塵の行方

 約3mの距離。2インチのスナブノーズなら落ち着いて両手で構えて腰を落とせば素人でも何とか命中させられる距離。
 スナブノーズを不自然に構えた男は自分から近付いてくる。
 銃口が彩名の額付近まで近付いた。
 ガク引きでも彩名の額から逸れる可能性が無い距離。
 彩名の左掌が男の視界の死角から回り込み、スナブノーズのシリンダーを堅く掴む。
「!」
 男は必死で引き金を引くが撃鉄も引き金もビクとも動かない。
 彩名の右手が追い討ちを掛ける。
 男の拳銃を握る手首の親指の付け根を摘んで捻る。それだけの動作で男は簡単に拳銃を手放した。腱筋が伸び切った状態で更に無理矢理伸ばされたものだから激痛のあまり拳銃を離してしまった。
 至近距離で拳銃を奪われた男は顔を蒼白にして彩名を見る。
 彩名が拳銃を握り直して銃口を男の腹に向けた時、男は萎んだように威勢を無くして腰を抜かした。
 他の男達も夫々拳銃を抜く。
 いずれもタウルスのベストピストルだ。シルエットからベレッタM950のコピーと思われる。22ショートか25ACPを装填できる自動式の豆鉄砲だ。撃鉄露出式のシングルアクション拳銃だが、オモチャの様な安っぽい光を湛えている。
「ふむ」
 彩名は奪ったスナブノーズの撃鉄を倒してみる。
 そして撃鉄を親指で維持したまま人差し指で引き金を引く。
 ゆっくりと撃鉄を押さえている親指を緩めて定位置まで撃鉄を起こす。
 拳銃はリャマ製のS&W M60のコピーだ。サムピースを押して右フレーム側から左手でシリンダーを押す。
 ぎこちない音を立ててスイングアウトする。映画などでリボルバーをスイングアウトしてシリンダーを解放したり手首のスナップだけでシリンダーを戻すという行為が見受けられるがそれはリボルバー拳銃の寿命を削る行為だ。
 シリンダーラッチがリボルバー拳銃の最大の弱点の一つだからだ。
 言い方を変えれば、シリンダーそのものが弱点なのだ。
 開いたシリンダーには5発の未使用の38splが尻を見せていた。リムに打ち込まれている刻印からするとフェデラルの弱装弾だった。
 銃口を天井に向けてエキストラクターを押す。
 バラバラと足元に38spl弾が落ちて転がる。弾頭は半被甲弾だった。何故か1発だけシルバーチップホロウポイントが混じっていた。
 シリンダーを解放したままの拳銃を尻餅を搗いて腰を抜かしている男の腹に放り投げる。少なくとも3人の男達の中でこの男の得物が一番の脅威らしい。
「怖いじゃないか。物騒なモノは収めてくれ」
 顔色を変えずに、抑揚の無い声で彩名は二人に声を掛ける。一服大きくシガリロを吸い込む。
 2挺のタウルスの銃口を全く視界に入れずいつものシガリロを横咥えにしてカウンターに5000円札を置いて「勘定」と一言、バーテンダーに言う。
 バーテンダーは手元の作業を止めてギロッと彩名を睨んだ。
「お客さん。代金が足りないよ」
「はあ?」
「『床が汚れてしまった』ので清掃代をいただきます」
「……」
 床ではナイフの男とアストラの男が撒き散らした血痕が黒く変色し始めている。二人の男は相変わらず芋虫のように転げまわっている。
 彩名は一瞬で理解し、「あー」と納得の声を出す。
 『清掃代』という名の口止め料を請求しているのだということを。
 彩名は肩を竦めて1万円札を3枚出してカウンターに置いた。
「ありがとうございました。またのお越しを」
 バーテンダーは結局愛想笑いの一つも浮かべずにショットバーから無言で出て行く彩名を声だけで見送った。
 全く不愉快な気分で店を出た彩名は口直しにコンビニに入ってウイスキーのポケット瓶を2本買って、早速、封を切った。歩きながらちびちびとポケット瓶を呷る。時々、シガリロを吹かす。残りの1本は内ポケットに押し込む。
 少々ヤケ呑みっぽい仕種。
 アルコールには強い方なのでこの程度ではほろ酔いにもならない。ただの芳ばしい麦味の液体飲料だ。
 それにしても苛立たしい夜だった。

「……」
 口中でジャパニーズブレンドウイスキーとシガリロが芳醇に絡み合いだした頃、自分を追う足音が幾つか耳に入ってきていることに気が付いた。
 歩幅を変えて歩いてもそれに合わせるように向こうも歩幅を変える。疎らで雑なストーキング。複数の足音。
 先ほどのショットバーで、心当りのネタを作ったばかりなのでそのお礼参りだろうと直ぐに閃いた。
「……」
――――相手になってる暇は無ぇよ。
 ポケット瓶を大きく呷って空にすると無造作にゴミ箱にポケット瓶を投げ込んで駆け出した。
――――じゃあな。
 急に駆けた彩名に驚いたのか慌てて走り出す複数の足音がバタバタと聞こえてきた。
 彩名は何度も角を曲がり、裏路地を抜けて繁華街の反対側の商店街まで抜けてきた。
 ここは既に火が消えたように静かになっており、繁華街とは全く対照的だった。
 パーキングメーターだけが管理する無人の3階建て立体駐車場が見えたので防犯カメラに写らないように忍び込んで一息吐いた。
 駐車している車の陰を伝いながら2階まで上る。
 呑んで走ったために頬がほんのり桜色に上気するほど温まっている。防犯カメラの位置に気を付けながら冷たい地面に寝転がって体を冷やそうと努める。
 直ぐに心地好い冷気に押されて眠気が忍び寄る。
 断面が弧を描いているウイスキーのポケット瓶を取り出して頭の下に敷く。凹んでいる部分が後頭部に丁度フィットして良い枕の代用になった。
 3分の2が灰塵に帰したシガリロは既に火が消えていた。咥えたシガリロが口の端からぽろっと落ちる。目蓋が半分以上落ちた彩名はまどろみの中で睡魔とささやかに闘っていたがやがて、本格的な眠りに落ちた。

「っん!」
 頭に強い衝撃。後頭部がゴツンとコンクリートに落ちる。
 目は覚めたが状況が理解できない。
 眠ってから時間はどれくらい経過していたのか?
 焦点が定まってきた視線の先ではヤクザのレッテルを全身に貼り付けた三下風の若者が枕にしていたはずのポケット瓶を左手に摘んで彩名の前でブラつかせていた。その反対の手にはスナブノーズリボルバー。
 ―――んー?
「よぉ。おはよう。いい気分か?」
 臭い息と供にヤニで黄色い歯が笑顔の中に見えた。彩名の額にコツンとスナブノーズの銃口が押し当てられる。
「この距離ならぜぇーったい外れないぜぇ」
――――ん!
――――あー。あの三下か。
 ショットバーでリボルバーを奪って無力化してやったあの若者だった。
 矢張りお礼参りか。彩名の右手首が跳ねるが、左脇下に安心する重量感が感じられないのに気が付いた。萎んだ様に起きた右手が下がる。
 その間、様々な器官が現況の情報を収集し解析する。
 この男以外に視界に入っているのは4人。
 銃は奪われた。誰が持っているかは不明。後ろ腰の予備弾倉は奪われていない。体の感覚は全てクリア。額に押し付けられたリボルバーの撃鉄は倒れていない。明らかな殺意はあるが即、殺す意思は無い。他の男達は誰も得物を握っていない。当面の脅威はこの男のみ。
 彩名の分析が進むにつれて体の火照りもクールダウンしていく。眠気で霞がかっていた視界にも広がりを感じた。……ちょっとした休憩のつもりが寝入っていしまうとは迂闊にもほどがある。
 それはそれとして……男は解っていない。
 銃口が対象と密着しているのがどれだけ危険な行為なのかということを。銃火器は距離が開いてこそ脅威が最大限に引き出される。
 今の状況は……。
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