斃れる迄は振り向くな

 本来なら七佳が立っているこの地点は友軍の回収地点で迎えのヘリが既に到着しているはずだった。
 ヘッドクォーターは撤収に成功し、コマンドポストは退路への進行に成功したと報告が有った。
 遁走に成功したのはドッグタグをぶら提げた6人だけ。
 敵に傍受されても実質の損害が無いようにデコイとして切り捨てられたことを悟ったときには、泥に顔を突っ込んで気を失っていた。
 『静か過ぎて』目を覚ましたとき、硝煙と蝿が集る羽音と世界一面の終末だった。
 皆が死んだ。
 棄てられて死んだ。
 何の戦略的価値も見出せない密林で、僅かなアンクルサムの手先を脱出させるために120人以上が全滅した。
 世を儚んで日本から脱出したはずの、静かな死に場所を探していただけの小娘はこの日を境にしばしの失語症と戦う。
 自分の矛盾と戦って敗北した。
 死ぬことに執着していたはずが、生きることに価値を見出してしまった。
 修行僧が長い年月を掛けて大悟を得る事象を、七佳はほんの数時間で悟った。
 『自分と戦え』。
 何ものにも臆せず生きることを人生の全てとせよ。
 生きていることが『生きる糧』だ。
 負けることにも折れることにも意味は有る。
 挫かれるという事実を受け入れるための、大きな意味だ。
 ……そして、ユニークモデルRボーリガードを携えた七佳が、人間嫌いの都会の隠者が、殺しを生業とする社会の落伍者が、那由多不可思議の境地を22口径に込める暴力的平和主義者として誕生した。
「……多分……最短記録」
 40mmグレネードランチャーとスターリング短機関銃の着弾の中、体を二つに折って胃の中身を吐瀉し、えずきながら、そう呟いた。
 胃液で口の端を汚しながら凄惨な笑みを浮かべる。
 フラッシュバックを起こして現在に到るまでを走馬灯のように思い返したことを喜んでいる。
「……!」
 義手の男は、突然吐き戻した女が、銃声や砲撃に怯えることなく急に体勢を整えて毅然と立つ姿に『畏怖すべき美』を見た。
 硝煙と砂煙と焦げた悪臭が立ち込める暗がりの中、スポットライトが当たるように街灯の灯りがその女を照らす。
 しっかりと2本の足で立ち、左手に銃を携え、軽く左に体を捻って視線をこちらに向けている。
「いつもこうなんだ……少し違うか……発作を起こすと、いつもこうなんだ」
 自分の体を心配してくれる親しい友人に説明するように語り出した。
「始まりが見えて終わりが見えるまで……オープニングからスタッフロールが流れてくるまで、発作が止まらない。だけど、こんなに早く……こんなに久し振りに発作が回復したのは初めてだ」
 憑きものが落ちた顔。
 少々やつれ気味な笑顔でさえ美しく見える。
 そして何より、今自分が戦闘の最中で標的として追い立てられているというのに、それまでの慌てふためいた恐怖感が一切無い。
 その瞳には、標的をようやく見つけることができた野獣が舌なめずりをしているのに似た雰囲気すら漂っていた。
「……」
 義手の男は彼女に何が去来したのか理解しえようもなかった。
 彼女自身が、何が要因で『このような状態』になったのか理解していなかったのに。
 彼女は思い出しただけなのだ。
 泥濘の中、屍の中、硝煙弾雨の中、煩わしい精神疾患から、脳内麻薬の誤作動で一時的に解放された瞬間に酷似した、晴れやかな心の平静を思い出した。
 心に涼風が吹いている。
 小春日和に空を仰ぎ見るかのような心地良さ。
「……おい!」
 男は半歩ほど左足を後退させて状況の異常さからの離脱を試みた。
 瞬間的な暴露療法。
 義手の男が作り出した小さな戦場は七佳のわだかまりである心の病を無理矢理引き出し、無理矢理是正した。
 それが一時的な効果しかなくとも、この戦場を駆け抜けるには充分な精心的作用を七佳にもたらした。
「!」
 不意に七佳は走り出した。
 義手の男が反応するより早く真っすぐ、資材が詰まれた山に駆け出し、それを足場に空中へと飛翔した!
 男は咄嗟に義手をかざして頭部を庇った。
 予想通り、22WMRの速射が始まった。
 短機関銃のように凄まじい速射だったが、何れも男には被弾せず、七佳が着地した靴音だけが聞こえた。
「! ……しまった!」
 ブラフ。
 優位に攻撃を仕掛けていると見せ掛けるハッタリ。
 七佳の狙いは男の視界から一瞬で消え去ること。そのためにはトリッキーな角度からの速射で釘付けにする必要と、男に自分で視界を蔽わせる必要があった。
「あなたも病を持っているのね」
「!」
「戦闘依存症かしら?」
「!」
「極度のアドレナリン中毒ね」
「!」
「私を標的にした理由は……ううん。理由が欲しいために私と戦うのね」
 「!」
 声。
 辺りの暗がりから反響するように七佳の声が聞こえる。
 その度に男は四方八方に視線と銃口を走らせるがそこに七佳は居ない。
 七佳が居たと思われる痕跡である、空薬莢が一個ずつ落ちているだけ。
 移動しながらの再装填。
 自分の考えのさらに上を読むような台詞。
 自分の考えにすらなかった心理を読まれる台詞。
 義手の男が得意とする欺瞞と撹乱を混合させた錯覚。
「!」
 背後に気配を感じて、スターリングの銃口を閃かせる。9mmパラベラムの着弾がホースで水を撒くように遅れて付いてくる。
 ベルトを引くようにのたうつ、連なる空薬莢が地面にぶつかる頃には七佳はそこに居ない。
 オープンボルトがレシーバーを叩いて弾薬切れを報せる。
 義手の男は遮蔽物の代わりに、建造物の角に飛び込んで、BDUから抜き出した34連発弾倉を叩き込んでボルトを引く。
 撃針が後退したまま、排莢口を開いて撃発位置で停止する。
 オープンボルト式火器は引き金を引いて初めて薬室に初弾が送り込まれて撃針が雷管を叩き、自動撃発の動作を起こす。
 男は予備の弾倉を引き抜き、ハーモニカでも吹くように横に咥えると、目を走らせて索敵を行う。
 肉眼を用いての索敵だ。
 全く七佳を捉えることができない。無数なのか単数が素早く移動しているのか。
 殺気、敵意とも判別できない『何か』が義手の男の周囲に展開している。
 男の表情に驚き以外の色が浮かぶ。
 破顔。
 男のヤニで汚れた犬歯が白く浮かぶ。
 咥えている弾倉を噛み潰さんばかりに唇の端を急激に吊り上げる。

「……」
 ユニークモデルRボーリガードをゆっくり二つ折りにすると20番口径2.5インチシェルを抜き取り、スラッグ弾頭の狩猟用3インチマグナムシェルを装填する。勿論、これはメーカーが指定するサイズを遥かに上回るシェルの長さだ。
 カタログデータに反した、万が一のために温存していた3インチシェルなので、これを1発でも撃発させると銃本体に思わぬ支障をきたす恐れが有る。速やかなオーバーホールが必要だ。
 再びシリンダーを閉じる。
 七佳は移動を繰り返しながら、ユニークモデルRボーリガードの銃身を横咥えにしてアーミーナイフのラージブレードで20番口径の先端のスタークランプを次々と切除していた。
 中身の粒弾が露になると、1個のワッズとそれをユニークモデルRボーリガードの20番口径の銃身に銃口から流し込む。
 3個分程の粒弾を流し込み、切除して捨てたスタークランプ部分を銃口から詰め、ポケットティッシュのティッシュペーパーを噛んで、唾液で充分に湿らせた物を丸めて銃口に押し込む。
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