犬の矜持

 突如、標的が視界から半分以上消えたので2人の男は無駄な発砲を立て続けに行った。
 全くフォームがなっていない、出鱈目なグリップの握り方でダブルアクションの重い引き金を引き絞ったものだから1発毎にガク引きを起こす。
 弾丸は空しく薄い壁に穴を開けるだけだ。
 中空で腹のホルスターからワルサーPPスーパーを抜いた亜美は地面に着地する前に安全装置を解除して撃鉄を親指で倒した。
 着地するや否や体勢を右半身にして2人の男に対して表面積を少なくした。
 右腕を『指を指すように伸ばす』と男たちに発砲した。それぞれの腹部に1発ずつ。空薬莢がチャチな金属音を立てて階段を転がり落ちる。
 男たちは搾り出すような呻き声を漏らして拳銃を手から滑り落としてスローモーションで倒れる。横隔膜付近を損傷したのか口からは空洞を抜ける風のような呼吸と共に黒い血を吐いた。自分の手で被弾した腹を押さえるだけの気力は有った。
 この2人は懸賞金20万円の大首ではない。
 2人が床に落としたリボルバーを踵で蹴り飛ばして階下に落とす。
 反撃や抵抗の意志が無い2人をすり抜け、階段の角で素早くリップミラーを翳して短い廊下を映す。
 真正面の半開きのドアが1つと、その右に閉まっているドアが1つ見える。半開きのドアの向こうで水平2連発のソウドオフショットガンを腰溜めにした男が見えた。
 亜美は匍匐前進気味に上半身を移動させて半開きドアの前まで来ると左肘下を目前でかざして床面スレスレの位置からソウドオフの男に向かって発砲する。
 先程の発砲で既に引き金は後退していたので僅かな力学的な作用を指先に命令するだけで軽快な撃発音と共に9mmポリス弾が撃ち出された。
 同時に男のソウドオフも派手な轟音を立てて文字通り火を吹いた。
 銃身が短いので銃火や火閃が電動着火式プロップガンのように、オレンジが混じった赤い炎を長く広く吹くのだ。
 亜美のかざした左肘下に仁丹の粒くらいの大きさをした4号散弾がめり込むが肌を突き破って酷い負傷を与える程では無かった。
 この散弾の粒が目に飛び込んだら眼球は戦闘不能に陥るほどの深刻な状況を招く。それを見越した上で少しでも眼球を保護するために左腕をかざして庇を作ったのだ。
 正直な所、今し方亜美が放った1発も期待した1発ではなかったが9mmポリス弾は男の臍の右辺りに命中した。
 男は膝を地面に突いて前のめりに崩れた。
 撃たれた男は苦痛に悶絶しているが銃を拾って立ち上がって反撃する余地は無いようだ。
 体を伏せたまま亜美は腕に万遍無く食い込んだ散弾の粒を払い落とした。ソウドオフショットガンから発砲された散弾の拡散パターン外側の威力が極端に低い散弾だったためにこの程度の被害で済んだ。
 銃身が極端に短いソウドオフは拡散パターンが広く広範囲に被害をもたらすが1発辺りの威力は至近距離でもない限り致命傷には成り難い。
 プレハブの奥の方で慌しい足音や罵声が聞こえてくる。
 プレハブ内部で2階から1階へ降りる通路はここしかない。残りの連中が外部の非常通路を用いて脱出することも充分に考えられるので立ち上がって半開きのドアの傍まで駆け寄る。
「……」
 喉が渇く。
 背中を壁に預けて爪先でドアを勢い良く開放した。同時に部屋の中に前転しながら突入し、銃を構えるが反撃の銃弾は1発きりでそれ以外に無い。
 その代わり罵詈雑言を喚き散らしながら何度も自動拳銃のスライドを引いて空薬莢を噛み潰す程にジャムらせたFNブローニングM1910を握る男が居た。
 ようやく男は空薬莢を排出し、次弾を薬室に送り込んだが、掌が大きいのか小指の付け根でグリップエンドのマガジンキャッチを押してしまって弾倉が抜け落ちてしまった。
 亜美は大きく3回、前転して男の足元まで来ると落ちた弾倉を蹴り飛ばして股間に強烈なアッパーを喰らわせた。
 男のFNブローニングM1910の銃口はぴったりと亜美の頭頂部に押し当てられていたのに『引き金が引けなかった』。股間を強打された痛みのせいもある。それ以前に、安全装置には定評のあるFNブローニングM1910はマガジンセフティを備えているために弾倉が抜けると引き金にロックが掛かり、何が有っても引き金が引けなくなるのだ。
 男は口の端から泡を吹いて股間を押さえたまま前のめりに倒れた。
 白目を剥いて小さく痙攣している。死には到らないだろう。
 正直なところ、この痛みは亜美には到底理解できないものだった。……が、男性の急所として覚えておいて良かったと思う。
 素早く立ち上がった亜美は銃口を左右に振りながら残存戦力の確認をした。
 この部屋には誰も居ない。
 更に奥の部屋で壁かドアを蹴破ろうとしている激しい衝突音が聞こえる。
 視界の端にソウドオフショットガンを認めた亜美はそれを部屋の対角線上の端に蹴り飛ばす。
 腹を撃たれた男と股間を強打した男が気力を振り絞って反撃に出るのを遅らせるために。
――――あと4人!
 喉がカラカラに渇く。クリスタルゲイザーがポケットに有ってもそれを悠長に飲んでいる暇なんか無い。
「……ふぅ」
 ドアの前に立つ前に、部屋の端に無造作に転がっている汚れた安全ヘルメットを拾いあげる。それを今から突入しようかという部屋のドアに思いっきり投げつける。
 背筋が凍る冷たい金属音が聞こえた。
 咄嗟にドアから飛び退くように離れて背を壁に任せる。
 薄いアルミを重ねただけの安っぽいドアに銃火が集中する。
 短機関銃が1cm間隔で縫い跡を刻み、拡散パターンが小さい散弾銃の大きな弾痕が無闇矢鱈に穿かれる。それに混じって小口径ながらもアルミのドアを紙のように穴を開ける拳銃弾が有った。
 拳銃を握った腕だけ出して盲撃ちする手法もちらりと脳裏を過ったが、頭の悪い作戦なので直ぐに却下した。
 連中の正確な戦力と居場所が解れば壁越しに撃ち抜こうとも考えた。護身用拳銃弾の域を出ない9mmポリス弾では壁を抜いた後の運動エネルギーで傷を負わせるのは難しかった。
 銃声が止んで辺りが恐ろしく静かになる。耳鳴りがうるさい。再装填の動作すら窺えない静けさだ。それが余計に不気味。
 ただのトリガーハッピーになり下がって、再装填すら忘れているのであれば、それは願っても無いチャンスだ。銃種がバラバラなのでもしかしたら連携を執って装填しているのかもしれない。
 亜美と対象勢力の間に静かな膠着が訪れる。
 先程の罵声も聞こえてこない。
――――仕方無いわね……。
 亜美は足音を殺して後退した。
 そのまま後退に後退を重ねる。警戒しながらプレハブを出てトイレブースの陰に隠れる。
「……」
 クリスタルゲイザーを呷って念願の水分で喉を潤す。
 ワルサーPPスーパーに安全装置を掛ける。
 撃鉄が起き上がり引き金が通常位置まで前進する。
 弾倉を引き抜きいそいそと弾薬サックからバラ弾を抜いて弾倉に補弾する。
 弾倉を再び差し込むがスライドを引くような間抜けなミスはしない。薬室に既に装填されているのに弾倉を差し込む度にスライドを引いていたのであればその都度、薬室の実包が排出されて無駄ダマを作る事になる。
「……」
 暫く様子を見る。先程突入して今、戦略的撤退をするまで5分も経過していない。
「!?」
 銃声。トイレブースの陰からプレハブの出入り口とは対角線上の位置に有る簡易的に取り付けられた非常通路が見える。
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