鏡に映る翳
「……」
静か過ぎる空気が肌に痛い。
公子は太い杉の木に背中を預けるとパラオーディナンスP-12を抜いた。
薬室と弾倉を確認する。出番を焦がれる頼もしい45口径が大人しく鎮座している。
「……」
山鳥や小鳥が鳴かない。木々を抜ける風鳴りがやけに大きく聞こえる。
高い筈の太陽の光が体感的に4割ほど、遮られている。息を整えるのにピッタリな心地良い風が頬を撫でる。
深緑の恵みを感じる風景を楽しむ余裕は今は、無い。公子は走った。常に体半分は巨木の陰に入るように計算してジグザグに走る。この調子では徒歩1時間のルートは大幅な修正が必要だ。
獣道を踏み倒し、下生えを蹂躙し、潅木を蹴り飛ばす。
巨木から巨木へ移ると時々、2秒停止して辺りを覗う。
目も耳も鼻も……物理的に公子に訴えるものは無いが、直感だけは異変が発生していると警鐘で報せる。
何かが潜んで、何者かがこちらを見ている。
言葉に出来ない焦燥が群雲の如く胸中を支配する。
パラオーディナンスP-12のセフティを解きたいが、暴発が怖い。怪我をするより、何者かに自分の位置を知られるのが怖い。
「ちっ……参ったな」
静穏な行動を心掛けている公子に一矢が放たれたのは、彼女がニコチンの渇望をムラムラと覚えた時だった。
「……!」
腹にくぐもるように轟く轟音。
遮蔽物の積りにしている杉の表皮が粉を舞い上げて砕け散る。
咄嗟に頭を低くして潅木に伏せる。発見された! 伏せたが、これは後手の行動だ。初弾が命中していればこの一発で公子の頭部は爆ぜている。
――――撃ってきやがった!
――――拳銃……マグナムか?!
木々の間に僅かに木霊する発砲音。少なくとも敵戦力の一人はこの林に潜んでいる。
ライフルによる狙撃でない理由は木霊の時間と、迫力の有る銃声と着弾跡で判じた。
ライフル用炸薬を大木の林立する中で用いた場合、マズルから吹き出る発砲音は吸収され乾いた音に変わる。
木霊が轟くほどの低い音域は発生しない。
これが拳銃弾なら撃発音が周囲に効率良く吸収されずに必要以上に大きく聞こえる。いずれも使用している炸薬の特性が違うからこそ発生する差異である。
それに加え、決定的なのは着弾跡。ライフル弾というほどの破壊力はないが拳銃弾にしては強装。狙撃できる距離から放たれたライフル弾なら木の表面が砕ける程度では済まない。
実戦を想定した現実的な解釈からすれば、巨木がランダムに立ち並ぶ、見通しの悪い、狭い空間でライフルのような長物は不利だ。
拳銃であっても不利では有る。
竹林と同じく跳弾や弾道の阻害が発生する。ソフトポイント系弾頭なら冗談抜きで跳弾を繰り返して自分の弾丸で負傷する事も有る。
軍用のフルメタルジャケットを使う公子のパラオーディナンスP-12もラウンドノーズである限りは弾道の阻害に気を付けなければ同じ結果をもたらす。
尚、弾道の阻害とは具体的には『跳弾になる一歩手前の状態で狙撃、銃撃箇所から大きく着弾が狂う事』である。
つまり、下手に狙撃も牽制も出来ない。
ましてや銃撃戦を展開するのはこれが最後とは限らない。弾薬も無駄にはできない。空弾倉ですら惜しい状況だ。
「!」
不意に人影が表れる。
斜面の少し上。公子を悠々と見下ろすシルエット。距離にして50m。
山野の真ん中であるこの状況なら、厳しい戦闘区域が形成される。
殆ど、遭遇戦に近い環境でなければ、お互いに決定打を叩き込むことができない。
しばし、人影に目を凝らす。
「……」
人影が右手に携えた拳銃をダラリと下げたまま、左半身で立っている。
――――!
――――あいつか!
源治。
顔はうろ覚えでも風体と雰囲気で触れているように解る。
「……」
――――ナインティーンイレブン……。
右手に下がる拳銃は愛銃と似通ったシルエットを作るが、それはフレームの印象であって同一の物では無い。
その証拠に、推定で7インチはあるロングスライドモデルでスライド上部に一本の筒が乗っていた。
古めかしいデザインのレーザーサイトか、この状況と拳銃弾のスペックには不相応の長距離射撃用スコープだ。
なにより、公子の感覚を僅かに狂わせる違和感を覚えたのはその大きさだった。
ロングスライドと、それとほぼ同じ長さをしたスライド上部の筒のお陰で、得物と源治の対比がしっくりこない。
――――……?
――――ナインティーンイレブンだよ……ね?
――――マグナム……LARグリズリー……違う……。
頭の中に有る銃火器の資料を素早く検索するが、該当する火器がヒットしない。
源治は口に咥えていた煙草を吐き捨てた。
ゆっくりとこちらに拳銃を構える。
両手で構え、体が静かに右半身のウィーバースタンスに変化する。
「!」
――――ヤバイ!
僅かに開けた原野の直線距離。お互いがゆっくりと邂逅を果たすことが可能な位置。
背中を突かれたように咄嗟に伏せる。その頭上を銃弾が掠めて弾頭が髪の毛を舞い上げる。脳天を襲う衝撃波に頭蓋が持っていかれそうだ。
明らかにマグナムクラスの拳銃弾。胴体にまともに喰らえば挽回不可能の負傷となって時間を置かず最期が訪れる。
パラオーディナンスP-12のセフティを解除し、撃鉄を起こす。
再び銃撃。
「!」
右脇腹を射貫かれた……感覚が即座に伝わるが、それは早合点で、秋物セーターの裾を掠っただけだった。
背筋に冷たいものが走る。セーターの裾を吹き飛ばした銃弾の射角が大きく違う。
源治は異常に優れた足腰を持っているのか、悪い足場を俊敏に移動し、巨木を遮蔽物にしながら接近している。
姿は見えない。確実に距離を縮めている。マグナム弾を使用するオートなら弾倉に大した弾数は装填できないはずだ。付け込む隙が有るとすれば弾倉交換を見極めてからの狙撃が理想だ。
敵を屠ることより、生きてこの区域を離脱するのが最優先事項ではあるが、源治に背中を見せることは即ち、死を意味している気がしてならない。
勝とうが負けようが勝敗は一瞬で訪れる。
辛勝か完敗か……そのいずれかだろう。
決して実力は拮抗しているとは考えない。過大過小な評価も危険。実力の知れない腕利きを相手に撒き散らす弾薬も乏しい。
この銃撃戦も始まったばかりなのか、終末に向かっているのかも不明。
手探りの状態が続く中、目前の潅木が揺れる。
咄嗟に45口径が吼える。咳き込むような速射だった。
「……」
6個の空薬莢を撒くと、潅木に銃口を固定したまま、バックステップを踏んで背後の木の陰に回り込む。
この20m程度の距離なら公子の得物の方が有利だ。辛うじて面制圧射撃が有効だ。
「!」
視界の左右で潅木や木の枝が揺れる。
銃声で追い立てられた野生動物とは考えられない。公子を炙り出すように誘っているのだ。倒木でも使って即席のブラフを掛けているのだろう。
冷や汗や緊張からくる喉の渇きを堪えて再び後退する。先ほど吹き飛ばされたセーターの裾が枝に引っ掛かり、毛糸が解れていく。
杉の林と竹林の境界までもう少しというところまで撤退する。
背後には源治と同じくらいに厄介な敵勢力の塊が控えている。
これ以降へは退路が無い。源治が右利きである事を願って、大きく左側へ迂回しながら斜面を駆け上る。
静か過ぎる空気が肌に痛い。
公子は太い杉の木に背中を預けるとパラオーディナンスP-12を抜いた。
薬室と弾倉を確認する。出番を焦がれる頼もしい45口径が大人しく鎮座している。
「……」
山鳥や小鳥が鳴かない。木々を抜ける風鳴りがやけに大きく聞こえる。
高い筈の太陽の光が体感的に4割ほど、遮られている。息を整えるのにピッタリな心地良い風が頬を撫でる。
深緑の恵みを感じる風景を楽しむ余裕は今は、無い。公子は走った。常に体半分は巨木の陰に入るように計算してジグザグに走る。この調子では徒歩1時間のルートは大幅な修正が必要だ。
獣道を踏み倒し、下生えを蹂躙し、潅木を蹴り飛ばす。
巨木から巨木へ移ると時々、2秒停止して辺りを覗う。
目も耳も鼻も……物理的に公子に訴えるものは無いが、直感だけは異変が発生していると警鐘で報せる。
何かが潜んで、何者かがこちらを見ている。
言葉に出来ない焦燥が群雲の如く胸中を支配する。
パラオーディナンスP-12のセフティを解きたいが、暴発が怖い。怪我をするより、何者かに自分の位置を知られるのが怖い。
「ちっ……参ったな」
静穏な行動を心掛けている公子に一矢が放たれたのは、彼女がニコチンの渇望をムラムラと覚えた時だった。
「……!」
腹にくぐもるように轟く轟音。
遮蔽物の積りにしている杉の表皮が粉を舞い上げて砕け散る。
咄嗟に頭を低くして潅木に伏せる。発見された! 伏せたが、これは後手の行動だ。初弾が命中していればこの一発で公子の頭部は爆ぜている。
――――撃ってきやがった!
――――拳銃……マグナムか?!
木々の間に僅かに木霊する発砲音。少なくとも敵戦力の一人はこの林に潜んでいる。
ライフルによる狙撃でない理由は木霊の時間と、迫力の有る銃声と着弾跡で判じた。
ライフル用炸薬を大木の林立する中で用いた場合、マズルから吹き出る発砲音は吸収され乾いた音に変わる。
木霊が轟くほどの低い音域は発生しない。
これが拳銃弾なら撃発音が周囲に効率良く吸収されずに必要以上に大きく聞こえる。いずれも使用している炸薬の特性が違うからこそ発生する差異である。
それに加え、決定的なのは着弾跡。ライフル弾というほどの破壊力はないが拳銃弾にしては強装。狙撃できる距離から放たれたライフル弾なら木の表面が砕ける程度では済まない。
実戦を想定した現実的な解釈からすれば、巨木がランダムに立ち並ぶ、見通しの悪い、狭い空間でライフルのような長物は不利だ。
拳銃であっても不利では有る。
竹林と同じく跳弾や弾道の阻害が発生する。ソフトポイント系弾頭なら冗談抜きで跳弾を繰り返して自分の弾丸で負傷する事も有る。
軍用のフルメタルジャケットを使う公子のパラオーディナンスP-12もラウンドノーズである限りは弾道の阻害に気を付けなければ同じ結果をもたらす。
尚、弾道の阻害とは具体的には『跳弾になる一歩手前の状態で狙撃、銃撃箇所から大きく着弾が狂う事』である。
つまり、下手に狙撃も牽制も出来ない。
ましてや銃撃戦を展開するのはこれが最後とは限らない。弾薬も無駄にはできない。空弾倉ですら惜しい状況だ。
「!」
不意に人影が表れる。
斜面の少し上。公子を悠々と見下ろすシルエット。距離にして50m。
山野の真ん中であるこの状況なら、厳しい戦闘区域が形成される。
殆ど、遭遇戦に近い環境でなければ、お互いに決定打を叩き込むことができない。
しばし、人影に目を凝らす。
「……」
人影が右手に携えた拳銃をダラリと下げたまま、左半身で立っている。
――――!
――――あいつか!
源治。
顔はうろ覚えでも風体と雰囲気で触れているように解る。
「……」
――――ナインティーンイレブン……。
右手に下がる拳銃は愛銃と似通ったシルエットを作るが、それはフレームの印象であって同一の物では無い。
その証拠に、推定で7インチはあるロングスライドモデルでスライド上部に一本の筒が乗っていた。
古めかしいデザインのレーザーサイトか、この状況と拳銃弾のスペックには不相応の長距離射撃用スコープだ。
なにより、公子の感覚を僅かに狂わせる違和感を覚えたのはその大きさだった。
ロングスライドと、それとほぼ同じ長さをしたスライド上部の筒のお陰で、得物と源治の対比がしっくりこない。
――――……?
――――ナインティーンイレブンだよ……ね?
――――マグナム……LARグリズリー……違う……。
頭の中に有る銃火器の資料を素早く検索するが、該当する火器がヒットしない。
源治は口に咥えていた煙草を吐き捨てた。
ゆっくりとこちらに拳銃を構える。
両手で構え、体が静かに右半身のウィーバースタンスに変化する。
「!」
――――ヤバイ!
僅かに開けた原野の直線距離。お互いがゆっくりと邂逅を果たすことが可能な位置。
背中を突かれたように咄嗟に伏せる。その頭上を銃弾が掠めて弾頭が髪の毛を舞い上げる。脳天を襲う衝撃波に頭蓋が持っていかれそうだ。
明らかにマグナムクラスの拳銃弾。胴体にまともに喰らえば挽回不可能の負傷となって時間を置かず最期が訪れる。
パラオーディナンスP-12のセフティを解除し、撃鉄を起こす。
再び銃撃。
「!」
右脇腹を射貫かれた……感覚が即座に伝わるが、それは早合点で、秋物セーターの裾を掠っただけだった。
背筋に冷たいものが走る。セーターの裾を吹き飛ばした銃弾の射角が大きく違う。
源治は異常に優れた足腰を持っているのか、悪い足場を俊敏に移動し、巨木を遮蔽物にしながら接近している。
姿は見えない。確実に距離を縮めている。マグナム弾を使用するオートなら弾倉に大した弾数は装填できないはずだ。付け込む隙が有るとすれば弾倉交換を見極めてからの狙撃が理想だ。
敵を屠ることより、生きてこの区域を離脱するのが最優先事項ではあるが、源治に背中を見せることは即ち、死を意味している気がしてならない。
勝とうが負けようが勝敗は一瞬で訪れる。
辛勝か完敗か……そのいずれかだろう。
決して実力は拮抗しているとは考えない。過大過小な評価も危険。実力の知れない腕利きを相手に撒き散らす弾薬も乏しい。
この銃撃戦も始まったばかりなのか、終末に向かっているのかも不明。
手探りの状態が続く中、目前の潅木が揺れる。
咄嗟に45口径が吼える。咳き込むような速射だった。
「……」
6個の空薬莢を撒くと、潅木に銃口を固定したまま、バックステップを踏んで背後の木の陰に回り込む。
この20m程度の距離なら公子の得物の方が有利だ。辛うじて面制圧射撃が有効だ。
「!」
視界の左右で潅木や木の枝が揺れる。
銃声で追い立てられた野生動物とは考えられない。公子を炙り出すように誘っているのだ。倒木でも使って即席のブラフを掛けているのだろう。
冷や汗や緊張からくる喉の渇きを堪えて再び後退する。先ほど吹き飛ばされたセーターの裾が枝に引っ掛かり、毛糸が解れていく。
杉の林と竹林の境界までもう少しというところまで撤退する。
背後には源治と同じくらいに厄介な敵勢力の塊が控えている。
これ以降へは退路が無い。源治が右利きである事を願って、大きく左側へ迂回しながら斜面を駆け上る。