駆けろ! 狼
いつも愛飲しているモンテクリストクラブのシガリロの先端を使い捨てライターで軽く炙りながら口腔に思いっきり吸い込む。瞬く間に口中にキューバンシガリロの芳醇な煙が充満する。
軽く口の中で濃厚な紫煙を転がして、ゆっくり細く吐く。
続いて、溜息に似た深い吐息が続く。
深夜の港湾にて砂利運搬のランチから運び出される非合法商品の数々を眺めているだけの人物は左腕の簡素なミリタリーウオッチに視線を落とした。
蛍光塗料で淡い輝きを発している時針は午前2時を経過した事を告げていた。
落ち着かない様子でまた、シガリロを一服。ドロリとした重量感の有る紫煙が海風に流されて夜更けの中空に消えていく。
この界隈を仕切る現地暴力団員と覆面をして作業着を着たガタイの良い男たちが忙しなく荷物の引渡し作業を行っている。
合計で40人ほどの人間が入り乱れて一抱えも有る木箱や30kgくらいだと思われる麻袋をランチから降ろしている。
勿論、これは堅気な人間は関わってはいけない類の仕事だ。
先程から、作業の邪魔だと言われて離れた位置から辺りの警戒を任されている人物は面倒臭そうに短くなったシガリロを足元に落として爪先で踏み躙った。
――――早くしてくれよ!
心で何度叫んだか分からない。
その人物……ストレートマッシュウルフのショートカットをした20代前半の場違いな女は貸し与えられた中国製トカレフを腹のベルトに差し込んだまま時折、後頭部を掻き毟った。
中国製トカレフこと民生向54式手槍はお馴染みの30口径トカレフ弾を使用するモデルではない。
ヨーロッパ市場向けに銃身周辺が再設計された9mmパラベラム弾仕様で装弾数は8+1発だ。トカレフ弾の薬莢の最大直径と9mmパラベラムの薬莢の直径はほぼ同寸なので改良が容易なのだ。欧米のシューティングコレクターには人気が有る。
極東やアフリカ、中東では一般的な30口径トカレフ弾でも先進国の欧米諸国では需要はそれほど無い。逆に昔ながらの9mmパラベラム弾を使用するモデルが求められている。
外貨獲得の一環として安全装置が追加された民生向けトカレフのバリエーションを増やしたが成果は芳しくない。案の定、在庫を処分する市場として日本にもかなりの数の9mm仕様のトカレフが密輸されている。
「……」
彼女は小さく整った唇を凹ませて憎たらしげに腹のベルトに挟まっている黒星ことトカレフを睨んだ。
裾の長いネル生地で拵えられた灰色のガヤベラシャツをボタンも止めずに着崩し、薄破れしたジーンズを穿いている彼女の名は時島朋絵(ときしま ともえ)。
ショートカットの髪型に活動的なファッションを好む事からよく男と勘違いされるが閉店間際のワゴンセールで売っていそうなTシャツの下で存在を誇示している豊かなバストは明らかに『その者は女である』と、証明していた。
ズボンのベルトは素晴らしいウエストの縊れを露骨に表現するかの様に引き締められ、ローライズ気味なジーンズパンツに守られた臀は肉欲で煽情的な色香を漂わせるほどに実っていた。それも今はガヤベラシャツの長い裾に隠れているので、後ろからでは股間の僅かな隙間が偶に見える程度だった。
美人と言うより魅力的……彼女、朋絵の風貌を語るにはそれが一番適していた。
モデル体型の長身ではあったが、童顔の少年的容貌から街中では女性に振り向かれる事の方が多かった。
彼女は待っていたのだ。
自分がオーダーした商品が今夜届くと言うので来てみた訳だが、その商品というのは合法的でないために密輸業者を仲介して運ばれてくるので便乗させて貰っている暴力団の傘下の密輸業者に混じっている。
銃火器犯罪が安物Vシネマ並に氾濫してきた現在でも矢張り司法警察は厄介だ。
朋絵が待っているのは愛用の拳銃の弾薬と高級なハンドガン用クリーニングリキッドだ。銃砲店に押し込めばクリーニングリキッドは手に入るだろうが、日本で販売されている製品は長物や射的ピストルをターゲットにした専用液しか置いていない。完全にクリーニングするには役不足だ。
それに、弾薬も同じく銃砲店に行けば、それを置いている店も有るが、朋絵が海外に『発注』したのは専門のリローダーが1発ずつ手詰め装薬したワイルドキャットカートリッジだ。日本円にして1発400円近い値段がする。そこへ密輸業者が割り込んでくるために値段は倍近くに跳ね上がる。
特殊なコネを持ってない朋絵には財布が痛い。
だから、力の有る暴力団の尻馬に乗らなければ望む品が手に入らない。今夜のルートを確保するためにも危ない橋を渡った。
様々な情報屋を渡り歩き、標的である暴力団の大幹部の人に言えない性癖を掴んでそれを脅しの種に使ったのだ。
それは命懸けの行動だった。一歩どころか半歩間違えただけで即、今世とサラバする羽目になる。
それでも何とか、脅しの種は効いたらしく、朋絵にリークしてくれた「全ての情報源」を売り渡す契約と引き換えに密輸ルートの確保に成功した。
商売柄、拳銃は手放せないので弾薬の確実な供給ルートの確保は命題だった。
朋絵の商売。それは暴力のレンタルリースだ。
主に恐喝、私刑、殺人、奪還を請け負っている。
恐喝、私刑、殺人は解るとして奪還とは?
何も怪盗じみた窃盗劇や慣れた強盗の真似をするのではない。
ズバリ、人間や金品の奪い返しだ。
暴力の世界では強請り集りの手段としてしばしば人質や金品を取られて足元を掬おうとする場合が有る。
力の有る暴力団や財力が豊かな後ろめたい人種ほど、警察に駆け込むことができないので、金の力で繋がりの薄い第三者を雇って速やかに人質や金品を奪還する方法を取る事が有る。
その場合も警察のように犯人まで法の下で裁く必要が無いので必要なら暴力を用いる。
場所を特定するために関係者を拷問することもあるだろう。敵戦力との応戦や排撃もよく有ることだ。
鮮やかに暴力を撒き散らす荒事全般が仕事の範疇だ。
そんな経緯と思惑から、自分が仕方無しに便乗している暴力団組織の高級幹部がどこかの対立組織に拉致されて自分に依頼が舞い込んでこないかと密かに期待している。そうすれば一層強力なコネを得ることができる。
残念ながら最近は、力の有る暴力団からは大きな仕事は回ってきていない。
「参った……」
朋絵は自分が女で門外の人間だから自分の荷物の運搬が後回しになっている事を理解していた。いつもの事とはいえ不快極まりない。早く後ろ腰のホルスターに仕舞った拳銃に充分な弾薬を与えてやりたい。底を尽きかけのクリーニングリキッドも補充したい。
弾薬が充分ならこんな安物のコピー品など借りる必要が無いのに。
トカレフも悪くは無い。気に入らないのは、どこの誰がどれだけの期間扱ってどれだけの癖が付いた品か解らない物に命を預ける気はしない点だった。
せめて、このトカレフを3日前から貸してくれて充分な弾薬を割り当ててくれていたのなら自分で癖を掴んでサイティングし直したものを。
今夜ここに来るなり、「コレを貸してやるから向こうで見張りをしていろ」とは全く以ってふざけている。
軽く口の中で濃厚な紫煙を転がして、ゆっくり細く吐く。
続いて、溜息に似た深い吐息が続く。
深夜の港湾にて砂利運搬のランチから運び出される非合法商品の数々を眺めているだけの人物は左腕の簡素なミリタリーウオッチに視線を落とした。
蛍光塗料で淡い輝きを発している時針は午前2時を経過した事を告げていた。
落ち着かない様子でまた、シガリロを一服。ドロリとした重量感の有る紫煙が海風に流されて夜更けの中空に消えていく。
この界隈を仕切る現地暴力団員と覆面をして作業着を着たガタイの良い男たちが忙しなく荷物の引渡し作業を行っている。
合計で40人ほどの人間が入り乱れて一抱えも有る木箱や30kgくらいだと思われる麻袋をランチから降ろしている。
勿論、これは堅気な人間は関わってはいけない類の仕事だ。
先程から、作業の邪魔だと言われて離れた位置から辺りの警戒を任されている人物は面倒臭そうに短くなったシガリロを足元に落として爪先で踏み躙った。
――――早くしてくれよ!
心で何度叫んだか分からない。
その人物……ストレートマッシュウルフのショートカットをした20代前半の場違いな女は貸し与えられた中国製トカレフを腹のベルトに差し込んだまま時折、後頭部を掻き毟った。
中国製トカレフこと民生向54式手槍はお馴染みの30口径トカレフ弾を使用するモデルではない。
ヨーロッパ市場向けに銃身周辺が再設計された9mmパラベラム弾仕様で装弾数は8+1発だ。トカレフ弾の薬莢の最大直径と9mmパラベラムの薬莢の直径はほぼ同寸なので改良が容易なのだ。欧米のシューティングコレクターには人気が有る。
極東やアフリカ、中東では一般的な30口径トカレフ弾でも先進国の欧米諸国では需要はそれほど無い。逆に昔ながらの9mmパラベラム弾を使用するモデルが求められている。
外貨獲得の一環として安全装置が追加された民生向けトカレフのバリエーションを増やしたが成果は芳しくない。案の定、在庫を処分する市場として日本にもかなりの数の9mm仕様のトカレフが密輸されている。
「……」
彼女は小さく整った唇を凹ませて憎たらしげに腹のベルトに挟まっている黒星ことトカレフを睨んだ。
裾の長いネル生地で拵えられた灰色のガヤベラシャツをボタンも止めずに着崩し、薄破れしたジーンズを穿いている彼女の名は時島朋絵(ときしま ともえ)。
ショートカットの髪型に活動的なファッションを好む事からよく男と勘違いされるが閉店間際のワゴンセールで売っていそうなTシャツの下で存在を誇示している豊かなバストは明らかに『その者は女である』と、証明していた。
ズボンのベルトは素晴らしいウエストの縊れを露骨に表現するかの様に引き締められ、ローライズ気味なジーンズパンツに守られた臀は肉欲で煽情的な色香を漂わせるほどに実っていた。それも今はガヤベラシャツの長い裾に隠れているので、後ろからでは股間の僅かな隙間が偶に見える程度だった。
美人と言うより魅力的……彼女、朋絵の風貌を語るにはそれが一番適していた。
モデル体型の長身ではあったが、童顔の少年的容貌から街中では女性に振り向かれる事の方が多かった。
彼女は待っていたのだ。
自分がオーダーした商品が今夜届くと言うので来てみた訳だが、その商品というのは合法的でないために密輸業者を仲介して運ばれてくるので便乗させて貰っている暴力団の傘下の密輸業者に混じっている。
銃火器犯罪が安物Vシネマ並に氾濫してきた現在でも矢張り司法警察は厄介だ。
朋絵が待っているのは愛用の拳銃の弾薬と高級なハンドガン用クリーニングリキッドだ。銃砲店に押し込めばクリーニングリキッドは手に入るだろうが、日本で販売されている製品は長物や射的ピストルをターゲットにした専用液しか置いていない。完全にクリーニングするには役不足だ。
それに、弾薬も同じく銃砲店に行けば、それを置いている店も有るが、朋絵が海外に『発注』したのは専門のリローダーが1発ずつ手詰め装薬したワイルドキャットカートリッジだ。日本円にして1発400円近い値段がする。そこへ密輸業者が割り込んでくるために値段は倍近くに跳ね上がる。
特殊なコネを持ってない朋絵には財布が痛い。
だから、力の有る暴力団の尻馬に乗らなければ望む品が手に入らない。今夜のルートを確保するためにも危ない橋を渡った。
様々な情報屋を渡り歩き、標的である暴力団の大幹部の人に言えない性癖を掴んでそれを脅しの種に使ったのだ。
それは命懸けの行動だった。一歩どころか半歩間違えただけで即、今世とサラバする羽目になる。
それでも何とか、脅しの種は効いたらしく、朋絵にリークしてくれた「全ての情報源」を売り渡す契約と引き換えに密輸ルートの確保に成功した。
商売柄、拳銃は手放せないので弾薬の確実な供給ルートの確保は命題だった。
朋絵の商売。それは暴力のレンタルリースだ。
主に恐喝、私刑、殺人、奪還を請け負っている。
恐喝、私刑、殺人は解るとして奪還とは?
何も怪盗じみた窃盗劇や慣れた強盗の真似をするのではない。
ズバリ、人間や金品の奪い返しだ。
暴力の世界では強請り集りの手段としてしばしば人質や金品を取られて足元を掬おうとする場合が有る。
力の有る暴力団や財力が豊かな後ろめたい人種ほど、警察に駆け込むことができないので、金の力で繋がりの薄い第三者を雇って速やかに人質や金品を奪還する方法を取る事が有る。
その場合も警察のように犯人まで法の下で裁く必要が無いので必要なら暴力を用いる。
場所を特定するために関係者を拷問することもあるだろう。敵戦力との応戦や排撃もよく有ることだ。
鮮やかに暴力を撒き散らす荒事全般が仕事の範疇だ。
そんな経緯と思惑から、自分が仕方無しに便乗している暴力団組織の高級幹部がどこかの対立組織に拉致されて自分に依頼が舞い込んでこないかと密かに期待している。そうすれば一層強力なコネを得ることができる。
残念ながら最近は、力の有る暴力団からは大きな仕事は回ってきていない。
「参った……」
朋絵は自分が女で門外の人間だから自分の荷物の運搬が後回しになっている事を理解していた。いつもの事とはいえ不快極まりない。早く後ろ腰のホルスターに仕舞った拳銃に充分な弾薬を与えてやりたい。底を尽きかけのクリーニングリキッドも補充したい。
弾薬が充分ならこんな安物のコピー品など借りる必要が無いのに。
トカレフも悪くは無い。気に入らないのは、どこの誰がどれだけの期間扱ってどれだけの癖が付いた品か解らない物に命を預ける気はしない点だった。
せめて、このトカレフを3日前から貸してくれて充分な弾薬を割り当ててくれていたのなら自分で癖を掴んでサイティングし直したものを。
今夜ここに来るなり、「コレを貸してやるから向こうで見張りをしていろ」とは全く以ってふざけている。
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