歌え。22口径。

――――何故撃たないの?
 志保も綾音も互いを詮索し合い、必死で行動を把握しようと様々な憶測を巡らせていた。
 志保と綾音が対峙した頃は対極に位置する個性の衝突だった。
 今は違う。互いの接点が近付きつつある。
 二人供、僅か3gほどの金属を銃身から確実に的確に撃ち出して寸分の狂いも無く命中させる事に全身全霊を傾けている。
 くしゃみ一つの隙も逃さないほどに感覚は研ぎ澄まされている。
「……」
「……」
 確かに、二人には隙も無ければ落ち度も無かった。
 膠着した局面を打開しようと二人が取った行動は同じだった。
 二人とも同じ方向に横っ飛びに飛び出して銃を構えた。
 それが決定的な転換期となる。
 グリップの違い。
 図太い複列弾倉で長時間握る事を想定していない硬質ラバー製パネルグリップのベルサM85。
 アダプター付きで握り込み易く、汗を吸収し易い材質で拵えてある木製グリップのアストラ・カデックス223。
 僅かな、違い。
 大きな、ストレス。
 自動拳銃はグリップ部が弾倉収納部を兼ねている場合が殆どなので外部アクセサリーのグリップパネルで掌にフィットするように調節するしかない。
 一方、リボルバーのグリップは形状からして長時間のシューティングマッチに対応できるように様々な工夫が凝らされたグリップが多い。
 結果、サービスグリップにアダプターを付けただけのアストラ・カデックス223でも、元から指を指すようなフィーリングで保持できる志保が有利だ。
 それを踏まえて、綾音の掌からベルサM85のグリップが1cmほど滑り抜けた。
 銃声は重なる。
 ダブルアクションで放たれた32ACP弾は志保の左肩に擦過傷を残した。衝撃が体に広がり次弾撃発に間に合わなかった。
 シングルアクションで弾き出された22口径ロングライフル弾は……。
「綾音!」
 志保と綾音の間をチェーンソウが薙ぐような音と共に土煙が舞い上がった。
 ロフスト杖を左手に、スコーピオンを右手に携えた雪代貴子が肩で息をしながら立っている。
「また新手?」
 志保は先ほどまで自分が隠れていた遮蔽物に再び身を隠し、ズレた眼鏡を正した。
 新手の襲撃者は左足を引き摺りながら志保が身を隠す陰に32口径短機関銃の点射を小刻みに撃ち込んで牽制する。
 否、牽制しているだけだと感じた。
 本気で志保を仕留める気なら背後に回りこんで黙って狙いを定めればいいのに彼女はそれをしなかった。
 新しく現れた女は地面で大の字になって腹部から血を溢れさせている襲撃者の傍まで来ると、ロフスト杖も、弾丸が切れスコーピオン短機関銃も放り出して縋るように抱きついている。
 全く以って今日の襲撃者たちの行動は不可解極まる。
 志保はとうとう、緊張の糸がプッツリと切断されてしまった。
 足腰と肩、腕に酷い疲労と、全身に倦怠感を覚える。
「何が何だか……」
 新手の襲撃者は負傷した襲撃者に必死に声を掛けながら止血の手を休めない。
 得物を捨てて、機動力の補助である杖を捨てて、志保に背中を見せたままだ。
 志保という脅威を認識しないで行動する理解不能な存在。
 逃げるのなら今を置いて他に無い!
 志保はガタつく足腰や悲鳴を挙げる全身に活を叩き込みながら立ち上がることに集中した。
 アストラ・カデックス223の銃身を横に咥えながら両手を突きながら膝から漸く立ち上がる。
 軽い金属の擦過音。
 鋭い金属音。
 寒気を覚えた志保は振り向くよりも早く全身の力を抜いて重力に任せるまま地面に再び倒れ込む。そこにたまたま有った、パレットの山の陰に全身を横転させて潜ませる。
 その途端、スズメバチの羽音が唸る発砲音と共に志保が身を潜めたパレットの山に32口径が出鱈目に叩き込まれる。
「出てきなさい!」
「……」
 正直、疲労と倦怠感で倒れたままの志保は起き上がる気力に乏しい。
 出て来いと言われても、出る気力も反撃する余力も無い。
 今、眠りこけて頭を撃ち抜かれても仕方無い、と諦めの境地にすらある。
 涎が垂れそうな口からアストラ・カデックス223を辛うじて右手に取り、鈍くなった頭脳で消費した弾薬やシリンダーに残っている残弾を思い出して計算した。
 スコーピオンの女は再び投降勧告を呼びかけるが、今の志保では命と引き換えに機動力を得てもこの場から立ち上がるので精一杯だった。
「止めて!」
「綾音……」
「?……」
 綾音という名前らしい、自分が22口径を1発叩き込んだ少女は掠れる声で叫ぶ。
「喋らないで! 綾音!」
「お願い……止めて……」
 志保は寝転がったままの姿勢で二人の会話を聞くことしか出来ない。
 全く、今日の襲撃者はどうかしてる。
――――いい加減にして! 一体何なの?
「ねぇ貴子……お願い……『私の勝負』を……汚さないで……」
「バカッ! 喋っちゃダメ! 血が……」
「私の、お願い……聞いて……くれないの?」
「変なこと言わないで! 私なんか、あなたより若い時に自動小銃で撃たれたけど生きてるんだから! 黙ってジッとしていれば助かるから!」
 二人の会話が不思議なことに子守唄か睡眠の魔法のように聞こえて志保の思考はそれっきりファイドアウトする。
 自分が暗闇の眠りの世界に吸い込まれる感触を全身で感じた。
――――もう、いいや……。

   ※ ※ ※
 目が覚めた。
 全く見覚えの無い天井が視界に飛び込む。
 消毒液の臭いと共に酒の臭いも嗅覚を刺激する。
 耳を澄ませば、いつもの裏路地で展開される猥雑な喧騒が聞こえてくる。
 軽く舌を噛む。痛い。
 視覚、聴覚、嗅覚、触覚は少なくとも無事な様だ。
 左腕に痛みを覚えてギクシャクする頸を回して見てみる。
 左腕に点滴針が刺さっている。自分に注入されている薬品の正体は解らない。
 体にはシーツが被せられているが肌の擦れ具合からして下着姿だろう。
 不意に自分の顔を覗き込む、でっぷり太った中年の男が好色な笑いを浮かべた。
 その男がいつも懇意にしているヤブ医者だと解るのに大した時間は掛からなかった。
 アル中が祟って医師の資格を剥奪された外科医だが、今となっては酒が無い状態の方が危ないとまで言われている。
「安心しろ。ただのビタミン剤だ。まる二日眠ったままなんで犯してやろうかと思った」
「……」
「まだ喋る元気はないか? ま、歩けるようになったら雪代組のお嬢さんに礼を言っとけよ。雪代組の若いモンがお前と、腹に風穴開けた若い奴を運んで来た時は流石に驚いたなあ。何しろ……」
 ヤブ医者の会話の途中から再び睡魔に襲われて意識が途切れる。
   ※ ※ ※
 2ヵ月後。

 午後2時。八分ほどの客が入ったファストフード店にて。
「座ったまま聞いて」
 背後から不意に声がした。
 志保は左脇に滑り込ませた右手を元に戻して背中合わせに座る女の声に耳を澄ませた。
「律儀に実家まで来てくれてお礼を有難う。でも、今から話す事はまた、別の話」
 志保はあの時の……雪代貴子とかいう名前の女の話をジッと聞いた。
 2ヶ月前、自分が何故襲われるに到ったのか。
 自分の今現在の『扱い』。
 ほんの少し長い話だったが、今の自分は誰からも命を狙われていないということに安堵した。
「どう? ウチの【代理店】で働いてみない?」
 渋い顔ばかりの人生だったがこの瞬間は違った。
 今までに無い溌剌とした笑顔でこう答えた。
「断る」
「惜しいなぁ」
 頸の骨が折れんばかりに志保は振り向いた。
 自分が仕留めた少女がそこに居た。
「オイオイオイオイオイオイオイオイ……あんな豆鉄砲1発で私が死んだとでも思ってたのか? ガッチガチに硬いタマを使ってくれていたお陰で、内臓に殆ど傷が付かずに摘出できたよ」
 本当に大した傷ではなかったように、大きな口を開けてハンバーガーに齧り付いた。
「で、どう? 本気でこの話を蹴るの? 貴子が直々にスカウトするなんて滅多に無いことだよ?」
「謹んでご辞退させていただきます」
「参ったねぇ。私は未だリハビリの最中なんだけど」
「知ったこっちゃ無いわよ」
「お互い、銃火を交えた狎れ合いで言ってるんじゃあないんだ。本気であんたのウデに惚れ込んだからお願いしてるんだ」
 まだ物を言い足りない綾音だったがそれを制して貴子は席を立った。
「コソ泥稼業に飽きたらいつでも来なさい。席を空けて待っているわ」
「期待せずに待っていてくれ」
 この日を以って、志保はこの二人を視界に収める日は来なかった。
 彼女たちが姿を消したと聞いたことはない。
 殺されたとも解散したとも聞いていない。
 接触を図る日がとうとう、来なかっただけの話である。



「ねぇ、貴子」
「何?」
「あのコソ泥と美味いご飯、食べたかった」
「フフ……そうね」


《歌え。22口径。・了》
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