凶銃の寂寥

「殺し屋と呼ぶな。ガンマンと呼べ」
 今時珍しい、古風な職種を口にした彼女は白い八重歯でビリガーエクスポートを噛み締め、眉間に不快を示す皺を寄せて目前で芋虫宛らに悶えているヤクザを見下ろした。
「ヤクザを殺すのははっきり言って嫌いだ。できるものなら目を背けて通りたい」
 準幹部の銀バッジを襟足に止めた男はドブネズミが這う深夜の裏路地で、使えなくなった両肘下と両膝下を用いて遁走を試みる。
 如何せん、今し方9mmパラベラムのフルメタルジャケットで撃ち抜かれたばかりで不具の体の初心者だ。巧く前進することができない。
 激痛に無様に転がって無駄に血痕を地面に描くだけだ。
 口の端に、キューバンタバコ使用を謳っている割にはインドネシアタバコの含有率が高い、スクエアな断面を持つ全長10cmほどのドライシガーを咥えた女は無闇矢鱈に命を弄ぶ真似はしなかった。
「誰でも命は惜しい。私もだ。ヤクザ以上の圧力に依頼されなければこんな事にはならなかったろうよ」
 女。
 夜陰に溶け込むのに充分な黒のジャンパーを着てジーンズパンツを穿いただけのカジュアルな服装をした女は右手に持ったブローニングハイパワーの引き金を引いた。
 どんなに反動慣れした片手撃ちでも銃口は角度にして10度以上跳ね上がった。
 たった一発の9mmパラベラムはヤクザのレッテルを全身に貼り付けた男の後頭部延髄に命中し、間違い無く絶命させる。
 派手に頭部の内容物をコンクリートの地面に撒き散らし、三度ほど全身を小さく痙攣させ、それきり動かなくなった。
「……後味悪い」
 そう呟くと、心に渦巻く後味の悪さを掻き消すために使い捨てライターで、いつの間にか火が消えていたビリガーエクスポートの四角い断面を炙ってミックスフィラーの紫煙を口腔に押し込んだ。
 肌に密着するように馴染む黒い革手袋が握るブローニングハイパワーは、リアサイト前面に猛禽類をモチーフにしたイラク国境官憲隊のクレストが彫られた特殊モデルだ。
 特殊と言ってもブローニングM1935の刻印違いで後は何の変哲も無い。
 レートリデューサーが組み込まれたフルオート切り替えレバーを兼ねた安全装置があること以外は。
 セレクティブファイアーを搭載したブローニングハイパワーなどは珍しくは無い。
 嘗ての英国特別航空任務部隊ことSASもフルオート機構を搭載したブローニングハイパワーを少量、納品させていた。民間には一切販売されず、それどころか情報統制が厳しかったためにFN社はフルオートのブローニングハイパワーを製造していたことを公表していなかった。
 女が持つブローニングハイパワーはFN社が未だイラク国軍と取引の有った時代に製造されたものであることは想像に難くない。
 左グリップパネル底部にランヤードリングが付属したミリタリーモデルのブローニングハイパワーを左脇に滑り込ませ、ジャンパーの左ハンドウォームから黒いニット帽を取り出して、無造作に被る。
 癖の有る、人に拠っては葉巻愛好家でも顔を顰めるインドネシアシガーの紫煙を軽く吐いて踵を返す。
 女。
 何処にでも居る平凡な日本人顔。特徴が無いというのが特徴だろうか。
 雑踏に紛れて汚れた空気を泳ぐのには都合のいい顔付き。背丈が少しばかり高い。併し、それも常識の範囲内でのこと。
 女。
 殺し屋と名乗らずガンマンと名乗る古風な気質を持つ性格。
 誰にも飼われることもなく、必要とあらば暴力を依頼人が望むだけの分量を髪の毛一本のレベルで提供するプロの拳銃使い。
 女。
 その女の名は早坂美哉(はやさか みかな)。
 30代前半の風貌をした暗黒社会の住人だ。
 明るいブラウンに染めたセミロングも、カジュアルな服装も、彼女を一般人に『変装』させる道具でしかない。
 確かに。
 懐にブローニングハイパワーを忍ばせている事とビリガーエクスポートをこよなく愛していることを除けば普通の人間だ。
 『依頼が無ければ無益な殺傷行為を行わない点が殺し屋との相違点だ』。
 そして、依頼が有ろうと無かろうと、拳銃稼業に生きる人間ゆえに降りかかる火の粉は実力を以って排除する。
 また、ガンマンとしての看板に泥を塗られると報復行動に出る事もしばしばある。
 荒事全てこれ、ビジネス。
 彼女が現れて空薬莢が撒き散らされずに済むことは無い。
 好きでサディスティックに痛めつけているのではない。
 彼女を女だという理由で侮辱する方が悪い。堪忍袋の緒がフェザータッチで簡単に切れるわけではない。侮辱は看過できないのだ。
 彼女が引き金を引く理由は3つ。
 ガンマンを馬鹿にする奴は許せない。
 自分を馬鹿にする奴は許せない。
 暗黒社会を舐めている奴は許せない。
 この3つが彼女の逆鱗だ。
「未だ、寒い」
 ハンドウォームに両手を突っ込むと背中を丸めて夜陰に消える。
 辺りにはビリガーエクスポートのキューバタバコ使用とは宣伝文句だけのインドネシアシガーの香りが漂い、やがて宇宙から降ってきそうな夜空に巻き上げられる。

 美哉にとっては特に変わりの無い夜だった。
    ※ ※ ※
 美哉のブローニングハイパワー。
 厳密にはブローニングM1935FD。
 外観は前述の通り全く変化は無い。
 安全装置を解除し、そのままもう一段深くレバーを押し下げればフルオートに切り替わるだけだ。
 内部構造も取り分け真新しい物は無い。
 スチェッキンで御馴染みのレートリデューサーがスライドレールに組み込まれているだけで、外見からの違いを判別するのは専門家でも難しい。刻印の違いで辛うじて判断するしかない。
 マシンピストルとして敢えて特徴を述べるのなら、このブローニングハイパワーのフルオート射撃時の回転速度は異常に遅いということだろう。
 最近トレンドンのグロックG18で毎分1200発。1秒間で20発の計算だ。対してブローニングM1935FDは毎分450発。1秒間で7.5発の計算だ。米軍が大戦末期に大量生産したM3A1グリースガンと同じ発射速度だ。
 勿論、これは9mmパラベラムの反動を『拳銃』というスタイルでフルオート射撃することを鑑みて考慮された数値だ。
 発射速度が遅ければそれだけ反動を両手だけで押さえ込みやすくなる。
 その分、僅かに命中精度も向上する。
 それだけをピックアップすればブローニングM1935FDに組み込まれているレートリデューサーがいかに優秀か解る。
 メリットが有ればデメリットも存在する。
 短時間で大量の弾丸をバラ撒いて瞬間的な制圧力を得ることができないのだ。
 そもそも短機関銃を始めとする、あらゆる全自動火器の根本には二つの思想が有った。
 発射速度を高めて攻撃にも防御にも使える。
 発射速度を抑えて命中精度と操作性を向上させる。
 この二つだ。
 いずれにも長所短所は存在する。現代では弾薬の供給が比較的、安定した状態での戦闘が想定されているために発射速度が毎分800発を越えるフルオート火器が多い。
 嘗て毎分550発しか撃てなかったM60軽機関銃も現代では改良されて毎分750発以上の数値を出す事が出来る。
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