犬の矜持
そう言って屈みながらカウンターの端に移動してルージュケースのリップミラーを潜望鏡の様に突き出す。
「!」
カウンターまで走ってやってくる男が3人。拳銃を握っている。
自分たちの数が多いから何の警戒も無しに、亜美の後を追ってカウンターを飛び越える。
着地して銃口がこちらを向く直前まで待ってから亜美は反撃する。
そうしなければ自衛手段として拳銃を正当に用いたと申告できないからだ。
1発。2発。3発。
ゆっくりとした間隔でワルサーPPスーパーが吼えて男達の腹の真ん中に1発ずつ命中する。
案山子でも的にしているように次々と倒れる。
銃弾の衝撃が全身を駆け巡って消え去ると直ぐに男達は立ち上がってくる。
麻薬が適度に血管を廻っている為に痛覚を中心にした痛覚が麻痺しているのだ。
仕方無く、体勢が整った男の順から軸足の太腿に1発ずつ銃弾を叩き込んでその場に無理矢理跪かせる。
頭をカウンターに屈めたまま弾倉を引き抜く。
内ポケットから新しい弾倉を取り出してマグウェルに挿し込む。
抜いた弾倉は反対側の内ポケットに落とす。
スライドが後退していないので全くの空ではなかったが、薬室に1発送り込まれているだけで弾倉は空だ。
足元に男の一人が放り出してしまったモーゼル社のリバイバル製品であるパラベラムルガーピストルが無造作に転がっていたが、緊急避難的状況でもないのにそれを拾う事は違法だった。
裁判を起こされたらこちらが不利になる因子はできるだけ排除したい。
撃鉄が倒れて引き金が後退した位置で出番を待っているワルサーPPスーパーの引き金から指を離して銃口を天井に向ける。
そのまま、一番手前で倒れている男に話し掛ける。
「どうして撃ってきたの? 私は何もしていないでしょ?」
亜美の台詞は大人しかったが口調はドスが効いたヤクザのそれだった。
充分に意識が有る男は銃痕から溢れる血を見てもパニックに陥らずにハキハキと喋り出した。どうやら、今現在起きている事象が現実のものとして認識し難いのだろう。
「俺達はこの間からこの近辺でコンビにばかりを狙った強盗や一人暮らしの女を狙った強盗と強姦ばかりしてきた。そろそろ賞金首になっているはずだ。それに俺達は皆、前科持ちだ。今度捕まったら暫く娑婆の空気は吸えなくなる。そこにアンタがやってきた。俺達を狙ってきたんだと思った」
「え……」
そこまで話を聞いて亜美は弾かれたように立ち上がった。
――――ホシ違いだ!
直感的に自分が求めている情報を握った人物が逃げ出したと悟った。
他の客は既に店から逃げ出して誰も居なかった。
バーテンが慌ててレジを開け、有るだけの紙幣を掴んで亜美の所へやって来た。
「これで何とかして下さい! お願いします!」
この店が不良集団の溜まり場で大麻の吸引を見て見ぬ振りをしていたとあってはこのバーテンも警察にしょっぴかれる。それを恐れたバーテンが保身のために賄賂として亜美に金を差し出したのだ。
「ゴメンなさい。これでも法律を守る側の人間なの」
ガクっと項垂れて紙幣を床に落とすバーテン。
亜美はワルサーPPスーパーに安全装置をかけた。撃鉄が起き上がり引き金が通常位置まで前進する。
カウンターを飛び越えると左手で携帯電話を取り出して警察に通報する。
携帯電話で話している最中に片方の耳が金属の乾いた音を拾った。
「ち!」
携帯電話を保持したまま、新体操のように上体を大きく反らし、右手でワルサーPPスーパーを抜く。
銃口が標的に向くまでに親指は安全装置を解除してしっかりグリップを握っていた。
「ぎゃ!」
2つの銃口は同時に9mm弾を吐き出した。
一方は亜美の9mmポリス弾。
もう一方はバーテンが握ったパラベラムルガーの9mmパラベラム弾。
バーテンが落ちていたパラベラムルガーを拾って亜美の抹殺を咄嗟に企てたのだ。
亜美を狙った銃弾は壁紙に穴を穿いただけに終わった。
バーテンを狙った9mmポリス弾はバーテンの右上腕部外側の肉を削って鮮血が散る擦過傷を負わせた。バーテンは衝撃で体が半回転し右手から拳銃が放り出された。
「余計な真似するから怪我をするのよ」
無機質な声で亜美は泣き啜るバーテンを見下ろした。
携帯電話で通報の最中だったのを思い出して再び連絡する。
パトカーや救急車が駆けつけるまで弾薬サックから取り出したバラ弾を右内ポケットに有る空弾倉に補弾する。
今し方放った分の実包も補弾する。補弾しながら、今、片付けた連中の懸賞金はどれくらいだろうかと考えを巡らせていた。
※ ※ ※
「あーっ!」
――――参ったなぁ。
工業地帯の外れにある港湾埠頭手前の廃材集積場で亜美は大きく舌打ちした。
ある曇り空での事だった。
――――解ってるだけで7人か。
――――ちょっとヤバイわねぇ。
たった20万円――個人に掛けられる懸賞金としては相場――の賞金首を追いかけていたら、懸賞金の対象になってもおかしくないほどの武装をした取り巻き連中と潜伏している拠点を発見してしまった。
全員、生きたまま治安当局に引き渡せば数ヵ月後にはちょっとした『左うちわ』になる。
犯罪として当局に認知されていなくとも非合法に銃火器を所持しているだけで3万円の懸賞金対象になる。
良い別件逮捕の口実に発展するから割りと手頃な標的となる場合が多い。
ここ暫く追っていた20万円の賞金首は一人当り3万円相当の賞金首と思われる取り巻き7人と共に密航船が不定期に出入りするこの港湾埠頭近辺で潜んでいるのだ。
手筈が整っている外国船が往来する港まで小さなランチを乗り継ぐのが密出国ルートの一つだった。
早ければ今夕にもその迎えのランチがこの付近に停泊する。
残念ながら、ランチと落ち合う時間までは掴めなかった。連中が出来るだけ、落ち合う場所と近い場所でギリギリまで潜伏しているのは解ったのだが……。
警察に通報するのが常識有る一般人。残念な事に亜美は常識有る賞金稼ぎでもある。
目の前でメシのタネが纏まって泳いでいるのに見過ごすことも警察に横取りされることも許さなかった。
情報収集のために危険な場所へ飛び込むのとは違った腹の括り方を強いられる。
緊張を紛らわせるために何度、弾倉を引き抜いて残弾確認孔を覗いたか知れない。
口の中が乾く。
レザーベストのハンドウォームにはクリスタルゲイザーの350mlボトルが押し込まれているが半分くらいが既に空だ。
数ヵ月後の贅沢な夕食より、今日生きて帰ったら必ずサラミを肴に缶ビールを浴びるように飲み干す事ばかり考えることにしていた。
いつもそれの繰り返しだった。極端な話、10年後の1億円より今日の10万円を心配した方が長生きすると信じている。
「……ふー」
一息。目前50cmの位置に最近放棄されたばかりの2階建て大型プレハブ事務所がある。
飯場や資材倉庫としても利用されていたようで不法投棄された廃材の山の中に床面積200㎡相当だと思われるプレハブが建っている。そのプレハブの傍にはこれまた放棄された簡易トイレのブースが並んでいた。
先ほどから亜美は遮蔽物を巧みに利用してプレハブの窓から直線的に見えることができない死角を伝って近付いてきている。
「!」
カウンターまで走ってやってくる男が3人。拳銃を握っている。
自分たちの数が多いから何の警戒も無しに、亜美の後を追ってカウンターを飛び越える。
着地して銃口がこちらを向く直前まで待ってから亜美は反撃する。
そうしなければ自衛手段として拳銃を正当に用いたと申告できないからだ。
1発。2発。3発。
ゆっくりとした間隔でワルサーPPスーパーが吼えて男達の腹の真ん中に1発ずつ命中する。
案山子でも的にしているように次々と倒れる。
銃弾の衝撃が全身を駆け巡って消え去ると直ぐに男達は立ち上がってくる。
麻薬が適度に血管を廻っている為に痛覚を中心にした痛覚が麻痺しているのだ。
仕方無く、体勢が整った男の順から軸足の太腿に1発ずつ銃弾を叩き込んでその場に無理矢理跪かせる。
頭をカウンターに屈めたまま弾倉を引き抜く。
内ポケットから新しい弾倉を取り出してマグウェルに挿し込む。
抜いた弾倉は反対側の内ポケットに落とす。
スライドが後退していないので全くの空ではなかったが、薬室に1発送り込まれているだけで弾倉は空だ。
足元に男の一人が放り出してしまったモーゼル社のリバイバル製品であるパラベラムルガーピストルが無造作に転がっていたが、緊急避難的状況でもないのにそれを拾う事は違法だった。
裁判を起こされたらこちらが不利になる因子はできるだけ排除したい。
撃鉄が倒れて引き金が後退した位置で出番を待っているワルサーPPスーパーの引き金から指を離して銃口を天井に向ける。
そのまま、一番手前で倒れている男に話し掛ける。
「どうして撃ってきたの? 私は何もしていないでしょ?」
亜美の台詞は大人しかったが口調はドスが効いたヤクザのそれだった。
充分に意識が有る男は銃痕から溢れる血を見てもパニックに陥らずにハキハキと喋り出した。どうやら、今現在起きている事象が現実のものとして認識し難いのだろう。
「俺達はこの間からこの近辺でコンビにばかりを狙った強盗や一人暮らしの女を狙った強盗と強姦ばかりしてきた。そろそろ賞金首になっているはずだ。それに俺達は皆、前科持ちだ。今度捕まったら暫く娑婆の空気は吸えなくなる。そこにアンタがやってきた。俺達を狙ってきたんだと思った」
「え……」
そこまで話を聞いて亜美は弾かれたように立ち上がった。
――――ホシ違いだ!
直感的に自分が求めている情報を握った人物が逃げ出したと悟った。
他の客は既に店から逃げ出して誰も居なかった。
バーテンが慌ててレジを開け、有るだけの紙幣を掴んで亜美の所へやって来た。
「これで何とかして下さい! お願いします!」
この店が不良集団の溜まり場で大麻の吸引を見て見ぬ振りをしていたとあってはこのバーテンも警察にしょっぴかれる。それを恐れたバーテンが保身のために賄賂として亜美に金を差し出したのだ。
「ゴメンなさい。これでも法律を守る側の人間なの」
ガクっと項垂れて紙幣を床に落とすバーテン。
亜美はワルサーPPスーパーに安全装置をかけた。撃鉄が起き上がり引き金が通常位置まで前進する。
カウンターを飛び越えると左手で携帯電話を取り出して警察に通報する。
携帯電話で話している最中に片方の耳が金属の乾いた音を拾った。
「ち!」
携帯電話を保持したまま、新体操のように上体を大きく反らし、右手でワルサーPPスーパーを抜く。
銃口が標的に向くまでに親指は安全装置を解除してしっかりグリップを握っていた。
「ぎゃ!」
2つの銃口は同時に9mm弾を吐き出した。
一方は亜美の9mmポリス弾。
もう一方はバーテンが握ったパラベラムルガーの9mmパラベラム弾。
バーテンが落ちていたパラベラムルガーを拾って亜美の抹殺を咄嗟に企てたのだ。
亜美を狙った銃弾は壁紙に穴を穿いただけに終わった。
バーテンを狙った9mmポリス弾はバーテンの右上腕部外側の肉を削って鮮血が散る擦過傷を負わせた。バーテンは衝撃で体が半回転し右手から拳銃が放り出された。
「余計な真似するから怪我をするのよ」
無機質な声で亜美は泣き啜るバーテンを見下ろした。
携帯電話で通報の最中だったのを思い出して再び連絡する。
パトカーや救急車が駆けつけるまで弾薬サックから取り出したバラ弾を右内ポケットに有る空弾倉に補弾する。
今し方放った分の実包も補弾する。補弾しながら、今、片付けた連中の懸賞金はどれくらいだろうかと考えを巡らせていた。
※ ※ ※
「あーっ!」
――――参ったなぁ。
工業地帯の外れにある港湾埠頭手前の廃材集積場で亜美は大きく舌打ちした。
ある曇り空での事だった。
――――解ってるだけで7人か。
――――ちょっとヤバイわねぇ。
たった20万円――個人に掛けられる懸賞金としては相場――の賞金首を追いかけていたら、懸賞金の対象になってもおかしくないほどの武装をした取り巻き連中と潜伏している拠点を発見してしまった。
全員、生きたまま治安当局に引き渡せば数ヵ月後にはちょっとした『左うちわ』になる。
犯罪として当局に認知されていなくとも非合法に銃火器を所持しているだけで3万円の懸賞金対象になる。
良い別件逮捕の口実に発展するから割りと手頃な標的となる場合が多い。
ここ暫く追っていた20万円の賞金首は一人当り3万円相当の賞金首と思われる取り巻き7人と共に密航船が不定期に出入りするこの港湾埠頭近辺で潜んでいるのだ。
手筈が整っている外国船が往来する港まで小さなランチを乗り継ぐのが密出国ルートの一つだった。
早ければ今夕にもその迎えのランチがこの付近に停泊する。
残念ながら、ランチと落ち合う時間までは掴めなかった。連中が出来るだけ、落ち合う場所と近い場所でギリギリまで潜伏しているのは解ったのだが……。
警察に通報するのが常識有る一般人。残念な事に亜美は常識有る賞金稼ぎでもある。
目の前でメシのタネが纏まって泳いでいるのに見過ごすことも警察に横取りされることも許さなかった。
情報収集のために危険な場所へ飛び込むのとは違った腹の括り方を強いられる。
緊張を紛らわせるために何度、弾倉を引き抜いて残弾確認孔を覗いたか知れない。
口の中が乾く。
レザーベストのハンドウォームにはクリスタルゲイザーの350mlボトルが押し込まれているが半分くらいが既に空だ。
数ヵ月後の贅沢な夕食より、今日生きて帰ったら必ずサラミを肴に缶ビールを浴びるように飲み干す事ばかり考えることにしていた。
いつもそれの繰り返しだった。極端な話、10年後の1億円より今日の10万円を心配した方が長生きすると信じている。
「……ふー」
一息。目前50cmの位置に最近放棄されたばかりの2階建て大型プレハブ事務所がある。
飯場や資材倉庫としても利用されていたようで不法投棄された廃材の山の中に床面積200㎡相当だと思われるプレハブが建っている。そのプレハブの傍にはこれまた放棄された簡易トイレのブースが並んでいた。
先ほどから亜美は遮蔽物を巧みに利用してプレハブの窓から直線的に見えることができない死角を伝って近付いてきている。