斃れる迄は振り向くな

――――ストーキング!
――――近い!
 ここが昼間の雑踏で無ければユニークモデルRボーリガードを抜いて遮蔽物伝いに遁走を計っているだろう。
 飽く迄、気配。殆ど全てが不確定。
 例えて言うなら気配という照射装置を中てられて頭の中が反応している状態に似ている。
 観察、追跡、殺意、敵意……何もかもが疑える。
 顔に痣を作った女の依頼を引き受けて、きっかり24時間後の出来事だった。
 鉛色の空の下、平静を装って雑踏を歩く。
 時折、ショーウィンドウを覗く振りをして背後を窺う。
「……」
 だが、不審な何者も視界に捉えることができない。
「……」
 どれくらい、徒歩で行軍したのか不明。
 あれだけ高かった太陽も黄昏時を迎えている。
 結局、隣町まで無為に足を運んだ。
 愛用のフィールドコートのハンドウォームに手を突っ込んで何度もユニークモデルRボーリガードとその予備弾薬を確認した。
 寒風の中、歩き詰めで体が凍りそうだ。
 途中でコンビニに入って、使い捨てカイロを購入した。その際に店外をさり気無く一瞥したが、行き交う人々が肩を竦めて歩いている風景が見えるだけでそれ以外の異常は『何も見えない』。
 コンビニのトイレで装備の確認と小用を済ませる。
 腹に気合を入れる。
 あまり賢い選択とはいえないが、自分から、真意がはっきりしない存在の確認のために観測しやすいポイントに向かった。
 電車で一駅乗り、バスを2回乗り継いで郊外まで『出向いてやった』のだ。
 電車の中でもバスの中でも観られている感覚が付き纏った。
 どう考えても偽装、変装の達人が1個中隊挙って七佳一人を尾行しているとしか思えない。
 視界のどこにも、いつでも、同じ背格好をした人間が『存在しない』。
 郊外の新築分譲中の区画が並ぶ新しい街までくる。
「……寒い」
 何故か、軽い笑顔と冷たい汗が同時に表れる。
 長距離偵察を主任務とするレコンチームは自分達が索敵対象になっていることを察知すると絶対にベースキャンプに戻らない。
 ささやかながらも急設した基地が強襲されるのを防ぐためだ。
 その際、どう出るのがセオリーか?
 模範回答はベースキャンプに近付いている振りをして、できるだけ遠ざかる、だ。
 それをこの場合に当て嵌めると、セーフハウス的な1LDKマンションの安全確保を図るために離れた位置で自分が優位に立てる戦闘区域を作り上げるのが第一選択だ。
 本来なら、戦闘はレコンチームの任務ではない。例え目前30cmの位置を敵兵が酒を飲みながら一人で歩いていても、殺す必要が無ければ一切の攻撃行為を敢行しない。
「さて……」
――――アンクルサムのレコン式がどこまで役に立つかね……。
 カンボジアで戦っていた頃にレコンチームの補助として多用された自分の過去を思い出しながら歩き出す。
 その途中、ふと足が止まる。
――――アンクルサム?
――――何だろう?
――――物凄く心に突き刺さる……。
 七佳は何か大事な、しかし、封印しなければならない事柄が脳味噌から引き摺り出されそうな気分になる。
 思い出さないといけないのか、思い出してはいけないのか?
 忘れたいのに思い出せない……矛盾と理不尽が絶妙に混合された混沌が心の片隅から夏の雨雲のように湧き出る。
「……っ!」
 微かに目眩。
 軽い偏頭痛。
 喉に異物感。
「どうした? 戦意が急に鈍ったぞ?」
「!」
 無人の分譲住宅地のほぼ中央のあたりで初めて他人の気配……もっと確かな、声を聞いた。
「良い『巻き』方だ。自分で戦闘区域を仕切ろうとしたな? ステイツの『ガールスカウト』にでも叩き込まれたか? 自身を盾にしてキャンプから離れる技と度胸を持つ者は大概がステイツの息が掛かったやり方だ。東側にはそれだけ応用が利く奴は存在しない。持ち前の戦力で全てをカバーしようと考えるから世界最大最多の特殊部隊を抱えてしまった」
「……」
 この住宅街造成地に来てから腹が決まった七佳は、取り乱したりはしなかった。
 声の範囲、自分の危機感知センサーから鑑みるにすぐ近く。大袈裟な狙撃銃で頭を撃ち抜くということはない。襲撃するなら『七佳の視界の外から』だ……。
 それは詰まり。
「そこ!」
 ショルダーホルスターから長大なリボルバー拳銃をクイックドロウと見間違える速度で抜き放ち、体を捻りつつ、自分の体勢が完全に崩れて地面に倒れるのも構わず銃口を背後に向けた。
 『七佳の視界の外』……つまり、背後だ。
「良い勘だ!」
 その影は動いた。
 大柄な体躯からは想像もできない素早さ。
 トレンチコートの裾を死神の黒衣のように靡かせて銃口の先から逸れた。
 七佳の体がプローンの体勢で地面に倒れ込んだときにはその人物は住宅の影に入り視界から消えた。
「く!」
 素早く立ち上がり、七佳も手近な位置に有る資材の山を遮蔽物とした。
 冬の風が飼葉を腐らせたような臭いを運ぶ。
「目的は? 私を付け狙う目的はなんだ!」
 七佳は返って来る答えを知っていた。
 彼女の狙いはそこではなく、どうでも良い質問をぶつけて時間を稼ごうとした。
 奴がプロなら、どんなお喋りでもクライアントの身元や目的の詳細をベラベラ喋ったりはしないと踏んでいた。
「惚れた! 逢いたいのに理由は必要か?」
「フザケンナ!」
 適当に応えるにもほどがある応答に思わず叫び返した。
「本当さ! あの夜は随分と可愛い顔をしていたぞ」
「出て来い! ブッ殺す!」
「あの夜は……まるで掃討戦の真ん中に放り出された新兵みたいだったぞ!」
――――!
――――あの夜!?
 細く狭い四つ辻であたふたと四方を確認していた自分を思い出した。
――――そう……あの夜だ。臭い、声……アイツだ!
 飼葉の臭いがトルコ巻タバコであると脳内のデータベースが検索を終了した。
 抑揚の無い声が思い出される。
 だが、こんどは流石に姿の端位は掴んでやった。
 背の高い男。
 暗がりに近い時間だというのにサングラス。
 折角のトレンチコートに袖も通さず風に靡くままに任せている。
「助けてやっただろ? お礼に手合わせを頼むよ」
 男の声に初めて喜色が浮かぶ。
 危険な状況を楽しむタイプの『インスタント・キラー』キラーだ。 
 確認しなくとも解る。それも訓練された『インスタント・キラー』キラーらしい。
 特殊任務群をガールスカウトと侮蔑的な表現をする口調からして元兵士だろう。
「!」
 男が横っ飛びに遮蔽物から飛び出す。間髪を入れずに胸の真ん中に22WMRを1発、叩き込む。
 これで終わりだと思っていない。
 七佳の脊髄反射的行動を利用されて『釣られた』。
 木材を巻きつけたトレンチコートに命中しただけだ。22WMRは木材をへし折ってトレンチコートと共に地面に転げ落ちる。
「うーん、良い反応だ。だが、停止力に劣る22WMRで勝負になるかな?」
 確かに、22WMRは初速にモノをいわせた小口径高速弾だ。
 七佳の22WMRはファクロリーロードのホットロードで、初速だけなら命中精度を優先したライトロードの44マグナムと良い勝負をする。
 反面、弾頭の質量が軽く運動エネルギーによる単純な初活力は数値上、性能の優れた9mmパラベラム弾ほどしか発揮できない。
 それを踏まえて22WMRの威力を9mmと同質とするのなら、たった9連発のユニークモデルRボーリガードは圧倒的に不利だ。
 その不利を思い知らされる事態が七佳を襲う。
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