駆けろ! 狼

 1時間以上かけてじっくりと周辺から2階建ての山荘を観察した。
 人影が複数確認できる。シルエットを記憶して人数を計算したが5人ほどしか居ないようだ。
 依頼主からこの山荘の見取り図をネット経由で貰っている。
 既に頭に叩き込んだ後だ。救出に成功すれば携帯で連絡して迎えと合流する地点で落ち合う。
 失敗して朋絵の命が有った場合は後日、報酬の前金を全額返金して終わり。
 仕事の流れ自体は決して難しいものではない。シンプル過ぎて『落とし穴』を勘繰ってしまう程だ。取引の流れは殆どの場合、要相談や委細面談なので決まった商談の流れはない。
 救出対象が12歳というのが少し引っ掛かった。
 自分も暴力に目覚めたのが12歳だった。
 多感な年頃に命の遣り取りを見せ付けても良いものかどうか悩んだ。自分で自分を軽蔑しているわけではないが、自分のような人間がまた増えるかもしれないという戸惑いが少しばかり心の端に引っかかる。
――――それでも仕事だから。
 朋絵は何とか自分を説得して、担いでいたデイパックを足元に降ろした。
「む……」
 腹の虫が鳴き始めた。自分の低血糖ぶりに呆れ返ったが、大人しく非常食扱いのブロック型固形栄養食を齧った。胃袋に未消化物が残っていると腹を撃たれた場合、助からない確率が高いので、満腹を感じない程度の少量を胃袋に流し込んで腹の虫を誤魔化す。
 山荘周辺を観察した時に見つけておいた突入地点まで移動する。
 後ろ腰にはコルトダイヤモンドバックを差したホルスターとスピードローダーが収まった弾薬ポーチ。
 その他に武器らしい物はガーバーの5インチ折り畳みナイフぐらいだったが、戦闘には不向きだ。敵を目前にして板バネが大きな音を立てる折り畳みナイフでは隙が大き過ぎる。それに元々、このナイフは小獣を解体するためにデザインされている。できる事なら人間の脂で汚したくなかった。作業用のナイフであり、戦闘用のナイフではない。
 嗜む程度に格闘術は会得しているつもりだったが銃火器相手に素手で挑むのは基本的に避けたい。
 銃が有るのなら銃を使えば良い。
 斬った張ったの世界でスポーツマンシップを掲げる方が馬鹿なのだ。
 相手は最低5人。
 希望的観測なら引き金を5回引けば事は済む。……楽観は命取りだ。
 こちらの優位な点は、連中は今、救出のための襲撃者が近くに潜んでいる事を知らないという一点に有る。……内通者が居なければの話だが。
 ここに到っても尚、サイレンサーが使えるオートが使えたらなどと、これっぽっちも考えが及ばない朋絵はやはり、芯からのリボルバーフリークだ。
 目星を付けた突入地点は山荘の裏手だった。
 勝手口は外側からチェーンで固定されている。その横の縁側ほどの拵えをしたバルコニーデッキからは出入り口を兼ねたガラス戸が派手に割られている。カーテンを閉めていたが風が吹き込んで内部が少しだけ見える。大型のキッチンに通じているのか、台所の構えが窺える。
 そこには人の気配や影は見当たらず、山荘周辺にも警備のための立哨も見当たらなかった。
 鬱葱と茂った雑草に囲まれているのを幸いにコルトダイヤモンドバックを抜いて両手でホールドしたまま、腰を低く落として山荘に近付く。
 撃鉄は倒さない。誤射を防ぐためと暴発を防ぐためだった。
 できるものなら音も無く救出したいがそれは無理な相談だろう。
 窓から見えた影は長物を携えていたからだ。
 自動小銃の類では無かった。シルエットから察するにリコイルオート式の散弾銃と思われる。
 建物内部で篭城するには向いているかもしれないが、建物内部で銃撃戦を展開するには些か不向きな長物の散弾銃だが……はてさて、腕前のほどは?
 前提として、全員が銃で武装していると考えた方が自然だ。
「……」
 静かに足元の雑草を踏み殺しながらバルコニーデッキまで近付いて難無く山荘内部に一歩踏み込んだ。
 確かに話し声が聞こえる。下種な笑い声が呑気に聞こえてくる。朋絵の侵入を全く感知していない様子だった。
 どの部屋に救出対象が監禁されていてどれだけのはっきりとした戦力がどこに配置されているのかは相変わらず不明だった。
 窓から窺えた『5人』という数も正しい数ではない。飽く迄目測だ。
 そっと、弾薬ポーチからスピードローダーを1個取り出して左手の小指と薬指の間に挟む。
 装弾数が極端に少ないリボルバーを用いたコンバットシューティングでは再装填の時間をどれだけ短縮できるかが命題だ。室内でのCQBなら尚のことだ。
 本格的なレクチャーを受けたことは無いが多くの実戦からそれを身を以って体験している。
「……」
 足音を殺して泥と土で汚れた絨毯の上をしっかり踏みながら歩く。
 話し声の音源は1ヶ所。最低3人分の声が聞こえる。
 心臓が迫り出しそうな程、五月蝿く鼓動を打つ。冷や汗が背中を伝い、不快な感触を直接脳髄に伝える。
 こちらの緊張とは関係無しの連中の呑気な話し声。その声に殺意を覚える。出会い頭に全員撃ち殺してやりたいような八つ当たり。
 無性にシガリロを要求する体。唇と喉が渇く。
――――楽な仕事なんて無い!
 今更、そんな考えが脳裏を掠める。
――――帰ったらスライスサラミを載せたクラッカーを食べて、塩胡椒で炒めたウインナーと新キャベツに塩レモン酢をかけて食べて、冷やしトマトに塩をかけて齧り付いて、秘蔵の白ワインも開けよう!
 現実逃避的な思考が止め処も無く溢れてくる。
 逃避行動も連中の話し声が大きくなるに連れて薄れていく。
 唇がへの字に結ばれたまま強張って唾を飲み込む。
 不意に。
 通過しようとした左手側のドアが開いた。
 体は脊髄反射で反応した。
 その影が自分より身長が高いと視界の端が捉えた瞬間、銃口と指先が連動してコルトダイヤモンドバックは火を吹いた。
 彼我の距離は70cmほど。その射程で357マグナムに匹敵するインパクトを誇る38スペシャル+P+弾は放たれた。
 男の驚愕に見開いた口と目。
 見えない金槌で殴られたかのように後方に吹っ飛んで仰向けに倒れる。
 胸に擂鉢状の銃痕が穿かれ、溢れる勢いで男の黄色いトレーナーはドス黒い赤で染まっていく。硝煙とは違った焦げる匂いがするが、それはコルトダイヤモンドバックの銃口から伸びた火閃が男のトレーナーを焼いた匂いだ。
 それを先途とばかりに思い切って部屋に突入し、間髪入れず床に伏せてプローン体勢のまま銃口を左右に振る。
「ひっ!」
 室内に居た1人の男が慌ててテーブルの上に置いていた自動拳銃に手を伸ばす! それよりも早く朋絵のコルトが反応した。
 ダブルアクションがスムーズに作動し標準モデルより遥かに軽い引き金が撃鉄を弾いた。
 セミジャケッテッドホローポイント弾は驚いたままの顔をした男の胸骨を粉砕して心臓にショック死を誘発させる衝撃を与えた。男は背後のソファに強制的に座らされるように叩きつけられながら絶命した。
「……」
 室内に他の脅威が存在していない事を確認すると、立ち上がって左手の指に挟んでいたスピードローダーを咥えて、ポケットのゴム製弾薬クリップを取り出した。
 素早くスイングアウトして銃口を下に向けたままエジェクションロッドを半分ほど押す。今し方発砲した分だけの空薬莢を抜いてポケットに落とすと、弾薬クリップのバラ弾を2発、補弾した。
「!」
 怒声と罵声と足音が聞こえる。声の種類と足音から推測するに3人だ。
 室内から廊下を窺う。
 長物の先端が見えた途端、朋絵は床に伏せて連中が姿を現す瞬間を待った。
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