塵の行方

 彩名が伏せる廊下に銃口を向ける前にベレッタM92FSコンパクトLは速く火を吹いた。
 その影の頭頂部が火山のように骨片と脳漿を吹き上げて踊り場へ転落していった。
 僅かに確認できたシルエットから察するにその男が携えていたのはブローニングのオートリコイル式散弾銃だった。
 日本国内の銃砲店でも販売されているロングセラーの猟銃だ。グリップ部と機関部後部が特徴的で水鳥猟の初心者が入門編として良く使用する。それがこのように、室内戦では銃身とストックを切り詰めない限り不利なだけだ。
 散弾銃の男の後ろで悲鳴が聞こえた。男の声。恐らく散弾銃の男の死体を目の当たりにして驚いたのだろう。
 これで二人、仕留めた。
 背後の角からはこれだけの隙でも攻撃が無い事から一応の退路は確保できたと判断したが、何かが引っ掛かる。
 角の退路に向かわず今し方、昇ってきた階段の方へ向かい視線の先に飛び込んできた男が居る。
 腰を抜かしているその男に遠慮無しに2発の9mm弾をくれてやる。一番簡単に無力化できた。
 散弾銃の男も腰を抜かしていた男も立体駐車場で叩き伏せられた男だった。
 ブローニング散弾銃の実包を排出して歪みの無いモデルガンの様に通常分解して捨てる。
 腰を抜かしていた男が持っていた9mmパラベラム仕様の民生向けノリンコトカレフも分解して捨てる。
 3人仕留めた。
 この山荘にどれだけの敵が潜んでいるのかは知らないが立体駐車場での男達は全ていると考えた方が良い。そこへ近木をプラスだ。頼りにしていた情報屋が買収されていたのでは、その情報の価値はゼロだ。
「なに!」
 背中に寒気が走った。
 踊り場から背中を振り向きもせずに1階へ飛び降りた。
 直後に背後で耳を聾する爆発音が聞こえた。山荘全体が揺さぶられるような錯覚に陥る。
「ヒャーッ! あの女! 避けたぜ!」
 聞いた事の無い声がする。
「ウラーっ! もういっちょ!」
 玄関ホールから正面に逃げてしまっては、遮蔽物が無いので危険だと直感が囁いた。
 この山荘に侵入してきた通路を逆に走り出す。
 その直後にまたも爆発。
 爆圧で背中を押されてうつ伏せに廊下を滑ってしまう。
「オラ! 行けよお前ら! トドメ刺してこいよ」
「っせーよ! 命令すんじゃねーっ」
「もう死んでんじゃね?」
 鼓膜が破れたと思った耳に3人分の男の声が入ってきた。
「おいコギちゃんよぉ。こん中でそんなモン使うなよー。あのクソ女は一遍、全部の穴に突っ込まないと気が済まねーんだ」
 プラスチックを焼いたような臭いがする。対人手榴弾のヒューズが焼ける臭いにも似ている。
 床を這いずって手から離れたベレッタを探す。
 爆発物の煙で霞む目でベレッタを探し当てて立ち上がる。
「ヒャッハ! 生きてるゼ!」
 シュポンという間抜けな『砲撃音』。砲弾は彩名の左脇を抜けて正面のLDKへと続くドアに直撃してオレンジ色の球体を具現させた。
 またも爆圧で弄ばれて彩名の体は今度は仰向けに押し倒された。
 頭が、心臓が、臓腑が、空気を伝う大きな圧力で撹拌されて眩暈と吐き気を覚えた。
 方向感覚も平衡感覚も一切が掻き混ぜられて自分が寝転がっているのか立っているのかすら解らない。
 糸の切れた人形のように力無く立ち上がる。
 鈍い判断力と僅かに回転する記憶を手繰り寄せて情報を統合する。
――――この通路に…2箇所、上に上がる階段が有ったよね?
――――アレ? ここは『ドコ』だ? 僕はどっちを向いてる?
 霞む目がより強い光源で霞んだ。
 誰かが照明を点けたらしい。
――――つっ!
――――足! やられた!
 右太腿にたった今木っ端微塵に吹き飛ばされた木製のドアの破片が突き刺さっている。
――――深くはない……けど、痛い!
 全ての神経が痛みに集中する。その過程で痛みを脳に伝達させる微電流以外はカットされた。
 一時的な新陳代謝の停止を体感しているのが解る。
 痛みという情報は右脳を原始的な方法で活性化させた。
 彩名だけの特殊能力ではない。人類に分類される人間ならば個体差は有っても必ず備えている大脳生理学的作用だ。
 音源と方向感覚が痛みの情報と共に脳髄に伝えられる。
「!」
 脊髄反射的に彩名の右手だけが、ベレッタM92FSコンパクトLを握る手だけが『その方向』に突き出されて引き金をダブルタップで引き絞った。この期に及んでも右手がベレッタを離していなかったのは僥倖だ。
 理性の範疇に無い、全くの原始的運動神経が彩名に一矢を解き放させた。
「がっ! ぐうっ」
 呻き声。膝を突いて崩れる人間の『音』。
「コイツ! クソアマぁ!」
 聞き覚えがある声。
 立体駐車場で聞いた声。
――――ん? …ああ。スナブノーズを『バカ』にしてやった間抜け野郎か。
 脳裏でそんな記憶情報が引き出されるが膝から下に急な脱力を感じて尻餅を搗くように座り込む。
 幾筋かの遅れた前髪を拳銃弾が風圧で弾いた。
 瞬きの何百分の一でも遅れていればその銃弾は彩名の顔面を吹き飛ばしていた。
「祈れ。間抜け」
 彩名は呟く。


 痛み。痛み。痛み。
 痛み。痛み。痛み。
 痛み。痛み。撃つ。

 激痛しかない体感の情報の中から行動する命令を拾った彩名の本能は大袈裟な音を立てて撃鉄が倒れる音を聞いた。
――――撃鉄。回転式。軽い引き金。狙う。
「……撃つ」
「殺してから掘りまくってやる!」
 彩名の呟きは男の罵声で掻き消された。
 腹に響く轟音が狭い廊下に轟き火箭の屑が彩名の頬にまで届いた。
 胡座を書いている股の間でダブルハンドで保持したベレッタの銃口から硝煙が立ち昇っている。
 彩名の頭は項垂れたままで『標的の間抜け野郎』を見ていなかった。
 先日の立体駐車場以来の顔合わせだった男は額をから後ろ半分の頭部を消失させたまま仰向けに倒れた。
 右手には6インチ銃身のS&W M629クラシックを握っていた。男の放った44マグナムは彩名の右頬の輪郭に擦過傷を付けただけだった。
「しっかり……グリップを握れっつったろ」
 彩名は僅かに回復した意識を左手に注いだ。
 しっかりと右足に突き刺さった木片を掴み自分で抉り抜く。
「あああああああっ!」
 泣き叫ばんばかりの悲鳴。
 偶然なのか計った上での事なのか、自分の両脇に立っていた二人の男が瞬く間にことごとく打ち倒された事実を見て近木は言葉を失った。座ったまま何もできないはずの女が、こちらを視ずに『銃口だけを向けて引き金を引き絞ったら、両隣の男の頭を吹き飛ばしたのだ』。
 先程までの軽口じみた言葉は失せている。
 項垂れた頭をゆっくり上げた彩名の瞳は完全に精気を取り戻し、刺し殺す勢いの殺意を燃やしていた。
「くっ、クソ!」
「初めまして。近木。初対面でなんだが、そんなモノ捨てて、女を嬲るためだけの拳銃を抜けよ」
 不健康そうな長身痩躯で肩下まで有る頭髪を無造作に後頭部で束ねている男は、無様に尻餅を搗き、足を負傷して右頬から細い血の筋を流している女の視線に影まで縫いつけられた。
 近木は右手に携えた、銃身とストックを切り落としたM79グレネードランチャーを震わせていた。
 彩名は無造作にベレッタM92FSコンパクトLを床に置き、フライトジャケットのポケットからシガリロを取り出した。
 自分のアパートで寛いでいるように穏やかな顔でシガリロに火を点けて煙を悠々と一吹き。
 全ての苦痛がこの一本で解消された気分だ。
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