貴(たか)い飛翔

 全身に不良のレッテルを貼り付けた青年は傷の激痛を引っ切りなしに訴えていた。血糊で染まるズボンを脱がしてそのベルトで応急的な止血をしてやる。さらに路地の足元を走るダクト管のビニールテープを剥がして、被弾箇所にバンソウコウでも貼り付ける感覚で貼る。
 弾頭は貫通しているので今すぐに足が腐り落ちる事はない。時間が経過して、不衛生なテープを貼り付けたことによる感染症はそこそこ高い確率で発症するかもしれないが。

「で。実は……何だって?」
「だ、だから……何度も言ってるだろう……」
 成威は足首のアンクルタイプシースから抜いた、カミラス社のUSエアフォースサバイバルナイフの切っ先を捕獲した男の眦から喉元に沿って軽く走らせる。
 このサバイバルナイフはグリップ部にサバイバルキットを収納する空洞が無く、代わりに重心バランスを調整するための錘が入っている。
 その分、刀身がグリップに埋まっている部分が多く、他のサバイバルナイフと比べて非常に堅牢に出来ている。バイソンをこれ一振りで軟骨まで解体しても刃毀れしないくらいに優秀な炭素鋼を用いている。
 粘りと剛性を兼ね備えたサバイバルナイフの鈍く輝く切っ先が視界に現れるたびに左足を負傷した男は啜り泣きをする。
 先程から成威は同じ質問を何度も繰り返している。
 この男が吐いた情報が必ずしも本物の情報とは限らない。嘘を吐いている可能性や当人も意識していないレベルで思い違いをしていることに気が付く場合が有るからだ。
「詰まり……この街の覇権を手に入れれば橋頭堡として提供できる訳だ」
「だから、そう言ってるじゃないか! 喋ったんだから救急車呼んでくれよ!」
「そうか……じゃ、お前に用は無い」
 刃渡り14cmほどのサバイバルナイフを左手に持ち替えると、財布でも取り出す感覚でH&K P7M13を抜き、スクイーズドコッカーを態と大きな音を立てて作動させた。
「ひっ……」
 男は頭を抱えて小便を漏らした。
 露わになった後頭部に左手に握ったサバイバルナイフのグリップエンドを振り下ろす。戦闘機の強化ガラスを叩き割り、釘を何千本打ち込んでもガタが来ないハンマーにもなっているグリップエンドで本気で頭蓋に打ち込めば脳挫傷でこの男はここで死ぬ……勿論、手加減して後頭部を強打して気絶させた。
「……」
――――さて、もう少し情報が欲しいな
 裏路地から抜け出すと、内ポケットからウイスキーのポケット瓶を取り出して呷る。
 先程の男から聞きだした情報によれば、この街をこぞって欲しがっている連中は、『地理的に流通ルート上に存在するこの街』が欲しいらしい。
 この街自体には大して価値は無い。日本の東西を警察当局に感知されていないいくつかあるルートの一本がこの街を通っている。
 ルートとは勿論、暗黒社会の物資の搬送ルートだ。
 このルートを押さえて権力のある組織に貸し出せば大きなマージンも得られる。そのためには、明確にこの地域を占拠している勢力が必要なのだ。
 好き好んで群雄割拠が絶えない街をルートに選ぶ組織は無い。
 組織自体が末端の組織を用いて代表を選抜するために武器弾薬を分け与えているらしい。
 ここで疑問。組織とはどの程度の規模なのか? 何故、組織の本隊がこの地域を直接制圧しない?
「……」
 成威としてはどこで手を打つか考え所だった。
 成威にとってこの街には何の執着も無い。若年ギャングがどれだけ殺し合いをしようが全く関係ない。
 ヴォーショキやブロンクスでも銃撃戦は当たり前だった。
 朝飯前に銃撃戦が展開される地域で過ごしてきたが、地元の勢力関係がはっきりしているから必ず、どこかに『安全地帯』が存在した。それを見極めれば割と過ごしやすいものだ。
 早々にこの街から退去すれば問題無く命は助かるだろう。
 彼女の目的の根底は知的好奇心だ。今現在の日本国内の暗黒社会の勢力を知りたい。それを知り尽くしたうえで、自分の活躍できる職場に自分を売りたいと考えている。
 その見極めが今一つ難しかった。
 もう一つ、『マイスター』からレポートの提出を求められている手前、こんなにお誂えな試射場は無い。
 街に義理は無くとも、街という立地条件は絶好だ。
 街の勢力図をはっきりさせ、刺激しない程度に自分を売り込む必要性が有る。
 安全が保障されているのならどこの勢力でも関係無いが、確実な勢力図を知らない成威にとってはもう少し情報が欲しい。
 今の日本国内でもこれだけ試射の条件が揃った荒れた街は少ないだろう。
 作戦らしいものは何一つ頭に浮かんでこなかった。
 場当たり的に若年ギャングを締め上げて、その都度断片的な情報を収集して解析すれば何とかなるだろう……と、脳裏で考えが巡って終結する。
 兎に角、レポートの提出がH&K P7M13カスタムの代金みたいなものだ。動かない的、反撃しない的を相手にしたレポートは誰も欲しがらない。職人魂に応えなければならない。
 成威なりにさまざまな思惑が渦巻いているのだ。
 それがごく個人的な問題であっても、主観でしか生き抜く術しか知らない成威にとっては重大な問題だ。
 成威の眼が世界の目なのだ。視野の狭い人間だと笑い飛ばされてもそれが当人にとっての事実なのだから仕方がない。
 少々、憶測を誤ったとはいえ、絶好の『射撃場』に流れ着いたのは事実なようだ。
 良心の呵責なく自由に撃ち殺しても文句が出そうにない標的がゴロゴロしている。
 勢力云々は別にしても、これはこれで都合が良い。
 先程の男から聞き出した話では大小30近い勢力が鎬を削っていると言う。
 そう考えが及ぶと成威の唇が邪悪に吊り上がった。
 遠慮無く潰しても問題無い勢力が『29個』もあるということだ。
「……」
 またポケット瓶を呷る。傍から見れば気分良く酔っている通行人にしか見えない。往来の左右を酔っ払いどもが歩くこの繁華街では珍しい光景ではない。
 それでは早速、情報収集という名の元の銃撃戦を展開する『必要』が有る。
   ※ ※ ※
 街の端に、やや規模が小さい貨物列車の基地が有る。
 今では廃車を並べておくだけの廃墟。鉄錆の臭いが辺りの寂れた雰囲気を一層深いものにする。
 H&K P7M13を抜く。
 グリップをしっかり握り込んで、スクイーズドコッカーを作動。
 夜陰の中に、金属が噛み合う甲高い音が吸い込まれる。
 多少音を立てても、夜風が辺りの錆びた指示版を軽く軋ませて、耳障りな甲高い音で掻き消してくれる。
 腕時計に視線を走らせる。午前1時を経過した事を告げていた。道理で夜食が恋しくなるはずだ。
 これが終わったらどこかの呑み屋で大ハダのコブ締めと上サクラで一杯やりたいな、と漠然と考える。『ただのテストシューティングに肩の力を入れても仕方が無い』と思っている節がある。
「情報通りだと……」
 締め上げた連中から聞き出した情報が正しければ、今夜この場所で決闘という名の銃撃戦が始まる。
 最近のガキはタイマンで殴り合うという意味の決闘を知らないらしい。連中にウエストサイドストーリーを観賞する脳味噌が有るのならこんな事態には陥っていないが。
「!」
 足音を殺して、屈み気味に歩いていると声が聞こえた。
 双方のリーダー同士が前口上でも述べているのだろうか? 控える連中は大っぴらに拳銃を手に持っている。メーカー、銃種、口径に統一性が無い。
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