パッションピンクは眠れない(全年齢版)

 殺人悦楽症。
 雪代貴子と言う、人間と共存する『人喰い嗜好』を持つ人間。
 彼女は自分を理解していた。悟っていた。
『自分のような人間は存在していてはいけない事』に。


 難儀な話が一つ。
 貴子は鉄火場の味わい方も知っているということだ。
 ヤクザの娘に生まれた故の独自の心情だ。
 彼女自身はヤクザ映画には興味は無いが、現実としてライバル組織の鉄砲玉に何度も家屋を蹂躙された経緯が有って、本物のカチコミがどのようなものか身を以て経験している。
 そして土壇場で人間はどのように判断してどのように行動するかも知り尽くしている。
 貴子が小学生の頃に起きたカチコミで自分の父親に首根っこを掴まれて弾除けにされながら逃げてきた。
 泣こうが喚こうが実の父親に銃弾の盾にされながら逃げ惑う経験は後の人生観を大きく変えた。
 悲しい。辛い。
 そんな感情は九割近く忘れ去った。自分に欺瞞を施して誤魔化しているだけなのかもしれない。
 心の底から楽しむために銃を握る少女はこうして出来上がった。
 いつの冬だったか?
 いつものようなカチコミで鉄砲玉が落とした短ドスで逆に鉄砲玉の鳩尾を刺して一気に臍下まで刃を切り下ろした感触は忘れられない。
 カラフルな臓物の温かさや呼吸の度に体内で蠕動する臓器の美しさが忘れられない。
 雪の積もる地面に、赤い生命の迸りが広がり、雪崩れるように飛び出した臓物からは湯気が昇っている。
 まるで幻想の世界。しかし現実の世界。
 貴子は初めて興奮を覚えた。


「積極的な人は嫌いじゃないわ」
 貴子は私服の黒いロングコートのポケットに両手を突っ込んで深夜の立体駐車場で立っていた。
 私物のマフラーにニット帽。ブラウン地チェック柄のフレアスカートに黒いストッキング。青いスニーカー。
「でも恋愛対象としてなら嫌いな方だわ」
 吐息の度に僅かに白い息が漏れる。時折、シルバーフレームの位置を左手人差し指で直しながらその連中を一瞥した。
「こんな時間に女の子をこんな場所に呼び出す時点で嫌われる条件の半分は満たしているわ」
 眼鏡のフレームとレンズが心許ない光源を拾って冷たく輝く。
「そうお高く止まるなよ。何も取って喰おうってわけじゃねぇんだし」
 貴子の右手側4mほどの位置に立っていた15、6歳の金髪クルーカットの少年はセンターグリーンのスタジアムジャンパーのハンドウォームから赤いマルボロを取り出して有り触れた使い捨てライターで火を点けた。
「私、人を見る目は有る方だと思うの。貴方は悪い人じゃないけど『あなた方』は悪い人ね。ゴミ集積場に紛れ込んだのかと思ったわ」
 貴子に刺すような一瞥を投げつけられた5人の少年――いずれも16、7歳。不良のレッテルを全身で表現している社会不適格者――は不快感を隠さず咥え煙草で一歩進んだ。
 流行なのか不精なのか、靴もまともに履いていないので擦り足気味な歩みだった。靴の踵を踏みつぶしている。
 一番若い面構えをしたクルーカットの少年は下品な笑いをマルボロを噛み締めた唇の間から漏らした。
「なー。先輩方、どうしやすかね? 予定通りヤリますか?」
 先輩方と呼ばれた少年達は顎先を突き出して顔の角度だけで威嚇している。
「あー? ハナシ通りブスよりまともな顔の割に喧しいクチだな」
「でげしょ? 俺がここまで連れて来たんスから先にヤラせて下さいよー」
 マルボロを咥えた少年はその場にしゃがみこんで5人の少年と貴子を交互に見た。
「俺まだ『日が浅い』からお零れどころかイトさんのベベも剥いたこと無いんですよ?」
「黙ってろ、新入り。お前は女だけ釣ってりゃいいんだ」
「へーへー。そーですねー」
 格上の少年に一蹴されてクルーカットの少年は面白く無さそうに短くなったマルボロをポケット型携帯灰皿の底に押し込んだ。
 少年達の内、一人が貴子に近付き、無造作に彼女の襟首を掴んでヤニ臭い息を吐きながら凄んだ。
「おい。クソ牝。ケツ出して鳴いてみろ」
――――不快。
――――いいよね。
――――やっちゃうよ?
 一拍だけ貴子の瞳から精気が消える。
「!?」
 少年は貴子の瞳の変貌を見た。研ぎ澄まされた刃を思わせる輝きを一瞬で確認した。
 そして速やかに引き金は引き絞られる。
 貴子の手の中で。
 スズメバチの羽音に似た発砲音。
 貴子の襟を掴んでいる少年の体がガクンとくの字に折れた。
「が……」
 少年の臓腑は1弾倉分の32口径弾によってミキサーに掛けられ膝から崩れた。
 貴子のコートの裾下から空薬莢がバラバラと落ちる。固いコンクリートの床に跳ね返り無秩序に転がる。
 少年の腹では銃火によって引火した衣服の煙が立ち昇るが噴き出す血液で鎮火して悪臭を立てていた。

 コートのポケットに突っ込まれたままの貴子の右手。実際はポケットの内側は切り取られ、あらかじめボルトが引かれたスコーピオンを握り続けていたのだ。
 
 貴子の右手首が閃きスコーピオンが中空を風車の様に舞う。同時にバナナマガジンが脱落し床を小突いて跳ねる。
 スコーピオンが貴子の右手に再び落ちて来る時には左手で抜いた予備弾倉が待ち構え、しっかりとマグウェルに自重により差し込まれた。
 スコーピオンが腰の辺りまでごく自然に落ちてくるアクションに合わせる。
 右手でグリップを握り左手でバナナマガジンをフォアグリップにして腰溜めのフォームを取っていた。勿論、穴開きのポケットからは手を抜いている。
 口から煙草を落として目を丸くする少年達。そのだらしない煙草が地面に落ちるまでに貴子は右膝を体に密着させるように折り曲げ、膝頭で小さな凸型ボルトを押してコッキングする。
 普通ならば左右対称に少し出っ張っている、この特徴的なコッキングボルトを人差し指と親指で両サイドから挟んで引き絞るものだが……スライドレールを深く彫っているかリコイルスプリングを緩く調節しているのだろう。そうでなければ体の表面の摩擦だけでコッキングは出来ない。
 躊躇無く次の標的を感覚の照準で捉える。
 第2斉射目の標的になった少年は股間から鳩尾までを縫い抜かれた。
 全弾吐いたわけではないので残りはセレクターをセミオートに切り替えて散発的な点射で足元を狙う。
 意外に素早い足取りで散らばる少年達の誰にもダメージを与える事は出来なかった。
「!」
 ボルトが軽い閉鎖音を立てて前進した。薬室は空だ。
 残りの少年の足を射抜いて動けなくするつもりだったがやはり上手くいかない。
 少年達は駐車場の規則正しく整列しているコンクリートの柱の陰にそれぞれ散開してしまった。
 この区域から離脱した者は居ない様だが、貴子は火箸で尻を突付かれたように柱の陰に身を隠した。
 小癪にも心地良い金属音が聞こえてきたからだ。
 全員、何かしらの自動拳銃を携行していたらしい。
 非武装とは思っていなかった。だからこそ先制して傷を負わせて無力化に近い状態にしておきたかったがその機会を先ほど逃してしまった。
 3本目の弾倉を差し込んでオーソドックスに左手の親指と人差し指のサイドで挟み込んでボルトを引く。大型自動拳銃のスライドを引くより小さな力で行う事が出来た。
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