凶銃の寂寥

 本当にここで立ち竦んでいる理由も無くなったので、潜んでいるアメリカンM180の男を警戒しつつ、足早に鉄臭い世界から逃げ出した。
 それが、臨海地域の廃工場が立ち並ぶ一角での出来事だった。
 緊張が解けて、思い出したように空腹を訴える胃袋。
 急激に体がニコチンを欲しがる。足の速度を緩めずポケットから黄色い箱を取り出すといつもの一本を取り出し、口に咥える。
 その途端、梁が抜けたように、今まで虚無な銃撃を繰り広げていた廃工場が崩れ落ちた。
 小型の爆薬を要所に仕掛けてあったのだろうか? 見事な崩壊だ。
 周辺には瓦礫一つ撒き散らさず、外壁が内側へ陥没するように倒れる。これで養生塀でも囲ってあれば完璧な爆破解体だった。『爆発物で爆破した』とは思えないほど、普通の解体作業だ。
「……」
 同時に寒気がした。
 自分達がバラ撒いた銃弾の流れ弾が1発でも爆薬に命中していればどうなっていたか知れたものではない。
 やがて襲い来るであろう粉塵から足早に逃げる。
 逃げながら使い捨てライターでビリガーエクスポートのフットを掌で覆いながら炙る。
 紫煙をセカセカと吐き散らす。ゆっくり味わう事よりニコチンの補給が先決だ。
 何かと目まぐるしい春の一日だ。
   ※ ※ ※
 何度数えてみても顔が緩む。
 視線を振る。
 そこには軍用フルメタルジャケット弾頭の9mmパラベラム弾が小さな山を築いている。100発入りが5ダース。
 再び視線を戻す。
 通帳に記された口座の入金と残高には、しばらく休業しても充分生きていけるだけの金額が並んでいる。
 先日の無為と虚無しか感じない強制参加のゲームの報酬だった。
 弾薬代に変わる経費は現物で送られてきた。安全な流通ルートから流れてきた弾薬なのでアシが付くことがない。
 時折、複雑な顔を作る。先ほどから笑顔と、この顔の繰り返しだ。ゲームの駒にされた屈辱と目先の金額が絶妙にバランスが取れていないのだ。
 所詮人間は貨幣経済の中に組み込まれた悲しい生き物なのだな、と溜息を吐く。
 笑ったり考えたりしかめてみたり、まるで百面相だ。
 これだけの金額が懐に入ったのに真っ先に支払った代金は、昼食に駅前の立ち食い蕎麦屋でコロッケとてんぷらとキツネをトッピングした月見蕎麦を2杯、飽食しただけだ。
 且つ、夕食はホルモン焼き屋で焼酎を呷りながらタンと特上ロースをたらふく食べた。
 要するにガンマンとしての早坂美哉であるとき以外は、到って普通の感覚しか持ち合わせていない庶民なのだ。
 嗜好品は葉巻でも、安価過ぎて愛好家からバカにされる対象のドライシガーしか吸わないし、酒もここしばらく大吟醸は呑んでいない。
 普段は即席ラーメンに卵を落としただけで幸せを感じる人間だ。見栄だけで派手な暮らしを心掛けて大声で吹聴するヤクザとは根本的に人種が違う。
 暗黒社会の人間でもピンからキリまで揃っている。美哉曰く、魚と鯨ほどの差がある殺し屋でも、日常生活の質が違うらしい。

 翌日。
 独自の流通ルートから仕入れたウッドチップ弾頭の9mmパラベラム弾が50発入ったレミントンの紙箱を2つ持って、前日に摂取したカロリーの消費とトレーニングのために狩猟期間が切れる直前の山間部まで足を運んだ。
 禁止期間を前に、駆け込みでやってくるハンター達の猟銃の咆哮が鳴り止まぬ山奥。拳銃の腕前を維持するための射撃訓練だ。
 例えハンターといえど一般人だ。素人には自動拳銃と、口径が小さい散弾を使用する、ガスやリコイルを利用した自動式散弾銃とは聞き分けがつかない。
 流石にフルオート射撃は控えるつもりだ。
 もっと口径が小さく高速回転であればチェーンソウと聞き違えるかもしれないが、ブローニングM1935FDは独特過ぎる連射音なのでその考えは甘い。
 普段使用している軍用フルメタルジャケット弾頭の9mmパラベラム弾より一段、弱装で反動が軽い部類に入るウッドチップ弾頭を使うのにもわけがある。
 銃身のライフリングが磨り減るのを防ぐためや銃本体の寿命を延ばすためだ。
 拳銃程度の近距離射撃なら金属弾頭でも木製弾頭でも大差は無い。狙撃銃のように風向きや風力を気にする必要はないのだ。
 ダブルハンドで精密な射撃訓練を行うより、利き手とは反対側の手で射撃する訓練を繰り返した後、利き手でしっかりグリッピングした後に、小指を浮かせて力を込めるのが難しい状況を作って射撃する訓練をした。
 常に最善の状況で拳銃が撃てるとは限らない。その状況で、利き手を負傷しているかもしれないからだ。
 グリップをしっかりホールドしていなければガスオペレーションを動力とする、反動で作動する自動拳銃は、拳銃本体が吸収して作動させるスライドアクションに必要な反動を射撃手の体が吸収するため、充分な反動を得ることができずに排莢不良を起こすことが良く有る。
 この日は一日かけて山野を走りながら間隔の広い単射を練習した。
 市井に潜む都市型のガンマンだから体力はなくても良いわけではない。
 体力膂力がついてこなければフルロードで1kg前後有る拳銃を自由に振り回すことはできない。
 腕力がなければ生涯の相棒と決めた拳銃が、ただの錘にしか感じられなくなる。
 常日頃から筋力の維持を心掛けるのもガンマンの勤めだと思っている。
 拳銃捌きが巧いだけの人間など腐るほど居る。
 どこまで惚れた拳銃一筋に命を預けられるかが殺し屋との大きな違いだと個人的に定義している。
 殺し屋は生命を吹き消す手段をいかに多く、いかに専門的に修得しているかということだけに習熟した職業だが、ガンマンは違う。『銃火器以外に活路が見出せない視野狭窄な人種』を指す言葉だ。刃物も飛び道具も使える人間はただの何でも屋だ。
 今時、このような古い思想で拳銃を握る人間は、暗黒社会でも希少な種族に分類される。美哉がいかに時代錯誤な人間であるか良く解る。
 美哉が最初に握った銃はCz75のコピー製品であるスピットファイアーMkⅡだった。
 後に、ブローニングM1935FDに鞍替えするに到った。
 スピットファイアーMkⅡの機構はCz75の模倣。そのCz75は大戦中のブローニングハイパワーの機構を拝借し、人間工学的なデザインを取り入れた拳銃だ。
 美哉は当初、Cz75のコピーを渡り歩いたが、原点に回帰してコマーシャルモデルのブローニングハイパワーを握った。
 その際のフィーリングが手に吸い付く感じで、途端にブローニングハイパワーに魅せられた。だが、装弾数13+1発は現実的に火力不足だった。
 殺すだけの仕事なら装弾数は関係無いだろうが、生憎と銃撃戦に潜るのが職場だ。
 装弾数15発以上が当たり前の大型軍用拳銃が広く浸透している現代ではブローニングハイパワーも『ハイパワー』ではなかった。
 そこでFN社が公務機関向けに特別に製造納品しているブローニングM1935FDの存在を知り、苦労して入手した。
 FDとはフルオートデバイスの頭文字で、一般的ではないモデルだ。
 装弾数13発+1発には変化はないが、当時はオプションで20連発弾倉が製造されていた。木製ウエストホルスター兼ストックも存在する。
 そのオプションを見て、少ない火力をフルオートの制圧力でカバーすることを思い立った。その後、アマチュアガンスミスに30連発弾倉を造らせて現在に到る。
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