歌え。22口径。
「あんたたちの言葉で言うところの小物だよ? 唯のコソ泥だよ?」
その少女は蓮っ葉にジノプラチナ・プリトスを横咥えにして薄ら笑いをする。
視線の先3mほどの距離には右大腿部外側の傷から溢れる血を掌で必死に押さえて罵詈雑言を並べる20代前半の青年。
ある程度の湿度管理が必要なプレミアムシガーに分類されるジノプラチナ・プリトスの芳醇なドミニカの香りを無造作に吐き散らすとポニーテールにシルバーフレーム眼鏡の少女は麻で出来たベージュのサマージャケットの右裾に右手をゆっくり伸ばし、ドロップループタイプのパンケーキホルスターから中途半端に銃身が短いリボルバーを滑らかに抜く。
ドロップループとは銃の引き金がベルトより下に位置するホルスターの大分類だ。
西部劇でお馴染みのウェスタンホルスターや制服勤務の治安関係者が使うスペシャルデューティーホルスターなどもこの分類に入る。具体的に『右腰のホルスターから右手だけで銃を抜く』タイプのホルスターだ。
「……!」
茶髪に無精髭のラフな服装をした青年は、黄色くなった目玉を剥いてアクティブな雰囲気の服装をした少女が握るフラットブラックの凶器に慄いた。
余りに急激に縮み上がったものだから、右太腿の負傷箇所からの流血が一瞬途切れたほどだ。
「お願い。約束して…無駄なタマは使いたくないし余計な殺生はしたくないの」
S&Wのチーフスペシャルほどの小型リボルバー拳銃。
口径も小さく、その向こうやシリンダーサイドに見える弾薬の弾頭も極端に小さい。
少し冷静になればこの拳銃は22ロングライフル弾を使用するリボルバー拳銃で、その辺で良く見かける5連発だの6連発だのといった有り触れたリボルバーでない事が解る。
アストラ・カデックス223。
スペインのウンセタ州に有るアストラ社が1965年に製造販売した多弾数リボルバーだ。
当時はただのサタデーナイトスペシャルだったが、1979年に製造が終了するまでに多数の派生型が登場した。
1993年11月20日に米国でブレディ法が可決すると装弾数10発以下の拳銃の需要が急激に伸び、アストラ社もその尻馬に乗って初期製品を幾つかリバイバルさせて米国に送り込んだ。
勿論の事、1965年当時の製造法ではなく、現代のニーズに迎合した頑丈堅牢な材質と確実精緻なメカニズムで帰ってきた。
飽く迄、護身用の域を出ていない。
精密な狙撃や1発で標的を無力化させる能力は劣るが、反動が軽く撃鉄、引き金周りが軽快なので22口径10連発リボルバーのS&W M617が登場するまで民間に静かに浸透した。
尚、販売コードの「223」とは22口径弾使用で3インチ銃身という意味だ。
「私は『撃てない人間』じゃないの。偶然タマが外れて今あなたは地面で下品な言葉を並べているとでも思っているの? 『眉間に叩き込まれなかった』幸運を喜ぶ余裕も無いの?」
少女の言葉は夜更けの空気に深く染み渡り、青年の耳に鋭く突き刺さった。
青年の背筋に冷たい感触が走り抜ける。
「22口径で人間を1発で楽にさせようと思ったらこの距離では側頭部か延髄を撃ち抜くしかないの。腹に2、3発叩き込んでも致命的なダメージは与え難いわ。精々、病院での生活をエンジョイさせるだけ……さあ。どっちが良い? 苦しんで死にたい? 苦しんでベッドで不自由したい?」
少女の顔に表情は無い。
返答次第では躊躇わず引き金を引く凄味を帯びた言葉だけが青年の心臓を冷たい手で鷲掴みにする。
青年は右太腿の負傷から伝わる鈍い痛みで脂汗を額に浮かせながら「解ったから助けてくれ」とだけ咽喉の奥から搾り出した。
「その言葉が聞きたかった」
少女は3mの距離を一っ飛びで詰めるとその運動エネルギーで青年の側頭部を蹴り飛ばして昏倒させる。
「約束、だものね……」
白目を剥いて脱力した青年のベルトを引き抜くと右太腿の負傷箇所の上肢を緩く縛って青年の携帯電話で救急車を呼ぶ。
ジノプラチナ・プリトスの灰が3cm近く伸びているが湿度管理が行き届いているのか、灰は中々折れずに残っている。
余談だが、保管に湿度管理が必要な葉巻は頻繁に灰を落としてはならないという謎ルールが有るらしい。
伸びた灰がラジエーターの役目を果たして口腔に吸い込む煙を冷やす効果が有ると言う理屈。
彼女の葉巻は職人が一本一本、手で巻き上げるプレミアムシガーと呼ばれている。全工程が機械巻きで湿度管理の必要も無いドライシガーとは対極に有る製品だ。葉巻通の間ではドライシガーなど葉巻では無いと言い切る過激派も割と多い。
「……今日は何とか死体を作らずに済んだ」
少女は銀色のシガーラベルまで灰になったドミニカ葉巻を側溝に捨て、欠伸を噛み殺しながら街灯の光源が及ばない夜陰に消えた。
※ ※ ※
水上志保(みなかみ しほ)。
18歳。職業、無職。住所不定。
窃盗で糊口を凌いでいるが、未検挙で前科が付いていない。
本人曰く「殺人以外は喜んでやる。金を積まれたら渋々殺人もやる」という信条のために彼女を知る界隈では小悪党程度のコソ泥で通っている。
プリトスサイズのドミニカンシガーを嗜好品としており、何度か補導員の世話になっているが今の所、頭の悪い家出少女を装っているために足元を掬われるミスに繋がっていない。
志保の最終学歴は高校中退。
集団行動に馴染めない、協調性に欠ける性格で彼女が社会不適格者としての道を歩き出すのに大した時間は掛からなかった。
金になって奪える対象なら何でも掠め取ってきた。
車輌、貴金属、家電製品、家具……。空き巣紛いの手法で現金をいただくことも日常茶飯事だ。
『奪って金になる』……金を積まれて人間の命を奪った『前科』多数。
アンダーグラウンドの世界では缶ビール1ダースと人間の命を天秤に掛けると人間の尊い命などビールの泡より軽い。
それが彼女が護身用にアストラ・カデックス223を携行する理由。
兎に角、その場さえ切り抜けることができたら拳銃なんて何でも良い。
ただ、自分の掌に合って確実に作動して反動が軽ければ良かった。
全く後先考えずに密売人から弾薬100発付きで5万円で買ったアストラ・カデックス223だったが、使ってみると対人停止力に欠けているが、国内のどこの銃砲店でも弾薬が奪えることに気が付く。
精々6連発だと思っていたシリンダーが9連発で、火力をカバー出来る優位性を発見した。
ここは中東の真ん中に有る市街地では無い。「タマが出て当たるのなら」、22口径9連発で充分だと思った。何しろ腐っても法治国家の日本だ。民間人は非武装が原則なので防弾チョッキを常に着込んでいる人間は少ない。
また、善良な市民は如何な理由でも護身拳銃の所持を禁止されている。ましてや、装填している弾薬は市販されている22口径ロングライフル弾でも一等強力なCCI社の『ミニマキシ』だ。小害獣駆除用に開発されたハイベロシティ・アモで初速は平均的な32ACP弾を遥かに上回る。
その少女は蓮っ葉にジノプラチナ・プリトスを横咥えにして薄ら笑いをする。
視線の先3mほどの距離には右大腿部外側の傷から溢れる血を掌で必死に押さえて罵詈雑言を並べる20代前半の青年。
ある程度の湿度管理が必要なプレミアムシガーに分類されるジノプラチナ・プリトスの芳醇なドミニカの香りを無造作に吐き散らすとポニーテールにシルバーフレーム眼鏡の少女は麻で出来たベージュのサマージャケットの右裾に右手をゆっくり伸ばし、ドロップループタイプのパンケーキホルスターから中途半端に銃身が短いリボルバーを滑らかに抜く。
ドロップループとは銃の引き金がベルトより下に位置するホルスターの大分類だ。
西部劇でお馴染みのウェスタンホルスターや制服勤務の治安関係者が使うスペシャルデューティーホルスターなどもこの分類に入る。具体的に『右腰のホルスターから右手だけで銃を抜く』タイプのホルスターだ。
「……!」
茶髪に無精髭のラフな服装をした青年は、黄色くなった目玉を剥いてアクティブな雰囲気の服装をした少女が握るフラットブラックの凶器に慄いた。
余りに急激に縮み上がったものだから、右太腿の負傷箇所からの流血が一瞬途切れたほどだ。
「お願い。約束して…無駄なタマは使いたくないし余計な殺生はしたくないの」
S&Wのチーフスペシャルほどの小型リボルバー拳銃。
口径も小さく、その向こうやシリンダーサイドに見える弾薬の弾頭も極端に小さい。
少し冷静になればこの拳銃は22ロングライフル弾を使用するリボルバー拳銃で、その辺で良く見かける5連発だの6連発だのといった有り触れたリボルバーでない事が解る。
アストラ・カデックス223。
スペインのウンセタ州に有るアストラ社が1965年に製造販売した多弾数リボルバーだ。
当時はただのサタデーナイトスペシャルだったが、1979年に製造が終了するまでに多数の派生型が登場した。
1993年11月20日に米国でブレディ法が可決すると装弾数10発以下の拳銃の需要が急激に伸び、アストラ社もその尻馬に乗って初期製品を幾つかリバイバルさせて米国に送り込んだ。
勿論の事、1965年当時の製造法ではなく、現代のニーズに迎合した頑丈堅牢な材質と確実精緻なメカニズムで帰ってきた。
飽く迄、護身用の域を出ていない。
精密な狙撃や1発で標的を無力化させる能力は劣るが、反動が軽く撃鉄、引き金周りが軽快なので22口径10連発リボルバーのS&W M617が登場するまで民間に静かに浸透した。
尚、販売コードの「223」とは22口径弾使用で3インチ銃身という意味だ。
「私は『撃てない人間』じゃないの。偶然タマが外れて今あなたは地面で下品な言葉を並べているとでも思っているの? 『眉間に叩き込まれなかった』幸運を喜ぶ余裕も無いの?」
少女の言葉は夜更けの空気に深く染み渡り、青年の耳に鋭く突き刺さった。
青年の背筋に冷たい感触が走り抜ける。
「22口径で人間を1発で楽にさせようと思ったらこの距離では側頭部か延髄を撃ち抜くしかないの。腹に2、3発叩き込んでも致命的なダメージは与え難いわ。精々、病院での生活をエンジョイさせるだけ……さあ。どっちが良い? 苦しんで死にたい? 苦しんでベッドで不自由したい?」
少女の顔に表情は無い。
返答次第では躊躇わず引き金を引く凄味を帯びた言葉だけが青年の心臓を冷たい手で鷲掴みにする。
青年は右太腿の負傷から伝わる鈍い痛みで脂汗を額に浮かせながら「解ったから助けてくれ」とだけ咽喉の奥から搾り出した。
「その言葉が聞きたかった」
少女は3mの距離を一っ飛びで詰めるとその運動エネルギーで青年の側頭部を蹴り飛ばして昏倒させる。
「約束、だものね……」
白目を剥いて脱力した青年のベルトを引き抜くと右太腿の負傷箇所の上肢を緩く縛って青年の携帯電話で救急車を呼ぶ。
ジノプラチナ・プリトスの灰が3cm近く伸びているが湿度管理が行き届いているのか、灰は中々折れずに残っている。
余談だが、保管に湿度管理が必要な葉巻は頻繁に灰を落としてはならないという謎ルールが有るらしい。
伸びた灰がラジエーターの役目を果たして口腔に吸い込む煙を冷やす効果が有ると言う理屈。
彼女の葉巻は職人が一本一本、手で巻き上げるプレミアムシガーと呼ばれている。全工程が機械巻きで湿度管理の必要も無いドライシガーとは対極に有る製品だ。葉巻通の間ではドライシガーなど葉巻では無いと言い切る過激派も割と多い。
「……今日は何とか死体を作らずに済んだ」
少女は銀色のシガーラベルまで灰になったドミニカ葉巻を側溝に捨て、欠伸を噛み殺しながら街灯の光源が及ばない夜陰に消えた。
※ ※ ※
水上志保(みなかみ しほ)。
18歳。職業、無職。住所不定。
窃盗で糊口を凌いでいるが、未検挙で前科が付いていない。
本人曰く「殺人以外は喜んでやる。金を積まれたら渋々殺人もやる」という信条のために彼女を知る界隈では小悪党程度のコソ泥で通っている。
プリトスサイズのドミニカンシガーを嗜好品としており、何度か補導員の世話になっているが今の所、頭の悪い家出少女を装っているために足元を掬われるミスに繋がっていない。
志保の最終学歴は高校中退。
集団行動に馴染めない、協調性に欠ける性格で彼女が社会不適格者としての道を歩き出すのに大した時間は掛からなかった。
金になって奪える対象なら何でも掠め取ってきた。
車輌、貴金属、家電製品、家具……。空き巣紛いの手法で現金をいただくことも日常茶飯事だ。
『奪って金になる』……金を積まれて人間の命を奪った『前科』多数。
アンダーグラウンドの世界では缶ビール1ダースと人間の命を天秤に掛けると人間の尊い命などビールの泡より軽い。
それが彼女が護身用にアストラ・カデックス223を携行する理由。
兎に角、その場さえ切り抜けることができたら拳銃なんて何でも良い。
ただ、自分の掌に合って確実に作動して反動が軽ければ良かった。
全く後先考えずに密売人から弾薬100発付きで5万円で買ったアストラ・カデックス223だったが、使ってみると対人停止力に欠けているが、国内のどこの銃砲店でも弾薬が奪えることに気が付く。
精々6連発だと思っていたシリンダーが9連発で、火力をカバー出来る優位性を発見した。
ここは中東の真ん中に有る市街地では無い。「タマが出て当たるのなら」、22口径9連発で充分だと思った。何しろ腐っても法治国家の日本だ。民間人は非武装が原則なので防弾チョッキを常に着込んでいる人間は少ない。
また、善良な市民は如何な理由でも護身拳銃の所持を禁止されている。ましてや、装填している弾薬は市販されている22口径ロングライフル弾でも一等強力なCCI社の『ミニマキシ』だ。小害獣駆除用に開発されたハイベロシティ・アモで初速は平均的な32ACP弾を遥かに上回る。
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