駆けろ! 狼
片手の咄嗟の発砲だった。
銃口は大きく跳ね上がって完全に制御できない! しかし、シングルアクション状態で待機していたコルトダイヤモンドバックの引き金は非常に軽く、素直に撃鉄が作動した。男は押し倒されるように吹っ飛んで尻餅を搗く。
噴火を思わせるオレンジ色の火閃が大きく伸びて男の衣服を焦がした。その燻る小さな火種も溢れる血によって鎮火する。
22口径のロームGが朋絵の左掌に残る。
典型的なサタデーナイトスペシャルだ。ロームGのシリンダーから6発の22ロングライフル弾を抜き取るとバラバラの方向に捨てる。
――――残り4人!
片手での発砲に少し関節が軋んだ右手首を軽く振って関節を鳴らす。再び両手でコルトダイヤモンドバックを構えて進軍。小走りに移動しながら発砲した分だけ補弾した。
「……」
――――二手に分かれてる?
階段を見つけたが、上層と下層に階段が伸びている。どうせ移動するのなら一団で逃げるはずだが、判断に困った。
上層に逃げてもドアは全て錆びと歪みで塞がっている。
下層に逃げてもその下は海だ。
――――自分なら……。
暫しの逡巡の後、階段を駆け上がっていく。
人間の心理として、どうせなら『それまで使われていた』ドアに一縷の望みを託す。
標的を下層に潜伏させておいて自分達が囮になって朋絵を引き付けるという高等な戦術が即席のチームで執れるほど、訓練されているようには思えない。
階段を駆け上がり、上層に近付いた時だ。角から拳銃を握った片手が伸びて盲撃ちを始めた。軽い発砲音。ワルサーPPKだった。
「くっ」
跳弾が頬を掠る。数分もすれば摩擦でミミズ腫れができるだろう。ワルサーPPKのスライドがストップし、薬室と弾倉内に弾薬が一切残っていないことを報せた。その瞬間を逃がさず、朋絵は渾身の一発を放った。
ワルサーPPKとそれを握る右手首がシルバーチップホローポイント弾によって射貫かれる。
掌側の手首の付け根に酷い銃創を負った男は踏みつぶされたイタチの様な悲鳴を挙げてその場に倒れ込んで助命を懇願した。
「五月蝿い」
階段を駆け上がった朋絵は命乞いをする男の脳天に弾丸を叩き込み、洟を垂らして喚く男の安っぽい人生に終止符を打った。
――――「上」は正解だった!
脳天を破壊されて首が不自然な方向に折れている男の屍骸を乗り越えて複数の足音が聞こえる方向を探った。
感度を高めるためにこの時だけ耳栓を外す。
「残り……3人」
乗り越えた屍骸を背に呟く。
「!」
重量感の有る金属音が聞こえた。その方向に一目散に走る。
――――拙い!
――――ドアが!
塞がって開かないと信じ込んでいたドアが金属の鈍い軋みを立てて開こうとする音が聞こえる。
ドアの場所は大体分かる。上層のこのフロアにはそこにしかドアは無い。
コルトダイヤモンドバックを両手で構えることも忘れて、風を切って走る。
「女ァッ!」
勇敢にもアストラコンスターブルを構えた男が角から飛び出してくる。
走りながら朋絵の正面で銃を両手で構え持ち上げる。彼の覚悟虚しく、朋絵の片手で無造作に引き金が引かれたコルトダイヤモンドバックの方が早かった。
胸骨を叩き割られた男は倒れながら引き金を引き絞った。下向きな銃口から放たれた9mmショート弾が床に跳ね返る。口と銃創から蛇口を捻ったように鮮血を流しながら男は一瞬で絶命していた。
「ヘイ! 待ちな! そこの2人!」
朋絵は急ブレーキを掛けて、約4mの距離を隔てて二人の男と対峙した。男の背後には15cm程開いた錆びが酷いドア。
32口径モデルで小型のM1911を髣髴とさせるデザインをしたエルマEP457を腹のベルトに差して必死でドアに格闘を挑んでいるのが標的の男だ。
その男の隣ではベレッタM92FSのカットダウンモデルをコピーした、9mmショート弾を装填するタウルスPT58を両手で構えた男が居る。
「ああああああああっ! ウゼェっ!」
「じゃかましいやっ!」
朋絵とタウルスの男の声が重なった。
2挺の拳銃は同時に吼えた。
「……」
「……」
朋絵の前髪の下から鮮やかな赤が垂れて滴る。
左顔面が真っ赤に染まるまでほんの数秒だった。
片方の視界が赤く染まる。
顎先から血の雫が伝って床に落ちる。
標的の男は黙ったままだった。
解放するのに歪みと錆びで困難だったドアが、38スペシャル+P+弾の悪魔的停止力によって派手に吹っ飛ばされた男がドアにブチ当たり、衝撃で一気に解放された。
潮風が吹き込んでくる。
朋絵の目に定まった焦点は無い。
唇を震わせながら両手でコルトダイヤモンドバックを構えようとするが叶わず、糸が切れた人形のように膝から崩れ落ちる。
標的の男はドアに凭れ掛かった屍骸に目を丸くしながら、おっかなびっくりな形相で酷い傷で死亡したタウルスの男を跨いだ。
標的の男はへっぴり腰で手摺にしがみ付きながら開いたドアから逃げ出した。
途中でエルマEP457を落としたのにも気付かず……。
理性の範疇を超えた恐ろしい事象に出会ったような顔付きで標的の男はステップを危ない足取りで降りて繋留所の波止場まで逃げた。
だが、そこまでだった。
銃声一発。
男は後頭部からの被弾で額の射出孔から脳漿の破片を地面に撒き散らして3歩、惰性で歩いて膝から崩れた。
約60m。
脳震盪でふらつく頭を気力だけで持ち上げた朋絵は床に伏せた……プローンの体勢で船のドア付近で寝転がったままコルトダイヤモンドバックを両手で保持していた。銃口から昇る硝煙は潮風が横に薙ぐ。
「待ちな……つったろ」
脂っこい血で汚れた片目を閉じる。
次いで、もう片方の目も閉じる。
依頼を遂行した達成感を感じた途端、掌からコルトダイヤモンドバックが手元に滑り落ちた。
遠くなのか近くなのか、何台もの車が殺到し、急ブレーキを掛ける音が聞こえたが、もう、そんなことはどうでも良かった。
願わくばシガリロを1本、吸いたかった。
「……はっ!」
消毒用アルコールの匂いのキツさで目が覚めた。
明らかに病院の個室だった。
「よう」
動きの鈍い首を回して声がした方向を見た。
どこかで見た顔だと思ったらいつぞやかの仕事で、山荘で拉致されていた少女を救出した際に迎えに来てくれた運転手だ。
その顔を思い出すのに3分かかった。
「脳に異常は無ぇそうだ。傷も浅い。5針縫っただけだ。医者を呼んでやる。じっとしてな」
男のぶっきらぼうな言葉の内容は理解出来たが、自分がここに収容されている理由が解らない。
「……お嬢さんに感謝しな」
男の言葉の意味が解らない。
またも直ぐに意識が落ちる。
※ ※ ※
自宅にて。
今日も、もしゃもしゃとレタスとスパムを咀嚼しながらノートPCと睨めっこ。
頭の包帯が痛々しい。
病院から退院して5日経過。もう直ぐ糸を抜く。
「……ふふ」
朋絵は不意に思い出し笑い。
強大な力とのコネを渇望していたのにあの時、救出した少女がどうしても朋絵に『お返し』をしたいと駄々を捏ねて、いうことを聞かなかったそうだ。
「あのお姉ちゃんが危なくなったら助けて!」
このたった一言に親馬鹿の会長は朋絵を影ながらにガードを命じた。
その結果、警察に確保される前に救出されて組織の息が掛かった総合病院で治療された。
小さくとも大きな、大きなコネに助けられた。
朋絵は口の中で咀嚼した物をミネラルウオーターで嚥下すると仕事の依頼が入っていないメール欄を見て大きく伸びをした。
――――決めた!
――――今日はオフだ!
ノートPCを閉じて心ゆくまでコルトダイヤモンドバックをクリーニングする。
今日の昼食の献立を考えながら。
昼食の後の心地良い一服を想像しながら。
何も無い日の昼下がりに飲むコーヒーを楽しみにしながら。
そして。
鋭気を養い、次の依頼に備える。
本当に何でもない、唯の暗黒社会に住む娘の話。
少しだけ心が優しかっただけで命を拾った、よくできた話を体験できた娘の話。
「うん。今日はパスタにしよう」
クリーニングが終わったコルトダイヤモンドバックをクローゼットの底板の隙間に押し込んで、朋絵はいつものシガリロの紙箱を開けて馴染みの一本を取り出した。
《駆けろ! 狼・完》
銃口は大きく跳ね上がって完全に制御できない! しかし、シングルアクション状態で待機していたコルトダイヤモンドバックの引き金は非常に軽く、素直に撃鉄が作動した。男は押し倒されるように吹っ飛んで尻餅を搗く。
噴火を思わせるオレンジ色の火閃が大きく伸びて男の衣服を焦がした。その燻る小さな火種も溢れる血によって鎮火する。
22口径のロームGが朋絵の左掌に残る。
典型的なサタデーナイトスペシャルだ。ロームGのシリンダーから6発の22ロングライフル弾を抜き取るとバラバラの方向に捨てる。
――――残り4人!
片手での発砲に少し関節が軋んだ右手首を軽く振って関節を鳴らす。再び両手でコルトダイヤモンドバックを構えて進軍。小走りに移動しながら発砲した分だけ補弾した。
「……」
――――二手に分かれてる?
階段を見つけたが、上層と下層に階段が伸びている。どうせ移動するのなら一団で逃げるはずだが、判断に困った。
上層に逃げてもドアは全て錆びと歪みで塞がっている。
下層に逃げてもその下は海だ。
――――自分なら……。
暫しの逡巡の後、階段を駆け上がっていく。
人間の心理として、どうせなら『それまで使われていた』ドアに一縷の望みを託す。
標的を下層に潜伏させておいて自分達が囮になって朋絵を引き付けるという高等な戦術が即席のチームで執れるほど、訓練されているようには思えない。
階段を駆け上がり、上層に近付いた時だ。角から拳銃を握った片手が伸びて盲撃ちを始めた。軽い発砲音。ワルサーPPKだった。
「くっ」
跳弾が頬を掠る。数分もすれば摩擦でミミズ腫れができるだろう。ワルサーPPKのスライドがストップし、薬室と弾倉内に弾薬が一切残っていないことを報せた。その瞬間を逃がさず、朋絵は渾身の一発を放った。
ワルサーPPKとそれを握る右手首がシルバーチップホローポイント弾によって射貫かれる。
掌側の手首の付け根に酷い銃創を負った男は踏みつぶされたイタチの様な悲鳴を挙げてその場に倒れ込んで助命を懇願した。
「五月蝿い」
階段を駆け上がった朋絵は命乞いをする男の脳天に弾丸を叩き込み、洟を垂らして喚く男の安っぽい人生に終止符を打った。
――――「上」は正解だった!
脳天を破壊されて首が不自然な方向に折れている男の屍骸を乗り越えて複数の足音が聞こえる方向を探った。
感度を高めるためにこの時だけ耳栓を外す。
「残り……3人」
乗り越えた屍骸を背に呟く。
「!」
重量感の有る金属音が聞こえた。その方向に一目散に走る。
――――拙い!
――――ドアが!
塞がって開かないと信じ込んでいたドアが金属の鈍い軋みを立てて開こうとする音が聞こえる。
ドアの場所は大体分かる。上層のこのフロアにはそこにしかドアは無い。
コルトダイヤモンドバックを両手で構えることも忘れて、風を切って走る。
「女ァッ!」
勇敢にもアストラコンスターブルを構えた男が角から飛び出してくる。
走りながら朋絵の正面で銃を両手で構え持ち上げる。彼の覚悟虚しく、朋絵の片手で無造作に引き金が引かれたコルトダイヤモンドバックの方が早かった。
胸骨を叩き割られた男は倒れながら引き金を引き絞った。下向きな銃口から放たれた9mmショート弾が床に跳ね返る。口と銃創から蛇口を捻ったように鮮血を流しながら男は一瞬で絶命していた。
「ヘイ! 待ちな! そこの2人!」
朋絵は急ブレーキを掛けて、約4mの距離を隔てて二人の男と対峙した。男の背後には15cm程開いた錆びが酷いドア。
32口径モデルで小型のM1911を髣髴とさせるデザインをしたエルマEP457を腹のベルトに差して必死でドアに格闘を挑んでいるのが標的の男だ。
その男の隣ではベレッタM92FSのカットダウンモデルをコピーした、9mmショート弾を装填するタウルスPT58を両手で構えた男が居る。
「ああああああああっ! ウゼェっ!」
「じゃかましいやっ!」
朋絵とタウルスの男の声が重なった。
2挺の拳銃は同時に吼えた。
「……」
「……」
朋絵の前髪の下から鮮やかな赤が垂れて滴る。
左顔面が真っ赤に染まるまでほんの数秒だった。
片方の視界が赤く染まる。
顎先から血の雫が伝って床に落ちる。
標的の男は黙ったままだった。
解放するのに歪みと錆びで困難だったドアが、38スペシャル+P+弾の悪魔的停止力によって派手に吹っ飛ばされた男がドアにブチ当たり、衝撃で一気に解放された。
潮風が吹き込んでくる。
朋絵の目に定まった焦点は無い。
唇を震わせながら両手でコルトダイヤモンドバックを構えようとするが叶わず、糸が切れた人形のように膝から崩れ落ちる。
標的の男はドアに凭れ掛かった屍骸に目を丸くしながら、おっかなびっくりな形相で酷い傷で死亡したタウルスの男を跨いだ。
標的の男はへっぴり腰で手摺にしがみ付きながら開いたドアから逃げ出した。
途中でエルマEP457を落としたのにも気付かず……。
理性の範疇を超えた恐ろしい事象に出会ったような顔付きで標的の男はステップを危ない足取りで降りて繋留所の波止場まで逃げた。
だが、そこまでだった。
銃声一発。
男は後頭部からの被弾で額の射出孔から脳漿の破片を地面に撒き散らして3歩、惰性で歩いて膝から崩れた。
約60m。
脳震盪でふらつく頭を気力だけで持ち上げた朋絵は床に伏せた……プローンの体勢で船のドア付近で寝転がったままコルトダイヤモンドバックを両手で保持していた。銃口から昇る硝煙は潮風が横に薙ぐ。
「待ちな……つったろ」
脂っこい血で汚れた片目を閉じる。
次いで、もう片方の目も閉じる。
依頼を遂行した達成感を感じた途端、掌からコルトダイヤモンドバックが手元に滑り落ちた。
遠くなのか近くなのか、何台もの車が殺到し、急ブレーキを掛ける音が聞こえたが、もう、そんなことはどうでも良かった。
願わくばシガリロを1本、吸いたかった。
「……はっ!」
消毒用アルコールの匂いのキツさで目が覚めた。
明らかに病院の個室だった。
「よう」
動きの鈍い首を回して声がした方向を見た。
どこかで見た顔だと思ったらいつぞやかの仕事で、山荘で拉致されていた少女を救出した際に迎えに来てくれた運転手だ。
その顔を思い出すのに3分かかった。
「脳に異常は無ぇそうだ。傷も浅い。5針縫っただけだ。医者を呼んでやる。じっとしてな」
男のぶっきらぼうな言葉の内容は理解出来たが、自分がここに収容されている理由が解らない。
「……お嬢さんに感謝しな」
男の言葉の意味が解らない。
またも直ぐに意識が落ちる。
※ ※ ※
自宅にて。
今日も、もしゃもしゃとレタスとスパムを咀嚼しながらノートPCと睨めっこ。
頭の包帯が痛々しい。
病院から退院して5日経過。もう直ぐ糸を抜く。
「……ふふ」
朋絵は不意に思い出し笑い。
強大な力とのコネを渇望していたのにあの時、救出した少女がどうしても朋絵に『お返し』をしたいと駄々を捏ねて、いうことを聞かなかったそうだ。
「あのお姉ちゃんが危なくなったら助けて!」
このたった一言に親馬鹿の会長は朋絵を影ながらにガードを命じた。
その結果、警察に確保される前に救出されて組織の息が掛かった総合病院で治療された。
小さくとも大きな、大きなコネに助けられた。
朋絵は口の中で咀嚼した物をミネラルウオーターで嚥下すると仕事の依頼が入っていないメール欄を見て大きく伸びをした。
――――決めた!
――――今日はオフだ!
ノートPCを閉じて心ゆくまでコルトダイヤモンドバックをクリーニングする。
今日の昼食の献立を考えながら。
昼食の後の心地良い一服を想像しながら。
何も無い日の昼下がりに飲むコーヒーを楽しみにしながら。
そして。
鋭気を養い、次の依頼に備える。
本当に何でもない、唯の暗黒社会に住む娘の話。
少しだけ心が優しかっただけで命を拾った、よくできた話を体験できた娘の話。
「うん。今日はパスタにしよう」
クリーニングが終わったコルトダイヤモンドバックをクローゼットの底板の隙間に押し込んで、朋絵はいつものシガリロの紙箱を開けて馴染みの一本を取り出した。
《駆けろ! 狼・完》
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