犬の矜持

 そのドアノブが銃弾によって破壊された。
 連中はどうやらこのドアを破壊したくて難儀していたらしい。そこへ亜美が現れたので一時的にパニックに陥ったようだ。
 まだ亜美がドアの向こうで息を殺して待機していると思い込んで短機関銃の軽快な速射音が聞こえてくる。 
 くぐもった発砲音は散弾銃のものであろう。申し訳程度に聞こえるのは自動拳銃か。
 よく聞けば短機関銃も散弾銃も自動拳銃も一定のリズム毎に沈黙している。
 弾倉分の弾薬を吐いたら装填しているらしい。
 典型的なトリガーハッピーだ。自然と亜美の唇に微笑が浮かぶ。そのまま、弾薬の浪費を続けてくれたら非常に助かる。
 だが、先程ドアを撃ち抜いた奴は少しは冷静な人物らしい。まともな人間が1人だけ居る。
 それぞれの出入り口から逃げられると少々面倒だ。
 プレハブの建物という密閉空間に閉じ込めておけたので何とか4人を無力化させる事が出来たが、外部の広い空間に逃亡されては収拾が付かなくなる。
 何としてもここで連中を仕留めるないと。
 法規上の手前、一応ワルサーPPスーパーをホルスターに戻す。
 右手を左脇腹辺りにかざして呼吸を整えていると、突如、非常階段へ通じるドアが蹴破られてしまった。
――――あ! 逃げるな!
 亜美はトイレブースの陰やプレハブの外壁沿いを走りながら、助走をつけて思いっきり飛んだ。
 空中で体を右に反転させて背中が地面スレスレの位置を低空で飛ぶ。その間にホルスターから拳銃を抜く。
 ドアから逃げ出そうと目論んだ男の銃口と視線が合った! 『正当防衛』成立の瞬間だ。
 男は2階の非常通路の柵から大型自動拳銃を突き出して出鱈目に撃つ。出鱈目に撃っているように見える。階下で亜美が突然背面で飛び出してきたために驚いて照準が付けられないのだ。
 空薬莢が中空を舞い、弾き出された銃弾は亜美に掠りもせずに地面に叩き込まれる。
 安全装置が解除された亜美のワルサーPPスーパーは初弾を叩き出した。
 ダブルアクションの初弾は引き金が重かった。
 刹那の時間も与えず弾丸は既に撃鉄が倒れた位置に有り引き金も後退していたので僅かなトリガープルを感じただけで撃発した。
 2発とも違わず男に命中した。1発は右胸に。1発は鳩尾に。
 拳銃を放り出し地面に落とした男は柵に凭れ掛かったまま力無く崩れた。
――――5人!
 残りの3人はプレハブ内部を行ったり来たりでパニックだった。足音がそれを教えてくれる。
 外へ逃走を試みた仲間が突然撃たれたものだから、複数人に囲まれていると勘違いしたらしい。
 両手でワルサーPPスーパーを握ったまま砂利の上を背泳のように滑る亜美。
 弾き出された空薬莢が堅い土砂に当って転がる。
 5人も無力化したが残念ながら、懸賞金20万円の「大首」はまだいない。
 2階から直接階下に降りられる非常通路にリコイルオート式と思われる散弾銃を持った一人が飛び出て来たが、鉄板一枚隔てた足の裏に9mmポリス弾を3発撃つ。泡を喰った男は腰を抜かし気味にプレハブの中に入った。
 少なくともこの非常階段を駆け上れば散弾銃と対面する羽目になる。
 体を屈めてプレハブの窓に姿を晒さないように走る。
 弾倉に2発の実包が装弾されている弾倉を引き抜き、新しい弾倉を挿し込む。これから先に何が起こるかわからないから弾倉は満杯にしておきたい。
 元からスライドドアが無い出入り口まで来るとリップミラーを頼りに角を確認しながら室内に走り込む。素早く給湯室の有る奥まった位置まで来て出鱈目に2発天井に向かって発砲する。
 その部屋から走りながら遠ざかるに連れて各部屋で2発ずつ天井に向かって発砲する。連中のおおよその位置関係が分かったからこそできる陽動の発砲だ。
 2階へ通じるドアがある部屋まで来て、弾倉を交換した。弾倉には1発しか残っていなかった。これで充分な陽動になったはずだ。
 給湯室の有る部屋の方向で天井が震動する。連中は床下に向かって発砲しているらしい。
 2階へ通じるドアを確保して階段を山猫のように一段飛ばしで駆け上がり、腹部から血を流している、先程負傷させた2人の男の脈を看るがまだ充分に心臓は動いていたし呼吸もはっきりしていた。
「やべ!」
 リップミラーにサプレッサー無しのイングラムを握った男が忙しなくポケットを弄っているのが映った。予備弾倉を探しているらしい。
「すーっ」
 大きく息を吸った亜美は安全装置を掛けたワルサーPPスーパーをホルスターに一旦仕舞い、男が反撃の準備が整うのを待たずに顔面の真正面から飛び蹴りを喰らわせた。
 顎先から鼻の頭に掛けて亜美の体重の運動エネルギーがサンドバッグのように叩きつけられて悲鳴を挙げる間も無く、く脳震盪を起こした。
 勿論、朦朧状態のまま床に突っ伏した。床に落ちたイングラムを蹴り飛ばして部屋の隅に押しやる。この男が弾倉を探すのが忙しくて亜美の方向を見ている心の余裕もなかったからできた芸当だ。
 飛び蹴りから着地した動作の瞬間にこの部屋に飛び込んできた散弾銃の男と目が合った。
「!」
「てめぇっ!」
 思考よりも身体が脊髄反射的に行動した。
 男は長物のフランキ社製リコイルオート式散弾銃を腰溜めのモーションで構えようとしていた。
 亜美は腹筋の限りを尽くして仰向けに体を反らせながらワルサーPPスーパーを抜きながら安全装置を解除していた。
 グリップを握る男の指先が引き金を引くのと亜美の指先がワルサーPPスーパーのダブルアクションの引き金を引くのは殆ど同時だった。
 銃声が重なる。
 長く尾を引く轟音の最中に2発の軽い発砲音。
「……」
「……」
 男は右肘内側と右胸に被弾してコマ送りの様に体を回転させてそのまま床に沈むように倒れた。
 亜美は足を男の方に向けたまま完全に仰向けに寝そべっていた。
 銃口から薄っすらと硝煙を立ち昇らせるワルサーPPスーパーを握る右手だけをしっかり握っていた。
 亜美の背後の壁に相撲取りの掌大の拡散パターンを描く銃痕が叩きつけられている。
 コンマ数秒でも遅れていたら亜美の上半身は12番口径マグナムの散弾の餌食になっていた。
 肩甲骨の辺りを軸にして両足を左右に勢いを付けて大きく振り、体をスピンのような回転で捻り、立ち上がる。
――――ちっ!
 苦悶する散弾銃の男は目標ではない。
 危険を考えず直ぐ様、隣の部屋に飛び込んだが誰も居なかった。
 非常通路へリップミラーを使って安全を確保してから体を乗り出すが、30mも……9mmポリス弾の人体に対する有効射程ギリギリの位置まで走って逃げている男の影が確認できた。
――――逃がさない!
 ホルスターに安全装置を掛けたワルサーPPスーパーを差し込んで非常階段を猛然と駆け下りる。
 その頃には男の影は遮蔽物の合間にちらちらと見え隠れする程度までに視認し難くなっていた。
 それでも走り、追う。
 7人の取り巻きを命懸けで排除したのに本懐に逃げられたのでは全く以って笑い話だ。7人全員が銃器で武装していたために単純に計算しても合計21万円の懸賞金が出る。それぞれに前科や別件があれば更に懸賞金は上がるだろう。
 今はそれは問題ではなかった。
 意地だ。ここまで追ってきた賞金稼ぎとしての意地が今の亜美を押していた。
 唯の私立探偵で収まっていればこんな汗をかかなくても良いのに……。
「待ってよ! 酒代!」
 思わず口に出して歯を食い縛った。亜美の腕がもっと習熟していればこの距離からでも発砲したい。
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