斃れる迄は振り向くな

 カンボジアに居た頃、どのような部位を負傷しても支障無く戦闘を続行する訓練を積んだ『後遺症』なのかも知れない。
 七佳自身は別段、アドレナリン中毒ではない。
 手元に銃が無くとも、興奮する状況に晒されていなくとも、普通に生活を送ることができる。
 ……併しだ。
 毎回毎回、同業者の罠に嵌って『まともな標的』に巡り会えない自分の運の無さが嫌になるときが有る。
 午前1時。
 入金を確認し、標的の調査を数日行い、不審な点が無かったので行動パターンと性格からプロファイルしたのに同業者の罠にスッポリと嵌った。
 標的は演技をしていただけだ。
 繁華街の外れで酔っ払った振りをした標的を尾行している間に誘い出された。
 辺りを見回せば人気は無い。
 繁華街の喧騒も遠く、閉店した商店の比率が以上に高い小さな商店街。
 街灯が破壊されていないのが救いか?
 絵に描いたような絶好のロケーション。
 目の前で尾行していた標的……の振りをした囮が銃口をこちらに向けて勝利を確信したバカ笑いを挙げている。
 囮の男は6m先でコルト・ムスタングを構えて投降を促しているが、投降したところで命は助からないだろう。
 自分の状況を理解するのが先か対処するのが先か悩むところだ。
 状況の理解と対処は魚と鯨くらいの違いがある。
 恐らく左眼のブラウンの瞳は黒く変色しているだろう。
 左眼の変色は危機を予知したときに働く性質を持つ。それを体内電流や脳内麻薬、血流等で体感することは無い。そもそも最近まで自分にそのような身体的特徴があったなどとは全く知らなかった。
――――ふん……影は7つ。
――――伏兵は……どうだろう? 解らないなぁ。
「取り敢えず、黙れ」
 七佳の左腕が閃き、ユニークモデルRボーリガードが火蓋を切る。
 22WMRは違うことなく男の鳩尾に命中。子犬を蹴り殺したような声を絞り出し、体を折りながら膝から崩れ落ちた。
 衝撃で横隔膜でも負傷したのか。だとすれば苦しい最期が待っている。
 横隔膜を銃弾の衝撃波で破損すると殆どの場合、死ぬ際まで連続する激痛に襲われる。
 小口径高速弾が内臓などの柔らかい部位に命中すると体内に真空の球体……衝撃波が広がり腹腔が瞬間的に圧迫される。
 ライフル弾なら即死か気絶だが、拳銃弾であればさらに弾頭が変形して運動エネルギーから発生する衝撃を撒き散らされて臓器を傷付ける。
 芋虫のようにのたうつ男から視線を流す。
 背後に立って足音を殺していた、バカ正直な『インスタント・キラー』に左腕を一杯に伸ばして銃口を向けると、ダブルアクションで引き金を引く。
 イタリアンブレードのスイッチナイフを握った若い男……4mほど、間合いを詰めていた男の喉仏の下に初活力500Jを超えるインパクトを叩き込んだ。
 男の首が前に直角に折れて大の字にうつ伏せに倒れる。
 背後に銃口を向けた種明かしは無い。
 戦場で磨いた直感が働いた。とでも表現しようか?
 米軍特殊作戦部隊の副次的なマニュアルではこの直感という不確定要素を僅かに取り入れている。
 標的の背後から忍び寄り、ワイヤーやナイフを用いて速やかに静かに殺害する手段としてストーキングの一種を教練している。
 その際に背後の3mまでくると必ず息を殺し、重心を軸足に移動させて小さなジャンプをして攻撃部位に飛びかかれと教えている。
 何故なら、人間が少なからず持つ野性的勘が働いて殺気を感知される前に殺意を感じるセンサー外から攻撃するためだ。
 七佳は少しばかりその直感の範囲が広いだけなのだ。
 普通の人間でも訓練次第でこのセンサーを磨くことはできる。
 感知できる範囲は修羅場の数と素質次第だろう。
 気配を察する能力は武芸者だけの専売特許ではない。
「!」
 視線が再び流れる。
 今度は細い路地を視界に捉えると真っ直ぐ走る。
 全力疾走の後、路地に入ってすぐに右手側の壁を蹴り、それの反動で左上斜め前の壁に三角飛びをする。2回、壁を蹴った。
 頭上3m以上、飛び上がった。
 呆気に取られていたのはその路地で潜伏していた敵勢力の2人だ。
 2人供、ソウドオフショットガンを携えていたが、2挺の12番口径よりも頭上を『飛行』する20番口径の方が早かった。
 長い火閃を引いて轟音が細い路地を制圧する。
 32粒の粒球は充分なコローンを形成する前にパターンとなって二人の男に襲いかかった。
 脳天や顔面に粒球をめり込ませ、見上げていた首が散弾の威力で直角に後ろに折れる。頭蓋を破壊する威力は無いが、頚骨をへし折る威力は有る。
 地面に着地すると同時に路地の奥の辻に体を潜ませてシリンダーを解放する。22WMRの空薬莢と20番口径の空シェルを捨て、補弾する。
 息を整えて敵の出方を待つ。
 敵の仕事場に嵌ったのだ。簡単に帰してはくれないだろう。
 個人の戦闘力同志がぶつかり合う小規模な殲滅戦は実は『得意』だ。
「フッ!」
 白い呼吸が漏れる。
 躍るようにアドレナリンが沸騰しているのに、顔は写真を切り抜いたように無表情だ。
 久し振りに餌に有り付けそうな猛禽類のように、爛々と眼が輝いている。その輝きは興奮から来る輝きではなく、覗き込む者を得体の知れない深淵に引きずり込む昏い輝きだった。
「!」
 現在隠れている四辻の一角から突然飛び出し、正面に向けて発砲する。
 間髪入れず体勢を変えずに右小脇から銃口を突き出して発砲。
 そのまま左足を軸足に右90度に体を回転させて同じフォームで発砲。
 最後に仰向けに倒れて、背中が地面に叩きつけられる前に、爪先が視界に飛び込む前に、背後の路地に向かって発砲する。
「……」
 耳を聾する発砲音がタイミング良く4つ連なった。
 4方向から人間の倒れる質感が伝わる重い音が聞こえる。
「……」
 寝転がった状態で股間からユニークモデルRボーリガードを突き出している恰好で停止。
 マグネシウムと燐粉を燃焼させたような硝煙の香りが辻の寒風に渦巻く。
 察知した気配だけを信用するのならこれで全員片付けた。
 体の埃を叩きながら立ち上がる。
「……!」
 補弾する間も無く、自分が小さな辻の真ん中で立っていることを思い出して四方にユニークモデルRボーリガードの銃口を走らせる。
「やるなぁ。参った」
「!」
 男の声。全く抑揚の無い、冷たい声。
「助っ人に雇われたが、今、仕留めるには無粋だ。日を改めるよ。見たところ、それなりの訓練を受けている人間だとお見受けした」
 声は移動している。
 辻の真ん中で隠れることも忘れて、七佳の視線と銃口は4方向に忙しなく向ける。
「?」
 煙草の臭い。
 それも独特の芳香がするトルコ巻だ。
 オリエンタルタバコとも呼ばれるトルコ巻は、今現在では日本では販売されていない。
 七佳を挑発しているのか、気配だけは幽霊のように漂っている。
「レ・マットの末裔を使うのか。コンセプトは俺と同じで親近感を覚えるよ」
――――遊ばれてる!
――――煙草はブラフか?
 日を改めるという言葉を鵜呑みにしていない。
 油断した隙をズドンと決めるかもしれない。
 危機を予知しにくいようにわざと圧力を掛けているとも考えられる。 ある程度の修羅場を潜っていれば日本でも感知能力を磨くことはできる。
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