相異相愛のはてに 番外編
獣も寝静まった真夜中。
とある山奥の開けた場所で、師から課せられた修行を終えた一人の下忍……もとい少年は、顔から爪先まで全身薄汚れた姿で夜空を見上げていた。
少年の名前は、独影(ひとかげ)。
ここから二、三里ほど離れたところにある巣隠れの里の忍だ。
見た目からしてまだ十二、三といったところだろう。
両手を後ろ頭にして、地に敷き詰められた草を敷布団代わりに仰向けに寝転がっていた独影は、ふ〜と大きく息を吐く。
(今の俺、すげ〜臭いしてんだろうなぁ。でも疲れたし、水浴びは明日の朝すればいいかな〜)
伸ばしていた足を組んで、そのまま寝ようと目を閉じかける。
と、その時。
(!)
視界の隅で、何かがきらりと通り過ぎたのが見える。
独影は閉ざしかけた目を大きく開く。
すると、一つ、また一つと小さな輝きが緩やかな曲線を描いて、夜空を駆けては消えていく。
もしかしてこれは、と独影が上半身を起こした直後。
数えきれないほどの流れ星が、夜の空を覆った。
「おぉ……!」
独影は思わず感動の声をあげる。
空を駆ける数多の星々に思わず見とれてしまう。
この光景はずっと、ずぅっと昔に見たことがある。
亡くなった親兄弟のことは覚えてないけど、これだけは今でも記憶の中にはっきりと残っている。
見れば誰もが心躍るであろう特別な夜の空。
まさかまた見れるなんて。
「すげ〜っ、………」
数多の流れ星を見て感嘆の声を上げていた独影だが、ふとある忍の姿が脳裏を過る。
さらりとした赤い髪と少女と見間違うほどの綺麗な顔が特徴的な少年。
名前は千染(ちぞめ)。
独影と同じ時期に巣隠れ衆の忍となった少年だ。
独影にとって唯一の同期で話し相手。
前には他にも何人かいたが、上忍からの過酷な試練によって命を落としてしまった。
今は二人だけである。
(……千染も見てるかなぁ)
独影はなんとなく思う。
互いに師がついて、忍法を会得するための修行に出てから、会うことが少なくなってしまったけど……。
(………)
一度思い浮かべたら、元気にしているか気になってしまう。
さっきの空のことを話したくて、無性に会いたくなってしまう。
独影はあまり迷うことなく、「よしっ」と声をあげて軽やかに立ち上がる。
そして足に力を入れて、空高く飛ぶと暗闇が広がる木々の中へと消えていった。
もし会えたらなって感覚だった。
会えなかったら会えなかったで、残念だったで終わりにするつもりだった。
けど、あの特別な夜空を見たおかげか、巣隠れの里外れにある林を通った際に、独影は見つけた。
千染を。
方向からして、近くの川に向かっているであろう彼を。
運が良い。
そう思って、独影は彼の元へ飛び降りた。
「千染ぇーっ」
「!」
ややぎこちない動きで林の中を歩いていた千染に、独影は後ろから声をかける。
千染は体を小さく跳ねらして、恐る恐ると後ろを向く。
が、そこにいる独影を見て、安心したように肩の力を抜いた。
「なんだ……独影か」
「久々だな〜。元気してたか〜?」
「……それなりに。というよりお前……」
「?」
「臭い」
「あ〜」
千染の指摘に独影は思い出したかのような声をあげる。
「そういえばまだ水浴びしてなかった」
「……今から川に向かうから、ついでに浴びれば?」
「おーそうする〜。もしかして千染もこれから水浴び?」
「うん」
と、軽い会話を交わしながら、独影と千染は一緒に川に向かって歩き出した。
「なぁ千染」
「何」
「さっきさぁ、空見たか?」
「空?」
「そっ。星がさぁ、空い〜っぱいに流れてきてすごかったぜぇ?」
「………」
「千染、見てねぇの?」
「……見てない。空なんて見ても何にも変わらないから」
素っ気なく返ってきた言葉に、独影は目をぱちくりとさせる。
そして、なんとなく視線を落として、千染の首筋や鎖骨辺りを見る。
そこには、うっすらと赤い痣みたいなのが点々とあった。
白い肌についてるそれの正体を、まだ“そういうこと”に疎い独影は知らない。
千染も厳しい修行を受けてるんだろうなぁといった感じにだけ受け取って、独影は顔を前に向き直す。
「そっか」
体についてる痣も千染の発言についても特に言及することなく、あっさりとした言葉を返す。
それから会話らしい会話をすることなく、二人は川があるところへと進んでいく。
水の流れる音が、だんだんと聞こえてくる。
鬱蒼としていた道が開けていき、目的の川が見えてくる。
木々の間を通り過ぎ、二人は岩場に足を踏み入れる。
と、その時。
独影がふと顔を上げた。
星空が見えた。
満天の星空が。
独影は思わず足を止める。
「千染」
「?」
立ち止まった独影に構わず川の前まで歩いて、着物を脱ごうと襟に手をかけていた千染だが、彼に名前を呼ばれたので振り返る。
千染がこっちを見たのを見計らったかのように、独影は空を指差して「ほら」と言う。
千染は不思議そうな顔をしながら、上を見る。
すると、千染の目にも夜空いっぱいに広がる星々が映り込んだ。
一つ一つ、白く輝いている星達。
暗い中でも輝きを失うことのないそれらに、千染は思わず見入ってしまう。
そして、見入れば見入るほど、胸に寒い冬のような風が吹いてくるような感覚がじわりじわりと迫ってくる。
今は夏だというのに。
それの正体が何なのか、千染は知っている。
だけど、敢えて言葉として認識しない。
そういうものだと、曖昧なものとして感じる。
……輝きを見たところで、自分がその輝きの一つになることはない。
ずっと、暗闇だ。
ずっと、ずっと。
「星」
独影の声が聞こえた。
千染の目が、星から離れる。
「きれーだな」
感心したような顔でそう言ってきた独影を、千染は見る。
黙って、じっと。
「なぁ千染」
しばらくして、独影も星空から目を離して、千染の方に顔を向ける。
「やっぱさ。さっきのすげーやつ、千染にも見てほしい。てか、一緒に見てぇ」
独影はからっとしたように笑うと、岩から降りて千染に近寄る。
「なんつーかな。おんなじ星空でも、お前と一緒に見てるって思うと気持ちがぱぁ〜って明るくなった感じがしたんだよなっ。一人で見る時とは違う特別さがあったっつーか」
「………」
「だから次は一緒に見ような。流れ星がすげぇやつ。千染と一緒に見たら、もっともっと特別になるんだろうな」
そう言って屈託なく笑う独影を見て、千染は曇った表情をすると、静かに視線を落とす。
「……見れないよ」
「見れるって。生きていれば、いつか」
「……生きていれば……」
「そうっ。生きていれば」
「………」
「だから生きような、千染。生きて、流れ星のすげぇやつ一緒に見ような」
「………」
千染はその言葉に返事をすることなく、視線を上げて独影をまた見る。
混じり気のない純粋な目でこちらを見ている独影の姿が、千染の目に入る。
その目に、その日が来ると信じている独影に、千染は何とも言えない表情をする。
一方で、こちらを見てずっと黙っている千染に対し、独影は不思議そうに首を傾げる。
「千染?」
「………独影」
千染は少しの間を置いて、独影の名を呼ぶと、再び空を見上げる。
そして、満天の星空に……どこか切なげな目をすると、
「星が……綺麗だね」
と、細い声で言った。
それを聞いた独影はきょとんとする。
空を見上げている千染をしばらく見た後、独影も再び顔を上げて空を見る。
真っ暗な夜の空の中で、きらきらと輝く星達。
昔から変わらない、美しい夜空。
どこまでも果てしなく広がる星空。
それを見て、先ほど千染に言われた言葉を頭に浮かべて、独影は嬉しげに笑うと
「だな」
と、短く返した。
ただ純粋に。
共感を示す言葉を。
完