凶銃の寂寥

 それ以上に言葉は不要だった。
 美哉は遮蔽物から思い切って飛び出した。
 男も素早く身を屈め、小さく側転すると片膝立ちのフォームで美哉を銃口で追う。
 スチールのスライドにステンレスのフレームを持つファーストモデルのブレンテンを駆る男は機関銃のような速射で移動する美哉の影を追う。
 美哉が早いのか男のブレンテンが遅いのか、美哉の紙一重の位置に弾痕が開く。
 美哉も移動しながらの発砲は流石に分が悪いと内心で舌打ち。
 男の周辺に着弾させるのが精一杯だった。たった20mほどの距離だというのに、遮蔽物も何もない開けた場所だというのに互いに決定打に欠けていた。
 男も屈んだままの側転を右へ左へと繰り返し、美哉の照準を揺さぶっている。
 無為に弾薬を消費している焦りが美哉の心に湧いてくる。
 互いの拳銃には決まっただけの実包しか装填できない。
 再装填には必ず隙ができる。なのに決め手に欠ける理由は、男の再装填のタイミングに有った。
 素早く小さな移動を繰り返し美哉に弾薬を消費させ、美哉が再装填する隙に男も再装填を行うのだ。
 マガジンキャッチが同じ位置に付属していればお互いのロスタイムは殆ど同じだ。
「くっ……」
 マグポーチがどんどん軽くなる。比例して焦りと恐怖が群雲のように湧き上がる。
 空弾倉に奪った弾倉から9mmパラベラム弾を補弾している暇は無い。フルオート射撃用に温存している特製弾倉を引き抜くにはあまりにもタイムロスが大きい。
 だが。
 しかし。
 そうであっても。
 心の端には、この危機を満喫している自分が僅かに存在している。
 沸騰するアドレナリンを求めて今の自分ができ上がった。
 死なないように、生き残らないように予備弾倉を『加減して携行している甲斐が有る』。
 生きている喜びと死の虚しさの狭間でせめぎ合う自分を求めて生きている。
 望み通り、今こうして追い詰められている。
 たった1人の、大して派手に動き回ることもしない狡猾なガンマンと出会えて手合わせが出来ている。
 望む世界がここに有り、望んだ世界の住人として生きている。
 美哉の唇の端が小さな笑みを零す。
 それは勝機を掴んだ人間の笑みとも取れたし、戦う事を楽しむ人間の笑みとも取れた。
 大きな移動を行わない男。
 大きな移動を繰り返す女。
 どちらの『視界』が広いかは一目瞭然だ。
 最後の弾倉を叩き込んだ美哉は爪先で地面を蹴り飛ばした。
 爪先に乗った砂利が男の視界を封じる。男は何かの資材が、何事か派手に崩れる音を聞いた。
「!」
 コンマ数秒の間、目を閉じた男の頭上が暗くなる。
 咄嗟に本能だけで銃口を頭上に向けて発砲する。
 途端、全てのタネが明かされた。
「!」
 くぐもったブレンテンの発砲音。
 男の頭上から襲い掛かったのは2m四方のキャンバスシートだった。
 美哉が砂利で目潰しを浴びせた隙に資材を蔽っていたキャンバスシートを投げつけて、男の感覚を一瞬だけ撹乱させた。
 男は直線上にいるはずの美哉と、目を閉じている間に頭上から襲い掛かる『何か』の正体を判別する感覚が、『交差的な錯乱』を起こしてどちらに銃口を向けて良いのか判断できなくなった。
 そして男は一番、『自分に近い位置に有るキャンバスシートを標的として選んだ』。
 更に不幸な事にショートリコイル中のブレンテンの銃身にキャンバスシートが被さり、排莢不良を引き起こした。
 映画やドラマでは自動拳銃を相手の体に密着させて発砲するシーンが有るが、ショートリコイルする拳銃ではその状態では1発撃っただけで完全に作動せずに空薬莢が弾き出せなくなる。
 ショートリコイルとは、威力のある弾丸を自動拳銃で発砲する際、強い反動のためにリコイルスプリングも強力なものを装備しなくてはならない。かと言って通常のリコイルスプリングでは銃本体の耐久性に致命的な問題を発生させる。そこで考えられたのがショートリコイルだ。
 弾丸が発射された時だけガスも進行方向へ送るようにしてある程度ガス圧が低下したところでガスが後方へ移動し、スライドを後退させる事だった。
 スライドと銃身に一対の溝を彫り、滑らせるのだ。
 ブローバックの開始時はスライドと銃身が後退するようにして、スライドの後退に一時的な空白を設けてガスの出口を銃身側に向けることだった。
 この結果、反動から発生する衝撃から銃本体を守ることができる上にリコイルスプリングも強化しなくても良くなった。
 今では当たりに多用されているメカニズムの一つだ。
「『楽しかった』よ」
 ウィーバースタンスでブローニングM1935FDを構えた美哉は引き金を引き絞った。
 セミオートではない。
 耕運機のモーターが低音で唸るような発砲音とともに13発+1発の実包が次々と撃発され、男の体に虫食い跡を思わせる銃創を次々と穿つ。
 2秒を待たずしてブローニングM1935FDのスライドは後退した位置で停止した。
 銃口から、開いた排莢口から、硝煙が立ち昇り、熱を帯びたスライドに薄っすらとまとわりつく。
 弾倉1本分の火力を以って最期を送るのもガンマンに対する礼儀のような気がしてならない美哉だった。
 9mmに縫われたブレンテンの男は覆い被さったキャンバスシートで虚空を見詰めたままの視界を閉ざされ、拳銃稼業に賭けた生涯を閉じた。
「……」
 広く視界を確保できる動作を繰り返していたお陰で偶々、キャンバスシートが目に入った。条件が違えば、美哉もブレンテンの男と同じように『標的を追う事だけ』に専念していただろう。
 つまらない前座が不快に思えた今回の手合わせが、見事なほどの有終の美で終わる。
 次に有終の美を飾って満足に横たわっているのは自分かも知れない。
 誰だっていつかは死ぬ。いつ、どこで、どうやっての違いだけだ。
 付け足すのなら、死ぬことに何の意義を見出してそれを抱いているか、だ。
 見慣れた黄色い紙箱から、白い包装紙に包まれたビリガーエクスポートを取り出し、八重歯で包装紙を千切る。
 既にカットされている吸い口を咥えると、火も点けずに歩き出した。
 満足感が去り、心に穴が開く。冷える心。
 爽快感も歓喜も哀愁も無い灰色の虚無感が肩に乗りかかってくる。 
 きびすを返して歩きながら、奪った弾倉から実包を引き抜いて自分の空になった予備弾倉に詰め替える。
 もう直ぐ桜の季節だというのにやけに寒い一日だった。
 こんなに太陽が眩しいのに寒いと感じる一日だった。
   ※ ※ ※
 若しも。
 若しもの話だ。
 若しも良心の呵責が有れば。
 依頼とはいえ、殺害対象にしてしまう一般人より、社会不適格な人種を犬でも蹴り殺す感覚で殺害することができれば気が楽だ。
 それは美哉が心の芯からプロフェッショナルではないから悩んでいる問題ではない。
 美哉はガンマンであって、殺し屋ではない。
 暴力のレンタルを専門に請け負う仕事ではあるが、自分と同等の対象でなければ気安く仕事を引き受けないだけだ。
 コロシも仕事のうちだが、それにも条件は有る。殺害対象に『自分と同じ臭い』がする人種が含まれている場合のみ引き受けることだ。
 そんな理由から、何かと条件が揃わねば引き金を引かない美哉のような昔気質のガンマンは減少の傾向にある。
 希少種のガンマン同士が互助会を作って狎れ合う和やかな世界でも無い。ヤクザと違って一匹狼である事が前提の職業だ。
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