パッションピンクは眠れない(全年齢版)

――――おかしい!
 真田は依頼人から聞いた犯人連中が屯していると聞いてる現場に到着したが、どれだけ探っても人間が集合している気配や痕跡が無いのだ。
 頭に叩き込んだ依頼人とのメールのやり取りを全て思い出すが、日が高い時間帯は犯人連中がここでたむろしているはずだ。
 凡そ人の気配がしない。
 ただの廃工場の一角。
「真田…『喰わされた』?」
 ストックを伸ばしたスコーピオンを両手で保持して真田の背中に張り付くように辺りを警戒している貴子。
 流石に貴子も空気が違う事に気が付いたのだろう。顔が強張っている。
 真田は貴子の方を振り向かずにスチェッキンを抜いて安全装置を解除する。親指でスライド左側面の安全装置を確実に解除させる。貴子のスコーピオンはいつでも猛然と32口径をバラ撒ける。
「お嬢様! 下がっていて下さい! やられました。離脱しましょう!」
 真田が叫んだと同時に一発の銃声と共に貴子のコートの右脇と真田のジャンパーの左脇を衝撃が貫通した。
 もう少しずれていたらたった一発の狙撃で二人が絶命するところだった。
「!」
「っ!」
 二人はお互いの左右、正反対の方向へと上半身を屈めて走り出す。
 二手に分かれたことによって狙撃を撹乱できると考えたからだ。
 二人がこの状況を予想して打ち合わせをしていたわけではない。体がそのように反応して思考が後から追い付いてきた。
 真田は錆びた廃材が積まれた位置まで来るとその陰に飛び込む。貴子は大人二人分が余裕で隠れられるコンクリートの分厚く堅牢な柱の陰まで転がり込んだ。
――――銃声と同時に着弾した!
――――敵は近い!
 二人は改めて、ごっそりと衝撃波でもぎ取られた衣服の一部を見て震え上がった。
――――NATO弾? 308?
――――5.56mm弾じゃないよね?

 寒さで体の心から冷え込むほどの時間が経過した。
 それ以上に冷や汗で寒気を覚える膠着状態が続く。
 情報を総合するに、近距離とはいえ相手は狙撃手だ。周囲を窺うために頭を覗かせることも出来ない。
「!」
 廃材の陰から見慣れたスタジアムジャンパーが横っ飛びに飛び出るのが見えた。
「バカ!」
 銃声。
 と、同時にスタジアムジャンパーの背中に穴が空いてスタジアムジャンパーは地面にゆっくりと落ちた。
 ジャンパーは裾に括られた紐によって再び廃材の陰に戻る。
「……ばかっ」
――――心配したじゃない!
 真田が一考した作戦を無駄にしてはいけないと、今し方得られえた情報を解析する。
――――銃声が反響して正確な位置が掴めない!
――――次弾が無い。オートじゃないの? ボルトアクション? 
――――心なしか鈍い銃声だった様な……。
 近距離過ぎて狙撃銃は振り回す角度が大きくなるので不利なはずだが……。
 寒風の向きが一瞬だけ変わった。
「!」
 微かに硝煙の匂いが流れてくる。
――――そうよ!
――――私と真田が直線上に居る時にタマが抜けていったんだもの!
――――『私達と同じ目線』に敵は居る。高い位置じゃない!
 貴子はコートを脱いで両手で裾だけを強く握って柱の陰から大きなアクションで旗のように振る。
 貴子の真意を悟ったわけではなかったが真田は貴子が振るコートと対極の位置に首を向け視線をあらゆる方向に走らせた。
 反響して特定し難かった狙撃銃の発砲音だったが、遂にマズルフラッシュを確認した。
 それは目を疑ったが現実として貴子のコートを狙撃すると『僅かに突き出た銃口が地面に引っ込んだ』。
 貴子は恐らく自分のコートを撃った狙撃手の位置を特定できていないだろう。
 だが……。
 真田はスチェッキンのセレクターをフルオートに合わせるとうつ伏せに寝そべって伏せ撃ちの体勢を取って巧妙に地面と同じ色の素材でカムフラージュされた『地面』に向かって引き金を引いた。
 射撃速度調整装置……リートレデューサーが組み込まれてダブルハンドでフルオートの反動が制御し易いスチェッキンが毎分750発の速度で9mmマカロフ弾をその周辺――真田はその一点を狙っているつもりだが反動を抑制できないでいる――に跳弾する射入角ギリギリの角度で叩き込んだ。
 スチェッキンのスライドが後退したまま停止すると、素早く立ち上がり弾倉を交換しながらその30mほど先の『地面の一部』に向かって走り出した。
 弾倉を交換するなり銃身も焼けよとばかりに激しいフルオート射撃でその部分を目がけて発砲する。
 貴子も柱の陰からスコーピオンを構え、辺りを警戒しつつ小走りに真田が目指す地点まで来る。
「……」
「……」
 防水フェルトを張ったベニヤ板に周りの地面と同じ砂利を乗せたシェルター的な入り口が9mmマカロフ弾の猛射でズタボロになる。
 真田がベニヤ板を捲る。
 間髪入れずベニヤ板の真正面に回りこんで貴子が地面下にぽっかりと空いた空間にスコーピオンの銃口を向ける。
 1.5m立方の空間に30代半ばと思われる、禿頭の男が頭頂部を9mmマカロフ弾に削り取られる様に吹き飛ばされて絶命していた。SWATを連想させるシステマチックな黒装束に身を包んでいる。
 真田が穴に下りて簡単に探索する。禿頭の頭部から圧力で圧壊した脳漿が流れ出る、生々しい損傷を見て湿り出す貴子。
「お嬢様」
「……」
 貴子を見上げながら真田は1挺の大型シルエット射撃用拳銃を摘み上げた。
「……何? それ? 一発しか撃てないの?」
「12インチバレル、45-70弾。シングルショットのトンプソンコンテンダーです。予備ダマは全てシルバーチップ弾頭のワイルドキャットカートリッジです。俺達を猪か何かだと思ったんでしょうか?」
 真田の指がピンと閃き45-70弾が舞う。それを捕まえた貴子は不思議そうに見ていた。
 真田が冗談目化して皮肉な笑いを頬に浮かべた時、真田は『糸』を踏む感触を靴の裏から感じた。何気無しに足元を見る。
「!」
 笑い顔のまま真田の顔が凍る。
「? どうしたの?」
「お嬢様! 申し訳有りません!」
 焦燥にかられた形相に変貌した真田はスチェッキンを貴子に向け、彼女が何も行動を起こす間も、何事も喋る間も与えず引き金を引いた。
「っあ!」
 胸に9mmマカロフ弾を被弾し大きく仰向けに貴子は腰から派手に尻餅を搗いて一瞬、大の字に寝転がった。
 たった1発の、至近距離からの9mmマカロフ弾は貴子の小さな体を吹っ飛ばすのに充分なエネルギーを持っていた。
「な、何する……」
 起きようとした途端、狙撃手が掘った地面の穴が爆発した。
 肺の空気が搾り出され胃袋が圧力で破裂したかと錯覚した。
 鼓膜は破裂する寸前で鼓動が警鐘のように激しく跳ねる。
 空から土砂が降り注ぎ、土煙と爆発物のものと思われる鼻を突く爆煙で全く視界は利かなくなった。
 立ち上がったのに躓いて再び膝から倒れる。
「げほっ、げほっ……さ、さな、真田! 真田!」
 目をきつく閉じた状態で真田を呼ぶが返事が無い。
 20秒もすれば閉ざされた視界が、寒風により綺麗に吹き流してくれた。
「さ、なだ……」
 穴の縁にスチェッキンを握る真田の腕が掛かっていた。
 四つん這いで寄って真田の腕を握るが感触は『軽かった』。
「……真田……」
 引き千切れた上腕部だけが縁に引っ掛かっていた。
 穴の底では小さな炎が燻り、真田と禿頭の死体が有った。二人とも爆圧で内臓が地面にばら蒔いたようにはみ出し、目玉が飛び出している。
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