RAID!
幾重もの皺を頬に浮かべながら、老婆はロッキングチェアで、使い込まれたマドラスパイプを左手で唇から放すと静かに来訪者に語りだした。
「活動、運動、思想、傀儡、イデオロギー、プロパガンダ……もう昔の話だねぇ」
小春日和が温かに差し込む、ある日の午後。
表通りの緩い喧騒を、窓ガラス一枚で隔てたこの空間のこの場所は彼女のお気に入りの場所だった。
今日もロッキングチェアに揺られてラタキアビンテージを4gほど、優しく詰め込んだBBB社製アップルベントシェイプのパイプをゆったりと吹かそうと、軸長マッチで火を点けて10分後の来訪者だった。
「IRA、CCC、RAF、NPA……赤い9月だの10月だの。それに何とか赤軍とか名乗る幾つもの『レックレッサー』に主義主張を超えて『お勤めの道具』を星の数ほど、拵えて渡してきたさ……それでもそれは昔の話。今じゃあ、ただのどこにでも居る年寄りの一人さ」
そこまで喋ると老婆は転寝でも始めたのかと思うほどゆっくり瞑ってパイプを咥えた。
この齢になると少しばかり長い述懐だけでも大きな疲労になるのだろう。
年季を感じる優雅な物腰でオリエント種とバーレー種が混じったフルフレーバーな紫煙をゆっくりと吐き出す。
「で、お前さん。この老いぼれに何の用件だい? ロートルアンダースミスの弟子入りには見えないがねぇ」
来訪者の男――荒削りで野性味の強い容貌をした、40代後半の立派な体躯。左脇が膨らんだ、草臥れた革ジャンパーが堅気の人間でないことを物語っている――はカールの強い天然パーマを右手で軽く、くしゃくしゃと掻いた。
「お言葉ですが、ミズ・ダストペリ。貴女に直接、用件は御座いません」
黒タバコの匂いが強烈な口臭となっているその男は太い眉をやや、ハの字に落として困り果てた顔付きで老婆……ミズ・ダストペリから僅かに視線を逸らした。
「あら。そうなの? でも、当らずしも遠からずかしら? 『私の残したモノ』に用件が有るのには変わらないと思うわねぇ。どうかしら?」
「はあ。仰る通りで」
「『また、あの“やんちゃ”に御用かしら?』」
「……誠に恐縮です」
ミズ・ダストペリはパイプを咥えたまま、バニラのように甘く、紙巻とは違ったクセの有る香りがする紫煙を細く長く吐くと、ロッキングチェアから立ち上がった。
歪みを見せる腰でしずしずと歩みを進めると部屋の片隅で埃を被っているゼロハリバートンの小型トランクを手に取った。
「あっ! ミズ! 私がお持ち致します!」
男は慌てて老婆に向き直ると恭しく瑕だらけのトランクのグリップを握った。A3サイズのブリーフケース程の大きさだがボーリング球でも入っているかのように重い。
「あら、有難う。安心したわ。この『業界』にもまだ紳士は居たのね」
ミズ・ダストペリは大袈裟に目を丸くして驚いた。
「それじゃ、荷物を持って貰ったついでにお願いが有るのだけれど……聞いていただけるかしら?」
「……? は。何用で御座いましょう?」
男は訝しげな表情を浮かべて、中空にスモークリングを悠々と作る老婆を見る。
「本当に申し訳ないのだけれども……その荷物をあの“やんちゃ”に渡してあげてくださいな」
男の双眸が歓喜を湛えてみるみる大きくなる。
「そ、それでは!」
「ああ。勘違いしないでね……本当に救いようがない死に損ないたちが集まって、お茶を飲みながら作った『民芸品』よ。そんな失礼な品物を他人様にお渡しするなんて出来ないわ」
「それではこの件を……お孫さんのお力を貸して頂けると!」
「あらあら。『そういう風に解釈されたのなら仕方ないわね。それではそういうことでも良いわよ』」
ミズ・ダストペリは苦難の末に刻みえる事ができた皺を顔に浮かべると、ぷい、とそっぽを向いてロッキングチェアに踵を返した。
「ああ。でも。貴方の説かれた主義は筋の通った極論だけれども、必ずしも真点を射抜いた正論ではないわ……自信が有るのなら、その論理であの“やんちゃ”を扱ってみなさいな」
男は深々と一礼すると軽金属製トランクケースを右手に、一人の老婆が余生を過ごすには少し広い殺風景な部屋を出た。
「……」
暫くして表で咳き込むような排気音の自動車が発車する様子が音で解った。
「……いつの時代でも理由なんて関係無しに血の雨は『必要とされるのね』」
ミズ・ダストペリが腰掛けると、愛用のロッキングチェアはキィと軋んで心地良く揺れた。
1ヵ月後。
日本。某県某市にて。
市警に男の声で匿名の電話が一本。発信元は市内の公衆電話。
山中に死体を埋めたので掘り返してみろ、との通報だった。
初動の緩慢な警察はこの日ばかりは暇だったのか大仰な捜査体勢を整えて通報に有った場所に駆けつけた。
「……?」
通報どおりの場所に埋まっていたのはドス黒く赤い液体が封入された、32本の2リットルのペットボトルのみ。
誰もが悪戯電話だと簡単には疑わなかった。死体を深く埋めてから土を被せてその上に獣の骨を埋めるという欺瞞工作は古くから有る撹乱手段なので更に掘ってみる。
だが、何も出てこない。
鑑識班の一人が気が付いた。
ラベルが剥がされたペットボトルの蓋の隙間にやたらと虫が集っているのを。
現場指揮官がキャップを外して恐る恐る、鼻を近付ける。
すると幾度と無く吸引してきた『現場の臭い』が強烈に漂ってきた。すぐさま、検査紙を浸して反応を見る。
紛れも無くルミノール反応が現れる。
32本全てのペットボトルから同じ反応が現れた。
勿論のこと、現場は騒然となる。
1週間後。
ペットボトルに詰められていた液体は『ミキサーに掛けられた、体重約64kgの人間一人分の遺体』だと判明する。
分析……否、検死解剖の結果、被害者は恐怖を感じたまま……つまり、生きたままミキサーに掛けられた事が判明した。
その後もこの市警に風変わりな遺体が舞い込む事になる。
送りつけられてきた、薬殺された大量の大型犬。胃袋には合計すると人間一人分の構成物質が検出される未消化物。
廃園された動物園の一角に有る水族館内で発見された『溶けた遺体』。ブース型水槽に満たされた、強力な溶解力を持つ酸性の液体に人間が突き落とされたのだ。
被害者の胃腸を用いて作った、ほど好くコマ切れにした被害者の構成物を詰め込んだ『腸詰め』。
本格的に捜査陣を拡大した県警本部は犯人の割り出しと被害者の身元の特定に躍起になった。
※ ※ ※
何処の誰が考えついたのかは定かではない。
あるいは、どこの誰でも考えつく事柄だったのかもしれない。
フルオートオンリーに違法改造されたコルトM1911A1。
ガスロッキングシアを1発毎に作動させるギアを二山ほど削ってやれば簡単に作ることができる。
ただ、材質の耐久度の観点から長時間の連射には全く不向きで寿命が短かった。
「活動、運動、思想、傀儡、イデオロギー、プロパガンダ……もう昔の話だねぇ」
小春日和が温かに差し込む、ある日の午後。
表通りの緩い喧騒を、窓ガラス一枚で隔てたこの空間のこの場所は彼女のお気に入りの場所だった。
今日もロッキングチェアに揺られてラタキアビンテージを4gほど、優しく詰め込んだBBB社製アップルベントシェイプのパイプをゆったりと吹かそうと、軸長マッチで火を点けて10分後の来訪者だった。
「IRA、CCC、RAF、NPA……赤い9月だの10月だの。それに何とか赤軍とか名乗る幾つもの『レックレッサー』に主義主張を超えて『お勤めの道具』を星の数ほど、拵えて渡してきたさ……それでもそれは昔の話。今じゃあ、ただのどこにでも居る年寄りの一人さ」
そこまで喋ると老婆は転寝でも始めたのかと思うほどゆっくり瞑ってパイプを咥えた。
この齢になると少しばかり長い述懐だけでも大きな疲労になるのだろう。
年季を感じる優雅な物腰でオリエント種とバーレー種が混じったフルフレーバーな紫煙をゆっくりと吐き出す。
「で、お前さん。この老いぼれに何の用件だい? ロートルアンダースミスの弟子入りには見えないがねぇ」
来訪者の男――荒削りで野性味の強い容貌をした、40代後半の立派な体躯。左脇が膨らんだ、草臥れた革ジャンパーが堅気の人間でないことを物語っている――はカールの強い天然パーマを右手で軽く、くしゃくしゃと掻いた。
「お言葉ですが、ミズ・ダストペリ。貴女に直接、用件は御座いません」
黒タバコの匂いが強烈な口臭となっているその男は太い眉をやや、ハの字に落として困り果てた顔付きで老婆……ミズ・ダストペリから僅かに視線を逸らした。
「あら。そうなの? でも、当らずしも遠からずかしら? 『私の残したモノ』に用件が有るのには変わらないと思うわねぇ。どうかしら?」
「はあ。仰る通りで」
「『また、あの“やんちゃ”に御用かしら?』」
「……誠に恐縮です」
ミズ・ダストペリはパイプを咥えたまま、バニラのように甘く、紙巻とは違ったクセの有る香りがする紫煙を細く長く吐くと、ロッキングチェアから立ち上がった。
歪みを見せる腰でしずしずと歩みを進めると部屋の片隅で埃を被っているゼロハリバートンの小型トランクを手に取った。
「あっ! ミズ! 私がお持ち致します!」
男は慌てて老婆に向き直ると恭しく瑕だらけのトランクのグリップを握った。A3サイズのブリーフケース程の大きさだがボーリング球でも入っているかのように重い。
「あら、有難う。安心したわ。この『業界』にもまだ紳士は居たのね」
ミズ・ダストペリは大袈裟に目を丸くして驚いた。
「それじゃ、荷物を持って貰ったついでにお願いが有るのだけれど……聞いていただけるかしら?」
「……? は。何用で御座いましょう?」
男は訝しげな表情を浮かべて、中空にスモークリングを悠々と作る老婆を見る。
「本当に申し訳ないのだけれども……その荷物をあの“やんちゃ”に渡してあげてくださいな」
男の双眸が歓喜を湛えてみるみる大きくなる。
「そ、それでは!」
「ああ。勘違いしないでね……本当に救いようがない死に損ないたちが集まって、お茶を飲みながら作った『民芸品』よ。そんな失礼な品物を他人様にお渡しするなんて出来ないわ」
「それではこの件を……お孫さんのお力を貸して頂けると!」
「あらあら。『そういう風に解釈されたのなら仕方ないわね。それではそういうことでも良いわよ』」
ミズ・ダストペリは苦難の末に刻みえる事ができた皺を顔に浮かべると、ぷい、とそっぽを向いてロッキングチェアに踵を返した。
「ああ。でも。貴方の説かれた主義は筋の通った極論だけれども、必ずしも真点を射抜いた正論ではないわ……自信が有るのなら、その論理であの“やんちゃ”を扱ってみなさいな」
男は深々と一礼すると軽金属製トランクケースを右手に、一人の老婆が余生を過ごすには少し広い殺風景な部屋を出た。
「……」
暫くして表で咳き込むような排気音の自動車が発車する様子が音で解った。
「……いつの時代でも理由なんて関係無しに血の雨は『必要とされるのね』」
ミズ・ダストペリが腰掛けると、愛用のロッキングチェアはキィと軋んで心地良く揺れた。
1ヵ月後。
日本。某県某市にて。
市警に男の声で匿名の電話が一本。発信元は市内の公衆電話。
山中に死体を埋めたので掘り返してみろ、との通報だった。
初動の緩慢な警察はこの日ばかりは暇だったのか大仰な捜査体勢を整えて通報に有った場所に駆けつけた。
「……?」
通報どおりの場所に埋まっていたのはドス黒く赤い液体が封入された、32本の2リットルのペットボトルのみ。
誰もが悪戯電話だと簡単には疑わなかった。死体を深く埋めてから土を被せてその上に獣の骨を埋めるという欺瞞工作は古くから有る撹乱手段なので更に掘ってみる。
だが、何も出てこない。
鑑識班の一人が気が付いた。
ラベルが剥がされたペットボトルの蓋の隙間にやたらと虫が集っているのを。
現場指揮官がキャップを外して恐る恐る、鼻を近付ける。
すると幾度と無く吸引してきた『現場の臭い』が強烈に漂ってきた。すぐさま、検査紙を浸して反応を見る。
紛れも無くルミノール反応が現れる。
32本全てのペットボトルから同じ反応が現れた。
勿論のこと、現場は騒然となる。
1週間後。
ペットボトルに詰められていた液体は『ミキサーに掛けられた、体重約64kgの人間一人分の遺体』だと判明する。
分析……否、検死解剖の結果、被害者は恐怖を感じたまま……つまり、生きたままミキサーに掛けられた事が判明した。
その後もこの市警に風変わりな遺体が舞い込む事になる。
送りつけられてきた、薬殺された大量の大型犬。胃袋には合計すると人間一人分の構成物質が検出される未消化物。
廃園された動物園の一角に有る水族館内で発見された『溶けた遺体』。ブース型水槽に満たされた、強力な溶解力を持つ酸性の液体に人間が突き落とされたのだ。
被害者の胃腸を用いて作った、ほど好くコマ切れにした被害者の構成物を詰め込んだ『腸詰め』。
本格的に捜査陣を拡大した県警本部は犯人の割り出しと被害者の身元の特定に躍起になった。
※ ※ ※
何処の誰が考えついたのかは定かではない。
あるいは、どこの誰でも考えつく事柄だったのかもしれない。
フルオートオンリーに違法改造されたコルトM1911A1。
ガスロッキングシアを1発毎に作動させるギアを二山ほど削ってやれば簡単に作ることができる。
ただ、材質の耐久度の観点から長時間の連射には全く不向きで寿命が短かった。
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