犬の矜持
薄茶色で長目のセミロングを後頭部で結わえた若い女性は誰かに見つめられている感覚を背中で感じて振り向いた。
「?」
桜色のルージュが薄く引かれた可憐な造りの唇。
小さく整った輪郭に収まった精悍な鼻筋と山猫のような精気を感じさせる切れ長の瞳。
明らかに眉目秀麗な類の人間。165cmの身の丈に備わった女性的な丸みを帯びたセクシャルな部位は異性を振り向かせるのに充分な魅力を備えている。
活動的なデニムパンツに少し草臥れているパンプス。良く使い込まれた……と言えば聞こえはいいが実際はこれもまた草臥れた雰囲気がファッションになっている黒いレザーベスト。
尾低骨の窪みと甘そうな尻の割れ目まで見えそうな、裾の短いTシャツ。彼女の性的魅力の根源はその惜しげも無く晒されているウエスト付近に有るようだ。
砂時計か蜂のように括れた部分の腹部には僅かに割れた腹筋がコーティングされていた。それだけで、唯のどこにでも居る『綺麗な女性』では無い事は解った。
「……」
その女性は背後に何も無いことが解ると、視線を元に戻した。
視線の先にはボロいアパート。
腕時計のデジタル表示は午後10時を経過していたことを報せていた。
2階建ての安っぽい普請。
このアパートの一室に用が有る。
錆びて軋む年季が入った階段を上りながら左脇から煙草の箱でも取りだすような仕草で中型拳銃を抜いた。
スクエアな用心鉄が特徴的なワルサーPPスーパーだ。
階段を上り切る前に弾倉を抜いて残弾確認孔を僅かな光に照らして確認する。
弾倉をゆっくり挿すと、今度はスライドを慎重にゆっくり引く。
排莢口が3分の2ほど開いたところで薬室が確認できた。薬室に送り込まれた実包の尻がエキストラクターに掻き出される前の状態で確認できた。
それを確認すると静かにスライドを戻す。
照準と照星には白色ドットが打ち込まれていたが、これはリバイバルモデルのバリエーションの一つであることを示していた。
安全装置を解除せず尻ポケットにワルサーを押し込む。いつでもグリップを握れるようにグリップの角度を上に向けておく。
部屋の前まで来るとドアノブ側の壁に背を任せて足の踵でドアを乱暴にノックした。
途端、ドアは横一文字に銃痕の縫い跡をつけて木材の粉を撒き散らした。
「大人しくしなさい!」
彼女はワルサーを抜いて叫んだ。
※ ※ ※
最近になって、マニューリンからリバイバルされたワルサーPPスーパー。特に大きく改良された点は無い。
有るとすれば安全機能面が向上し安全装置とデコッキングが連動するようになっている点だ。オリジナルはデコッキングするだけで安全装置は付いていない。
良く見ればワルサー社の刻印が技術提携しているマニューリン社の刻印にすり変わっている。
フルネームはマニューリンモデルワルサーPPスーパー。
残念ながら十把一絡げにPPスーパーで呼び捨てられる事が多い。
集弾性能やスペックはオリジナルと殆ど同じで特筆する事項が少な過ぎるため、一般的なサンデーシューターには見分けが付き難いのだ。口の悪い人は『マニューリンの後期のPPスーパー』と呼ぶ。
使用弾薬は古くから欧州に存在する9mmウルトラ弾をベースに開発した9mmポリス弾を使う。
弾薬の性能は弱装の9mmパラベラム弾と強装の9mmマカロフ弾の中間で、製造するメーカーも少ないマイナーな弾薬だった。それを、弾倉に7発。薬室に1発。
一度見れば忘れる事が出来ないシルエットをしたワルサーPPスーパーをフルロード(※薬室に初弾を装填し弾倉も最大装弾)する。
8発の9mmポリス弾を呑み込んだ中型自動拳銃を左脇のホルスターに落とし込んだ彼女は無造作に春物レザーベストに袖を通して、勢い良く自宅兼オフィスの小さな私立探偵事務所から大股で一歩踏み出した。
……だが。
直ぐに踵を返して、慌ててオフィスルームに戻る。
自分のスチールデスクの抽斗を漁って運転免許証位の大きさをしたカードを掴んでポケットに捩じ込んだ。このチャチなカードが無ければまともに仕事ができないのだ。
盾列亜美(たてなみ つぐみ)。
年齢22歳。職業、私立探偵兼賞金稼ぎ。
どちらかと言えば探偵業より賞金稼ぎ業やその他アルバイトの方が実入りが良い。
一応、法を遵守する側の人間だが、何かと警察署や裁判所へ顔を出すことの方が多い。今日もこれから最寄の警察署に出向いて然るべき部署へ昨夜、拳銃を使用した報告書を提出しに行く所である。
自分に適した職種が一般には見つからず、一念発起して自分が起業した私立探偵業で毎日の食費と毎月の諸々の経費を心配している、どこにでも居る売れない個人経営者だった。
※ ※ ※
日本でもコンシールド法が施行されて久しい。
多発という生易しい表現ではなくなった銃火器犯罪を始めとする刑事犯罪が、治安当局の取締と検挙率を嘲笑するかのように跳ね上がり、嘗ての治安国家・日本は民間人にもとうとう、自衛手段のための拳銃所持を許可した。
勿論のこと、誰もが銃砲店で気軽に好きなだけ好きな拳銃が買えるはずは無く。
20歳以上の心身健常者で一定以上の税金を納め、尚且つ三次にわたるペーパーテストと2次の面接、年齢毎に設定された体力テストをクリアして厳しく激しい実技試験を突破した『日本国民』だけが、国が定めた基準・寸法の拳銃だけを所持することが許される。
購入の窓口は最寄の警察署。自衛の為に1発でも発砲すれば被疑者に命中しようと外れようと、3日以内に警察署に出頭して使用した状況を事細かに書面に記して提出しなければならない。怠れば即、所持、携帯許可証は剥奪され罰金と懲役刑を受ける。
購入した拳銃の線状痕は公安委員会に提出されデータベース化される。拳銃を用いた犯罪が発生すれば真っ先に民間人の拳銃所持者が疑われる。
拳銃の所持数は1人1挺のみ。自動式の場合、予備弾倉は3本まで。回転式の場合スピードローダーは4個まで。自宅に所持、保存できる弾薬の数は50発まで。回転式、自動式問わず薬室を含めた最大装弾数は8発まで。
許可証を携行せずに拳銃を携行した場合、如何に問わず刑罰の対象となる。また所持できる拳銃の寸法も厳しく定められており、例を挙げれば自動式は全長150mm以上177mm以下で回転式は銃身長70mm以上127mm以下と決められている。使用弾薬も自動式、回転式問わず口径は9mm(38口径)以下。薬莢長は自動式の場合18mm以下で回転式の場合は30mm以下と決まっている。
要するに回転式は38spl弾まで自動式は9mm×18弾まで使える訳だ。なお9mmポリス弾の薬莢長は18mmだ。
所持許可証に記載された製造番号以外の拳銃を所持、発砲した場合も刑罰の対象だ。
更に二ヶ月に一度30発以上使用する実射訓練も義務付けられている。これもまた、怠れば刑罰の対象だ。
30発以上の弾薬消費という法定にも意味が有る。弾薬の未使用期間が長く劣化し不発弾になるのを防ぐために無理矢理弾薬を消費させているのだ。
「?」
桜色のルージュが薄く引かれた可憐な造りの唇。
小さく整った輪郭に収まった精悍な鼻筋と山猫のような精気を感じさせる切れ長の瞳。
明らかに眉目秀麗な類の人間。165cmの身の丈に備わった女性的な丸みを帯びたセクシャルな部位は異性を振り向かせるのに充分な魅力を備えている。
活動的なデニムパンツに少し草臥れているパンプス。良く使い込まれた……と言えば聞こえはいいが実際はこれもまた草臥れた雰囲気がファッションになっている黒いレザーベスト。
尾低骨の窪みと甘そうな尻の割れ目まで見えそうな、裾の短いTシャツ。彼女の性的魅力の根源はその惜しげも無く晒されているウエスト付近に有るようだ。
砂時計か蜂のように括れた部分の腹部には僅かに割れた腹筋がコーティングされていた。それだけで、唯のどこにでも居る『綺麗な女性』では無い事は解った。
「……」
その女性は背後に何も無いことが解ると、視線を元に戻した。
視線の先にはボロいアパート。
腕時計のデジタル表示は午後10時を経過していたことを報せていた。
2階建ての安っぽい普請。
このアパートの一室に用が有る。
錆びて軋む年季が入った階段を上りながら左脇から煙草の箱でも取りだすような仕草で中型拳銃を抜いた。
スクエアな用心鉄が特徴的なワルサーPPスーパーだ。
階段を上り切る前に弾倉を抜いて残弾確認孔を僅かな光に照らして確認する。
弾倉をゆっくり挿すと、今度はスライドを慎重にゆっくり引く。
排莢口が3分の2ほど開いたところで薬室が確認できた。薬室に送り込まれた実包の尻がエキストラクターに掻き出される前の状態で確認できた。
それを確認すると静かにスライドを戻す。
照準と照星には白色ドットが打ち込まれていたが、これはリバイバルモデルのバリエーションの一つであることを示していた。
安全装置を解除せず尻ポケットにワルサーを押し込む。いつでもグリップを握れるようにグリップの角度を上に向けておく。
部屋の前まで来るとドアノブ側の壁に背を任せて足の踵でドアを乱暴にノックした。
途端、ドアは横一文字に銃痕の縫い跡をつけて木材の粉を撒き散らした。
「大人しくしなさい!」
彼女はワルサーを抜いて叫んだ。
※ ※ ※
最近になって、マニューリンからリバイバルされたワルサーPPスーパー。特に大きく改良された点は無い。
有るとすれば安全機能面が向上し安全装置とデコッキングが連動するようになっている点だ。オリジナルはデコッキングするだけで安全装置は付いていない。
良く見ればワルサー社の刻印が技術提携しているマニューリン社の刻印にすり変わっている。
フルネームはマニューリンモデルワルサーPPスーパー。
残念ながら十把一絡げにPPスーパーで呼び捨てられる事が多い。
集弾性能やスペックはオリジナルと殆ど同じで特筆する事項が少な過ぎるため、一般的なサンデーシューターには見分けが付き難いのだ。口の悪い人は『マニューリンの後期のPPスーパー』と呼ぶ。
使用弾薬は古くから欧州に存在する9mmウルトラ弾をベースに開発した9mmポリス弾を使う。
弾薬の性能は弱装の9mmパラベラム弾と強装の9mmマカロフ弾の中間で、製造するメーカーも少ないマイナーな弾薬だった。それを、弾倉に7発。薬室に1発。
一度見れば忘れる事が出来ないシルエットをしたワルサーPPスーパーをフルロード(※薬室に初弾を装填し弾倉も最大装弾)する。
8発の9mmポリス弾を呑み込んだ中型自動拳銃を左脇のホルスターに落とし込んだ彼女は無造作に春物レザーベストに袖を通して、勢い良く自宅兼オフィスの小さな私立探偵事務所から大股で一歩踏み出した。
……だが。
直ぐに踵を返して、慌ててオフィスルームに戻る。
自分のスチールデスクの抽斗を漁って運転免許証位の大きさをしたカードを掴んでポケットに捩じ込んだ。このチャチなカードが無ければまともに仕事ができないのだ。
盾列亜美(たてなみ つぐみ)。
年齢22歳。職業、私立探偵兼賞金稼ぎ。
どちらかと言えば探偵業より賞金稼ぎ業やその他アルバイトの方が実入りが良い。
一応、法を遵守する側の人間だが、何かと警察署や裁判所へ顔を出すことの方が多い。今日もこれから最寄の警察署に出向いて然るべき部署へ昨夜、拳銃を使用した報告書を提出しに行く所である。
自分に適した職種が一般には見つからず、一念発起して自分が起業した私立探偵業で毎日の食費と毎月の諸々の経費を心配している、どこにでも居る売れない個人経営者だった。
※ ※ ※
日本でもコンシールド法が施行されて久しい。
多発という生易しい表現ではなくなった銃火器犯罪を始めとする刑事犯罪が、治安当局の取締と検挙率を嘲笑するかのように跳ね上がり、嘗ての治安国家・日本は民間人にもとうとう、自衛手段のための拳銃所持を許可した。
勿論のこと、誰もが銃砲店で気軽に好きなだけ好きな拳銃が買えるはずは無く。
20歳以上の心身健常者で一定以上の税金を納め、尚且つ三次にわたるペーパーテストと2次の面接、年齢毎に設定された体力テストをクリアして厳しく激しい実技試験を突破した『日本国民』だけが、国が定めた基準・寸法の拳銃だけを所持することが許される。
購入の窓口は最寄の警察署。自衛の為に1発でも発砲すれば被疑者に命中しようと外れようと、3日以内に警察署に出頭して使用した状況を事細かに書面に記して提出しなければならない。怠れば即、所持、携帯許可証は剥奪され罰金と懲役刑を受ける。
購入した拳銃の線状痕は公安委員会に提出されデータベース化される。拳銃を用いた犯罪が発生すれば真っ先に民間人の拳銃所持者が疑われる。
拳銃の所持数は1人1挺のみ。自動式の場合、予備弾倉は3本まで。回転式の場合スピードローダーは4個まで。自宅に所持、保存できる弾薬の数は50発まで。回転式、自動式問わず薬室を含めた最大装弾数は8発まで。
許可証を携行せずに拳銃を携行した場合、如何に問わず刑罰の対象となる。また所持できる拳銃の寸法も厳しく定められており、例を挙げれば自動式は全長150mm以上177mm以下で回転式は銃身長70mm以上127mm以下と決められている。使用弾薬も自動式、回転式問わず口径は9mm(38口径)以下。薬莢長は自動式の場合18mm以下で回転式の場合は30mm以下と決まっている。
要するに回転式は38spl弾まで自動式は9mm×18弾まで使える訳だ。なお9mmポリス弾の薬莢長は18mmだ。
所持許可証に記載された製造番号以外の拳銃を所持、発砲した場合も刑罰の対象だ。
更に二ヶ月に一度30発以上使用する実射訓練も義務付けられている。これもまた、怠れば刑罰の対象だ。
30発以上の弾薬消費という法定にも意味が有る。弾薬の未使用期間が長く劣化し不発弾になるのを防ぐために無理矢理弾薬を消費させているのだ。
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