凶銃の寂寥

 M2ブローニング機関銃は採用当初から現代に到っても毎分平均550発の発射速度だが、これは12.7mm弾の強力な弾丸を人間の膂力でも制御できるように抑えられているからだ。
 戦場では完全に防御兵器の域を出ない9mmパラベラム弾でも、後方部隊の指揮官が護身用に所持する拳銃としてはまだまだ現役だ。
 美哉が用いるブローニングM1935FDも、イラクでは重い武器を必要としない戦線の高級将校に使用されていた。
 制圧力より一発必中の命中精度を追及していた初期のSASの隊員も評価してこのブローニングを携えていた。
 3バースト機構が開発されていない時期、制圧行動を行う特殊部隊にとっては閉所での戦闘で4秒以上の銃撃戦は実働作戦の22%が失敗していることを意味すると言われている。
 たった13+1発しか装填することができないブローニングM1935FDにとっては高い発射速度など二の次で確実な作動と高いレスポンスこそが全てだった。
 装弾数15発を超える大型軍用拳銃が跋扈する現代でもブローニングのグリップフィーリングを超える拳銃は数えるほどだろう。
 結果的にメカニズムを踏襲したCz75という名作を生み出す結果になったわけだが……。
 追記すれば、ブローニングハイパワーはベルギーに本社が有るファブリック・ナショナーレ・ダムール・ド・ゲール社の設計技師ジョン・ブローニングに拠って着手された製品だ。1927年に構想が始まり1935年に製造販売された為に『ブローニングM1935』『ブローニングハイパワー』『ブローニングM35』とも呼ばれる。後に『自動拳銃の父』と呼ばれるジョン・ブローニングはブローニングハイパワーの世界的戦略を見る事無く他界する。
 これらの点を留意してブローニングを選んだとすれば早坂美哉という人物は確かに『ガンマン』だった。
 この現代に於いて軍用自動拳銃の元祖を用いて日の当らない世界を徘徊しているのだから。
  ※ ※ ※
 吹っかけられた喧嘩は買う。
 侮蔑的な言葉が加わっていれば尚更、捨て置けぬ。
 更に言うなら、ガンマンを自称する人間からの挑戦状であれば回避はできない。
「……」
 どこか戦闘中毒。
 彼女は、誰かが自分に銃を抜く理由を与えてくれるのを待っている節が有る。
 春先の寒い風に晒されながら、アドレナリンが噴出する体感は得も言えぬ。
 人間の生命が吹き消される瞬間の輝きに魅入られたのかも知れない。
 他人であれ自分であれ。
 自分が死ぬ瞬間でも恐らく、『自分の命が消える瞬間を堪能する』だろう。
 人生最後の映画とも言われる走馬灯を観ることができずとも、だ。
 ……それだけで、ボタ山が築かれ廃坑が各所で口を開ける山間部の廃村まで足を運んだ甲斐が有る。
 ボタ山が墓標なら廃坑は墓穴だ。 
 死ぬには丁度良い気候だ。鮮やかな桜も紅葉も此処からは伺うことができないので屍を他人に荒らされることもないだろう。
 唯、一つ。
 難点を言うのなら。
 対戦相手になる今回の敵対戦力はサシでの勝負を挑んでいるのでは無く、一山幾らの戦力で一個の戦力を撃破することを主眼とする馴れ合いチームだったということだ。
 そのたった一つの難点が、美哉はそれだけで全てのロケーションがブチ壊された気分になって機嫌が悪かった。
 乱暴にビリガーエクスポートの煙を吐き散らして、足元に唇が火傷しそうなほど短くなった吸い差しを吐き捨てた。
 それほど、美哉的には侮辱だった。
「最近のガンマン志願者はサシの勝負も出来ないのか?」
 このまま廃坑が並ぶ辺りの飯場跡まで進めば戦闘開始だ。
 勝負開始ではない。戦闘開始だ。
 一対一の勝負以外は勝負と認めない。頑なに天然記念物なガンマンとの勝負を追求する彼女こそ、実はこの街どころか今世紀最後のガンマンなのかも知れない。
「……不快」
 美哉は歩き出す。
 懐から財布を取りだすような手つきでブローニングハイパワーを抜く。
 安全装置を解除する。
 安全位置で待機していた撃鉄を完全に起こし、用心鉄に人差し指を掛ける。
 歩く。
 好い日和の下、歩く。
 軽い銃声が散発的に聞こえるが美哉に命中する弾丸は無い。
 銃声の位置から推定して完全に射程外からの早まった発砲だと思われた。
 命中しても大した傷は負わないだろう。失速した弾丸が命中しても痣や瘤ができる程度だ。
 敵戦力の影は視界の端にいくつか確認できる。遠巻きに様子を見ている程度でアグレッシブに行動する気配は感じられない。
 美哉の不快感が吐き気に変わってくる。
 いっそ、ブローニングハイパワーを地面に置いて棒立ちのまま待っておいた方が得策かもしれないと思い始めた。
 買い取れない喧嘩なら始めから余計に刺激を加えないで欲しい、と舌打ちする。
 退屈だからからかってやれ、という雰囲気すら感じる。
「面倒臭い!」
 不意に美哉の右手が閃く。右手側真横に銃口が向くと間髪入れず9mmパラベラム弾が放たれた。
 薄いベニヤ板を遮蔽物にしていた敵の一人が、ベニヤ板を貫通してきた銃弾を浴び、鳩尾を押さえて体を二つに折りながら両膝を地面に突く。低く呻きながらゆっくりと顔面を地面にぶつける。
 軍用フルメタルジャケット弾頭の前では厚さ1cmのベニヤ板など、15mの距離からすれば大した遮蔽物ではない。
 障子紙を貫通するような弾丸は人間を殺傷する運動エネルギーを充分残している。
 まだ息がある敵の男が足元に落とした拳銃を見て美哉は鼻で笑った。
 Cz75の実質コピー品であるタンフォグリオだ。
 高級な拳銃だが、連中には残念ながら実力不相応な製品だ。
 少々高級な拳銃を手に入れて弄んでいる内にガンマンを気取りたくなった、というオチでは涙も出ない。
「……」
 それを機に自分の辺りを、緩やかに囲む遮蔽物伝いに複数の気配が移動しているのが感じられた。
――――アホかコイツら。
 銃を携えた複数の人間が一つの標的を全周から囲んでいるという状況は映画の中以外ではあってはならない事だ。
 放った銃弾が標的を逸れた場合、対極の位置に居る仲間に被弾する恐れがあるからだ。
 美哉を中心に直径にして40mの円の中に合計5人の気配が察知できる。
 気配も隠せない素人に弾丸を消費するのは勿体無い気がする。
 喧嘩相手を選ぶことを学習させるために少しばかり本気を出す必要がある。
 無論、レクチャーの料金は連中の命だ。
 若いながらも場数には少々自信がある美哉には大した脅威には見えなかった。
 ブローニングハイパワーのグリップを強く握り締める。キュッと黒革の手袋が鳴る。
 遮蔽物の陰からチラチラと見え隠れする拳銃はシルエットからして大型自動拳銃ばかりだった。
 9mmパラベラム以上の弾薬を用いていると考えるのが妥当だろう。
 連中の腕っ節は不明でも近距離では直線上の標的しか仕留めることができない銃弾では、『銃口の前に立たなければ』当たることはない。
 易々と弾丸を避けるのではない。易々と銃口の前に立たないだけだ。
 見た所、連中の持つ拳銃は何れも命中精度では定評のある代物ばかりなので、そう判断できる。
 これが東南アジア周辺の密造銃だったらもっと恐ろしい結果を招く。何しろ、ライフリングも彫っていない自動拳銃がゴロゴロと転がっている。
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