駆けろ! 狼

 朋絵はこのスネークショットで隣室のガラス戸を叩き破って突入しようと目論んだ。
「……頼むよ」
 ガラス戸を静かに開けて左手だけで保持したコルトダイヤモンドバックを2発、発砲する。普通の38スペシャル弾なので片手でも充分に反動を制御できる。
 ガラス戸一枚に人間が通れるだけの風穴が開く。
 粒弾が万遍無くガラス戸を叩き割った。直ぐに左手を引いて、実包を補弾する。
 持っている弾丸を全部使い切らん勢いで2挺のオートが大きく割れたガラス戸に向けて発砲される。
 勿論の事、そこにはガラスが割られたガラス戸しかないので大量の弾丸は虚しく山荘の外に吐き出されただけで終わった。
――――よし!
 朋絵は聞き逃さなかった。
 連中のオートが揃ってスライドストップが掛かった音を。
 朋絵はバルコニーに這い出るように横っ飛びで飛び出して右手だけで1発撃った。
 直感と動体視力に頼っただけの適当に狙った1発だった。その1発はスライドストップが掛かったノリンコ製のFNハイパワーのコピーを握ったままの男の腹に被弾して体を浅く折りながら尻餅を搗いた。
 大慌てのもう1人は左手に同じく中国製FNハイパワーのコピーを握って朋絵に素早く銃口を向けた。
「あ!」
――――やばっ!
 朋絵は自分に速やかな死が訪れたかもしれないと感じた。
 対峙距離3m。一発必中を心掛ける朋絵に対して13発の弾丸をバラ撒けるオート。
 併し。
 どす。
 男のオートのマグゥエルから弾倉が抜け落ちた。
 ノリンコハイパワーは各セフティ機構も完全にコピーしてあるために弾倉が抜けるとマガジンセフティが掛かって引き金がロックされる。例え薬室に実包が送り込まれて撃鉄が倒れていても引き金はビクとも動かない。
 横っ飛びの惰性でバルコニーの床を滑りながらコルトダイヤモンドバックを両手で構えた朋絵はその幸運に感謝しながら引き金を引いた。
 セミジャケッテッドホローポイント弾頭の38スペシャル+P+弾は男の顎から上を消し飛ばした。背後の壁に前衛芸術的な灰色とピンクと赤の大輪の花が描かれた。
 右手で全ての動作が行えるように設計されている最近の自動拳銃は左手で扱っていると、人差し指の根元の肉が自然と左フレームに有るマガジンキャッチを押してしまい、弾倉が抜け落ちる事があるのだ。
 指と掌が大きい男ほどこの事故は起こりやすい。握り込んだ際のグリッピングが悪いFNハイパワー系コピーでは良く有る。
「痛つつ……」
 擦り傷だらけの左腕を摩りながら立ち上がり、2人の死体が有る室内に踏み込んだ。
「お待ちどうさま」
 朋絵はわざとおどけた口調で猿轡と目隠しをされて椅子に縛られている少女を見た。
 内心、ホッとした。
 この惨状を見ずに済んだのだから。
 ガーバーのナイフで体を束縛するロープを断ち切る。目隠しだけは取らないように厳しく言った。
「お願い。良く聞いて。ここを出るまで目隠しは取っちゃ駄目。ここを出てから私が取ってあげるまで絶対に見ちゃ駄目!」

 山荘が有る地点より500mほど離れた地点で迎えの車と合流して少女を引き渡した。
 途中で山荘突入前に降ろしたデイパックも回収する。疲労が溜まっていた少女に携帯糧食のMREに入っていたチョコレートのエネルギーバーとミネラルウオーターを与えて少女とは違う迎えの車に乗った。
 迎えの車はいずれも大排気量のワンボックスカーだった。
 ミリタリーウオッチは午後2時50分を指していた。
 車中でシガリロを一本灰にしたのは覚えているが、いつの間にか眠っていたらしく、運転席の男に揺さぶられて起こされるまで完全に眠りに落ちていた。
   ※ ※ ※
 いつも通りの朝。
 卵2個と分厚い大判のベーコン5枚を塩胡椒で味付けしたベーコンエッグに仕上げる。
 付け合せには丼鉢のようなボウル一杯分のポテトサラダ。それと、適当に千切ったレタス約半玉分。
 眠い頭に喝を入れながらそれらを胃袋に収める。時々トマトジュースが入ったコップを呷る。仕上げに300gの無糖ヨーグルトをゆっくりと舐めるようにして食べる。
 仕事の予定が無い日は大概、食べて寝ることに専念する。
 食べてからの一服、寝起きの一服。それらも専念の範疇だ。
 普段からストレス過多な仕事場に直面しているために単純で簡単な方法で手軽にストレスを発散したいのだ。
 テレビのどの番組を見てもどこに面白味が有るのか見極める事が出来ない不器用な性分だ。ニュースと天気予報は数少ない例外だが。
 朝食を食べながら昼食の献立を考える器用な頭なのに私生活では華の無い植物のような生活を送っている。
 ニコチンへの逃避と幻想を抱いてるために、美味しくシガリロを吸うために食べている……とも取れる。
 新聞は読む。番組欄は殆ど読まない。
 咥えシガリロで胡座を書いて読む。
 収入も仕事道具の供給も不安定だが、一仕事終われば中流サラリーマンのボーナスくらいの金額が転がり込んでくる。
 取引先が話の分かる組織であれば更に上乗せや新しいルートを開拓してくれる。
 研ぎ澄まされた真剣の上を裸足で綱渡りしている様な生活だ。玄関のインターフォンが鳴って出てみると警察だった、という日がいつか来るかもしれないという恐怖に慄きながら、人畜無害を装って雑踏に紛れる。
 外出するとすれば……。
 オフの日は下駄履き感覚で酷使している中古の軽自動車を駆って市内まで出掛ける程度だ。
 様々な食品専門店を梯子してから取り寄せ注文していたシガリロを引き取りに行くのがメインだ。ファッションには大して気を配っていない。日用雑貨も安ければそれで良いと考えている。家電製品も殆どリサイクルショップで購入する。
 仕事には決して自分の車は使わない。依頼人に車やそれに代わる物を注文して痕跡を出来るだけ薄く消すためだ。
 どんなに食べて寝ようが体重は余り変動しないし血液成分も健康体を示している。別段、体を鍛えるとことはしない。実戦の中で鍛え上げられた一片の贅肉の無い体。腰は引き締まってくれて有り難いのだが、どんなに乱暴に扱っても胸と尻は未だに成長する一方だし、袖の短いシャツを着れば、引き締まった腕が要らぬ注目を集めてしまう。

 他人が見る彼女の日常に、人間らしい私生活を満喫している姿は見え難い。

 近隣の山間部が狩猟期間に入ると、待っていたとばかりに山野に分け入ってはウッドチップの38スペシャル弾を撃つ。
 腕が鈍らないためのトレーニングが存分にできるからだ。
 狩猟期間だと拳銃の発砲音も拳銃の素人からすれば猟銃なのか否か判別し難い。
 調子に乗って強力で高価な38スペシャル+P+弾を撃ちまくっていたのではライフリングが直ぐに磨耗して銃身を交換しなくてはいけなくなる。そこで威力と反動が通常より低い、炸薬が少ない38スペシャル弾で、弾頭が近距離着弾観測用の木製弾頭を使う。
 弱装のウッドチップ弾は仕事でも偶に使う。人間に対して発砲してもゴム製スタン弾と似た効果をもたらすからだ。殺傷したくない時などに弾薬クリップから外して臨機応変に装填する。

 派手な生活では長生きしないことを知っているのだ。
   ※ ※ ※
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