犬の矜持
勿論、常日頃から拳銃に慣らしておいて非常時でもパニックを起こさない訓練をさせるという意味も有る。
今現在、日本には20万人近い拳銃所持者が居る。
いずれも国が定めた試験をクリアし、国が定めた種類の拳銃を所持している民間人だ。
拳銃を所持する理由は殆ど全員が護身用を目的にしている。当初は高額所得者が競って拳銃の所持を希望したが、最近では拳銃所持ならではの新しい商売も発生したために身体能力が優れた若い民間人が拳銃の所持を希望しだした。
なおマニアやコレクターは例外無く面接試験で見抜かれて不適当な人材と認められ落第する。
警備会社が拳銃所持者を高額で雇い入れる例が多く、危険を承知で望んで拳銃所持許可を入手して警備会社の試験を受ける者が多い。
民間会社が拳銃を買い与えることは違法なので拳銃を自前で持ち込む求職者ほど引っ張り凧だった。
変わった業種としては犯罪者を追いまわして警察に突き出す賞金稼ぎがいた。
治安組織の張り出す懸賞金付き犯罪者を専門に駆り立てる非常に危険な職種だ。自分より圧倒的に火力が優れた銃火器を所持している手負いの獣同然の存在を拳銃一挺で捕らえるのだ。
自衛手段としての法的解釈の定義では『相手に撃たれる瞬間に抜いて撃てば正当防衛が認められる』と有るために、拳銃を抜く時はどうしても相手より後手に回ったイニシアティブを取らざるを得ないのだ。
おまけに西部時代のように『生死を問わず』という言葉や概念は存在せず、犯罪者にも正式な裁判で求刑される権利が有るので殺害してはいけない。
殺害してしまえば拳銃所持許可証は一旦取り消され元所持者は裁判にかけられる。判決次第で過剰防衛や不当使用などで有罪ならば禁固刑は免れない。
『無罪であっても一定のペナルティ期間……ライセンス剥奪期間が課せられ、拳銃の所持、保有、購入など一切が不可となる場合が有る』。ペナルティ期間の長さは裁判の内容と裁判官の裁量如何で決まる。
簡単に復讐や強盗の手段として拳銃を入手することは不可能なのだ。本当に拳銃が欲しければ暗黒組織を頼ればいい。尤も、その瞬間から賞金稼ぎの小遣い稼ぎの対象になる。
飽く迄、自衛のための拳銃所持なので強力な火力は与えられない。携行するのに邪魔にならない世界中の中型拳銃が日本を新しい市場として射程に収めたのも納得できる話だ。
※ ※ ※
亜美は紛れも無く賞金稼ぎに分類される職業に就いていた。
探偵業は開店休業状態。アルバイトで警備会社の臨時社員として籍を置いていたが、自由業に近い賞金稼ぎが気に入っているので余程、家計簿が赤くならない限り警備会社に顔を出すことはなかった。
亜美自身は元から私立探偵業に憧れを感じていたが、この空前絶後の凶悪犯罪時代に素手で渡り歩くのは危険だと早くから察知していたので自衛用拳銃の必要を強く感じていた。
素人の拳銃所持希望者を演じ通し、希望通り所持許可証を入手した。
所持許可証の入手は、例えていうなら一流大学を3度続けて満点合格するのと同じくらいの難しさだと言われている。
それでも合格した亜美は『それなりに』頭が良い部類の人間であるというのが窺えるだろう。
『自衛保安課』
一定以上の規模をした警察署内に設けられた新しい部署。
民間人の拳銃所持に関する公的窓口である。
――――いつもながら……面倒臭いわねぇ。
然るべき書類の記入項目を黙々と埋めながら亜美は時折小首を捻って眉に皺を寄せた。
――――何時何分にどんな格好で撃ったなんて覚えてないわよ!
それでも何とか思い出して自分が覚えている限りの当時の状況を紙面に記す。
第一、昨夜はフルオートオンリーに改造されたマイクロウージーとたった8発しか吐き出せない中型拳銃とでドンパチしたのだ。
命が有ったことより何発の弾丸を消費したかの方が大事とはお役所仕事的で辟易してくる。
拳銃の腕前には自信が有る方だが、命の遣り取りの最中にどんな恰好で何発撃ったかまでは曖昧にしか覚えていない。
書面はそのまま裁判で適用される内容として裁判所に警察内の然るべき機関を介して提出されるので大雑把過ぎる内容は書けない。
『広域保全課』
自衛保安課で拳銃使用を申告すると『広域保安課』へ足を運ぶ。
ここでは自分が仕留めた懸賞首の懸賞金が支払われる。
正当な手段での『犯人逮捕への協力』が認められてその容疑者の容疑が固まり逮捕され、裁判にかけられて有罪になった時点で漸く懸賞金が振り込まれる仕組みになっている。
米国の懸賞金制度とはかなり違う。実に気の長い懸賞金制度だ。
「あ! やった。入ってる」
『広域保安課』の窓口で自分が前に仕留めた犯罪者の裁判が滞りなく終わって、銀行口座に大して高くない額面の金額が振り込まれているのを確認して小さなガッツポーズを作って喜んだ。
今夜は久し振りにスーパー銭湯で生ビールを呷ってささやかな命の洗濯をするぞと固く誓った。
半年以上前に取り押さえた容疑者の実刑が下ったのを忘れていて、今日たまたま確認の照合をして貰ったら懸賞金が振り込まれているのに気が付いたのだ。
こんなことは珍しくない。寧ろいつもの事だ。
不幸にも強行突入して取り押さえようとして返り討ちに遭い、元も子もなくなった例など腐るほど有る。自分はまだ生きているのでマシな方だと言えよう。運が悪ければ一瞬でこの現世とはサヨナラな職業だ。
そんな同業者も沢山見てきた。人知れず消された同業者もいるだろう。或いは金を積まれて犯罪者に寝返った善くない例も聞く。
コンシールドライセンスを所持する者は同時に銃器所持に関するモラルの伝道師で無ければならないのだ。
※ ※ ※
「ん~っ、なーにー?」
亜美は翌朝6時にいつものように仕掛けていた目覚し時計に叩き起こされた。
前日に目覚ましを解除しておくのを忘れたのだ。久し振りの収入でゆっくり眠ろうと思ったのに……。
昨夜は重い拳銃を手放して公共バスを利用してスーパー銭湯で一汗かいた。
火照る体をキンキンに冷えた生ビールで急激に冷やして暫しの休息を楽しんだ。冷凍の枝豆がやたらと旨い。
帰りのバスの中でも少し酔っていたのか、自宅近辺で降車するなりコンビニに入って10貫入り握り寿司を2パックと500mlの缶ビールを3本買って帰り、眠る際まで飲み食いしていた。いつ眠ったのか覚えていない。
朝、目が覚めれば、適当に衣服を脱ぎ散らかしたあられもない姿でベッドのシーツに包まっていた。それに気が付く切っ掛けを与えてくれたのは2年前に家電量販店で1980円の特価で買ったデジタル表示の目覚し時計だった。
乱れた髪。片方だけ脱いだ靴下。暴行された後を思わせる着衣の乱れ。腕時計も外さず、何故か片手にずっと携帯電話を握っている。これで何かしらの犯罪に巻き込まれていないと証言する方が難しい。アルコールに弱い体質なのにアルコールの誘惑に弱い性分である。
今現在、日本には20万人近い拳銃所持者が居る。
いずれも国が定めた試験をクリアし、国が定めた種類の拳銃を所持している民間人だ。
拳銃を所持する理由は殆ど全員が護身用を目的にしている。当初は高額所得者が競って拳銃の所持を希望したが、最近では拳銃所持ならではの新しい商売も発生したために身体能力が優れた若い民間人が拳銃の所持を希望しだした。
なおマニアやコレクターは例外無く面接試験で見抜かれて不適当な人材と認められ落第する。
警備会社が拳銃所持者を高額で雇い入れる例が多く、危険を承知で望んで拳銃所持許可を入手して警備会社の試験を受ける者が多い。
民間会社が拳銃を買い与えることは違法なので拳銃を自前で持ち込む求職者ほど引っ張り凧だった。
変わった業種としては犯罪者を追いまわして警察に突き出す賞金稼ぎがいた。
治安組織の張り出す懸賞金付き犯罪者を専門に駆り立てる非常に危険な職種だ。自分より圧倒的に火力が優れた銃火器を所持している手負いの獣同然の存在を拳銃一挺で捕らえるのだ。
自衛手段としての法的解釈の定義では『相手に撃たれる瞬間に抜いて撃てば正当防衛が認められる』と有るために、拳銃を抜く時はどうしても相手より後手に回ったイニシアティブを取らざるを得ないのだ。
おまけに西部時代のように『生死を問わず』という言葉や概念は存在せず、犯罪者にも正式な裁判で求刑される権利が有るので殺害してはいけない。
殺害してしまえば拳銃所持許可証は一旦取り消され元所持者は裁判にかけられる。判決次第で過剰防衛や不当使用などで有罪ならば禁固刑は免れない。
『無罪であっても一定のペナルティ期間……ライセンス剥奪期間が課せられ、拳銃の所持、保有、購入など一切が不可となる場合が有る』。ペナルティ期間の長さは裁判の内容と裁判官の裁量如何で決まる。
簡単に復讐や強盗の手段として拳銃を入手することは不可能なのだ。本当に拳銃が欲しければ暗黒組織を頼ればいい。尤も、その瞬間から賞金稼ぎの小遣い稼ぎの対象になる。
飽く迄、自衛のための拳銃所持なので強力な火力は与えられない。携行するのに邪魔にならない世界中の中型拳銃が日本を新しい市場として射程に収めたのも納得できる話だ。
※ ※ ※
亜美は紛れも無く賞金稼ぎに分類される職業に就いていた。
探偵業は開店休業状態。アルバイトで警備会社の臨時社員として籍を置いていたが、自由業に近い賞金稼ぎが気に入っているので余程、家計簿が赤くならない限り警備会社に顔を出すことはなかった。
亜美自身は元から私立探偵業に憧れを感じていたが、この空前絶後の凶悪犯罪時代に素手で渡り歩くのは危険だと早くから察知していたので自衛用拳銃の必要を強く感じていた。
素人の拳銃所持希望者を演じ通し、希望通り所持許可証を入手した。
所持許可証の入手は、例えていうなら一流大学を3度続けて満点合格するのと同じくらいの難しさだと言われている。
それでも合格した亜美は『それなりに』頭が良い部類の人間であるというのが窺えるだろう。
『自衛保安課』
一定以上の規模をした警察署内に設けられた新しい部署。
民間人の拳銃所持に関する公的窓口である。
――――いつもながら……面倒臭いわねぇ。
然るべき書類の記入項目を黙々と埋めながら亜美は時折小首を捻って眉に皺を寄せた。
――――何時何分にどんな格好で撃ったなんて覚えてないわよ!
それでも何とか思い出して自分が覚えている限りの当時の状況を紙面に記す。
第一、昨夜はフルオートオンリーに改造されたマイクロウージーとたった8発しか吐き出せない中型拳銃とでドンパチしたのだ。
命が有ったことより何発の弾丸を消費したかの方が大事とはお役所仕事的で辟易してくる。
拳銃の腕前には自信が有る方だが、命の遣り取りの最中にどんな恰好で何発撃ったかまでは曖昧にしか覚えていない。
書面はそのまま裁判で適用される内容として裁判所に警察内の然るべき機関を介して提出されるので大雑把過ぎる内容は書けない。
『広域保全課』
自衛保安課で拳銃使用を申告すると『広域保安課』へ足を運ぶ。
ここでは自分が仕留めた懸賞首の懸賞金が支払われる。
正当な手段での『犯人逮捕への協力』が認められてその容疑者の容疑が固まり逮捕され、裁判にかけられて有罪になった時点で漸く懸賞金が振り込まれる仕組みになっている。
米国の懸賞金制度とはかなり違う。実に気の長い懸賞金制度だ。
「あ! やった。入ってる」
『広域保安課』の窓口で自分が前に仕留めた犯罪者の裁判が滞りなく終わって、銀行口座に大して高くない額面の金額が振り込まれているのを確認して小さなガッツポーズを作って喜んだ。
今夜は久し振りにスーパー銭湯で生ビールを呷ってささやかな命の洗濯をするぞと固く誓った。
半年以上前に取り押さえた容疑者の実刑が下ったのを忘れていて、今日たまたま確認の照合をして貰ったら懸賞金が振り込まれているのに気が付いたのだ。
こんなことは珍しくない。寧ろいつもの事だ。
不幸にも強行突入して取り押さえようとして返り討ちに遭い、元も子もなくなった例など腐るほど有る。自分はまだ生きているのでマシな方だと言えよう。運が悪ければ一瞬でこの現世とはサヨナラな職業だ。
そんな同業者も沢山見てきた。人知れず消された同業者もいるだろう。或いは金を積まれて犯罪者に寝返った善くない例も聞く。
コンシールドライセンスを所持する者は同時に銃器所持に関するモラルの伝道師で無ければならないのだ。
※ ※ ※
「ん~っ、なーにー?」
亜美は翌朝6時にいつものように仕掛けていた目覚し時計に叩き起こされた。
前日に目覚ましを解除しておくのを忘れたのだ。久し振りの収入でゆっくり眠ろうと思ったのに……。
昨夜は重い拳銃を手放して公共バスを利用してスーパー銭湯で一汗かいた。
火照る体をキンキンに冷えた生ビールで急激に冷やして暫しの休息を楽しんだ。冷凍の枝豆がやたらと旨い。
帰りのバスの中でも少し酔っていたのか、自宅近辺で降車するなりコンビニに入って10貫入り握り寿司を2パックと500mlの缶ビールを3本買って帰り、眠る際まで飲み食いしていた。いつ眠ったのか覚えていない。
朝、目が覚めれば、適当に衣服を脱ぎ散らかしたあられもない姿でベッドのシーツに包まっていた。それに気が付く切っ掛けを与えてくれたのは2年前に家電量販店で1980円の特価で買ったデジタル表示の目覚し時計だった。
乱れた髪。片方だけ脱いだ靴下。暴行された後を思わせる着衣の乱れ。腕時計も外さず、何故か片手にずっと携帯電話を握っている。これで何かしらの犯罪に巻き込まれていないと証言する方が難しい。アルコールに弱い体質なのにアルコールの誘惑に弱い性分である。