塵の行方

 或いはSIG ザウエルのコピー品かもしれないが、その銃口から吐き出される弾丸の殺傷力は何も変わらない。一般的な9mmパラベラム弾と想定しても自分が使用している弾薬と同じなので余計に慎重な足取りになる。
 希望と予想に反して乱暴に扱ってきた体が、異性には性的魅力しか覚えさせない体型になってしまったために防弾チョッキは窮屈で仕方が無い。
 男性用の大型サイズでは衣服が不自然に盛り上がって素人にも勘づかれてしまう。女性用に防弾コルセットや防弾ビスチェがあるが生憎、彩名の豊かな肉球が優しく収まる拵えではなかった。
 結局、いつもと変わらぬ服装で現場へ。
 防弾チョッキなど体に弾丸の侵入を防ぐだけで衝撃ダメージはダイレクトに伝わる。肋骨位は簡単に折れるし、内臓破裂を起こすことも有る。12番口径マグナムの散弾も止める、鉄板入りのクラスCアーマーは重過ぎて行動の邪魔だ。
 速やかに。
 スマートに。
 要は敵に反撃の余地も与えず接敵の気配も感じさせずに始末すればそれで全てがお仕舞い。彩名の殺し屋としての面目が保たれる。
 禁煙区域の遊歩道を黙って歩く。
 無性にシガリロが吸いたかったがここで目立った行動をして付近の人間に余計な印象を与えてはマイナスな要因にしかならないのでグッと堪える。
 緩やかな坂道を2kmほど歩いて漸く目的の山荘の50m手前まで来た。突っ立て居ても怪しまれるだけなので意を決して山荘の前を通り過ぎた。
 いかにもな山荘というより、住宅街でよく見られる大型2×4の外観をした建物だった。
 柵も防犯設備も見当たらない。広い芝生の敷地がこの山荘の敷地なのだろう。2階の幾つかの部屋で明かりが点っている。
――――近木が一人で住んでいるんじゃないのか? 
 近木の山荘の前を通行人の振りをして通過した時に具体的とも抽象的とも表現できない違和感を覚える。獣的な勘で僅かに危険臭を察する。
 彩名は一旦坂道を下って人の出入りの少ないコンビニを見つけたので吸い込まれるように入った。

 缶コーヒー片手にシガリロを咥えて簡単な作戦を練ってみる。
 再度、近木の山荘に戻って人の気配が複数感じられるのなら今日は中止。
 決行するのならもう少し時間が経過してから裏手に回って侵入し、近木の姿を確認次第射殺してお仕舞い。

 考えがまとまると空き缶をゴミ箱に放り込んでシガリロを灰皿に押し付けた。

 結局、勝手口から侵入することに決めた。2階の窓の一室だけに明かりが点いていたからだ。
 勝手口付近には確かに人間が生活している生活臭の塊が、分別されていないゴミの山が確認できた。誰も回収にこないのか悪臭が漂う。
 勝手口のドアノブにハンカチを被せてゆっくり回してみる。板バネが外れる小さな音がして簡単に開いた。
 ドアの隙間からは一切の明かりが漏れてこない。照明を消しているのだろう。
 左脇からベレッタM92FSコンパクトLを抜いて安全装置を外す。撃鉄は倒さず初弾はダブルアクションで撃発させるつもりだ。
 頭を低くして床を小さな歩幅で歩く。屋内に上がり込む。
「……」
 明かりを点けるのは危険なので、暗さに慣れてきた目と感覚だけを頼りに腰を落として歩き出す。
 ベレッタを両手で構えて右半身の体勢を取り、やや崩れたフォームで音を殺して前進する。できれば吐息も押し殺したかった。
 広いが乱雑に散らかったキッチンを抜けてリビング、ダイニングと遮蔽物を利用して室内を視界に収める。
 複数の人間で構成される突入チームではないので、タクティカルライトは自身の居場所を示す恐れが有るために装備していない。ベレッタM92FSコンパクトLにはライトを装着するレールマウントは想定外の装備だ。
「……」
――――気配はある。
 広いだけのリビングとダイニング。
 複数の人間がごく最近までここに居た証拠の新しいゴミが幾つか見られる。
 乱交パーティでも開いたか? 新しい獲物でも連れ込んだのか? ゴミ箱には使用済みのゴムが幾つも捨てられていた。
 室内の暗さに対して彩名の視覚が順応してきた。
 窓から差し込む街灯の明かりや月明かりが援護してくれた。
 3ヶ所ある内のドアの一つを開ける。どこに通じているかは知らない。勘で開けただけだ。
 そのドアは玄関まで続く長い廊下に通じていた。
 途中で2箇所、2階へ上がる階段が有ったが無視して1階の制圧に専念する。
「!」
――――居た!
 玄関ホール正面に立った途端、左手に見える2階へ通じる階段の上で人の気配を感じた。
 刹那。
 素早く頭をもっと低くして、階段の踊り場へ向けて発砲した。
 普通の人影なら銃口で脅してやれば良いが、その人影は明らかに武装していた。
 鏡面仕上げで4インチのS&Wリボルバーが階段から転げ落ち3発程暴発させながら彩名の目前に滑ってきた。
 続いて体を屈ませて腹の辺りを押さえた人間の影が見えた。
 この男の銃が闇夜でも良く目立つ鏡面仕上げでなかったら少しばかり遅れを取っていただろう。
 落ちてきた銃を拾う。素早くスイングアウトして乱暴にエキストラクターを押して残弾を捨てる。後方からやってくる敵戦力にこの銃を使わせないためだ。尤も同じ弾薬を携行していれば全く意味の無い行為に終わる。
 S&Wリボルバーを捨て2階へ駆け上がる。踊り場で虫の息になっている男の顔を見て彩名の顔は冷たく引き攣った。
「お前……!」
 驚きのあまり、小さく呟いた。
 先日の立体駐車場で彩名が伸した男の一人だった。
――――!
 ほんの指弾ほどの時間で彩名の違和感は氷解した。
――――『喰わされる』!
――――ヤラレタ!
 あまりにも状況が出来過ぎていることに気がつくのが遅かった。
 いつも贔屓にしてやってる情報屋は近木とその取り巻きに抱き込まれていたのだと直感する。
 所詮、情報屋など、ネタを高く買い取ってくれる人間こそが本当のスポンサーだと思っている人種だ。
 あの街角の界隈では情報屋同士のダブルスパイも珍しくない。直接的にしろ間接的にしろ、あの情報屋は近木サイドの人間になっていたわけだ。
 携帯電話を奪ってからの徒労ともいえる思わせぶりな、連絡無しの3日間は彩名を焦らす準備期間だったのだろう。
「……やべぇ!」
 階段を降りて撤収しようと考え、踵を返した時、階下から二人分の足音が聞こえてきた。
 二人共武装していると考えた方が自然だ。
 挟み撃ちされたら一巻の終わりなのでこのまま2階へ駆け上がる。
 この建物で使われている建材は殆どの部分が合板とモルタルの合成なので9mmパラベラム弾クラスなら簡単に貫通する。それは有利でも有り不利でも有る。連中も同じ条件だからだ。
 2階に到達した瞬間に伏せて不自然なプローン体勢で廊下に寝転がる。
 素早く銃口を振って直線上の通路を確保すると立ち上がって壁に背を任せながら走る。
 右への角が見えたのでしゃがんで角の向こう側を覗いて一瞬で頭を引っ込める。
「居た!」
 背後で声がした。
 脊髄反射的に床に寝転がりながら体勢を180度反転させて声の方向へ向き敵に対して体の表面積を小さく見せてベレッタを構えた。
 完全に退路を確保していないこの角を曲がって逃げるのは危険だと動物的な勘が囁いたのだ。
 その影は長物を苦労して振り回していた。
 踊り場では長い銃身が邪魔で仕方なかったのだろう。
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