斃れる迄は振り向くな

 これで銃身一杯に粒弾が詰まった事になる。
「?」
 足元にセメントの袋が転がっているのに気が付く。
 更に辺りを見回す。
 地均しをして間も無い分譲地帯だ。まだ、業者が回収しきっていない資材や廃材が建造物の陰に積まれているのが多数見受けられた。
 再びセメントに視線を落とす。
「……」
 指弾の時間ほど立ち止まり、一拍の時間で立案が浮かび、速攻で採決された。
 そして、刹那の時間で行動に出た。

 義手の男は弾薬を無駄使いする真似はせず、街灯の灯りに自分の姿が照射されない位置を選んで遮蔽伝いに移動を繰り返していた。
 敵は一人しか居ない事を充分に知っている。
 何も焦る必要は無い。
 火力は圧倒的にこちらが上で、自分の戦闘中毒を鎮めてくれる女を逃がすつもりはない。
 単刀直入に言うと、男に七佳と戦う理由など、どこにも無いのだ。
 七佳に指摘された通りに理由が欲しいために戦う。
 自分の実力と見合うかそれ以上の能力を持った標的と戦うことにより、『生き続ける理由』を得る。
 何も難しい講釈など必要無い。『お前、強いんだろ? 四の五の言わず俺と戦え』と投げつけているのと全く同じだ。
 セルビアでもアフガニスタンでもインドネシアでも、男の心に渦巻いたアドレナリンの副作用は揉み消すことができなかった。
 闘いの場所に自分を見つけた者は闘いの場所でしか自分の安息を得る事ができない。
 中東の名前も無い小さな村の防衛戦で右腕を吹き飛ばされたときも、ヌルイ時代に生まれたものだと悲観していた。
 男にとって、手足の1本や2本を失っても何も惜しくは無かった。
 傷痍兵は、傭兵だろうが義勇兵だろうがどこの組織も戦線に送り込まない。
 しばし空いた時間に、物見遊山で母国に帰ってくると、中々面白い職業が蔓延している。
 片っ端から『インスタント・キラー』を追い立てて遊んでいる最中に七佳という存在を知った。
 彼女はどこにでもいる『インスタント・キラー』だった。
 惹かれたのは、自動式全盛の時代でユニークモデルRボーリガードを使う事だ。
 それを1挺を買う金と手間が有るのならもっと優秀な自動火器が買えるというのに、敢えて回転式で依頼を遂行し、襲い来る同業者を排撃し、五体満足に生き抜いている。
 彼女なら『理由を得る』という目的を満たしてくれる気がした。
 事実、今、こうして男は満悦の中に沈んでいる。
「傷病者らしいけど、あなたと長く付き合っている時間は無いの。終わりにしましょう」
 七佳はぶっきらぼうに吐き捨てた。
 男は目視でその方向を確認するよりも早くスターリングの銃口を向けて引き金を引く命令を下した。
 筋電制御モーターが人間の人差し指と同じ早さで短機関銃のトリガーシアーを引いた。
 十数発の9mmパラベラムが七佳の体を貫く。
「!」
 光と影を巧みに操るエフェクトを七佳も用いた。
 その結果、蜂の巣にされたのは脱ぎ捨てて木材を抱かせた七佳のフィールドコートだった。
 目前の分譲住宅の狭間で七佳本人が立っている。
 今度こそ、と銃口を向けるが数瞬後に姿が掻き消えた。
 ジグザグに駆け出し、住宅の僅かな隙間に近寄る。
 男は一歩踏み出そうと左足を出した。
「……!」
 男の危機回避能力が働く。
 足元に地面から5cmの高さにビニール紐が張られている。1本だけではない。複数確認できた。
「……」
 咄嗟に頭上を見上げる。
 ベニヤ板やモルタルの切れ端が乗せられたガラスウールの束が蔀窓のようにつっかえ棒で頼りなく固定されている。
 足元のどの紐を踏みつけても、あの資材が頭上から降り注ぐ。
 簡素な罠に油断したところを仕留めるつもりなのだろうが、男は踵を返し、大きく迂回して住宅の裏手に回る。
「?」
 気配が消えた。
 恐怖だろうと、殺意だろうと、全ての気配が消えた。
 自分の鼓動だけが矢鱈と五月蝿い。
 耳鳴りがしそうなほどの静寂。
 戦いたがっているのは自分だけ。
 女はこの戦闘から離脱したのかもしれない。
 時間が経過すればそれだけ、自分にとって不都合な展開が脳裏に広がる。
 女は自分の遊興に巻き込まれただけ。逃げ出しても不思議ではない。
 どんなに最悪でも焦ってはいけない。焦らせること自体が罠である可能性が有る。相手を心理的に燻り出すのは膠着状態での常套手段だ。
「……」
 穏やかでない心中であっても、これもあの女の策の一つなのかと思えば自然と笑みが零れる。その証拠に、住宅の影や資材の遮蔽物の影には必ず急造のブービートラップが仕掛けられている。
 女が逃げ出したわけではないことを確信する。男は一人芝居を打つように住宅街をジグザグに駆け回り、索敵に専念した。
「……私もあなたのように夢の中で戦っていたかった」
「!」
「それが本当の私なのかもしれない」
「!」
 風上から声がする。
 男の犬歯が剥き出しになる。
 男は走り出した。一直線に風上に向かって。
 夢中だった。そこに約束された人生のゴールが待っていると信じている顔だった。
「……この方向にあなたを案内したかったの」
「!?」
 男は姿の見えない女が何を言っているのか理解できなかった。この方向? 案内とは?
「やられた!」
 今までに走ってきたルート……途中まで覚えていたのに、何かに浮かされたように走り出したあたりから記憶にない。注意の隙を突かれたのではない! 心の隙間に入り込まれたのだ! あの女に!
 風上! 急造の罠! 用意されたルート!
 そして……。
 男の鼻が、『風上から、資材で作られた急造の罠と同じ臭い』が流れてくるのを嗅ぎ付けた。

 七佳はアーミーナイフのラージブレードで未使用のセメント袋を次々と切り裂き、廃棄場所に有ったおがくずが入ったペール缶を幾つも逆さにして中身をぶちまけていた。
 それらの粉末や細かな屑は勢いを増す寒風に流されて下流へと流れて行く。
 足音が僅かに聞こえたと同時に拳銃を撃ったのか、発砲音が1発、聞こえた。
 唯、その一発が聞こえただけで沈黙した。
「……クソッ」
 罵声が聞こえる。
 その声を鼓膜の端に捉えた七佳はセメント袋を捨て、男の声が聞こえた方向に向かって一直線に走り出した。
 スターリング短機関銃はオープンボルト式だ。つまり、撃発する直前まで排莢口は解放されている。それがオープンボルトの特徴である種の弱点とも言われている所以だ。
 それは、『このように、細かい屑や砂埃を撃発の最中に噛み込むと装弾不良や回転不良を起こす可能性が有る』からだ。
 勿論、スターリング短機関銃はそれを克服すべく、あらゆる工夫が組み込まれた高性能な短機関銃だ。機関部にゴミが溜まって何らかの不調を来たした場合でも再びボルトを引いてやれば原因である細かな屑は排出されて新しい実包が送り込まれる。
 しかし、『銃を構えた敵前15mの前』で行う動作ではない。
 七佳の罠。
 敵に『罠であると勘違いさせる罠』を張り巡らせて、進軍方向を自陣に誘導し、優位な状況で戦闘に転じる。
 男も、冷静にボルトを引き直す心の余裕と、隠れるのに充分な遮蔽物を利用していれば問題は無かった。だが、『遮蔽物の陰には罠が仕掛けられている』と勝手に思い込んだのがこのフェイズでの敗因だ。
 砂煙に揉まれたようにBDUをおがくずと薄灰色に汚している男は口の中の不快な粉末を吐き捨てて、右腕上腕部に左手を添えてM203A1を真っ直ぐに伸ばして構えた。
 いつまでも一時的に使えなくなったスターリングに固執しないのは流石にプロだ。
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