凶銃の寂寥
「!」
小さな金属音。
あちらでも、こちらでも。
近くで。遠くで。
極々小さな金属音が美哉を囲む。
その度に耳が引き攣り、冷や汗を掻く。
――――探っている……?
空薬莢を美哉が潜んでいる辺りに投げつけて出方を窺っているらしい。
耳障り。
五月蝿い。
鬱陶しい。
小癪な金属音が集中力を掻き混ぜる。
追い詰められた側にしては今にも耳を塞いで喚き散らしたい気分だ。
このままでは恐怖感を伴う心理的プレッシャーに捉えられてしまう。腹の胆を敵に掴まれたらお終いだ。
左手で頬を強く捻る。口の中では前歯で舌先を強く噛んでいる。
連射音。
今自分が隠れている遮蔽物がミシンに乗せられたように細かく振動する。
位置を特定された!
――――!
――――と……。
――――いうことは!
この角度から銃撃を浴びせられるということは、この角度の直線上に敵が居る。
敵は美哉の位置を特定しておきながら、この角度から今直ぐに侵入できないでいる。
それはつまり。
敵も遮蔽物に囲まれた閉所の陰に潜んでいるのだ。
美哉の脳裏に自分が移動してきたルートを示す図面が広げられる。
『短機関銃に不利』
『遮蔽物の隙間』
『拳銃の間合い』
それらが多角的に計算されて自分が通過したルートと照合されて『短機関銃に不利で遮蔽物が多く拳銃が有効に扱える』フィールドを描いた。
それまで錘のように重かった30連発弾倉を装備したブローニングM1935FDが軽くなった気がした。
相手はリバイバル製品と思しきPPSh41。
スタイルは大戦中と変わらない。
射撃時は肩付け射撃か腰溜め射撃を想定してデザインされている。伏せ撃ちなどと言う不利な体勢は想定外だ。『もう1人』のアメリカンM180は伏せ撃ちも簡単に行えるが、同じドラム弾倉でも取り付け位置が違う。
相手がプロなら機動力も操作性も失われるPPSh41の伏せ撃ちは絶対に行わない。
射撃時は必ず立った状態で半身以上の面積を晒して銃口を突き出す。そうしなければ決定打を放つ事は非常に難しい。
美哉が頭に投影したルートは何れも遮蔽物に守られており、その上キャットウォークの直下を伝っている。
勿論、アメリカンM180にとっても不利な環境が揃っている。このルートで長物と出くわしても即座に対応する準備はできている。
「……」
セレクターがフルオートの位置に有るかどうかを親指で探って確かめる。
できるだけ小さな動作で、できるだけ足音を殺して、できるだけ身を屈めて、思い描いた通りのルートを疾駆する。
このルートは全長が1m近いアメリカンM180には全く不利な状況だ。どの方向から襲撃されても反撃できる。
PPSh41の男も大人しく同じ場所に居座っているとは考えられない。それも計算済みだ。
PPSh41の男の進行方向は進むか退くかしか残っていない。『退けば追い詰められる』、『進めば拳銃の方が有利』。
アメリカンM180はそれからゆっくり対処できる。先ず、PPSh41の首を盗る。
美哉はたった2人でイニシアティブをボールに見立てたラグビーを展開している事に未だ気が付いていない。
見えない脅威に追い立てられ、見えない敵を追っていると信じ込んで疑わないでいる。
この緊迫感が美哉の闘争本能に火を点ける。それのメカニズムですら本人は理解していない。『ギリギリになれば性的興奮を上回る快感に襲われる』程度の考えだ。
「!」
――――見えた!
PPSh41の男が潜伏していると思われる遮蔽物が視界に入る。彼らと比較すると、実に低速なフルオートの指切り連射を散発的にPPSh41の男が進むであろう方向と退くであろうルートに向かって浴びせる。
小さな悲鳴が低速連射の隙間に聞こえる。
進行方向から討って出て突破口を開くつもりだったらしい。
即座に間合いを詰めると、PPSh41の銃口が伸び切る前に低く小さく前転して更に間合いを詰める。
「貰った!」
思わず声に出る。
特徴的な放熱筒に包まれた銃身が前方へと伸びた。
銃口が美哉を捉えるべく下方を向く。その時には美哉はPPSh41の銃口とグリップの中間まで間合いを詰めていた。
「『次が控えている』。悪く思うな!」
勢いをつけて下方に銃口を向けようとする銃身を左手で押しやりつつ、たった3発の指切り連射。目前のソ連兵の姿をしたターゲットに向かって……。体臭が漂ってくる距離から、殴った方が早い距離から、銃口を向けて……。3発、撃つ。
人間1人を絶命させるには充分な弾数だ。
腹部から胸部にかけて間隔の広い弾痕を残されたPPSh41の男は肺から空気が抜ける呻き声を挙げて仰向けに倒れた。
美哉の頬には血飛沫の一部が掛かる。
PPSh41の男の衣服は至近距離からの射撃で銃火が服に燃え移り、しばらく燻って異臭を放っていたが、溢れるドス黒い血によって鎮火した。
美哉はその死体を一瞥すると、素早くPPSh41の男を跨いで飛び越し、今度はPPSh41の男が退路にするはずであったルートを走り出す。
彼女の頭の中では『もう1人片付けなければならない』と、アメリカンM180の存在が邪魔をしている。今の状況はPPSh41の男を倒して『優位に状況が傾いた』と目算しているだけだ。
30連発弾倉を引き抜いて残弾を確認する。
弾倉には5発毎に残弾確認孔が開いているが、わざわざ目視で実包を確認し、尚且つ重量で残弾を計るのは彼女の癖だった。彼女の掌の感覚は実包が10発以上15発以下の弾丸が呑み込まれていることを報せていた。
PPSh41の男の死体が転がる遮蔽物の陰で『アメリカンM180を使う男』の出方を窺っていたが、全く『空気が動かない』。
「?」
セレクターを確認しつつ息を整えるが、余りにも静か過ぎるので敵の存在を疑い始めた。
「!」
それまで外側から施錠されて開かないと信じていたスチールのドアが耳に障る軋みを立てて開く。
黒板に爪を立てるような擦過音。
レーザーサイトを装備したMP5Kを携えた、目立たない色調で揃えたスーツの一団が雪崩れ込んでくる。
新手かと疑ったが、その一団の中央に立つ男は、このゲームに参加することを強制した人物の窓口役だった。
「早坂、出て来い。ゲームは終わりだ。お前の勝ちだ」
20を超えるレッドポイントは美哉が潜伏している辺りにサッと集中する。
罠であれ本当にゲーム終了であれ、これだけの短機関銃に狙われていたのでは大人しく手を挙げるしかない。尤も、彼の声に敵対心は感じられなかった。
「……」
セフティを掛けたブローニングM1935FDの用心鉄に人差し指を通し、両手を挙げて素直に顔を出す。
男が右手を軽く挙げると短機関銃の一群が一斉に銃口を下げた。
引き金に感圧スイッチでも取り付けてあるのか不可視赤色光線も次々に消えてゆく。
「報酬と経費はお前の口座に振り込んでおく。5分後にここを解体する。早く去れ」
50代を前にした風貌の男は、ドスのきいた声でそれだけ言うと踵を返してこの錆びた金属の空間から立ち去った。短機関銃の一群も去る。
統制が取れているらしく全員が背中を向ける事は無い。5、6人ずつが退室している間、残りは銃口こそ下げていたが、視線は美哉の一挙一足を睨みつけている。
美哉以外が退室した後、背後で重々しいドアが解放される音が聞こえる。目を向けると、これも外部から施錠されていたはずの非常口が開いていた。早く出ろという沈黙の合図なのだろう。
小さな金属音。
あちらでも、こちらでも。
近くで。遠くで。
極々小さな金属音が美哉を囲む。
その度に耳が引き攣り、冷や汗を掻く。
――――探っている……?
空薬莢を美哉が潜んでいる辺りに投げつけて出方を窺っているらしい。
耳障り。
五月蝿い。
鬱陶しい。
小癪な金属音が集中力を掻き混ぜる。
追い詰められた側にしては今にも耳を塞いで喚き散らしたい気分だ。
このままでは恐怖感を伴う心理的プレッシャーに捉えられてしまう。腹の胆を敵に掴まれたらお終いだ。
左手で頬を強く捻る。口の中では前歯で舌先を強く噛んでいる。
連射音。
今自分が隠れている遮蔽物がミシンに乗せられたように細かく振動する。
位置を特定された!
――――!
――――と……。
――――いうことは!
この角度から銃撃を浴びせられるということは、この角度の直線上に敵が居る。
敵は美哉の位置を特定しておきながら、この角度から今直ぐに侵入できないでいる。
それはつまり。
敵も遮蔽物に囲まれた閉所の陰に潜んでいるのだ。
美哉の脳裏に自分が移動してきたルートを示す図面が広げられる。
『短機関銃に不利』
『遮蔽物の隙間』
『拳銃の間合い』
それらが多角的に計算されて自分が通過したルートと照合されて『短機関銃に不利で遮蔽物が多く拳銃が有効に扱える』フィールドを描いた。
それまで錘のように重かった30連発弾倉を装備したブローニングM1935FDが軽くなった気がした。
相手はリバイバル製品と思しきPPSh41。
スタイルは大戦中と変わらない。
射撃時は肩付け射撃か腰溜め射撃を想定してデザインされている。伏せ撃ちなどと言う不利な体勢は想定外だ。『もう1人』のアメリカンM180は伏せ撃ちも簡単に行えるが、同じドラム弾倉でも取り付け位置が違う。
相手がプロなら機動力も操作性も失われるPPSh41の伏せ撃ちは絶対に行わない。
射撃時は必ず立った状態で半身以上の面積を晒して銃口を突き出す。そうしなければ決定打を放つ事は非常に難しい。
美哉が頭に投影したルートは何れも遮蔽物に守られており、その上キャットウォークの直下を伝っている。
勿論、アメリカンM180にとっても不利な環境が揃っている。このルートで長物と出くわしても即座に対応する準備はできている。
「……」
セレクターがフルオートの位置に有るかどうかを親指で探って確かめる。
できるだけ小さな動作で、できるだけ足音を殺して、できるだけ身を屈めて、思い描いた通りのルートを疾駆する。
このルートは全長が1m近いアメリカンM180には全く不利な状況だ。どの方向から襲撃されても反撃できる。
PPSh41の男も大人しく同じ場所に居座っているとは考えられない。それも計算済みだ。
PPSh41の男の進行方向は進むか退くかしか残っていない。『退けば追い詰められる』、『進めば拳銃の方が有利』。
アメリカンM180はそれからゆっくり対処できる。先ず、PPSh41の首を盗る。
美哉はたった2人でイニシアティブをボールに見立てたラグビーを展開している事に未だ気が付いていない。
見えない脅威に追い立てられ、見えない敵を追っていると信じ込んで疑わないでいる。
この緊迫感が美哉の闘争本能に火を点ける。それのメカニズムですら本人は理解していない。『ギリギリになれば性的興奮を上回る快感に襲われる』程度の考えだ。
「!」
――――見えた!
PPSh41の男が潜伏していると思われる遮蔽物が視界に入る。彼らと比較すると、実に低速なフルオートの指切り連射を散発的にPPSh41の男が進むであろう方向と退くであろうルートに向かって浴びせる。
小さな悲鳴が低速連射の隙間に聞こえる。
進行方向から討って出て突破口を開くつもりだったらしい。
即座に間合いを詰めると、PPSh41の銃口が伸び切る前に低く小さく前転して更に間合いを詰める。
「貰った!」
思わず声に出る。
特徴的な放熱筒に包まれた銃身が前方へと伸びた。
銃口が美哉を捉えるべく下方を向く。その時には美哉はPPSh41の銃口とグリップの中間まで間合いを詰めていた。
「『次が控えている』。悪く思うな!」
勢いをつけて下方に銃口を向けようとする銃身を左手で押しやりつつ、たった3発の指切り連射。目前のソ連兵の姿をしたターゲットに向かって……。体臭が漂ってくる距離から、殴った方が早い距離から、銃口を向けて……。3発、撃つ。
人間1人を絶命させるには充分な弾数だ。
腹部から胸部にかけて間隔の広い弾痕を残されたPPSh41の男は肺から空気が抜ける呻き声を挙げて仰向けに倒れた。
美哉の頬には血飛沫の一部が掛かる。
PPSh41の男の衣服は至近距離からの射撃で銃火が服に燃え移り、しばらく燻って異臭を放っていたが、溢れるドス黒い血によって鎮火した。
美哉はその死体を一瞥すると、素早くPPSh41の男を跨いで飛び越し、今度はPPSh41の男が退路にするはずであったルートを走り出す。
彼女の頭の中では『もう1人片付けなければならない』と、アメリカンM180の存在が邪魔をしている。今の状況はPPSh41の男を倒して『優位に状況が傾いた』と目算しているだけだ。
30連発弾倉を引き抜いて残弾を確認する。
弾倉には5発毎に残弾確認孔が開いているが、わざわざ目視で実包を確認し、尚且つ重量で残弾を計るのは彼女の癖だった。彼女の掌の感覚は実包が10発以上15発以下の弾丸が呑み込まれていることを報せていた。
PPSh41の男の死体が転がる遮蔽物の陰で『アメリカンM180を使う男』の出方を窺っていたが、全く『空気が動かない』。
「?」
セレクターを確認しつつ息を整えるが、余りにも静か過ぎるので敵の存在を疑い始めた。
「!」
それまで外側から施錠されて開かないと信じていたスチールのドアが耳に障る軋みを立てて開く。
黒板に爪を立てるような擦過音。
レーザーサイトを装備したMP5Kを携えた、目立たない色調で揃えたスーツの一団が雪崩れ込んでくる。
新手かと疑ったが、その一団の中央に立つ男は、このゲームに参加することを強制した人物の窓口役だった。
「早坂、出て来い。ゲームは終わりだ。お前の勝ちだ」
20を超えるレッドポイントは美哉が潜伏している辺りにサッと集中する。
罠であれ本当にゲーム終了であれ、これだけの短機関銃に狙われていたのでは大人しく手を挙げるしかない。尤も、彼の声に敵対心は感じられなかった。
「……」
セフティを掛けたブローニングM1935FDの用心鉄に人差し指を通し、両手を挙げて素直に顔を出す。
男が右手を軽く挙げると短機関銃の一群が一斉に銃口を下げた。
引き金に感圧スイッチでも取り付けてあるのか不可視赤色光線も次々に消えてゆく。
「報酬と経費はお前の口座に振り込んでおく。5分後にここを解体する。早く去れ」
50代を前にした風貌の男は、ドスのきいた声でそれだけ言うと踵を返してこの錆びた金属の空間から立ち去った。短機関銃の一群も去る。
統制が取れているらしく全員が背中を向ける事は無い。5、6人ずつが退室している間、残りは銃口こそ下げていたが、視線は美哉の一挙一足を睨みつけている。
美哉以外が退室した後、背後で重々しいドアが解放される音が聞こえる。目を向けると、これも外部から施錠されていたはずの非常口が開いていた。早く出ろという沈黙の合図なのだろう。