塵の行方

 残念ながらピエトロ・ベレッタ社の思惑通りには行かずに違うマーケットを開拓してしまった。
 所謂、アオウトブシェアな商品を彼女は愛用の仕事道具としていた。本来の市場を外しただけで違う方面ではそれなりの評価だったのだ。

 米軍にM9のモデルネームで登録されて以来、米軍を最大の得意先とするべく様々な仕様のベレッタM92FSことM9を送り込んできた。
 1988年から本格的に納品し始めたそのモデルはパイロット、車輌運転手、前線から離れた位置で指揮を執る将校等に向けて開発されたM9のカットダウンモデルだった。
 実際は火力を求める兵士には不評でM9に慣れた将校からも重心バランスが悪いと押し並べて不評だった。
 それでも制圧力と本体機能はオリジナルM9と大差無く、主に米軍の兵士が非番の際に携行する護身用拳銃として水面下で浸透していた。
 M9より装弾数が2発少なく、全長が2cm短い。
 欧米の民間ではベレッタピストルのヘビーユーザーやコレクターが所持している程度の認識しかない。
 『ベレッタM92FSコンパクトL』
 大型軍用拳銃のカットダウンやショートモデルが流行していた時代に生み出された自動拳銃だ。
 年月が流れても様々な改良を加えられて未だにベレッタ社のカタログにしっかり明記されているスタンダードモデルである。

 「んー。悪くは無いよ」
 御刀彩名(ごとう あやな)は贔屓にしている密売人にこう語った。
 「タマ数を犠牲にしても13+1発は丁度良い。それ以上のタマ数になるとグリップが出っ張って携行性が無くなる。全長も高が2cmされど2cmだね。どんなに携行性を高める為でもワルサーP-5みたいに極端だったら命中精度は望めないね。銃身はせめて4インチは欲しい。ドンパチが始まったら銃身が1cmでも長い方が有利。これは明白だね。でも、9mmパラベラムの戦闘力と制圧力は欲しい……薬室に装填したままでも安全に持ち運びしたいからデコッキング連動の安全装置は欲しい。SIGのシリーズも良いけどデカイ。嵩張る。右手でしかデコックできない。だから除外。それに今のベレッタ社の9mm拳銃は短機関銃用の強装弾を使ってもガタが起きない用に改良されてるから安心してどんな9mmパラベラムも使える」
 彩名にとってはこのフラットブラックの肌をした、全長197mm重量910g装弾数13+1発、口径9mm×19弾のベレッタM92FSコンパクトLが一番、性格と手に馴染んでいた。
 慣れてしまえば米軍兵士が声を揃えるような重心バランスも気にならないし仕事上、大火力も必要なかった。
 彩名が望んでいるのは携行するのに不便でない、『ある程度』だ。
 全長も装弾数もそこそこ。全てが悪くない数字だった。
 やや携行弾数に不安を感じるのか、システムショルダーホルスターの右脇には3本の弾倉を差し込めるポーチを繋げているし、左後ろ腰にはいつも2連マグポーチがベルトに通されている。間髪入れないマメな弾倉交換で火力不足をカバーする戦法だ。

 彩名はオーナーフリーの……誰にも飼われていない殺し屋だ。
 殺し屋という肩書きが陳腐過ぎて恥ずかしいので本人は『執行代行業』と名乗っている。
 今風の芸の無い、サプレッサーも装着していないハジキを用いた殺し屋だ。
 それなりの金を積まれれば生後3日目の子供でもアメリカ大統領でも殺害する所存だが、残念ながらそのような過酷な仕事は舞い込んだことが無い。
 それもこれも、彩名がまだ若いから完全に暗黒社会から嘗められているのだ。

 御刀彩名。23歳。
 身長174cmの華奢にも見えるスレンダーボディに芯まで柔らかい紡錘形の凶暴な美乳を持つ。砂時計を思わせる腰の括れに女性の丸みを凝縮したような尻とバネが良く利いた伸縮性豊かな四肢。特に太腿は性的な意味で一見に価する。
 艶やかな黒が眩しい、ボーイッシュなショートカット。
 瞳が大きく童顔気味な造りをした少年顔。だが顔のパーツの一つ一つはきめ細かく洗練され、しっかりと女性である事を引き締まった鼻筋と輪郭でアピールしていた。
 普段着は予想を裏切らず活動的なパンツスタイルを基準に男物のジャンパーやジャケットを羽織っている。
 上着はホルスターを隠匿すると言う大きな意味が有るのだが、それと同じ位に男物ファッションに憧れていた。
 改めなければと思っていても未だに一人称は『僕』。
 小さな頃から男の子より女の子に人気が有った。
 学生時分からあまたの告白を断るのに苦労した。断る相手が男なら初めから相手にしないのだが、告白される相手が女であれば無碍にできない。バレンタインデーとホワイトデーが憂鬱で仕方が無かった。
 幼少の頃より冒険心が旺盛で、常に近所の悪ガキを束ねる地位にいた。
 自分が女性に分類される性別であることを完全に忘れ去っていて初潮を迎えた時はパニックに陥ったものだ。

 在学中は女子バスケット部のエースで鳴らしたが、高校を卒業すると同時に自衛隊に飛び込む。OLをしている自分を想像するだけで寒気がして安穏な日常から逃げ出したかった。

 教育隊で扱かれている時に転機が『何事も無く、普通に』訪れた。

 休日の夜に宿舎に戻る道での事。
 帰る時間ばかりを気にして人気も街灯も無い路地を帰路のショートカットに選んだ彩名に非が有ると責めるのはこの際、どうでもいいことだ。
 完全に非が有るのは彼女を自分達の無責任で勝手な性欲を満たそうとする社会不適格な人種連中の方だ。
 彩名は夜陰に紛れてつけてきた4人の男達にレイプされた。
 理由はそれだけだった。
 精神的打撃は大きかったが半日も泣きながら過せば忘れ去ってしまった。
 勿論、警察には被害届けを出した。
 女系体育会系で構成される教育隊での自分の居場所は無くなった。あっと言う間に自衛官への道は閉ざされたが、得た物は大きかった。
 彼女の今後の人生設計である。
 貞操観念の薄い彩名は大したダメージを心に残さなかったが、男如きに自分ともあろう者が負けてしまったことが許せなかった。
 教育隊でも視線が刺すようにきついものでなければ、まだ席を置いていても良かったのに事件性が大きくなることを恐れた『上』が除隊を勧めたのだ。
 マーブル模様を描いて渦巻いていた自分の心が一つの答えを導き出した途端、ソルジャーオブフォーチューンを片手に渡米していた。
「男に負けたくない」
「人間の力をチャラにするモノが有る」
 それは『女は弱いもので、力の強い男は何をしても許される』という考えをした一部の人間に対する復讐心だった。
 その心は、ふつふつと滾る熱いものではなく、冷たく耀くまで研ぎ澄まされた刀身の秋水そのものだった。

 渡米しても大したカテゴリーを修得した訳ではない。
 拳銃を用いた中距離精密射撃からCQBへの『切り替え』ばかりを重点的に訓練した。
 つまり、目の焦点の合わせ方と射撃スタンスの瞬間的なスイッチだ。
 根底では拳銃弾を信頼していないからそのような訓練コースを選択した。
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