塵の行方
顔に垂れたウイスキーに引火して広まった炎を見て動転する男。
暫く芋虫のようにのたうって喚き散らす。
思わず込み上げた残忍な苦笑いを飲み込みながら、短くなったシガリロを地面に吐いて爪先で潰す。
温度の低い炎が収まっても熱したフライパンに落としたミミズのように火傷の痛みで転がりまわる。
収拾がつきそうに無い元気良さに肩を竦めた彩名は男が落としたナイフの一本を拾って無造作に尻を突付いてやった。
「ぎゃっ」
悲鳴がぴたっと止んで目玉が飛び出さんばかりに見開いた。
左手にポケット瓶を持って呷っている彩名の姿が何かの悪鬼にでも見えたか? それとも右手に構えたベレッタM92FSコンパクトLの銃口が死神の大鎌にでも見えたか?
左脇から抜いたベレッタの銃口は男の額にサイティングされているが密着させるような真似はしない。
飽く迄、立った状態から手を軽く突き出して男の額を指で指す感覚でホールドしている。安全装置は解除されているが撃鉄は起きたままだ。
「撃つな! 撃たないでくれ! 殺さないでくれ!」
「ここに写っている女達も同じことを言ってなかったか?」
彩名の夜よりも暗く冷たい声が男の心臓を潰すように掴む。男は蒼白になりながら大粒の汗をかいて肩を震わせ始めた。
「質問に答えろ」
言うや否や彩名は撃鉄を倒した。
「この銃の引き金は羽より軽い。不幸な事に今、僕は腹の虫の居所が悪くて酒で鎮めている所だ。いつ指先に力が入ってお前の頭がスイカ割りのスイカみたいに不細工に砕けるか知れない」
「解った解った! 言う言う! 何でも答える! 助けて!」
「落ち着け。大人しく答えてくれれば腹の虫も大人しくなる」
彩名はわざと銃口を小さくブレさせて酔っ払っている演技をした。男は銃口と目が合う度に小さな悲鳴を挙げながら掌をかざした。
「じゃ、始めよう。…ココに写っている男の名前は? この携帯電話に住所と電話番号とメールアドレスは登録されているか?」
ポケット瓶と一緒に握っている携帯電話を指す。
「こ、近木、近木和弥(こぎ かずや)だ! その携帯には電話番号だけが入っている」
「この男との関係は?」
「さ、撮影してくれと……」
「なんだそりゃ?」
「誰かに見られていないと女を襲っても興奮しないんだ! ソイツはそういう性癖が有るんだ! 撮影してくれたら金をやるって……」
「随分とよろしい趣味したお友達だな。口止めのタネにもなるしお楽しみの記録にもなるってわけか」
「どこに住んでいる? どうやって繋ぎをつけている?」
「どこで住んでいるかは知らない! いつも向こうから携帯に連絡が来るんだ」
「ふーん。そう。お前が喋ったことは誰にも言わないがお前が喋った内容が一つでも事実と違っていたらこの場で9mmがお前の寒い頭を吹き飛ばす」
彩名の氷の視線を浴びせられた男は口から心臓が競り上がってきそうな顔で事実と違うことは何も言っていないと機関銃のように並べて助命の懇願をした。
どうやら標的の近木という男はただの異常性欲者で金を使ってこの三下を雇って犯行の始終を記録させているらしい。
この男もただ、金のためだけに撮影していただけのようだが……「話せ。さもないと撃つ」と脅した途端、この携帯の画像と動画を消さなかった理由は、後で近木を恐喝して更に金銭を要求しようと企んでいたのだと言う。
「で、お前はどこの組のモンだ?」
「どこの者でもない! どこかに入会させて貰いたい為にあんたが伸した連中と売り出しているだけだ」
「詰まり、イキがっているだけで誰も相手にしてくれない訳だ」
「………そうだ」
「ふむ。解った。この携帯は預かる。いいか妙な真似をしてこの携帯が使用不能になったらどんな事をしてもお前を探し出して必ず殺す。覚えておけ」
「わ、わかっ…が!」
男の言葉の半ばで彩名は下段の鋭い後ろ回し蹴りを繰り出して側頭部を蹴り飛ばした。グルンと男の目が目蓋の裏に隠れて白目を剥いたまま再び昏倒した。
安全装置を掛けたベレッタM92FSコンパクトLを懐に仕舞い、踵を返して立体駐車場を後にする。
「嘘ではない、か」
翌日、奪った携帯電話を洗い浚い調べて近木なる人物の携帯電話の番号を睨めながら呟いた。
冷めた情報しか与えてくれない街角の情報屋も、これだけの有力な情報源を与えられてはなまくらな仕事はできない。
彩名は自宅のアパートで二つの携帯電話を目前にたゆたう紫煙を纏い、何度も溜息を吐いていた。一つは奪った携帯電話。もう一つは自分の携帯電話。
奪った携帯電話に着信が何度か有ったが、近木の名前が表示されない間は応答に出ないつもりだ。
自分の携帯電話が着信を知らせる時は情報屋が確たる情報を掴んだ時だ。
それから徒労とも思える長い長い3日間が過ぎた。
早朝。
自分の携帯電話がけたたましく着信音を奏でている。
無粋な着信音はそのまま彩名の目覚ましになった。
喧しい携帯電話を手に取り、寝呆け頭を濡れた犬のように震わせて眠気を払う。
携帯電話の背面ディスプレイは公衆電話を示していた。情報屋からの連絡だ。
「はい……もしもーし」
彩名は寝起きの、少し機嫌の悪そうな声で枕元のミネラルウォーターを手に取りながら喋り出した。
「おう。おはよう。ネタ、入ったぜ」
「解った。料金は振り込んでおく…それで?」
「近木和弥だな。奴は親父の山荘を寝床にしているらしい。ほら、あの山手の新興別荘地だよ。その中に有る別荘だ……奴の家庭は崩壊して永い。県議を務める金持ちの親父が自分の名義で借りている山荘を寝床に与えたらしい。普段は一歩も外に出ずに引き篭もり生活を堪能している」
「……そうか」
「で、シモの処理をする時だけ山荘から出てきてこの界隈で女を襲うそうだ」
「解った。山荘の詳しい位置と電話番号は調べてあるんだろうな?」
「勿論だ。見縊るなよ」
情報屋が喋り出した山荘の所在地と電話番号を携帯電話の録音機能を使って音声で記録した。
※ ※ ※
近木が潜伏する山荘は彩名が住む場所からバスを乗り継いで1時間半の場所に有る、保養地だった。
保養地と言っても見晴らしが良いだけの山奥で地元観光業者が別荘地として売り出そうと山林を切り開いて温泉を掘っただけの開発中の地区だ。
それなりに道も舗装されており、軽いハイキングも楽しめるように考案されている道だ。
建てられた山荘は全て高額納税者の手による別注設計ばかりで売り地の半分も埋まっていない。
この山荘ばかりの林間地区は近いうちにスカイラインと結ぶ道路が建設される予定で県も客寄せに必死だった。
情報屋からネタを聞き出したその日の晩、彩名は公共の交通機関を利用して山間部の入り口までやって来た。
30分ほど前に陽は沈んだ。流石に冷える。軽く一杯引っ掛けてから出発したかったが、思わぬ深い損傷を腹部に蒙ると腹膜炎を起こしてアッという間に死に到る恐れがあるのでアルコールの摂取は控えた。
奪った携帯電話の画像を何度も見る。SIG ザウエルの大型拳銃を所持しているのは確かだろう。
暫く芋虫のようにのたうって喚き散らす。
思わず込み上げた残忍な苦笑いを飲み込みながら、短くなったシガリロを地面に吐いて爪先で潰す。
温度の低い炎が収まっても熱したフライパンに落としたミミズのように火傷の痛みで転がりまわる。
収拾がつきそうに無い元気良さに肩を竦めた彩名は男が落としたナイフの一本を拾って無造作に尻を突付いてやった。
「ぎゃっ」
悲鳴がぴたっと止んで目玉が飛び出さんばかりに見開いた。
左手にポケット瓶を持って呷っている彩名の姿が何かの悪鬼にでも見えたか? それとも右手に構えたベレッタM92FSコンパクトLの銃口が死神の大鎌にでも見えたか?
左脇から抜いたベレッタの銃口は男の額にサイティングされているが密着させるような真似はしない。
飽く迄、立った状態から手を軽く突き出して男の額を指で指す感覚でホールドしている。安全装置は解除されているが撃鉄は起きたままだ。
「撃つな! 撃たないでくれ! 殺さないでくれ!」
「ここに写っている女達も同じことを言ってなかったか?」
彩名の夜よりも暗く冷たい声が男の心臓を潰すように掴む。男は蒼白になりながら大粒の汗をかいて肩を震わせ始めた。
「質問に答えろ」
言うや否や彩名は撃鉄を倒した。
「この銃の引き金は羽より軽い。不幸な事に今、僕は腹の虫の居所が悪くて酒で鎮めている所だ。いつ指先に力が入ってお前の頭がスイカ割りのスイカみたいに不細工に砕けるか知れない」
「解った解った! 言う言う! 何でも答える! 助けて!」
「落ち着け。大人しく答えてくれれば腹の虫も大人しくなる」
彩名はわざと銃口を小さくブレさせて酔っ払っている演技をした。男は銃口と目が合う度に小さな悲鳴を挙げながら掌をかざした。
「じゃ、始めよう。…ココに写っている男の名前は? この携帯電話に住所と電話番号とメールアドレスは登録されているか?」
ポケット瓶と一緒に握っている携帯電話を指す。
「こ、近木、近木和弥(こぎ かずや)だ! その携帯には電話番号だけが入っている」
「この男との関係は?」
「さ、撮影してくれと……」
「なんだそりゃ?」
「誰かに見られていないと女を襲っても興奮しないんだ! ソイツはそういう性癖が有るんだ! 撮影してくれたら金をやるって……」
「随分とよろしい趣味したお友達だな。口止めのタネにもなるしお楽しみの記録にもなるってわけか」
「どこに住んでいる? どうやって繋ぎをつけている?」
「どこで住んでいるかは知らない! いつも向こうから携帯に連絡が来るんだ」
「ふーん。そう。お前が喋ったことは誰にも言わないがお前が喋った内容が一つでも事実と違っていたらこの場で9mmがお前の寒い頭を吹き飛ばす」
彩名の氷の視線を浴びせられた男は口から心臓が競り上がってきそうな顔で事実と違うことは何も言っていないと機関銃のように並べて助命の懇願をした。
どうやら標的の近木という男はただの異常性欲者で金を使ってこの三下を雇って犯行の始終を記録させているらしい。
この男もただ、金のためだけに撮影していただけのようだが……「話せ。さもないと撃つ」と脅した途端、この携帯の画像と動画を消さなかった理由は、後で近木を恐喝して更に金銭を要求しようと企んでいたのだと言う。
「で、お前はどこの組のモンだ?」
「どこの者でもない! どこかに入会させて貰いたい為にあんたが伸した連中と売り出しているだけだ」
「詰まり、イキがっているだけで誰も相手にしてくれない訳だ」
「………そうだ」
「ふむ。解った。この携帯は預かる。いいか妙な真似をしてこの携帯が使用不能になったらどんな事をしてもお前を探し出して必ず殺す。覚えておけ」
「わ、わかっ…が!」
男の言葉の半ばで彩名は下段の鋭い後ろ回し蹴りを繰り出して側頭部を蹴り飛ばした。グルンと男の目が目蓋の裏に隠れて白目を剥いたまま再び昏倒した。
安全装置を掛けたベレッタM92FSコンパクトLを懐に仕舞い、踵を返して立体駐車場を後にする。
「嘘ではない、か」
翌日、奪った携帯電話を洗い浚い調べて近木なる人物の携帯電話の番号を睨めながら呟いた。
冷めた情報しか与えてくれない街角の情報屋も、これだけの有力な情報源を与えられてはなまくらな仕事はできない。
彩名は自宅のアパートで二つの携帯電話を目前にたゆたう紫煙を纏い、何度も溜息を吐いていた。一つは奪った携帯電話。もう一つは自分の携帯電話。
奪った携帯電話に着信が何度か有ったが、近木の名前が表示されない間は応答に出ないつもりだ。
自分の携帯電話が着信を知らせる時は情報屋が確たる情報を掴んだ時だ。
それから徒労とも思える長い長い3日間が過ぎた。
早朝。
自分の携帯電話がけたたましく着信音を奏でている。
無粋な着信音はそのまま彩名の目覚ましになった。
喧しい携帯電話を手に取り、寝呆け頭を濡れた犬のように震わせて眠気を払う。
携帯電話の背面ディスプレイは公衆電話を示していた。情報屋からの連絡だ。
「はい……もしもーし」
彩名は寝起きの、少し機嫌の悪そうな声で枕元のミネラルウォーターを手に取りながら喋り出した。
「おう。おはよう。ネタ、入ったぜ」
「解った。料金は振り込んでおく…それで?」
「近木和弥だな。奴は親父の山荘を寝床にしているらしい。ほら、あの山手の新興別荘地だよ。その中に有る別荘だ……奴の家庭は崩壊して永い。県議を務める金持ちの親父が自分の名義で借りている山荘を寝床に与えたらしい。普段は一歩も外に出ずに引き篭もり生活を堪能している」
「……そうか」
「で、シモの処理をする時だけ山荘から出てきてこの界隈で女を襲うそうだ」
「解った。山荘の詳しい位置と電話番号は調べてあるんだろうな?」
「勿論だ。見縊るなよ」
情報屋が喋り出した山荘の所在地と電話番号を携帯電話の録音機能を使って音声で記録した。
※ ※ ※
近木が潜伏する山荘は彩名が住む場所からバスを乗り継いで1時間半の場所に有る、保養地だった。
保養地と言っても見晴らしが良いだけの山奥で地元観光業者が別荘地として売り出そうと山林を切り開いて温泉を掘っただけの開発中の地区だ。
それなりに道も舗装されており、軽いハイキングも楽しめるように考案されている道だ。
建てられた山荘は全て高額納税者の手による別注設計ばかりで売り地の半分も埋まっていない。
この山荘ばかりの林間地区は近いうちにスカイラインと結ぶ道路が建設される予定で県も客寄せに必死だった。
情報屋からネタを聞き出したその日の晩、彩名は公共の交通機関を利用して山間部の入り口までやって来た。
30分ほど前に陽は沈んだ。流石に冷える。軽く一杯引っ掛けてから出発したかったが、思わぬ深い損傷を腹部に蒙ると腹膜炎を起こしてアッという間に死に到る恐れがあるのでアルコールの摂取は控えた。
奪った携帯電話の画像を何度も見る。SIG ザウエルの大型拳銃を所持しているのは確かだろう。