歌え。22口径。
完全に忘れられたファーストフードのゴミがカサカサと風に揺れる。
雲行きが怪しくなる気配をふんだんに含んだ或る日の夕方だった。
※ ※ ※
志保は自宅のマンションで煙突のように天井に向かって煙を吐いていた。
下着姿で。大の字に寝転がって。呆けた顔で。
顔の一部である眼鏡は掛けたままで、ポニーテールは解いている。手元のステンレスの灰皿には一本丸々灰にしてしまうのに裕に30分掛かるジノプラチナ・プリトスが7本、吸殻と化して転がっていた。
――――干されちゃった…のかなぁ。
生活するに困らぬ蓄えが暫く続くといっても、ここ最近窃盗依頼が激減している。
手軽にアドレナリンを沸騰させたいがためのコソ泥稼業ではない。
志保自身の、泥棒という肩書きに感じている職人魂は、万引き犯に有りがちなスリルを求める姿勢ではない。生活の糧としての泥棒だ。
必要以上の盗みをしないために敢えて、完全個人経営ではなく、依頼を受けてからセキュリティを破って運び出す受注型を経営方針としている。
どれだけ御託を並べてもコソ泥はコソ泥に違いない。堅気の人間には到底理解できない世界だ。
おまけに志保は人間を射殺することに必要が有れば躊躇うことをしない主義だ。
単純に、窃盗犯で殺人犯だ。
自分を振り返って自分と見つめ合う時間が発生するほど、最近は暇だった。
暇過ぎて、車の免許でも取得してみようかと考えるている。
ロクでも無い自分の半生を振り返って、反吐が出る思い出に頭の中を掻き乱される。
そう言えば、父親が離婚した程度で酒に溺れる人間の落伍者でなければ、酒の勢いで志保を強姦する腰抜けでなければ今の自分はここに居なかったのかもしれない。
憂鬱に、腹立たしさと暗い生い立ちがまとめて吹き出る思いに駆られるのでその逃げ場所として今の危険な稼業に飛び込んだのも事実。
やり場の無いマイナスのベクトルが有ったからこそ今の自分が居るのは否定しようの無い事実だ。
志保の人生に於いて、手助けになってくれる存在など誰一人、居ない。
それはコソ泥稼業にどっぷり浸かった今も同じだ。
嗜好品の葉巻にしても、魂の補完はしてくれるが人生の助走の足しにはならない。
「……」
上半身を起こす。ニコチンが詰まって味が不味く変化したジノプラチナ・プリトスを灰皿に吐き捨てる。
視線を空かさず、シガーケースに走らせるが口腔の薄皮がニコチンで軽く爛れてきたのでシガーケースに手を伸ばす事はしなかった。いつもの愛用品では心をサルベージする事は無理だと悟った。
それから3日程経過した。
大した娯楽に興じることを知らない志保は郊外の山中に居た。
アストラ・カデックス223に射的競技用の22口径ショート弾を装填してコジュケイやウズラなどのヤマドリを射撃練習の標的にしていた。
耳掻き1杯分の炸薬しか封入されていない22口径ショート弾はしばしば、プリンキングなどでも使用する。尚、小型のヤマドリを的にしても滅多に命中しない。足音を殺して空気銃で狙う猟師ではなく、単なる動体目標が欲しいだけなので遠慮無く、木々を揺らして驚いて駆け出す小型野鳥を撃つ。
動体目標の未来位置を予測して弾丸を叩き込む見越し射撃の訓練になる。
本当にそれで獲物を撃ち殺した場合は血抜きの作業をして羽の付け根に紐を通して腰にぶら下げて歩く。勿論の事、夕食の足しにするためだ。
たまにイタチやタヌキを追い掛け回して日頃の運動不足を無理矢理、解消する。
狩猟期間中の山間部で22口径ショート弾をどんな速射で発砲しても誰も拳銃で発砲しているとは思わない。
この辺りではごく有り触れた『狩猟用ライフル銃』の発砲音なのだ。元々、響き渡るほどの大きな銃声ではない。仮に、毎分850発の短機関銃で22口径ショート弾を撒き散らしていても大排気量のチェーンソウを稼動させている程度にしか認識されない。
日が暮れると山を降りて空腹を抱えて自宅に戻る。
羽と臓物と皮を削ぐと食べる部分が少ないコジュケイやウズラに味醂・酒・塩で味付けをしてベランダで七輪の熾火で炙って齧り付く。
脂の少ない鶏の手羽先を食べている食感に似ている。味は調味料が無ければ泥臭くて癖が有る。その癖の有る味はアルコールと一緒に賞味すれば格別な肴に変貌するが、志保は未だ酒の味を知らない。だから、七輪の傍にはコンビニで買って来た白飯が置いてある。
時間が経過したから火を通して食べるしかないが、狩った直後なら血と臓物を抜いて皮を剥げば生で齧り付くことが出来る。こちらの方が動物性たんぱく質やビタミン類を損なわず摂取できるので山野での非常食に適している。寄生虫の問題やビジュアルがグロテスクなので慣れない人間には少々度胸が必要だ。
6匹のヤマドリを飽食した志保はジノプラチナ・プリトスを悠々と灰にしてからアストラ・カデックス223を2時間掛けてクリーニングする。
炸薬が日本でも販売されている22口径ショート弾の物なので、日本国内で流通しているクリーニングリキッドでこと足りる。
メンテナンスキットは射撃競技用ピストルの物を使う。ここに広げたクリーニングリキッドやメンテナンスキットは国内の銃砲店から失敬した物だ。
本日の練習で使った22口径ショート弾も通常使用する22口径ロングライフル弾も、炸薬は基本的にデュポンのものを使用する。CCIの『ミニマキシ』もそれをベースに少量の他社のパウダーを混合して高速燃焼型炸薬に化学変化させたものだ。
つまり、国内で流通している弾薬である限り、国内で流通している手入れ用品で充分カバーできるわけだ。わざわざ、密売人から高価な拳銃用クリーニングキットを買わされることはない。
「……」
銃身・シリンダー周りは元より、撃発機構やトリガーデバイスも入念にクリーニングする。但し、照準がズレてはいけないので銃身をフレームから外す真似だけは絶対にしない。同じく、調節したトリガーフィーリングが狂ってはダメなのでサイドフレームを外す以上の分解はしない。
志保は気付いていないが、銃を手入れするこの一時に安息を感じている。
心地良い緊張感を解すために火を点けるジノプラチナ・プリトスの旨さがそれを証明している。
後片付けを終えて、咥え葉巻のままだらしなく横に寝転がった志保は暫くそのままの格好で居た。やがて急激な眠気を覚えて眠った。
灰皿に葉巻を押し付けたのを覚えている。それが意識の後端。疲労からくる睡魔に完全降伏した。
※ ※ ※
コンクリートが打ちっ放しの廃墟然とした一室。しかし廃墟ではない。
「本条綾音(ほんじょう あやね)。今回は貴女に依頼の遂行を任せます」
20代半ばと思われる女は黒いアンダーリム眼鏡のブリッジを右手の人差し指で正しながら静かに言った。
その女は紺色のワンピースを粋に着こなし、セミロングの出で立ちは腕も立って頭も切れる重役秘書の偏見的プリントイメージそのものだった。コピーファイルでも小脇に携えていれば完璧だろう。
雲行きが怪しくなる気配をふんだんに含んだ或る日の夕方だった。
※ ※ ※
志保は自宅のマンションで煙突のように天井に向かって煙を吐いていた。
下着姿で。大の字に寝転がって。呆けた顔で。
顔の一部である眼鏡は掛けたままで、ポニーテールは解いている。手元のステンレスの灰皿には一本丸々灰にしてしまうのに裕に30分掛かるジノプラチナ・プリトスが7本、吸殻と化して転がっていた。
――――干されちゃった…のかなぁ。
生活するに困らぬ蓄えが暫く続くといっても、ここ最近窃盗依頼が激減している。
手軽にアドレナリンを沸騰させたいがためのコソ泥稼業ではない。
志保自身の、泥棒という肩書きに感じている職人魂は、万引き犯に有りがちなスリルを求める姿勢ではない。生活の糧としての泥棒だ。
必要以上の盗みをしないために敢えて、完全個人経営ではなく、依頼を受けてからセキュリティを破って運び出す受注型を経営方針としている。
どれだけ御託を並べてもコソ泥はコソ泥に違いない。堅気の人間には到底理解できない世界だ。
おまけに志保は人間を射殺することに必要が有れば躊躇うことをしない主義だ。
単純に、窃盗犯で殺人犯だ。
自分を振り返って自分と見つめ合う時間が発生するほど、最近は暇だった。
暇過ぎて、車の免許でも取得してみようかと考えるている。
ロクでも無い自分の半生を振り返って、反吐が出る思い出に頭の中を掻き乱される。
そう言えば、父親が離婚した程度で酒に溺れる人間の落伍者でなければ、酒の勢いで志保を強姦する腰抜けでなければ今の自分はここに居なかったのかもしれない。
憂鬱に、腹立たしさと暗い生い立ちがまとめて吹き出る思いに駆られるのでその逃げ場所として今の危険な稼業に飛び込んだのも事実。
やり場の無いマイナスのベクトルが有ったからこそ今の自分が居るのは否定しようの無い事実だ。
志保の人生に於いて、手助けになってくれる存在など誰一人、居ない。
それはコソ泥稼業にどっぷり浸かった今も同じだ。
嗜好品の葉巻にしても、魂の補完はしてくれるが人生の助走の足しにはならない。
「……」
上半身を起こす。ニコチンが詰まって味が不味く変化したジノプラチナ・プリトスを灰皿に吐き捨てる。
視線を空かさず、シガーケースに走らせるが口腔の薄皮がニコチンで軽く爛れてきたのでシガーケースに手を伸ばす事はしなかった。いつもの愛用品では心をサルベージする事は無理だと悟った。
それから3日程経過した。
大した娯楽に興じることを知らない志保は郊外の山中に居た。
アストラ・カデックス223に射的競技用の22口径ショート弾を装填してコジュケイやウズラなどのヤマドリを射撃練習の標的にしていた。
耳掻き1杯分の炸薬しか封入されていない22口径ショート弾はしばしば、プリンキングなどでも使用する。尚、小型のヤマドリを的にしても滅多に命中しない。足音を殺して空気銃で狙う猟師ではなく、単なる動体目標が欲しいだけなので遠慮無く、木々を揺らして驚いて駆け出す小型野鳥を撃つ。
動体目標の未来位置を予測して弾丸を叩き込む見越し射撃の訓練になる。
本当にそれで獲物を撃ち殺した場合は血抜きの作業をして羽の付け根に紐を通して腰にぶら下げて歩く。勿論の事、夕食の足しにするためだ。
たまにイタチやタヌキを追い掛け回して日頃の運動不足を無理矢理、解消する。
狩猟期間中の山間部で22口径ショート弾をどんな速射で発砲しても誰も拳銃で発砲しているとは思わない。
この辺りではごく有り触れた『狩猟用ライフル銃』の発砲音なのだ。元々、響き渡るほどの大きな銃声ではない。仮に、毎分850発の短機関銃で22口径ショート弾を撒き散らしていても大排気量のチェーンソウを稼動させている程度にしか認識されない。
日が暮れると山を降りて空腹を抱えて自宅に戻る。
羽と臓物と皮を削ぐと食べる部分が少ないコジュケイやウズラに味醂・酒・塩で味付けをしてベランダで七輪の熾火で炙って齧り付く。
脂の少ない鶏の手羽先を食べている食感に似ている。味は調味料が無ければ泥臭くて癖が有る。その癖の有る味はアルコールと一緒に賞味すれば格別な肴に変貌するが、志保は未だ酒の味を知らない。だから、七輪の傍にはコンビニで買って来た白飯が置いてある。
時間が経過したから火を通して食べるしかないが、狩った直後なら血と臓物を抜いて皮を剥げば生で齧り付くことが出来る。こちらの方が動物性たんぱく質やビタミン類を損なわず摂取できるので山野での非常食に適している。寄生虫の問題やビジュアルがグロテスクなので慣れない人間には少々度胸が必要だ。
6匹のヤマドリを飽食した志保はジノプラチナ・プリトスを悠々と灰にしてからアストラ・カデックス223を2時間掛けてクリーニングする。
炸薬が日本でも販売されている22口径ショート弾の物なので、日本国内で流通しているクリーニングリキッドでこと足りる。
メンテナンスキットは射撃競技用ピストルの物を使う。ここに広げたクリーニングリキッドやメンテナンスキットは国内の銃砲店から失敬した物だ。
本日の練習で使った22口径ショート弾も通常使用する22口径ロングライフル弾も、炸薬は基本的にデュポンのものを使用する。CCIの『ミニマキシ』もそれをベースに少量の他社のパウダーを混合して高速燃焼型炸薬に化学変化させたものだ。
つまり、国内で流通している弾薬である限り、国内で流通している手入れ用品で充分カバーできるわけだ。わざわざ、密売人から高価な拳銃用クリーニングキットを買わされることはない。
「……」
銃身・シリンダー周りは元より、撃発機構やトリガーデバイスも入念にクリーニングする。但し、照準がズレてはいけないので銃身をフレームから外す真似だけは絶対にしない。同じく、調節したトリガーフィーリングが狂ってはダメなのでサイドフレームを外す以上の分解はしない。
志保は気付いていないが、銃を手入れするこの一時に安息を感じている。
心地良い緊張感を解すために火を点けるジノプラチナ・プリトスの旨さがそれを証明している。
後片付けを終えて、咥え葉巻のままだらしなく横に寝転がった志保は暫くそのままの格好で居た。やがて急激な眠気を覚えて眠った。
灰皿に葉巻を押し付けたのを覚えている。それが意識の後端。疲労からくる睡魔に完全降伏した。
※ ※ ※
コンクリートが打ちっ放しの廃墟然とした一室。しかし廃墟ではない。
「本条綾音(ほんじょう あやね)。今回は貴女に依頼の遂行を任せます」
20代半ばと思われる女は黒いアンダーリム眼鏡のブリッジを右手の人差し指で正しながら静かに言った。
その女は紺色のワンピースを粋に着こなし、セミロングの出で立ちは腕も立って頭も切れる重役秘書の偏見的プリントイメージそのものだった。コピーファイルでも小脇に携えていれば完璧だろう。