貴(たか)い飛翔

 ズデーテン地方の訛が強い中年の男はハンチング帽を無造作に取ると、そろそろ禿げ上がり始めた頭頂部を掻きながら面倒臭そうに喋り出した。
「またソイツが入り用か? 注文通り調整は済んである」
 50代半ばのスイス系の白人は中年太りの腹がトレードマークだと言わんばかりに誇示していた。
 工具を挿し込む細身のポケットがたくさん縫い付けられた作業用のベストの内ポケットからスペイン製のトルコ巻煙草を取り出して咥える。
 彼の管理する敷地内での事。
 朗らか晴天に恵まれた、ある日の午後だ。
 辺りは見渡す限りの牧歌的な芝生の絨毯が広がり、地面の隆起さえも目に明るい緑の業で目を細めてしまうほど素晴らしい風景だった。
 彼がトルコ巻に使い捨てライターで火を点している間に、彼女は野晒しの木製テーブルに置かれた樹脂製のハンドガンケースを静かに開けた。
 小型の短機関銃くらいなら悠々と収納できる大きさのケース内部。そこに鎮座していたのはH&K P7M13だった。
 真新しいフラットブラックの肌。
 旧西ドイツ警察用ピストルとして開発されたPSP――通称ゼロ・シリーズ――を原型として製作され、1982年から量産されてP7のモデルコードが与えられたことで有名な拳銃だ。
 グリップ前面のスクイーズドコッカーが特徴的なシルエットを形成している、ユニークな機構を組み込んだモデルだ。
「弾は……レミントン? フィヨッキ?」
 彼女は呟く。
「お好きなように……どこのメーカーだろうと、ハイベロシティのフルメタルジャケットなら問題無い。短機関銃用のホットケースでも全く問題ない」
 男は紫煙を吐き散らしながら女の呟きを拾って答えた。
 ベレッタのハンティングコートを羽織った女は日本人だった。
 女は静かにH&K P7M13を手に取り、スライドを思いっ切り引く。
 弾倉に弾薬は装弾されていないためにスライドキャッチが働いて後退したまま停止した。
 マガジンキャッチを押して2cm程弾倉を引き抜くと再び弾倉を差し込む。
 後退したままのスライドがが勢い良く作動しレシーバーを心地良く叩いた。モーゼルHScで馴染みが深いスライドオートリリース機構を取り入れてあるのだ。
 スライドオートリリースとは弾倉が空になると自動的にスライドが後退したまま停止し、新しい弾倉を挿し込むと自動的にスライドが前進して薬室に初弾を送り込む機構だ。
 尚、この男がいうところの弾薬……一般的な9mmパラベラム弾のフルメタルジャケット弾で比較した場合、初速毎秒341m、初活力468Jの数値を弾き出すことができる弾薬を指しているのである。
 同じ口径、薬莢長でも使っている炸薬の爆圧の高低で銃火器本体と相性の悪い種類が存在する。
 特に欧州メーカーが拵えた拳銃はヨーロピアンアモを基準にガスオペレーションが計算されているために、他国の弾薬を用いて極端に相性の悪い事態に陥ると暴発や作動不良を起こす原因になる。
「スライドリリースを仕掛けるのに少し手間取ったが……」
 そこで男は少し息を呑んで必要以上に長く吐いた。短いトルコ巻に、止めを刺すように思いっきり吸い込んだのだ。
「モノは仕上げた。調整も済んだ。預かっている間に錆止めも滴る程に吹き付けてやった……好きなだけ使ってくれたら良い。インプレッションのレポートを提出してくれれば何に使おうが深くは訊かない」
 男は唇を火傷しそうな程短くなった両切りのトルコ巻を地面に落とすと爪先で揉み消した。
 ベレッタのコートを着た女。
 赤茶けたセミロングが17cm近い身長に映える。
 大きな栗色の瞳をした活発明朗で利発な面構えだったが、引き締まった唇や意志の強さを代弁する眉がそれらを帳消しにして、常に静かな爆弾を持ち歩いている雰囲気を醸し出していた。
 これでは折角のセクシャルな香りも彼方に消えてしまう。
 明らかに魅惑的な女性に分類される風貌をしていながら、それを活かそうという気概が全く感じられないのだ。
 発達した筋骨にバランス良く配置された滑らかな肉質は残念なことに野暮ったいハンティングコートの下に隠れてその一端も拝むことはできない。
 白魚の様に白くて細く長い指には特有の拳銃胼胝が出来ていた。それも両手に。
「弾薬の供給ルートと物資の運搬ルートは確保してあるわ。直ぐにでも職人魂を喜ばせるレポートが提出できそうよ……それまで待っていてね、『マイスター』」
「そう願いたいね……フルオートだの3バーストだの、最近はそんな下らないオマケを組み込む依頼しか無かったんでな。気が晴れるネタが早く欲しいね」
「期待して。それより早く交換パーツの製作に掛かってちょうだい」
「職人の気分に口出しするんじゃねぇよ」
 職人の臍を曲げたことに彼女は軽く肩を竦めて見せた。
 口を尖らせる『マイスター』の横顔を見ながら2020代半ばの女……黒武成威(くろたけ なるい)はH&K P7M13『カスタム』をハンドガンケースに収納して手に提げた。
   ※ ※ ※
 成威が日本に帰国して2ヶ月になる。
 元から根無し草の成威には帰るべき故郷などありはしない。
 ただ、『マイスター』との約束通りにH&K P7M13の性能を実戦で実証しレポートするだけだ。
 そうかと言って、職業は何かと聞かれれば返答に困る。
 欧州中を渡り歩いていた頃は地元ギャングの助っ人として戦列に加わって敵対組織から巻き上げた金銭や非合法商品を売り捌いて生きてきた。
 その地方で命が危うくなると違うシマに殴り込んで悪行を繰り返すだけだ。
 人様に自慢できる人生など今までに歩んだことが無い。
 闇社会のガンマン連中が挙って頼りにする『マイスター』に出会ってから少しは落ち着いた生活をしているつもりだった。
 しかし安穏に隠居する性分ではなかったらしく、『挑戦』を兼ねて闇社会の人間には最も活動し難いとされる日本で暮らす事にした。
 特に激しく心を突き動かされる理由は無い。
 どれだけ活動し難いのか、どれだけの暗黒組織が成立しているのか知りたかっただけなのかも知れない。


 従って、この街に流れ着いたのも全くの気紛れだ。
「少しばかり、憶測を誤った。かな?」
 1LDKのマンションを借りてガランとした室内で横になった途端、吐いた言葉がそれだった。
 大型のボストンバッグを枕代わりにして大の字になりながら、この街で見た風景を軽く思い出す。
 どこの家屋の塀にも有刺鉄線。どの窓にも鉄線が入った強化ガラス。ことごとく破壊された公衆電話と自動販売機。
 アートとは絶対的に認められない落書き。
 アスファルトの地面に描かれた生々しい血痕。
 大破炎上したパトカー。
 高い太陽の下でカップ酒を片手に、千鳥足で大麻を咥える徘徊者。
 漏れなく雑多な拳銃で武装した有象無象のカラーギャング。
 それらを踏まえて「少しばかり、憶測を誤った」と吐いたのだ。道理で不動産屋が揉み手しながら条件が良くて安い物件を紹介してくれるはずだ。
 この辺りは若年層チーマーの解放区なのだ。解放区とは堅気の人間からした客観的な形容で、実際はあらゆる若年層不良集団が群雄割拠している戦乱地帯だった。
 いうなれば、この街だけ世紀末がサバを読んで到来したとしか言えない状況なのだ。
1/12ページ
スキ