者が口を開いた。
オールバックの似合う男で上場企業の管理職を連想させる。歳は40代前半だろうか? 何度かこの人物の指示で仕事を請け負ったことがあるが名前は忘れた。どの道、使い捨ての偽名しか名乗っていないだろう。
「私の元で働いたことのある諸君なら瑣末な説明はしない。本件の依頼人はできる限りのコロシを望んでいる」
スリーピースの男はそこまで喋ると内ポケットからキャビン・ワンの白い箱を取り出して一本抜いた。口に咥えて火を点けながら説明を続ける。
「今回の依頼内容は、いつものヤツだ。タマが切れるまで暴れ回って欲しいとのことだ……難しい仕事ではない。ただの殴り込みだ。作戦概要は建造物の3方向からの掃討。自分たち以外は全て攻撃対象だ。依頼人からの伝達事項は……暴れ回るほどのタマが買えないのなら、必要経費を先に欲しいだけ払う……だ」
公子はアルミの平たいシガレットケースを取り出すとあらかじめ巻いていた手巻き煙草を取り出した。パイプ煙草の風味が逃げてはいけないので無用な量は作らない。10本入りのシガレットケースに入っているのはたったの2本だ。
それを咥えて一堂の顔を見回すが誰もおどけたり茶化したりしない。
簡単な仕事内容の割に生還出来る確率の低さを感じ取ったのだ。
依頼人は本気で自分たちの命を量らずに大量殺戮を依頼してきた。
要するにタマが切れるまで掃討作戦を実行し、帰還するための火力は惜しむなということ。『直訳』すれば、生きて還るだけの気力が有るのなら喉笛に噛み付いてでもコロシを実行しろと言っているようなものだ。
自分以外の誰が何を持っているのかは定かではないが公子自身は心の中でほくそ笑んだ。
――――悪くは無い!
紫煙に歪む表情は神妙でも久し振りの乱戦に心が逸る。
帰宅するなりテーブルの上に7.62mmNATO弾の給弾ベルトを収納する200発用のスチール缶を置く。この中にはシリカゲルと共に15本の予備弾倉と45ACPが100発入った紙箱が10個入っている。さらに押入れからヒップバッグを取り出し、ウエストを少しタイトに調節する。
――――ちっ!
舌打ち。
夜半からの強襲。基本的に公子の仕事は奇襲攻撃が多い。
3方向から建造物へと掃討に入り、敵戦力の殲滅。然る後、回収地点まで撤退。
作戦自体に捻りは無い。
自分を含めた4人は分散して角地に建つ4階建てテナントビルの3つの出入り口から突入。
公子ともう一人がバディを組んで正面から乗り込み、残りの戦力は二手に分かれて突入。
そこまでは一切難しくない。
難しくなったのは、隣の即席の相棒が脳漿を散らして9mmの餌食になってからだ。公子の頬に脳味噌の破片が血飛沫と共にへばり付く。
テナントの2階に突入した途端に反撃が行われた。