斃れる迄は振り向くな

 これが、殺し屋の七佳が誕生する表層的な経歴だ。
 深層心理レベルでの変化は彼女自身にしか解らない。
   ※ ※ ※
「……」
 簡素な1LDK。
 調度品は無い。生活に必要な家具と電化製品が必要なだけ揃っている。
 女性らしい……その言い回しが男女差別的だと非難されるのなら……個性の有る人間らしい生活の匂いが漂う雰囲気はまるで感じられない部屋。
 男が住んでいるのか女が住んでいるのか? それすらも一目では判別し難い。抽斗でも開けて下着を確認するくらいしか簡単には判らない。
「あ……生きてる。お腹が空くもの……」
 ユニットバスで熱いシャワーを頭から浴びながら呟く。
 空洞から聞こえる風鳴りのように掠れた声だった。


 2日前の夜。
 午後11時59分を少し経過した時間。
 相変わらず寒い夜だ。
 パトカーと救急車のサイレンが引っ切り無しに聞こえる。
 近いのか? 遠いのか?
 サイレンを聞かない夜は無い。
 独特の群雲が月と星を隠してしまい光源に乏しい。
 街灯など、殆どが拳銃の試し撃ちの的になって破壊されている。
 どの家も防弾加工が施された雨戸を締め切っているので漏れる灯りも大して期待できない。
――――腐ってる。
 何度、この言葉を心で唱えたのか? そして、腐っている世界でしか生きることができなくなった自分を毎回見つけては嘲笑を浮かべる。
 嫌いな人間が存在する世界で無いと生きていけない人間……そんな自分を見つけて嗤う。
 米軍払い下げのM65フィールドコートを着ていても誰にも咎められることもない。
 寒い季節程、仕事道具を持ち運びやすい時期はない。
 自分の仕事道具を持ち運びやすいということは他の同業者も同じだ。
「……」
 『インスタント・キラー』として看板を揚げる人間は多い。
 依頼を受ける形態も様々だ。
 七佳には特定の元締めは居ない。だからといって出世欲に乏しいので、地元勢力と衝突することは無い。寧ろ、地元勢力は有能な『インスタント・キラー』を大量に集めて暴力団に暴力のレンタルを生業としているケースが多い。
 腕に覚えの有る『インスタント・キラー』の臍を曲げるような口出しはせずに下手に出て遠巻きに見ている。
 地元勢力とぶつかる危険が少ない代わりに、地元を根城にする個人経営の『インスタント・キラー』が同業者を潰してクライアントを横取りしようと躍起になっている。
 依頼が舞い込んだために、こうして殺害対象の居場所に出向いているが、この手の手段を用いて徒党を組んだ『インスタント・キラー』が格上の同業者を闇討ちする例等、日常茶飯事だ。
 個人経営者を暗がりに呼び出して多数で殺害し、自分たちの客を増やそうとする連中は想像以上に多い。
 恐らく、今回も『それ』だろう。
 堅気の人間は早々に寝静まった時間。
 午前0時。
 日付が進むと同時に七佳はフィールドコートの右脇から拳銃を抜いた。
 大型リボルバー。4.5インチ銃身の今時珍しい中折れ式リボルバーを腰に佩いた刀でも抜くかの様に美しいフォームでショルダーホルスターから解放した。
 全長287mm。重量988g。
 古式ゆかしい中折れ式のリボルバー。アメリカではH&R社がこの方式を採用したM999を製造しているのみで、余り流通ルートでもお目に掛かることが少ない。
 七佳の左手にしっかりと握られている中折れ式リボルバーはM999でもイギリスのウェブリーやフォスベリーでも無かった。勿論、一時期爆発的に世界中で愛用されたS&Wの中折れ32口径でも無い。
 『ユニークモデルRボーリガード』
 フランスとスペインの国境地帯に有るヘンダイに本社を構えるユニーク社のニューモデルだ。
 1996年のショットショーで初めてモックアップが展示されたが余りにマイナーなメーカーのためにどこのプレスからもファインダーに捉えられる事が無かった。
 特徴は中折れ式だけでは無い。
 1858年に製造販売されたレ・マット・リボルバーの現代風アレンジだ。
 レ・マット・リボルバーは発売当時、パーカッションファイアー式で42口径9連発に加えて68口径単発散弾銃の銃身を備え、当時としては群を抜いた火力で他社の製品を圧倒していた。
 南北戦争末期に登場したこの拳銃は南軍の領地で生産され、デザイナーもフランス領ルイジアナ出身の人間が手掛けたということもあり、南軍兵士が使用していた。
 しかし、時代は金属薬莢の時代。
 前装雷管式銃火器の時代は終焉を迎えようとしていた。後にピンファイアー式、センターファイアー式と改めて何とか生き延びるが1900年代初頭には既に勢力を失い……販売権や特許まで失い、会社そのものが倒産してしまった。
 最初に販売権と特許を買い取ってフランス本国で製造販売に着手した人物の名前がピエール・ボーリガードだった。
 ボーリガードは南軍将軍として指揮を執り、歴史的に有名なサムター要塞攻略作戦に参加した人物として知られている。
 後にユニーク社がレ・マット家とボーリガード家の子孫と親睦を深めてレ・マット・リボルバーを現代に復古させることに道義的な許可を得た。
 尚、イタリアに有るウベルティ社が製造してアメリカ国内の販売会社ネービーアームスが販売しているレ・マット・リボルバーは現代のアメリカ市場を狙った代物で、代用黒色火薬を用いてアメリカで入手が簡単な44口径弾を使用するパーカッションピストルであり、完全なレプリカだ。
 七佳の手中のユニークモデルRボーリガードは嘗てのレ・マット・リボルバーのコンセプトを色濃く受け継いでいる。
 銃口が二つ。
 銃身が二本。
 22WMR弾を9発装填できるシリンダーを具え、シリンダーの回転軸がそのまま20番口径単発散弾銃の銃身になっている。銃身長は何れも4.5インチ。
 最新のエアウェイトスチールを用いたマットブラックの肌に幅広で短いウォールナット製グリップ。
 ユニークモデルRボーリガード……発売当初は鳴かず飛ばずだったが、地元のハンターや地方の森林警備隊が護身用として購入し、平凡な販売数を叩き出すまでに成長した。
 フランス、スペイン、ポルトガルの空軍が空軍パイロットの次期サバイバルピストルとしてトライアルに参加して欲しいとユニーク社に打診が有ったために、南ヨーロッパでは山岳や森林を職場とする公務関係者や山林でレジャーを楽しむ趣味を持つ民間人の護身用として浸透したのだ。
 尤も、どんなに売れていようがアメリカやアジアでは全くの無名で、銃器の専門家でも、名前は知っていても詳しいスペックは知らないという人間は多い。
 最近ではロシアでマイナーメーカーがこれに類似したモデルを設計しているという噂が流れているがどこまでが実話なのか不明だ。
 銃身が二本で銃口が二つ。
 これこそが捜査陣を混乱させている根源だ。
 回転式と思しき銃から発砲された22WMR弾。
 日本国内ではクレー射撃でポピュラーな弾薬である20番口径。
 一人の人間がこれだけ強力な弾薬を使用する銃火器を自在に操るとなると相当な怪力だと想像するだろう。
 レスラーのような力自慢がオートマグⅡと散弾銃を両手に携えて発砲している絵面しか頭に浮かばないだろう。
 反動は強力。故に中折れ式は設計的に脆く、炸薬の性能が上昇するにつれて姿を消したが、ユニークモデルRボーリガードは更に堅牢な材質を惜しみ無く使用する事でカバーしている。
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