塵の行方
中距離以上の精密射撃では拳銃弾の威力は数値以上に落ちる。だから一撃必殺の殺傷力は期待していない。故に狙ったポイントに正確に当れば良い。
CQBで対処しなければならない距離と動体標的ならば狙わなくとも少し訓練すればタマは当たる。だが、一つの標的に2、3発叩き込まなければ確実な無力化は望めない。22口径だろうが44口径だろうがこの考えは変わらない。
この2種類のカテゴリーを状況に応じて素早く切り替えることが遮蔽物の多い市街地での銃撃に有効だと判断したのだ。
彩名の目的は理不尽と不条理に対する復讐。
その手段は最も原始的な物理的報復。
全く以って極単純な論法に拠ってアンダーグラウンドにどっぷり浸かる事になった。
頭の中はシンプルな構造をしているが、そのベクトルは確実に負の方を向いている。
どうしても明るい世界で生きて行く事ができない黒い素質が既に芽生えていたのだろう。或いは本来から持ち合わせていた性分なのかもしれない。
アンダーグラウンドへの入り口は当時は素人だった彩名には探し辛かった。
ポリシーとしてどこの誰の飼い犬になりたくないという思いが強すぎたために、暴力団やシェアの広いロシアンマフィアを介する手段を持っていなかった。
検挙率が下がり流入頻度が急上昇中の日本でもまだまだ銃社会ではない。
『コピー品』はおろか『密造品』も手に入らないので暫く会得した技能を持て余していたが、とうとう観念してとある組織の傘下に収まった。
例え一時の、国内で非合法に銃を購入するための手段とはいえその一時期は彼女にとって屈辱でしかなかった。
彼女が世話になったのは小さな暴力団の末端組織だった。
保持している火力は古式ゆかしいリボルバーのH&R M999が1挺だけだった。現在アメリカで生産されている殆ど唯一のトップブレイク式で22口径9連発の4インチモデルだった。
正規の工場で生産された割りとまともな製品で、一度も発砲していないのかクリーニングロッドを通しても全く煤が付着しなかった。
そのH&Rを持たされて末端組織の株を上昇させるためにライバル組織の幹部を射殺する事が最初の仕事だった。
決行にあたって持たされた弾薬は合計20発。国内の銃砲店から窃盗した22口径だったが、22口径ロングライフル弾ではなく22口径ショート弾だった。
それも射的競技用に炸薬を弱装調節されたマメ玉で、シリンダー分の弾丸を2mの距離から胴体に全弾叩き込んでも死に至らしめるには難しい。
幹部クラスともなると防弾チョッキを着ていると想定するのが普通だから彩名は早くも泣きたくなった。
弱装でも良いからせめて38spl5連発が欲しい。
所属する弱小組織は「装弾数が多い拳銃」という理由だけで、上層から回ってきた拳銃なので文句は言えずに大事に抱き抱えていたのだ。
アメリカでは22ショートと言えば古くから野良犬を追い払うのに使われてきた弱装弾だ。
5m離れた犬の額に直撃しても「銃身が4.5mでもない限り」致命傷を与えるのは難しい。無風状態なら50m先のターゲットペーパーに穴を開ける事が出来るが、人間の体は紙じゃない。
明らかに組織は彩名に期待を掛けていない。
それでも彩名は実行した翌日、ライバル組織の幹部が死亡するほどの致命傷を与える事が出来た。
単純な待ち伏せ狙撃。
10mの距離から。
撃鉄を起こしたサイティング済みのH&Rのバレル側のシリンダーとバレルをガムテープと油粘土で発射ガスが漏れないようにシールして固定。
調達してきた大型の商用ワゴンに偽装のためにそれらしい作業工具や資材を詰め込んでカムフラージュ。
彩名が乗り込んで待機する荷室の窓ガラスに直径5cmほどの丸い孔をダイヤモンドカッターで開ける。
即席の狙撃ポートから銃身を出さずに、孔から40cmほど後退した位置で銃を構える。
標的が背中を向けた瞬間に後頭部の頸の付け根――盆の窪――を狙って一発で仕留める。
ガムテープを捲って銃撃戦を展開するつもりは無かった。
22ショートの発射ガスや銃火、銃声はワゴン内部に吸収されて殆ど外部に漏れなかった。
シリンダーに施したガムテープと粘土の即席のガスシールで少しでも初速を高める。
理論上秒速15mは上昇したはずだ。
辛うじて人間の人体的急所に「一刺し」できる打撃力を得ることが出来た。
後は現場が騒然となったドサクサに紛れてゆっくり発車してトンズラした。
こうして、初仕事は見事な手腕で達成した。
彩名が上層部の幹部に逃走資金を貰った折、資金は半分で良いから密売人と繋ぎをつける方法を教えてくれと頼んだ。
意外と呆気無く密売人と連絡をとる手段を教えて貰って現在に到る。
逃走先で広いシェアを持つ独自の密売人組織を通じてベレッタM92FSコンパクトLと弾薬、アクセサリーを購入。
国内であればいつでも繋ぎが取れる心強い密売ルートだ。
銃火器以外は一切扱わないことで長生きしている老舗だ。麻薬だの人身売買だのと手幅を広げ過ぎると当局に嗅ぎ付けられる。
『執行代行業』を開店したのもこの頃だ。
「地下銀行の個人口座に振り込んでくれれば商談成立だ。それ以外の連絡事はトイメンで話がしたい。『難しい機械』は信用していないんだ」
彩名はスイッシャーのシガリロを咥えたまま火も点けず横柄な態度で目の前で射竦んでいる依頼人の顔を見た。
顔に殴られたものと一目で判る痣が何箇所か見られる。
化粧品のパウダーで隠しているつもりでも口元の酷い裂傷は隠しようが無い。彩名に会うまで花粉用マスクをしていた。
依頼人は若い女。20代前半だろうか? 顔に瑕を作っていても被虐に濡れた瞳が彩名の琴線を擽った。
陽射しの眩しい冬の昼下がり。猥雑な繁華街の喫茶店でのことだった。
「夜道で暴行されたので仕返しして下さい。銃で足元に撃たれて怯んだところを襲われました」……実に簡単な、それでいて奥の深い意味を持つ依頼だ。
彩名の仕事は大半がこの様な『弱者』からの依頼だった。
彩名自身、暴行されなかったらこんな仕事を旗揚げしていないので心情は深く察する。
依頼人が思い込みで仕返しという名の殺害を示唆しても地下銀行への振込みを確認すれば何の容赦無く銃を握る。そのあたりは倫理よりも商売人としての通念が勝っていたので葛藤は発生しなかった。
「分かった。何の『裏』も無さそうだな……振込みも確認した。その件は『飲む』。僕の目の前で携帯の履歴を全部消して画面を確認させてくれ」
それが依頼確認の流れだった。
※ ※ ※
仕返しの手段に四の五の難しい理屈や御託は何も無い。
標的の額に9mmパラベラムを叩き込めば全てOK。
頭部に7.5gのセミジャケッテッドポイントを初活力630J、毎秒410mで叩き込まれて立っていられる人間など人類の範疇ではない。
殆どの場合、被害者は泣き寝入りをさせられる人間が多い。
犯人を特定できていても世間の目が怖くて裁判まで持ち込めないのだ。
故に依頼人はできるだけの情報を惜しみ無く提供してくれるのでこの手の仕事は楽だ。
「……」」
――――嫌な空気だ。
彩名は3分の1ほどの長さになったシガリロを溝に吐き捨てて、依頼人が被害に遭ったと云う時間帯に現場の公園に立っていた。
CQBで対処しなければならない距離と動体標的ならば狙わなくとも少し訓練すればタマは当たる。だが、一つの標的に2、3発叩き込まなければ確実な無力化は望めない。22口径だろうが44口径だろうがこの考えは変わらない。
この2種類のカテゴリーを状況に応じて素早く切り替えることが遮蔽物の多い市街地での銃撃に有効だと判断したのだ。
彩名の目的は理不尽と不条理に対する復讐。
その手段は最も原始的な物理的報復。
全く以って極単純な論法に拠ってアンダーグラウンドにどっぷり浸かる事になった。
頭の中はシンプルな構造をしているが、そのベクトルは確実に負の方を向いている。
どうしても明るい世界で生きて行く事ができない黒い素質が既に芽生えていたのだろう。或いは本来から持ち合わせていた性分なのかもしれない。
アンダーグラウンドへの入り口は当時は素人だった彩名には探し辛かった。
ポリシーとしてどこの誰の飼い犬になりたくないという思いが強すぎたために、暴力団やシェアの広いロシアンマフィアを介する手段を持っていなかった。
検挙率が下がり流入頻度が急上昇中の日本でもまだまだ銃社会ではない。
『コピー品』はおろか『密造品』も手に入らないので暫く会得した技能を持て余していたが、とうとう観念してとある組織の傘下に収まった。
例え一時の、国内で非合法に銃を購入するための手段とはいえその一時期は彼女にとって屈辱でしかなかった。
彼女が世話になったのは小さな暴力団の末端組織だった。
保持している火力は古式ゆかしいリボルバーのH&R M999が1挺だけだった。現在アメリカで生産されている殆ど唯一のトップブレイク式で22口径9連発の4インチモデルだった。
正規の工場で生産された割りとまともな製品で、一度も発砲していないのかクリーニングロッドを通しても全く煤が付着しなかった。
そのH&Rを持たされて末端組織の株を上昇させるためにライバル組織の幹部を射殺する事が最初の仕事だった。
決行にあたって持たされた弾薬は合計20発。国内の銃砲店から窃盗した22口径だったが、22口径ロングライフル弾ではなく22口径ショート弾だった。
それも射的競技用に炸薬を弱装調節されたマメ玉で、シリンダー分の弾丸を2mの距離から胴体に全弾叩き込んでも死に至らしめるには難しい。
幹部クラスともなると防弾チョッキを着ていると想定するのが普通だから彩名は早くも泣きたくなった。
弱装でも良いからせめて38spl5連発が欲しい。
所属する弱小組織は「装弾数が多い拳銃」という理由だけで、上層から回ってきた拳銃なので文句は言えずに大事に抱き抱えていたのだ。
アメリカでは22ショートと言えば古くから野良犬を追い払うのに使われてきた弱装弾だ。
5m離れた犬の額に直撃しても「銃身が4.5mでもない限り」致命傷を与えるのは難しい。無風状態なら50m先のターゲットペーパーに穴を開ける事が出来るが、人間の体は紙じゃない。
明らかに組織は彩名に期待を掛けていない。
それでも彩名は実行した翌日、ライバル組織の幹部が死亡するほどの致命傷を与える事が出来た。
単純な待ち伏せ狙撃。
10mの距離から。
撃鉄を起こしたサイティング済みのH&Rのバレル側のシリンダーとバレルをガムテープと油粘土で発射ガスが漏れないようにシールして固定。
調達してきた大型の商用ワゴンに偽装のためにそれらしい作業工具や資材を詰め込んでカムフラージュ。
彩名が乗り込んで待機する荷室の窓ガラスに直径5cmほどの丸い孔をダイヤモンドカッターで開ける。
即席の狙撃ポートから銃身を出さずに、孔から40cmほど後退した位置で銃を構える。
標的が背中を向けた瞬間に後頭部の頸の付け根――盆の窪――を狙って一発で仕留める。
ガムテープを捲って銃撃戦を展開するつもりは無かった。
22ショートの発射ガスや銃火、銃声はワゴン内部に吸収されて殆ど外部に漏れなかった。
シリンダーに施したガムテープと粘土の即席のガスシールで少しでも初速を高める。
理論上秒速15mは上昇したはずだ。
辛うじて人間の人体的急所に「一刺し」できる打撃力を得ることが出来た。
後は現場が騒然となったドサクサに紛れてゆっくり発車してトンズラした。
こうして、初仕事は見事な手腕で達成した。
彩名が上層部の幹部に逃走資金を貰った折、資金は半分で良いから密売人と繋ぎをつける方法を教えてくれと頼んだ。
意外と呆気無く密売人と連絡をとる手段を教えて貰って現在に到る。
逃走先で広いシェアを持つ独自の密売人組織を通じてベレッタM92FSコンパクトLと弾薬、アクセサリーを購入。
国内であればいつでも繋ぎが取れる心強い密売ルートだ。
銃火器以外は一切扱わないことで長生きしている老舗だ。麻薬だの人身売買だのと手幅を広げ過ぎると当局に嗅ぎ付けられる。
『執行代行業』を開店したのもこの頃だ。
「地下銀行の個人口座に振り込んでくれれば商談成立だ。それ以外の連絡事はトイメンで話がしたい。『難しい機械』は信用していないんだ」
彩名はスイッシャーのシガリロを咥えたまま火も点けず横柄な態度で目の前で射竦んでいる依頼人の顔を見た。
顔に殴られたものと一目で判る痣が何箇所か見られる。
化粧品のパウダーで隠しているつもりでも口元の酷い裂傷は隠しようが無い。彩名に会うまで花粉用マスクをしていた。
依頼人は若い女。20代前半だろうか? 顔に瑕を作っていても被虐に濡れた瞳が彩名の琴線を擽った。
陽射しの眩しい冬の昼下がり。猥雑な繁華街の喫茶店でのことだった。
「夜道で暴行されたので仕返しして下さい。銃で足元に撃たれて怯んだところを襲われました」……実に簡単な、それでいて奥の深い意味を持つ依頼だ。
彩名の仕事は大半がこの様な『弱者』からの依頼だった。
彩名自身、暴行されなかったらこんな仕事を旗揚げしていないので心情は深く察する。
依頼人が思い込みで仕返しという名の殺害を示唆しても地下銀行への振込みを確認すれば何の容赦無く銃を握る。そのあたりは倫理よりも商売人としての通念が勝っていたので葛藤は発生しなかった。
「分かった。何の『裏』も無さそうだな……振込みも確認した。その件は『飲む』。僕の目の前で携帯の履歴を全部消して画面を確認させてくれ」
それが依頼確認の流れだった。
※ ※ ※
仕返しの手段に四の五の難しい理屈や御託は何も無い。
標的の額に9mmパラベラムを叩き込めば全てOK。
頭部に7.5gのセミジャケッテッドポイントを初活力630J、毎秒410mで叩き込まれて立っていられる人間など人類の範疇ではない。
殆どの場合、被害者は泣き寝入りをさせられる人間が多い。
犯人を特定できていても世間の目が怖くて裁判まで持ち込めないのだ。
故に依頼人はできるだけの情報を惜しみ無く提供してくれるのでこの手の仕事は楽だ。
「……」」
――――嫌な空気だ。
彩名は3分の1ほどの長さになったシガリロを溝に吐き捨てて、依頼人が被害に遭ったと云う時間帯に現場の公園に立っていた。