貴(たか)い飛翔

「さて、エサを撒いたし……『調べる』か」
 常駐する始末人が潜んでいるかもしれない。
 さらなる全チームの弱体化を謀るために誰も手出ししないかもしれない。
 色々な選択肢や答えが脳裏を横切るが、当面の目標は「果たして、【白河組】は本当に特定のチームと懇意の仲になったのか?」ということさえ判明すれば良い。
「……」
 山荘へと続く山道の入り口でH&K P7M13をジャケットの上から確認すると一歩踏み出した。
「ハイ」
「!」
 羽虫や蛾が集る街灯の下、成威は硬直した。心臓を氷の手で掴まれた感覚がする。
「!」
「まあ、慌てなさんな」
 車両基地での始末人がカモーフージュネットを捲り飛ばしてその下から欠伸をしながら起き上がった。
「ドンパチが始まる前に会えて良かったよ……まあまあ、そう殺気を立てるなよ」
「……」
 男は傍らのワイルドターキーを手に取るとラッパ飲みする。
 男の腑抜けな行動に毒気を抜かれた成威。
「よぉ。アンタも一口、どうだい?」
 ワイルドターキーを勧める男。年の頃は40代前半くらいか? 実に精悍な顔付きで魅力的な風貌だったが、生えているのか生やしているのか解らない無精髭が魅力かどうかと問われると微妙なアクセントだった。
「……否、要らない」
「完全に戦意を挫かれた……そんな顔だな」
「ほっといてくれ!」
「……まぁ、いい。で、お前は何者でどこから来た?」
 成威は溜息を吐くと、この男の話に乗ることにした。場合によっては命を危険に晒すより有益な情報が掴めるかも知れないからだ。
 見たところ、この男の仕事道具であるルガーP-08アーティラリーモデルは左脇に収まったままだ。この距離で全長30cm近い拳銃を西部劇のガンマンのように素早く抜くのは不可能だ。素早く抜いて撃つということに関しては成威のH&K P7M13の方が有利だ。
「こちらが全部喋れば……『全部喋ってくれるの?』」
「全部は無理だな。信用と信頼で商売しているんでね」
 男はそれまで座り込んでいたキャンバスシートから立ち上がると大きな伸びをした。
「まずこちらから言わせて貰う。アンタが黒武成威という人物でどういう経歴を持っているのかは『こちら』で大体掴んでいる。アンタがこの街で自由に弾薬を補給できるように、『こちら』にも情報網は常に張り巡らせている。ま、『供給元』が同じだったと言うだけの偶然だけどな」
「……」
「正直言って、助かっている。クライアントの意向としては早く橋頭堡が欲しいが逸ると警察が黙っていないんで時間を掛けてあの街を支配下に置きたい。どんなに働いてもいただける金額は同じの、飼い主を持つ殺し屋としては、ダラダラと長引くガキの喧嘩に付き合うのが苦痛だった。そこにアンタが登場してタイムテーブルが加速して早くも、表向き取引してるように見せ掛けるガキのチームを絞る必要が有った」
「ふっ……よく喋るな」
「と……ここまではガキ連中を締め上げていれば普通に解る情報じゃないかい?」
「……」
「さて、ここからが要だ。……となると、どこのギャングと親分は手を組むつもりか知りたいわけだな?」
 核心をいきなり突いた男は、不敵に唇の端を吊り上げると自分の憶測が間違えていない感触を確認した。
「ふむ。やはり、そこが知りたいか」
 男はワイルドターキーを呷ると喉を鳴らしてアルコール度数50.5の液体を水を飲むように嚥下した。
 この男のバーボンを旨そうに飲む横顔を見ていたら急にブレンディットウイスキーが恋しくなった。
「答えは……」
「……」
「……答えはな……」
「……」
 成威は息を呑む。
 僅かに湧いた涎は心のどこかでウイスキーの味でも想像していたからかも知れない。
「答えは、ハジキを捨てて俺のイロになれば全部教えてやる」
「ふざけるな!」
 確かに、成威のH&K P7M13の方が早かった。
 3mほどの距離で外しようもなかった。
 H&K P7M13の銃口が男の頭部を捉えた瞬間に……違和感を覚えた。
「!」
 違和感の正体を確認した瞬間、答えが『降ってきた』。
「な!」
 H&K P7M13のスライド上部に質量のある物体……ワイルドターキーの瓶が直撃して銃口が頭部から逸れた。
 間髪入れず、男の体が右足を軸足に右回りに回転して右手が閃いた。
「いい顔だ」
 成威の鼻先にルガーP-08アーティラリーモデルの銃口が向けられる。顔面から10cmもない距離だ。
「いい顔だ。『自分の銃に命を預けられる顔』をしている。……銃と腕と経験の裏付けがないとそんな顔はできねぇ」
 H&K P7M13を構え直そうと硬直した状態のままの成威。
 恐怖で動けなかったのではない。全くなす術がなかった時間に全ての神経を持っていかれたのだ。
――――いつ、瓶を投げた?
――――どうやってバカ長い拳銃を引き抜いた?
――――いつの間に間合いを詰めた?
「あーあ、勿体ねぇ」
 男はワイルドターキーの瓶を拾い、中身が少なくなった液体を心底悲しんでいる様子だった。
「じゃ、これで帰る」
 男は踵を返した。
「一つだけヒントをやる。親分はどこのギャングとも手を結びたがっているし手を切りたがっている……じゃ、な」
 男は背中越しに掌を振りながら山道を降りて行く方向に向かった。
 成威は……。
「……」
 未だに、H&K P7M13を構え直そうとした体勢のまま硬直していた。
 男が去ってからきっかり1分後に緊張が解けて、滝のように冷や汗が流れ出した。
 それからさらに1分後、思い出したようにその場にへたり込んで珠のような涙を浮かべた。ようやく、恐怖を認識したのだ。

 セーフハウスで塞ぎ込む日が何日も続いた。
 食欲が不振で、胃袋を満足させない日も有った。
 ウイスキーだけで空の胃袋を宥めた日も有った。
 あの男に銃口を向けられて以来、すっかりと抜け殻になり、どうやってセーフハウスに戻ってきたのかさえ覚えていない。
 確かにあの夜に成威は死んでいた。
 ルガーP-08とH&K P7M13。
 同じ9mmパラベラム弾を使用する拳銃なのに、銃口から感じる恐怖は恐らく自分が被害者たちに向けてきたものとは格が違うだろう。
 たった山径9.652mmの世界があんなに得体の知れない深淵に繋がる空洞に見えたのは初めてだ。50口径でも25mmでもあれほど、暗く深く恐ろしい鈍色を放つことはない。
 人生で初めての敗北と挫折。
 看板を下ろすよりも切実に命が惜しいと感じた屈辱的な瞬間。尤も、瞬間とは言っても成威にとっては酷く長い悠久だった。
「……」
 セーフハウスの簡易ベッドで下着姿で横たわったまま、息をする死体同然に虚ろな眼を天井に向ける。喉が渇けば蛇口から流れる水に口を付け、だらしなく潤す。
 自分のこれまでの経験と実績が根底から破壊され、頼りにしていた拳銃捌きまで役に立たなかった。否、『役に立てることができなかった』。
 今の彼女に何の衝動も無い。
 何も彼女を突き動かさない。
 今ここでセーフハウスを押さえられて次の瞬間に命が終わったとしても、悔いも憂いも遺言も無い。『自分が死ぬ』だけだ。
 こんなにも脆かった自分の自信が馬鹿馬鹿しく、下らなく、小さく、取るに足りない存在だと思い知った。

 どこの世界にも一番は居る。
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