斃れる迄は振り向くな

 犯人は二人。

 何故なら、現場には2種類の空薬莢が落ちていたからだ。
 同口径あるいは異種口径の拳銃ではない。『2挺の銃』だ。
 一人がこのような異なる銃を用いて犯行に及んだなどとは有り得ない、と言い張るのであれば、彼らの浅い知識では犯人に辿り着くまでもうしばらくの時間が必要だった。


「……犯人は私一人でーす」
 虚ろな瞳で柳原七佳(やなはら ななか)は総合ビタミン剤を一摘み程口に放り込むと、ラムネ菓子を咀嚼するように噛み砕いた。
 口中に残った不快な欠片を1リットルの牛乳パックをラッパ飲みして嚥下する。
「……」
 TVの画面では相変わらず、素性の知れないコメンテーターが好き勝手に視聴者受けする、そして、食い扶持にあぶれないようにTV局の方針に則った方面のおべんちゃらなコメントと見解しか述べていない。
 七佳に関するニュースが単なる、今では珍しくない銃火器犯罪の一例として取り上げられただけで、自分の身に降り掛からなければ誰がどこでどんな死に方をしようが関係無いと思い込んでいる。
 そんな頭の寒い人間共はすぐに次の話題に切り替わった。沈痛な表情やしたり顔でさえも満面の笑みに変わった。次の話題が動物園で生まれたパンダの仔の話だからだ。
 人が死んだニュースやトピックを沈んだトーンで読み上げておきながら、次の話題がほほえましい話題だとスイッチを切り替えたように180度反対の表情で楽しく原稿を読み上げる。
 七佳はこんな世の中の人間全てが嫌いだった。
 嫌いだから全て死んでしまえ……と、呪詛を垂れ流しにするどこにでもいる普通の現代人では無い。
 人間は嫌いだが、その人間が生きる権利を持っていることを七佳は知っている。
 呪詛をモニターにぶつけるのはその人間の自由だ。
 それこそ、その人間がどこでどんな死に方をしようが七佳には何のダメージにもなりはしない。
 人間が生きる権利を持って生まれてきた事を、どの業界の人間よりも深く重く寂寥に浸り……そして胸の前で十字を切るより早く、拝掌で首を垂れるより早く、人間の命を右から左へと押しやることができる職業に就いている。
 勿論、黄色い電話帳には間違えても記載されることの無い反社会的な職業だ。

 千円札一枚で雇える、世間の終末処理業『インスタント・キラー』。
 昔気質な言葉で置き換えると、飼い主を持たない殺し屋だ。
 今時の人間は今と昔の殺し屋の区別が付かないと言われる。
 それだけ殺し屋が一般的な職業として市井に浸透し、殺し屋稼業を営む人間も真っ当なビジネスだと勘違いを始めているからだ。
 ファッション感覚で殺人代行をマネージメントする商売も流行りだした。
 一昔前に囃された審判の日とやらは、サバを読んで違う形態を以って訪れているのかも知れない。
 殺し屋という反社会性の強い職業が流行りだした理由は、単純に人間が人間を殺すことに娯楽性を求めた結果だった。
 銃火器犯罪が台頭し始める頃と重なったので、その発生件数は凋落を知らない。
 そもそも銃火器犯罪を始めとする凶悪犯罪に分類される事件が、治安国家の世界的手本であった日本を暗黒に染め上げたのは冷戦構造の表面上の世界での終了が発端だった。
 極単純な3段論法じみた公式。
 戦争終了。あぶれる武器。非公式組織による武器売買。
 それだけの簡単な理由。
 その理由が日本を侵食するのに大した時間はかからなかった。
 海外の民間軍事企業が日本にカウンタークライムをレクチャーする為に躍起になっているのも頷ける。
 堅気の民間人でさえ、携帯電話のアドレスには必ず非合法商品を扱う商社が登録されている、と揶揄される。
 小学校の中で小学生同士が護身用に持たされたポケットオートで銃撃戦を展開する混沌振りは『古き良き時代』の影も形も無い。
 俄かに店開きした殺し屋も中学生から定年退職した世代まで様々。
 誰が教えるわけでもない殺しの手段。
 実包が送り込まれた自動拳銃の引き金を引くだけ。
 今時、狙撃銃を用いて1発で仕留めるという『旧い技』を使う殺し屋は天然記念物だ。命懸けの鉄砲玉と呼ばれるヤクザの特攻隊も見かけなくなった。敵対組織の幹部が乗る車ごと、携行対戦車兵器で葬るのがトレンドだ。白鞘握ってサラシを巻く時代は終わった。任侠を重んじるヤクザなどは絶滅危惧種だ。
 誰も彼もが銃を握る事が出来る時代。
 なのに誰も彼もが手を汚す事を面倒臭がる時代。
 それでも殺してやりたい人間の10人や20人は誰でも心に留めている時代。
 そして、求められて現れた……時代が生んだ職業。
 『インスタント・キラー』

 柳原七佳。27歳。女性。
 身長170cm。体重55kg。
 先天的に色素の薄い髪。艶を失わない健康的なロングヘア。左眼の色素も先天性のオッドアイで栗色。視力に異常は無い。
 無駄に整ったパーツが鏤められた美貌を端的に表現するなら。美しいと言うより魅力的、白眉と言うより知性的。……だが、雑踏に紛れ込んでも誰にも気に止められない薄いメイクを心掛けている。
 優れたバランスを誇るボディラインではあるが、身体性能としての筋骨は強靭の一言に尽きる。
 性格は粗雑。無頓着。自虐的な傾向があるのか、自分の短所であれば原稿用紙を何十枚にも渡って埋め尽くすことができる。
 『インスタント・キラー』としての特筆事項は、自動火器隆盛の今日で回転式を相棒とし、左右の手、どちらでも支障無く扱う事ができる。
 パーソナルな経歴としては中学卒業直後に精神を病んで高校進学を諦め2年の入院。退院後、世を儚みカンボジアへ渡る。
 誰にも干渉されない静かな死を望んで生活する積りだったが、二重国境地帯の仏教寺院で寝泊りしていたある日、内紛が勃発。
 大国の介入で繊細な判断が必要とされるその地域に非正規軍が投入された。
 たった6人で編成される特殊部隊が七佳の寺院に踏み込んだことで事態は急転する。
 
 それぞれ得意な分野を修めた特殊部隊というのは今ではスクリーンの中だけの存在に思われがちだ。
 実際の戦闘で最初の一連射でリーダーが死なないとは限らない。衛生兵が死なないとは限らない。通信手が死なないとは限らない。
 だから、現在の『表舞台で活躍する』特殊部隊は誰が任務中に落伍しても誰でも落伍者の代わりに遂行できるように全員が同じ能力、技能を修めた隊員で編成されている。
 それに対して、非正規戦闘に投入される少数の特殊部隊は自分たちが表立って戦闘に参加することは滅多に無い。
 彼らは自分たちが修得している特殊技能を現地の親国派組織に伝授して戦闘集団を組織する。現地人を教育して戦闘力を現地で調達するためだ。
 否応なしに戦乱に巻き込まれた七佳。
 勿論、七佳は現地で調達出来る人員として非正規戦闘集団の一人として組み込まれた。
 銃弾が飛び交う中、頭を抱えて過呼吸発作と戦いながら泥に顔を突っ込んでいる最中に悟った七佳。
「今、自分は生と死の狭間で現実と戦っている」
 それからは心に涼風が吹いたように世界が一転たのだ。

 3年間、カンボジアの国境地帯で転戦を続けた後、一応の終戦を見た。そして、『死に切れず』に帰国。
 帰国後、すっかり様変わりした日本を睥睨して口元に卑屈な微笑みを浮かべた。
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