塵の行方

 走りながら弾倉を交換する。
 スライドは後退していない。14発目が薬室に送り込まれているだけであって弾倉内は全くの空だ。
 後ろをふと振り向くと、追って来ているはずの連中が先ほど射殺した一人の男の周りを囲んで首を項垂れるように見ていた。
 連中の熱が急激に冷めてきたのがその情景で理解できた。

 翌日。
 昨夜の出来事は『良く有るチーマー同士の衝突』という事で片付けられたらしく、地方版の新聞の片隅に小さく報道されただけで終わった。
  ※ ※ ※
 本題は……。
 たった一人の暴行魔を射殺するだけ。
 予想以上に難航していた。
 依頼人から提供される情報は確かに正確だったが寸でのところでいつも後手後手に回っていた。
 アパートの自室で何本もシガリロを灰にしながら腕を組んでいた。
 自分が無能だと落ち込むことは無いが、自分は運が悪いと凹む機会が多くなってきた。
 依頼人とは連絡は取れているので報告はしている。
 報告の度に悲しそうに沈む依頼人の顔。いっそのこと、依頼破棄を言いださんばかりに激昂してくれた方が清々しい。……それほど彩名は気分が落ち込んでる。
「……」
 シガリロを灰皿に押し付けて墨を磨るように揉み消すと窓を開けて中空にたゆたう紫煙を換気する。
 苛立ちの方向を少しでも紛らわせて頭をクールダウンさせるために広げた古新聞の上でベレッタM92FSコンパクトLを通常分解する。
 クリーニングキットを引っ張り出し、クリーニングリキッドが入ったボトルの蓋を開けると耳掻きの梵天に似た使い捨てクリーニングロッドを差し込んで良く液体を染み込ませる。
 鼻を突く酸性の異臭に顔を少し歪めて黙々と銃身を掃除する。
 スライドと機関部にたっぷりガンオイルを吹き付ける。通常分解で清掃できる範囲内での作動部位は全てダストブロアーを吹き、煤を落としてから防錆スプレーとオイルを施す。
 弾倉も空薬莢を詰め込んでスプリングの『弱り』具合を確かめる。弾倉にはワックス型の防錆成分が入ったオイルを塗りつけて15分ほど放置して表面に馴染むと軽くウエスで拭き取る。
 薬品で手入れしたベレッタを組み立てると、撃鉄を倒し撃針が連動する部位に薄いゴムパッドを挟み込んで空撃ちする。
 同じ方法でデコッキングさせて安全装置とデコッキングと引き金が連動しているか確かめる。
 照準と照星は3点の白色蛍光ドットを打ち込んだだけのシンプルな拵えだ。
――――ダメだ
 溜息を吐く。
 スライドを引き絞りスライドストップが掛かると薬室に実包を押し込んでスライドリリースレバーを下げてスライドを前進させる。
 安全装置を掛けて倒れたままになった撃鉄をデコッキングさせる。
 後退したままの引き金も静かにダブルアクションの位置まで前進する。
 これで安全に薬室で初弾を待機させられる。
 最後に13発の9mmパラベラム弾を詰め込んだ弾倉をマグウェルに挿し込んで終了。
「……」
 機械的に、何の感情も込めずに行ったいつもの作業。
 実のところ、苛立ちを払拭させるために行った作業だったが全く心が落ち着かなかった。
 放り出しているショルダーホルスターにベレッタを差し込むと。クリーニングキットを片付けておもむろに大の字に寝転がった。
 思いっきり伸びをする。
 今までに無いスランプに何事も空転している。
 天井を見つめながらシガリロを咥えて口をへの字に曲げる。
 割安で『執行代行業』を営む方針を打ち立てている以上、治安関係者に強力な内通者は雇えない。広く深い守備範囲を持つ情報屋も雇えない。必要経費が嵩むからだ。
 一般的な殺し屋より安く仕事を引き受けることをポリシーとしているので依頼人に必要経費の追加を申告するのは心が痛む。
 どうしても値上げや追加に関する、『それら』だけは避けたい。
 個人的に金を払ってでもブチ殺させて欲しいようなケースなので余計に躍起になる。結局それが空転の悪循環を生んでいるのだろう。

 早い夕食を済ませた後、タンブラーに濃い目に作ったウイスキーの水割りを一気に飲み干して早々に布団に潜り込む。実に胃に悪く荒っぽい寝酒だ。
 アルコールがゆっくり回り、身中に仄かな温もりを感じ始めた頃、眠りに落ちた。
 今夜の活動に備えて無理にでもゆっくり長く眠る必要が有ると判断したので酒に頼った。
 夢を見る間もなく彩名の意識は深く眠りの世界に落ちた。それは酒の効果か、蓄積する疲労か。

「もう少し早く情報をくれないか? 鮮度が命だろ?」
 1オクターブ低い声で彩名はセカセカとシガリロを吸いながら情報屋に発破を掛けていた。
 夜更けを知らない雑踏が幾筋も通る繁華街の路地裏で、不似合いなアップルベントのマドラスパイプを咥えた浮浪者を射殺さんばかりの瞳で見据える。
 40代後半と思われる、ボロを宛がってほつれを縫った作業用コートに身を包んだ浮浪者はチェリーフレーバーの煙をモクモクと吐きながら掌を出した。
「お嬢さん。鮮度もコレ次第だよ。あんたの料金じゃどうしても優先順位が下がっちまう。いつも思うんだが、もっと儲かる料金設定にしたらどうかね?」
「あーあー。そうかい。優先順位かい。いつも贔屓にしてやってるのに結局は守銭奴だな」
「何とでも」
「ふん。別にいいさ。義理人情でサービス割引してくれるなんて思っちゃいないよ」
「何とでも」
 漆でも飲んだ顔をしながら彩名は足元に半分程の長さになったシガリロを落として爪先で踏みにじる。
「あんたの出す金で買える情報屋なんかこの街じゃ皆同じだ。どこの情報屋も結局は足元を見ながら商売するんでね」
「解ったよ。まだ暫くはあんたの情報を頼ってやる。覚えてろ。僕がこの業界で天辺まで来たら完全な情報統制を敷いてやる」
「何とでも」
 この寒い夜空の下で夏の涼風に吹かれている顔をした情報屋に無様な捨て台詞をぶつけると踵を返して通行の多い毒々しい雑踏に出てカタギの通行人に溶け込む。
 客の呼び込み合戦が繰り広げられている界隈を通過する。
 何度、風俗店の呼び込みに袖を引っ張られたかわからない。その度にジャンパーの前を広げて豊かに実り過ぎて良く震えるバストを誇示したか知れない。
「んー……」
 何と無しに立ち止まった。
 その店の前を通過したのだが、一旦止まって、結局その店……小さなショットバーに入った。
 呑めるのならどこの店でも良かったのだが気紛れで足が向いただけの店だった。

 いらっしゃいの一言も無い無愛想なバーテンダーが二人。
 カウンターとボックス、合計20席ほどの若者向けを意識した店内だった。6割ほど客が入っている。
 客の全員がヤクザの若い三下に良く見受けられる、虚栄心に満ち溢れた派手な服装で、嫌な空気と苦い紫煙の中で下種な笑いを憚りなく撒き散らしていた。
 30代後半くらいのバーテンダーもカタギの顔つきをしていない。明らかに犯罪者かそれに準ずる職業の人間だ。
 明るい店内なのにそれだけで不健康な香りがする。
 壁に掛かったダーツのターゲットに洒落のつもりなのか安っぽいシースナイフが突き立てられている。どう見ても投擲して命中した物ではない。そこまで行って突き刺したものだ。
 柄の悪い連中には居心地が良いのだろう。もしかするとどこかの暴力団の傘下が経営する店なのかも知れない。
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