パッションピンクは眠れない(全年齢版)

 慌て気味な威嚇と牽制が混じった発砲音が駐車場に轟く。
 32口径のスコーピオンより大口径なのは確かだ。
 空洞の大きな空薬莢が疎らに排出される。9mmパラベラムか45ACPだろう。最近では1911(ナインティーン・イレブン……コルトM1911A1のコピーを総じてこう表現される)が格安で手に入る。
 小型軽量を売りにしている旧ソ連製のマカロフより確実に作動し、定番の軍用トカレフより安全に携行できることからアンダーグラウンドでは人気が有る商品の一つだ。価格が安く弾薬の入手が簡単というのも理由の一つである。
 1911の装弾数は少ないが1発当たりの破壊力が大きい。
 口径が大きいから当たり前の話しだ。単純に計算すると45口径1発の対人停止力は32口径3発分に相当する。銃種と弾種の設計思想の違いから来る『不利な条件』だ。
 連中の持つ大型自動拳銃は1発で相手を無力化させることを主眼としたコンセプトで、貴子のスコーピオンは一つの標的に多数の中口径弾を集中的に叩き込んで確実に殺害する暗殺用の短機関銃だ。
 スコーピオンは軍用車両の運転手などの護身火器として開発されたという謂れが有るがそれは半分、欺瞞情報だとされる。
 本来はこれを隠し持ち、敵国の要人を至近距離から銃撃して確実に速やかに殺害する『隠し武器』としての側面が強い。
 つまり、スコーピオンは多数の人間に対して使用する殺傷兵器ではない。
 戦闘力不足を補う意味で9mmマカロフ仕様や9mmパラベラム仕様が少数開発されたが市場にはあまり出回っていない。32口径モデルの持つ携行性が失われているからだ。
 『普通の短機関銃』のように遮蔽物ごと標的を蜂の巣にする威力を持ち合わせないスコーピオンはこの状況では相手を牽制する以上の効果は望み薄だ。
 何より……。
 貴子のスタイルではない。
 一発必中。一撃必殺。
 一番苦手な心構えだ。
 射的は得意じゃない。
 至近距離で人間の頭部を破壊してこその快楽だ。見え隠れする標的を的確に一発で仕留める事に美しさを感じない。
 それに自分の仕事は人畜無害を装って近寄り不意を突くのがスタンダードだ。
――――なら……。
 仕事と割り切らなければいい。
 鉛弾が唸る銃撃戦を楽しめばいい。
 瞬間。
 貴子のスイッチが切り替わる。
 鉄火場の空気を嗅ぎ分ければいい。
「……」
 彼女は唇を小さな舌で湿らせた。
「……」
 スコーピオン以外の空薬莢や空弾倉が地面に落ちる音に耳を澄ませる。
 逃げるための牽制なのか? 攻勢に出るための弾幕なのか?
 連携は? 腕前は?
 相手は複数。
 なれど、死を覚悟した鉄砲玉ではない。必ず隙は有る。
 着弾音を推定するに素人の護身程度の腕前でしかない。
 一撃に欠ける32口径でも腹に一発でも当てることが出来ればそれで良し。
 マガジンポーチから4本目を抜いて横に咥える。
 携行弾倉はこれで全部。スコーピオンに差している1本と口に咥えた1本。合計40発。
 胸に熱い闘争心が沸いて来る。『これだけしか無い』という圧力がアドレナリンを大量に分泌させる。脳内麻薬が染み出る感触を脊髄で感じる。
 本能的な行動として、堪らなくなり、盾にしている柱から飛び出た。
 左手をフォアグリップ代わりのバナナマガジンから離し、右手にセレクターをフルオートに切り替えたスコーピオンを2、3発の指切り連射で連中が隠れている柱に浴びせながら距離を詰める。
 拳銃の銃口が覗いた所を適当に的にするだけの牽制射撃。
 一番近くにある柱の陰まで来ると素早く滑りこみ、しゃがんでスコーピオンを銃口だけを覗かせて少年の膝辺りに向けて点射。
 予想していた自分の視界以外から襲い来る32口径数発をことごとく両膝周辺に被弾した少年。蛙を踏み潰したような悲鳴を挙げて転げる。
 その少年の後ろ首を左手で引き摺り、更に柱の陰に回りこむと少年の落とした45口径自動拳銃を左手で拾い、空かさず少年の顎下に銃口を宛がい迷わず引き金を引く。
 32口径とは違った腹に響く発砲音と供に少年の頭部は破裂した。
 スイッチが切り替わっている今の貴子にはその光景を脳裏に焼き付ける事をしなかった。
 奪って使うはずだったコルトのコピーはその1発でスライドが後退したままストップした。予備弾倉を少年の衣服から探したが、弾倉も弾薬サックも見つからなかった。
 スコーピオンの弾倉を抜いて残弾確認孔より残りの弾数を確認する。
 5発単位で孔が空いているので詳しい残弾数は解らなかったが10発は残っていることが確認できた。
 再び、飛び出して点射しながら近くの標的に近付く。
 怖気づいたか、目標の陰の少年は遁走を始めた。
 貴子は駆ける足に急ブレーキを掛けてしゃがみながらスコーピオンの折り畳みストックを伸ばした。
 しゃがみきる時にはストックをしっかり右肩に当て左手がバナナマガジンを握っていた。
 簡易的な照準器に少年の背中を捉え、引き金を引き絞る。
 短い連射の後ボルトが前進したまま止まった。
 軽いボルトがフレームを叩く音と同時に10m先で背を向けて走っていた少年はうつ伏せに倒れて惰性でコンクリートの地面を滑った。
 しゃがんだ体勢のまま後転して駐車している軽自動車の陰に隠れる。
 小型短機関銃を扱うのに慣れている、細く長く白い指が滑らかに動く。
 右人差し指がマガジンキャッチを押して口から左手に落とした新しい弾倉がマグウェルに差し込まれて無駄なくボルトが引かれて初弾が薬室に送り込まれる。最後の弾倉だ。
 これが手元に有る最後の1マガジンだと思うと背筋が震えるようなスリルに笑みが零れる。
 頭を覗かせて次の標的を視界に捉えた瞬簡に寒気を感じて反射的に全身を小さく丸めた。
 くぐもる発砲音と供に軽自動車の前部バンパーが弾けて悲鳴を挙げた。
「!」
 ブラジル製のロシーリボルバーだ。357マグナムを使うリボルバーとしては安価な部類に入る。
 たった6発しか装填できないために今まで温存していたのだろう。
 4インチのステンレスモデルで、僅かな光源でも良く目立つ。
 安っぽい拳銃でも357マグナムの威力が下がる訳ではない。体表を掠って肉を削がれただけでも大きなダメージだ。
 破壊力だけが最強を選定する基準ではないことを理解している貴子は大きく息を吸って硝煙臭い冷たい空気を肺まで一杯にした。
 貴子に言わせれば反動が強く6発しか装填できず速射に劣るマグナムリボルバーは戦闘に最も縁が無い拳銃なのだ。
 治安警察が一般犯罪者に対して一方的に発砲するからこその脅威である。『一人の人間が一人の人間を仕留めるのには過剰過ぎるパワー』。 故に、怖くも何とも無い。怖いのは357マグナムという威力に酔ってしまって気狂いじみてトリガーハッピーになる人間の方だ。
 トリガーハッピーは得てして再装填を考えずに一つの標的にタマをバラ撒く習性が有る。
 ロシーリボルバーを握る少年が少しばかり冷静で、少しばかり賢いことを願うばかりだ。
「!……」
 小さな金属音が一つ、聞こえた。
 空薬莢が冷たいコンクリートを転がる音。
 少年はリボルバーのシリンダーを開いて空薬莢を捨てて補弾したらしい。意外に冷静で助かった。
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