塵の行方
拙い場所に踏み込んだと後悔しながら、カウンターに向かいおとなしくストゥールに座る。砂糖抜きのモヒートをオーダーしてシガリロを咥える。
「お客さん、すいませんが前金制でね」
「連れないな」
「酔いつぶれて結局ツケられて保護されるほど、当店のカクテルは逸品なので」
左脇の得物が露見しないように気を付けながら尻のポケットから財布を取り出して1000円札を一枚置く。釣銭は50円硬貨が一枚だけだった。
「おい。ふざけるなよ。どこの一等地のカクテルだ。モヒート一杯で950円もするのか? バケツ一杯分で出してくれるのか?」
「当店は味自慢で売り出しておりますので」
愛想笑いが見事なほど皆無のバーテンダーが受け応えして隣でもう一人のバーテンダーが無糖ミントジュースとハバナクラブ3年をシェイクする。
横目に見ていてもロンググラス1杯分程の量しかない。
店を荒らしに来たのでは無い。この一杯だけを呑んだら早々に店を出ようと固く誓う。
咥えっ放しのシガリロに、使い始めて3年になるジッポーで火を点ける。
目の前に一応丁寧に供されるカクテルだが、何の変哲も無い。一口つけるが味も何の変哲も無い。添えられているミントが古いのか、清涼感に欠ける。砂糖抜きだと言ったのにサッカリンの様な人工糖分をヒシヒシと感じる。
――――酷い店だ……。
肴にチーズかサラミが欲しかったが幾らぼったくられるのか想像できないのでいつものシガリロの煙を肴にする。
皮肉な事に1本100円の機械巻シガリロと1杯950円のぼったくりモヒートが口中でマッチしている。小さな苦笑いが漏れる。
――――酷い店だ。
状況が許せば彩名の右手は既に左脇に滑り込んでいただろう。
アルコールと大麻と思われる苦い匂いを纏った人間が自分に興味を持って背後に立っているのを感じた。少なくとも2人、居る。
「ねーちゃんよぉ。こっち来て呑まない? 一人じゃ寂しいっしょ?」
「なー。いいだろ?」
眉に皺を作ってシガリロの煙を爆発したかのように噴き出す。反吐が出そうな臭いに鼻が曲がりそうだ。安物の男性用香水と大麻の臭いが混ざった悪臭が自分の背後に有ると思うとおぞましい。
振り向きもせずに悪意を丸出しで応える。
「あっち行ってくれ。『高い酒』が不味くなる」
「じゃあ、こっちで『美味い酒』呑もうよぉ」
「なぁなぁ、いいだろ?」
一人の男が馴れ馴れしく彩名の肩に手を回して頬に唇を吸い付かせんばかりに近寄る。もう一人の男も隣のストゥールに座って彩名の太腿に手を置いて撫で回す。
彩名の血圧が急上昇する。形容するなら、堪忍袋の緒を剃刀で撫でられている感じだ。
「!」
へらへら笑いながら左脇を突付かれる。固い物で突つかれている。ショルダーホルスターのスリングベルト越しに感触が伝わってくる。
銃口のような剣呑な金属で突付かれている訳では無い。
視線を静かに落すと、日本では所持も使用も禁止されている飛び出し式ナイフが左脇を挑発していた。
折り畳んだ状態で板バネが仕込まれた跳ね起きギミックの部位で突付いている。
「……」
彩名の顔が曇る。
二人は彩名が怖がっているものと思い込んで調子に乗った軽いナンパの文句を頭から浴びせる。それを間近で見ているはずのバーテンダーは全く知らぬ顔でグラスを拭いている。
それでも無視を続けてカクテルグラスを傾けたが、彩名の肩に手を回した男がアストラ製の撃鉄露出式コルト25オートのコピーで遠慮無く彩名の股間を撫で始めたときは恐怖より笑いが込み上げてきた。
口に含んだモヒートを吹かないように我慢するために苦労した。
全長110cmほどの平たいベストピストル。
安全装置は外れていない。撃鉄も倒れていない。用心鉄に通した指が全然、引き金の芯に掛かっていない。
指の第2関節と第3関節の間で、重いトリガープルが特徴の引き金を引くつもりか?
一般人なら恐怖ゆえに大人しく言う事を聞くかもしれないが、一般人を装っている彩名からすれば2秒以内で無力化できる。
この距離で25ACPを被弾したとしても、流血して「痛い」で済む。
余程高価なシルバーチップか強装のKTWクラス徹甲弾でも撃ち込まれない限り全長20cmほどのピンセットが有れば自力で体にめり込んだ弾頭を摘出する自信が有る。
違法改造されたガスガンの方がまだ強力だ。「25ACPを人に当てるな。相手は怒って45ACPで撃ち返してくるぞ」というアメリカンジョークが有るくらいだ。
両脇の男だけが戦力の全てなら2秒で叩き伏せて1秒で頭に9mmパラベラムを叩き込める。
だが、店内には10人以上の客が居る。それら全部が敵戦力だとしたら厄介だ。どいつもこいつもカタギの顔をしていない。
「お。コイツ、チャカ持ってる!」
飛び出しナイフの男が気付いた。そいつは慌てて席を立つ。アストラの男が手に拳銃を持っているくせに目を白黒させている。
予想通り一番近くのボックス席で頭の軽そうな女とイチャついていた男連中が女を放り出して立ち上がった。
――――3人プラスか。
カクテルを飲んで喉を湿らせると目を細めてシガリロを咥えた。
両脇で乾いた金属音を立てて凶器がスタンバイされた。
ブレードが起きた飛び出し式ナイフと、安全装置が外されて撃鉄が倒されたアストラ。
敵意剥き出しの刃と銃口。
間髪入れず切っ先が繰り出され、小さな銃口が突き出される。
彩名は瞬時にアクションを起こしていた。
背凭れの無いストゥールに座ったまま体を仰向けに180度倒す。
その体の上を交差するナイフ。彩名の右手はナイフを持つ肘を軽く押し、左手はアストラを持つ手首を固定した。
クラッカーより小さな発砲音。
可愛らしい空薬莢が宙を舞い天井に当って力無く床に転がる。
「ぶっ!」
「ギャーッ」
ナイフの切っ先はアストラを持つ手首の内側を深く抉り、アストラから撃ち出された25ACP弾はナイフを持つ男の伸びきった『腋の柔らかな部分』に深くめり込んだ。
手首の噴血を押さえる、パニックに陥ったアストラの男。腋下リンパ腺を銃弾で深く傷付けられて呼吸も出来ぬほど悶えるナイフの男。25ACPは護身用としては最弱かもしれないが、至近距離で人間が最も痛みを覚える部分に命中すると、死にはしないが死にたくなる激痛を覚える。
足元の足掛けに爪先を引っ掛けて再び上体を腹筋で戻す彩名。
「僕は被害者だよ?」
後ろ腰や脇に手を走らせる3人の男を見ながら肩を竦めてみせる。
そのおどけた態度が気に入らないのか男達は日本語の発声をなしていない怒声を挙げながら顎先で威嚇する。
バーテンダーは一言も発しない。
何も知らない素振りで氷をアイスピックで削っている。この店ではこの手のトラブルは当たり前なのか。そう思えばやけに真新しい壁紙や掃除し易いフローリングも意味深に見えてくる。
「イナセなのは良いけど早まった真似は止めてくれよ。僕は可哀相な被害者なんだ。見たろ? 正当防衛だ。君らと喧嘩しに来たんじゃない……呑みに来ただけだ」
「フザけんなっ!」
紫のジャケットを着た男が赤い顔でスナブノーズの5連発リボルバーを引っ張り出しVシネマの主人公でも気取っているのか腕を斜め気味に挙げて手首を不自然に下向きにしてそれを構える。
腕の腱筋が伸び切った状態で無理に保持するものだから銃全体が痙攣するように震える。
「お客さん、すいませんが前金制でね」
「連れないな」
「酔いつぶれて結局ツケられて保護されるほど、当店のカクテルは逸品なので」
左脇の得物が露見しないように気を付けながら尻のポケットから財布を取り出して1000円札を一枚置く。釣銭は50円硬貨が一枚だけだった。
「おい。ふざけるなよ。どこの一等地のカクテルだ。モヒート一杯で950円もするのか? バケツ一杯分で出してくれるのか?」
「当店は味自慢で売り出しておりますので」
愛想笑いが見事なほど皆無のバーテンダーが受け応えして隣でもう一人のバーテンダーが無糖ミントジュースとハバナクラブ3年をシェイクする。
横目に見ていてもロンググラス1杯分程の量しかない。
店を荒らしに来たのでは無い。この一杯だけを呑んだら早々に店を出ようと固く誓う。
咥えっ放しのシガリロに、使い始めて3年になるジッポーで火を点ける。
目の前に一応丁寧に供されるカクテルだが、何の変哲も無い。一口つけるが味も何の変哲も無い。添えられているミントが古いのか、清涼感に欠ける。砂糖抜きだと言ったのにサッカリンの様な人工糖分をヒシヒシと感じる。
――――酷い店だ……。
肴にチーズかサラミが欲しかったが幾らぼったくられるのか想像できないのでいつものシガリロの煙を肴にする。
皮肉な事に1本100円の機械巻シガリロと1杯950円のぼったくりモヒートが口中でマッチしている。小さな苦笑いが漏れる。
――――酷い店だ。
状況が許せば彩名の右手は既に左脇に滑り込んでいただろう。
アルコールと大麻と思われる苦い匂いを纏った人間が自分に興味を持って背後に立っているのを感じた。少なくとも2人、居る。
「ねーちゃんよぉ。こっち来て呑まない? 一人じゃ寂しいっしょ?」
「なー。いいだろ?」
眉に皺を作ってシガリロの煙を爆発したかのように噴き出す。反吐が出そうな臭いに鼻が曲がりそうだ。安物の男性用香水と大麻の臭いが混ざった悪臭が自分の背後に有ると思うとおぞましい。
振り向きもせずに悪意を丸出しで応える。
「あっち行ってくれ。『高い酒』が不味くなる」
「じゃあ、こっちで『美味い酒』呑もうよぉ」
「なぁなぁ、いいだろ?」
一人の男が馴れ馴れしく彩名の肩に手を回して頬に唇を吸い付かせんばかりに近寄る。もう一人の男も隣のストゥールに座って彩名の太腿に手を置いて撫で回す。
彩名の血圧が急上昇する。形容するなら、堪忍袋の緒を剃刀で撫でられている感じだ。
「!」
へらへら笑いながら左脇を突付かれる。固い物で突つかれている。ショルダーホルスターのスリングベルト越しに感触が伝わってくる。
銃口のような剣呑な金属で突付かれている訳では無い。
視線を静かに落すと、日本では所持も使用も禁止されている飛び出し式ナイフが左脇を挑発していた。
折り畳んだ状態で板バネが仕込まれた跳ね起きギミックの部位で突付いている。
「……」
彩名の顔が曇る。
二人は彩名が怖がっているものと思い込んで調子に乗った軽いナンパの文句を頭から浴びせる。それを間近で見ているはずのバーテンダーは全く知らぬ顔でグラスを拭いている。
それでも無視を続けてカクテルグラスを傾けたが、彩名の肩に手を回した男がアストラ製の撃鉄露出式コルト25オートのコピーで遠慮無く彩名の股間を撫で始めたときは恐怖より笑いが込み上げてきた。
口に含んだモヒートを吹かないように我慢するために苦労した。
全長110cmほどの平たいベストピストル。
安全装置は外れていない。撃鉄も倒れていない。用心鉄に通した指が全然、引き金の芯に掛かっていない。
指の第2関節と第3関節の間で、重いトリガープルが特徴の引き金を引くつもりか?
一般人なら恐怖ゆえに大人しく言う事を聞くかもしれないが、一般人を装っている彩名からすれば2秒以内で無力化できる。
この距離で25ACPを被弾したとしても、流血して「痛い」で済む。
余程高価なシルバーチップか強装のKTWクラス徹甲弾でも撃ち込まれない限り全長20cmほどのピンセットが有れば自力で体にめり込んだ弾頭を摘出する自信が有る。
違法改造されたガスガンの方がまだ強力だ。「25ACPを人に当てるな。相手は怒って45ACPで撃ち返してくるぞ」というアメリカンジョークが有るくらいだ。
両脇の男だけが戦力の全てなら2秒で叩き伏せて1秒で頭に9mmパラベラムを叩き込める。
だが、店内には10人以上の客が居る。それら全部が敵戦力だとしたら厄介だ。どいつもこいつもカタギの顔をしていない。
「お。コイツ、チャカ持ってる!」
飛び出しナイフの男が気付いた。そいつは慌てて席を立つ。アストラの男が手に拳銃を持っているくせに目を白黒させている。
予想通り一番近くのボックス席で頭の軽そうな女とイチャついていた男連中が女を放り出して立ち上がった。
――――3人プラスか。
カクテルを飲んで喉を湿らせると目を細めてシガリロを咥えた。
両脇で乾いた金属音を立てて凶器がスタンバイされた。
ブレードが起きた飛び出し式ナイフと、安全装置が外されて撃鉄が倒されたアストラ。
敵意剥き出しの刃と銃口。
間髪入れず切っ先が繰り出され、小さな銃口が突き出される。
彩名は瞬時にアクションを起こしていた。
背凭れの無いストゥールに座ったまま体を仰向けに180度倒す。
その体の上を交差するナイフ。彩名の右手はナイフを持つ肘を軽く押し、左手はアストラを持つ手首を固定した。
クラッカーより小さな発砲音。
可愛らしい空薬莢が宙を舞い天井に当って力無く床に転がる。
「ぶっ!」
「ギャーッ」
ナイフの切っ先はアストラを持つ手首の内側を深く抉り、アストラから撃ち出された25ACP弾はナイフを持つ男の伸びきった『腋の柔らかな部分』に深くめり込んだ。
手首の噴血を押さえる、パニックに陥ったアストラの男。腋下リンパ腺を銃弾で深く傷付けられて呼吸も出来ぬほど悶えるナイフの男。25ACPは護身用としては最弱かもしれないが、至近距離で人間が最も痛みを覚える部分に命中すると、死にはしないが死にたくなる激痛を覚える。
足元の足掛けに爪先を引っ掛けて再び上体を腹筋で戻す彩名。
「僕は被害者だよ?」
後ろ腰や脇に手を走らせる3人の男を見ながら肩を竦めてみせる。
そのおどけた態度が気に入らないのか男達は日本語の発声をなしていない怒声を挙げながら顎先で威嚇する。
バーテンダーは一言も発しない。
何も知らない素振りで氷をアイスピックで削っている。この店ではこの手のトラブルは当たり前なのか。そう思えばやけに真新しい壁紙や掃除し易いフローリングも意味深に見えてくる。
「イナセなのは良いけど早まった真似は止めてくれよ。僕は可哀相な被害者なんだ。見たろ? 正当防衛だ。君らと喧嘩しに来たんじゃない……呑みに来ただけだ」
「フザけんなっ!」
紫のジャケットを着た男が赤い顔でスナブノーズの5連発リボルバーを引っ張り出しVシネマの主人公でも気取っているのか腕を斜め気味に挙げて手首を不自然に下向きにしてそれを構える。
腕の腱筋が伸び切った状態で無理に保持するものだから銃全体が痙攣するように震える。