歌え。22口径。
小高い位置に有る廃ビルの一室から、スポーツ射撃用のスコープを望遠鏡代わりにして感嘆の声を挙げる本条綾音。
交戦の一部始終を観察していた。
「やるなぁ。強敵だなー」
――――ハジキだけが武器じゃない!
――――強運を呼び込める力を持っている!
綾音は左脇を探ってそこに愛用の拳銃が収まっていることを確認した。
弾薬ポーチも手探りで確認する。
「……」
ジーンズベストの裾を風に靡かせながら踵を返して埃っぽい部屋から出て行く。
綾音の顔からグラデーションを描くように余裕が消えていき殺意を湛えた聖人のように。
何処か悲壮な覚悟を秘めた翳りが見える。
戦闘に勝つにはただの実力と単純な火力。
修羅場を潜り抜けるのには強運と躊躇無い判断。
果たして自分にはどちらが備わっているのだろう?
そして、この場合はどちらの要因が必要なのだろう?
相手は22口径のリボルバーで完全に優位な3人を屠った。その手段が強運だけであったとしても、必要な時に必要なだけの運を招き込む『実力』を持っている。
大抵の場合、運が強い人間は何事も控え目な物だ。
あの女はお淑やかで物腰が低く控え目な人間なのか? 私はあの標的より『喧しい』人間なのだろうか?
綾音はビルの非常階段を降りながら心に掛かる暗雲を追い払うのに必死だった。
ネガティブな負け犬根性であれば標的を仕留める前に、今ここで階段から滑り落ちて重症を負うかもしれない。
だが、綾音の場合は少し違う。
あらゆるマイナス要因やネガティブ根性を自分から呼び込んでおいて急激に自分を苦境のドン底に叩き落とそうとする。
這い上がるための努力と非常時にのみ発揮される、実力以上の実力を引き出そうとしているのだ。
今までそうだった。
これからもそうする。
暗く、深く。
痛く、怖く。
志保が強運を以って臨むのなら、綾音は悪運を以って当たる。
非常階段から地上に降りる頃になると綾音の唇が微かに笑っていた。
大きな双眸に昏い輝きがポツンと灯り始めた。
廃ビルの一室に忘れ去られたスコープのフロントレンズに何の前触れも無く一筋の罅が発生する。
スコープ内の霞防止のガスが外気と混ざってスコープ内が急速に曇って行く。
「!」
雪代貴子は背後で起きた小さな物音に大袈裟に振り向いた。
「……」
綾音と同棲している高級マンションでの事。
小さな物音の正体がキッチンからのものであることを突き止めた。
――――何てこと……。
脱力してロフスト杖にしがみつく。
軽い目眩を覚える。
雪代貴子の目の前では綾音愛用の陶器のマグカップが竹を割った様に真っ二つに割れている。
「……くっ」
言うことを聞いてくれない左足を引き摺って寝室に駆け込む。
ダブルベッドの枕を乱暴に捲ってその下で静かに鎮座していたガンケースを取り出す。
蓋を開け、出番を待ち焦がれているVz61スコーピオン短機関銃に視線を落とす。
もう、この先の人生で護身以外にこれを握る日が来るとは考えたくなかったが……。
抑えることのできない胸騒ぎが雪代貴子を弄ぶ。
「……」
意を決してスコーピオンを手に取る。
「楽しいぞ! お前!」
アルゼンチン製の安価な自動拳銃の中でも値段以上の性能を持っているベルサM85を駆り、32ACPの弾幕を張りながら綾音は遮蔽物の陰で身を竦めている志保を何としても炙り出そうと楽しんでいた。
32口径15+1発の中型自動拳銃だ。
遮蔽物を的にされると貫徹力が無いので志保には恐らく直接の脅威を与えていないだろう。
その証拠に志保が盾にしているドラム缶に集中的に銃弾を叩き込んでいるが片面を貫通するので精一杯だ。
「チッ! 出て来いよ!」
「あんたたち何者? 何か恨みでも有るわけ?」
「内緒!」
「ふざけないで!」
15mの距離を置いて二人は銃声に負けない声で怒鳴り合う。
「!」
綾音は調子に乗り過ぎてベルサM85の弾倉と薬室分を全て撃ち尽くした。
スライドが後退してスライドストップが掛かったまま停止する。
プロとしては失格だ。薬室に1発残っている状態で空弾倉を交換しなければタイムロスが大きく、あらゆる失態を招く。
慌てて左フレームのグリップの付け根に有るマガジンキャッチを押す。
「ちっ!」
予想通り、隙を見極めた志保はドラム缶の陰から飛び出して更に遠くへ遁走する。
ベルサM85に新しい弾倉を叩き込んでスライドを4mm程引いてやる。スライドストップが解除されてスライドが前進する。装填桿子が弾倉の一番上の実包を押し出して薬室に押し込む。
この一連の動作を見て解る通り、ベルサM85の全てのメカニズムはワルサーPPKのデッドコピーなのだ。
価格が安い割りに性能が優れている理由はそれだった。優秀な銃の優秀な点だけを抜き出してコピーした銃なのだ。
「ったく……気持ち悪い」
新しい襲撃者に毒吐き、小便で濡れたズボンに毒吐く志保。
プレハブ小屋の陰に滑り込んだ志保は銃口を下に向けたアストラ・カデックス223のシリンダーを開いてエキストラクターを軽く押す。
1cmほど浮いた薬莢の内、空薬莢だけを捨ててバラ弾の22口径ロングライフルを装填する。そろそろ22口径の予備弾も少なくなってきた。
長時間、いたぶられていれば不利だ。何としてでも短期決戦に持ち込めるタイミングを掴まなければならない。
相手は威力の知れた32口径だが、再装填の早さと装弾数の多さだけは絶対数的に勝てない。
それに、今の志保の疲労はアドレナリンが麻痺させているが、少しでも緊張に弛みを作れば停止している新陳代謝が堰を切ったように始まって歩くのも億劫な倦怠感に襲われる。
闇雲に弾丸をバラ撒いても当たりはしない。
現在の彼我の距離、25m。
射程という物理的な間隔は22口径でも32口径でも大して差は無い。
性能としては志保の22口径ロングライフル弾『ミニマキシ』と新手の襲撃者が所持している32口径はほぼ同じ。ならば、命中精度にモノを言わせた勝負に持ち込むしかない。
ひいては、拳銃の腕っ節が上の方が勝つ。
志保も綾音もそれは感じている。
疲労が溜まり予備弾も心許ない志保。
新しく襲撃に加わった綾音。
コンディションが対極の二人が真っ向からぶつかり勝負がつくのは一瞬。
奇妙な対比だが、それぞれに勝つ要因も負ける要因も揃っている。
綾音は32口径の弾幕を止めて正確な命中精度を得るために深呼吸を挟んで志保の影を狙う。
志保は一切の反撃を止めて撃つ素振りを見せ、フェイントで撃とうとする襲撃者の出鼻を挫いて時間を稼いでいる。
双方、呼吸は整いつつあるが緊張は極限まで高まっていく。
プレハブの陰で精密射撃のベストポイントを探す志保。
ドラム缶の陰で狙撃タイミングをひたすら、計る綾音。
日が傾きつつある。
最早、時間など関係無く、撃つ時機さえ見極めれば良いという雰囲気すら漂っていた。
まるで、弾倉に残っている弾丸が最後の1発であるかの様な気概だった。
早く。早く。早く。
雪代貴子は白のBNWを走らせながら焦りを抑え付けていた。
どうしようもない悪い予感が胸中に渦巻く。車の運転すら危うい状況だった。
「……」
被弾を恐れている二人は事前に何も食べていない。
――――撃たれれば死ぬ!
空腹と緊張が想像を絶する疲労をもたらす。
交戦の一部始終を観察していた。
「やるなぁ。強敵だなー」
――――ハジキだけが武器じゃない!
――――強運を呼び込める力を持っている!
綾音は左脇を探ってそこに愛用の拳銃が収まっていることを確認した。
弾薬ポーチも手探りで確認する。
「……」
ジーンズベストの裾を風に靡かせながら踵を返して埃っぽい部屋から出て行く。
綾音の顔からグラデーションを描くように余裕が消えていき殺意を湛えた聖人のように。
何処か悲壮な覚悟を秘めた翳りが見える。
戦闘に勝つにはただの実力と単純な火力。
修羅場を潜り抜けるのには強運と躊躇無い判断。
果たして自分にはどちらが備わっているのだろう?
そして、この場合はどちらの要因が必要なのだろう?
相手は22口径のリボルバーで完全に優位な3人を屠った。その手段が強運だけであったとしても、必要な時に必要なだけの運を招き込む『実力』を持っている。
大抵の場合、運が強い人間は何事も控え目な物だ。
あの女はお淑やかで物腰が低く控え目な人間なのか? 私はあの標的より『喧しい』人間なのだろうか?
綾音はビルの非常階段を降りながら心に掛かる暗雲を追い払うのに必死だった。
ネガティブな負け犬根性であれば標的を仕留める前に、今ここで階段から滑り落ちて重症を負うかもしれない。
だが、綾音の場合は少し違う。
あらゆるマイナス要因やネガティブ根性を自分から呼び込んでおいて急激に自分を苦境のドン底に叩き落とそうとする。
這い上がるための努力と非常時にのみ発揮される、実力以上の実力を引き出そうとしているのだ。
今までそうだった。
これからもそうする。
暗く、深く。
痛く、怖く。
志保が強運を以って臨むのなら、綾音は悪運を以って当たる。
非常階段から地上に降りる頃になると綾音の唇が微かに笑っていた。
大きな双眸に昏い輝きがポツンと灯り始めた。
廃ビルの一室に忘れ去られたスコープのフロントレンズに何の前触れも無く一筋の罅が発生する。
スコープ内の霞防止のガスが外気と混ざってスコープ内が急速に曇って行く。
「!」
雪代貴子は背後で起きた小さな物音に大袈裟に振り向いた。
「……」
綾音と同棲している高級マンションでの事。
小さな物音の正体がキッチンからのものであることを突き止めた。
――――何てこと……。
脱力してロフスト杖にしがみつく。
軽い目眩を覚える。
雪代貴子の目の前では綾音愛用の陶器のマグカップが竹を割った様に真っ二つに割れている。
「……くっ」
言うことを聞いてくれない左足を引き摺って寝室に駆け込む。
ダブルベッドの枕を乱暴に捲ってその下で静かに鎮座していたガンケースを取り出す。
蓋を開け、出番を待ち焦がれているVz61スコーピオン短機関銃に視線を落とす。
もう、この先の人生で護身以外にこれを握る日が来るとは考えたくなかったが……。
抑えることのできない胸騒ぎが雪代貴子を弄ぶ。
「……」
意を決してスコーピオンを手に取る。
「楽しいぞ! お前!」
アルゼンチン製の安価な自動拳銃の中でも値段以上の性能を持っているベルサM85を駆り、32ACPの弾幕を張りながら綾音は遮蔽物の陰で身を竦めている志保を何としても炙り出そうと楽しんでいた。
32口径15+1発の中型自動拳銃だ。
遮蔽物を的にされると貫徹力が無いので志保には恐らく直接の脅威を与えていないだろう。
その証拠に志保が盾にしているドラム缶に集中的に銃弾を叩き込んでいるが片面を貫通するので精一杯だ。
「チッ! 出て来いよ!」
「あんたたち何者? 何か恨みでも有るわけ?」
「内緒!」
「ふざけないで!」
15mの距離を置いて二人は銃声に負けない声で怒鳴り合う。
「!」
綾音は調子に乗り過ぎてベルサM85の弾倉と薬室分を全て撃ち尽くした。
スライドが後退してスライドストップが掛かったまま停止する。
プロとしては失格だ。薬室に1発残っている状態で空弾倉を交換しなければタイムロスが大きく、あらゆる失態を招く。
慌てて左フレームのグリップの付け根に有るマガジンキャッチを押す。
「ちっ!」
予想通り、隙を見極めた志保はドラム缶の陰から飛び出して更に遠くへ遁走する。
ベルサM85に新しい弾倉を叩き込んでスライドを4mm程引いてやる。スライドストップが解除されてスライドが前進する。装填桿子が弾倉の一番上の実包を押し出して薬室に押し込む。
この一連の動作を見て解る通り、ベルサM85の全てのメカニズムはワルサーPPKのデッドコピーなのだ。
価格が安い割りに性能が優れている理由はそれだった。優秀な銃の優秀な点だけを抜き出してコピーした銃なのだ。
「ったく……気持ち悪い」
新しい襲撃者に毒吐き、小便で濡れたズボンに毒吐く志保。
プレハブ小屋の陰に滑り込んだ志保は銃口を下に向けたアストラ・カデックス223のシリンダーを開いてエキストラクターを軽く押す。
1cmほど浮いた薬莢の内、空薬莢だけを捨ててバラ弾の22口径ロングライフルを装填する。そろそろ22口径の予備弾も少なくなってきた。
長時間、いたぶられていれば不利だ。何としてでも短期決戦に持ち込めるタイミングを掴まなければならない。
相手は威力の知れた32口径だが、再装填の早さと装弾数の多さだけは絶対数的に勝てない。
それに、今の志保の疲労はアドレナリンが麻痺させているが、少しでも緊張に弛みを作れば停止している新陳代謝が堰を切ったように始まって歩くのも億劫な倦怠感に襲われる。
闇雲に弾丸をバラ撒いても当たりはしない。
現在の彼我の距離、25m。
射程という物理的な間隔は22口径でも32口径でも大して差は無い。
性能としては志保の22口径ロングライフル弾『ミニマキシ』と新手の襲撃者が所持している32口径はほぼ同じ。ならば、命中精度にモノを言わせた勝負に持ち込むしかない。
ひいては、拳銃の腕っ節が上の方が勝つ。
志保も綾音もそれは感じている。
疲労が溜まり予備弾も心許ない志保。
新しく襲撃に加わった綾音。
コンディションが対極の二人が真っ向からぶつかり勝負がつくのは一瞬。
奇妙な対比だが、それぞれに勝つ要因も負ける要因も揃っている。
綾音は32口径の弾幕を止めて正確な命中精度を得るために深呼吸を挟んで志保の影を狙う。
志保は一切の反撃を止めて撃つ素振りを見せ、フェイントで撃とうとする襲撃者の出鼻を挫いて時間を稼いでいる。
双方、呼吸は整いつつあるが緊張は極限まで高まっていく。
プレハブの陰で精密射撃のベストポイントを探す志保。
ドラム缶の陰で狙撃タイミングをひたすら、計る綾音。
日が傾きつつある。
最早、時間など関係無く、撃つ時機さえ見極めれば良いという雰囲気すら漂っていた。
まるで、弾倉に残っている弾丸が最後の1発であるかの様な気概だった。
早く。早く。早く。
雪代貴子は白のBNWを走らせながら焦りを抑え付けていた。
どうしようもない悪い予感が胸中に渦巻く。車の運転すら危うい状況だった。
「……」
被弾を恐れている二人は事前に何も食べていない。
――――撃たれれば死ぬ!
空腹と緊張が想像を絶する疲労をもたらす。