塵の行方

 彩名の両手が柔道選手のように男に組み掛かった。
 左手は男のリボルバーのグリップを握り、右手は男の襟首を掴んだ。
 抜いたリボルバーは予想通りコルトのリボルバー。コルトキングコブラ4インチだった。
 そのコルトを男の右脇から突き出して重いトリガープルの引き金を2発、引き絞る。
 轟音の中に確かに1発だけ、掌に乗るほどの肉塊を大きな金鎚で打ち潰した音がした。
 盲撃ちだったがラッキーショットが発生した様だ。
 右手に掴む襟首を持ち上げた途端、彩名に弾丸が集中した。
 彩名を狙った弾丸が集中しただけで命中精度は恐ろしく低いものだった。
 状況と戦力の分析は既に終了している。
 どう見ても脅威になる短機関銃は所持していない。
 マカロフと思しき中型自動拳銃やサタデーナイトスペシャルよりマシな38口径のリボルバー程度だった。
 時折マグナムリボルバーらしき発砲音が聞こえたが、全く扱いきれていないのかサイティングが鈍らなのか掠りもしないし跳弾も聞こえない。
 弾丸が盾にしている男の背中にめり込む度に男は衝撃で痙攣してオモチャのように震える。盾にした男は既に絶命している。
 男の体を貫通する弾丸は確認できない。フルメタルジャケット弾頭だとしても安い炸薬が当たり前のように使われる9mmマカロフなら人体貫通は実測上無理だ。38口径リボルバーにしても仮に38splの硬鉄弾頭でも人体を貫通するのは難しい。
 貫通したとしてその弾丸に彩名を殺傷するエネルギーが残されているとは考え難い。
 唯一の脅威であるマグナムリボルバーだが、小型害獣狩り用の硬鉄弾頭なら即刻排除しなければならない存在だが、そんな高価な弾薬をこの連中が入手、所持しているとは考えられない。
「……」
 静かな夜の一時を蹂躙する発砲音がホンの6秒間だけ続いた。
 連携も策も無く直感的に銃を抜いて好き勝手に一つの標的に射線を集中させたものだからトリガーハッピー的相乗効果であっという間に弾倉が空になったのだ。
 彩名は連中の途切れた銃火を見逃さなかった。
 シガリロを噛み潰しながら左半身のダブルハンドで撃発機構が磨り減っていない、明らかに発砲回数の少ない大型リボルバーを次々と発砲した。
 目標は再装填が早く終わった順から。
 コルトのシリンダーに残っている3発を発砲したがサイティングが滅茶苦茶で10m先の標的に満足に命中する物は1発も無かった。
 愛着のある武器ではないのでアスファルトの地面に落とし、体を右半身にスイッチすると同時にベレッタM92FSコンパクトLを抜き、背後3mの辺りに有る辻にバックステップを踏みながら駆け込んだ。
 親指が跳ね、ベレッタの安全装置を解除する。
 跳ねた親指の先はそのまま撃鉄を倒すモーションに入る。初弾は習慣的に既に薬室に送り込んであるのでスライドを引く必要は無い。
 真っ直ぐ後ろへと逃げるのは道路の都合上、難しかった。
 遮蔽物が無く何も無い直線の空間が広がっていては下手な鉄砲でも数が揃えば脅威だ。だから、廃屋街に繋がる辻を曲がり応戦を展開するつもりなのだ。
 それは連中が追撃してくればの話であって、諦めて尻尾を巻いてくれるのなら問題は無い。
 自分を常に有利な地形に置き、有効な打撃をいつでも確実に与えるのが銃撃戦に於ける一対多数の定石だ。
 同じ20人前後でも相手は海兵隊2個分隊ではない。
 タイミングを掴めば携行している火力で充分対応できる。
 幸い、この辺りの地図は図面上のものだが頭に入っている。
 自分がどこに入り込んで応戦準備を進めているかは直ぐに理解した。憂う点は、ここが連中の本拠地で無い事を願う事だ。
 連中が常に界隈を漂流する普通の社会不適格者の集団であることを願わずにはいられない。
 彩名の知っている紙の地図からは現地の空気は殆ど伝わってこない。この地区も何度か訪れたことがあるが、まさかこんな連中が出没する地区であるとは知らなかった。
「……」
 植え込みの潅木が並ぶ歩行者用通行路は使わず街灯の明かりがダイレクトに届き難い街路樹の脇を走る。
 僅かな光明下でのトレーニングも一応受けている。
 光源が無い室内でのCQBのカテゴリーに入るからだ。
 少し自信が無かったのは狙撃距離が計り難い事。人間の視神経は自身が思っている以上に奥行きに対する認識が強く、暗闇では距離を測る対象が無ければ毎日通る道でも平衡感覚を保って歩くことすらできない動物なのだ。
 射撃という特殊な状況であればその影響は顕著に現れる。
 幸い、街路樹や心許ない街灯が目測の対象として脳が意識下で捉えてくれているので「走る・隠れるという行動はたやすい。
 あれ程トレーニングした中距離狙撃がどこまで活かし切れるかが不安だった。
――――やっべぇ。
――――付いて来た……。
 怒声を挙げながら、時折発砲しながら20人近いゴロツキが廃屋街に雪崩れ込んできた。
 彩名が走って来た方向から相変わらず何の連携も無くやってくる。
 全員血祭りに上げる事は無い。何人か負傷させて自分達の手に負えない相手であるということを教育してやるだけで良い。

 彩名のベレッタ……と、いうより彩名の腕で言う中距離の狙撃射程は約40m。
 1秒間隔で落ち着いて狙撃すれば45リットルのペール缶のど真ん中に90%以上の確率でヒットさせることができる。
 街路樹を盾にダブルハンドで構える。左尺骨を木の幹に添えて簡易的な固定をする。
 連中の付近にある街路樹や街灯を目測の対象にしながら距離を測る。
 一人が自信を持って狙撃できる絶対の射程を通過したが未だ撃たない。
 二人。三人。四人。五人……。
 次々と通過していくが充分に引きつけるまで引き金に掛けた指の力を待機させる。
「……」
 顔を背けてとっくに火が消えたシガリロを吹いて捨てる。
――――さて。
 彩名の口元が吊り上がる。
 突き抜ける銃声が先制した。
 4個の空薬莢が茂みに落ちる頃に先頭を走っていた4人の太腿にそれぞれ命中し、怪鳥の声を挙げながらその場に転ぶ。
 続けて4発の銃声。
 回転不良の短機関銃の様な速射だった。
 最初の狙撃で4人が倒れた瞬間に驚いて立ち止まってくれたお陰で狙撃がしやすかった。
 かなり近付いていたという理由もある。
 左手で右脇のポーチから予備弾倉を引き抜き、交換準備を整える。
 心の中で連中が早く撤退することを念仏のように繰り返していたが、願いに反して連中は散開して物陰に隠れた。
 不自然なグリッピングで拳銃だけを突き出して盲撃ちを始める。
 一番近くのベンチの陰に潜んでいた2人に牽制する2発を叩き込んで盾にしている街路樹から植え込み5本分くらいの距離を遠ざかった。
 更に追っ手に2発。怯ませるだけの牽制が目的なので着弾は確認していない。
「!」
 不意に目前の、飛び込もうとしていた街路樹から連中の仲間が拳銃を構えて飛び出してきた。
「バカーッ!」
 咄嗟に撃った。
 その男の安っぽい耀きが消せないマカロフより早く彩名のベレッタは美しい火箭を吹いた。
 9mmパラベラムは男の胸骨の真ん中に吸い込まれて仰向け気味に膝をついて崩れた。
 即死だろう。
 今更人間一人殺したところで罪状は何も変わらないので焦りも驚きもしなかったが、大人しくしていれば見逃してやった命を粗末にしたその男を憐れんだ。
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