相異相愛のはてに
千染はたまに思っていた。
なんとなく、夢想していた。
いつか。
いつか本当に、自分よりも強い者が現れたら、そいつはどんな奴なのだろうか。
どんな理由で自分を殺すのだろうか。
仕事だったら同じ忍か、刺客か……大体予想はつく。
でも、復讐だったら。
恨みつらみを背負った者だったら、誰なのだろうか。
誰が仇討ちに来るのだろうか。
誰の無念を晴らしに来るのだろうか。
もしそれが忍だったなら、実に滑稽で笑うしかないのだが……。
いや、むしろそれしきのことで己が身を踊らされ刃を向けてくる忍に、負けるとは思わない。
負ける気がしない。
となれば、いよいよ誰なのか……見当がつかない。
思いつかない。
忍と刺客以外で自分よりも強い者。
復讐心という実に人間味のある感情に囚われておきながら、自分よりも強い者。
自分を殺す……人間。
それが誰なのか。
どんな恨み言を吐いて、どんな殺し方をしてくるのか。
どんな姿をしているのか、どんな目をしているのか。
どれだけ考えても、想像つかなかった。
だから……だからこそ。
少し、ほんの少しだけ、楽しみだった。
いつか出会うかもしれない、それの姿を見るのが。
その時自分はどんな反応をするのか。
どういった気持ちになるのか。
相手のことも、自分のことすらも予想出来ない未知を思っては、千染の胸が微かに躍った。
躍っては、冷めた。
だって、現れないのだから。
現れない以上、夢想は夢想に過ぎないのだから。
だから、これも暇潰し。
ただの暇潰しだ。
現実に出ない以上、どうにもならないのだから。
ずっとそうだった。
いつまで経っても夢想は現実にならなかった。
だからといって、どうもしないが。
………けど。
(………)
千染は、この時。
この瞬間、夢想の片鱗を見た気がした。
今、目の前にいる青年。
交差した刀越しに見える青年。
確かに受け止めた。
完全にしとめるつもりで向けた刃を、この青年は受け止めた。
表情を全く変えることなく。
しかもだ。
この青年が山道に出てくる直前まで……千染は気づけなかった。
青年の存在に。
気配も何も感じなかった。
だから、彼がいつからここらへんにいたのかわからない。
もしずっと前からだったのなら……とんでもないことだ。
幾多と手練れを葬り、暗殺も難なくこなしてきた千染に気づかれないなんて。
忍か、刺客か。
千染はそれのどちらかとみた。
やけに清楚な着流しを身に纏っているが、相手を油断させるための格好かもしれない。
(……どうするか……)
相手の動き・変化を一瞬でも見逃さないように、千染は青年に意識を全て集中させる。
相手が動き出す気配は……ない。
小太刀を受け止めたままて、弾き返そうとする素振りすらもない。
こちらを見ている。
ずっと、じっと。
(……なんだこいつ)
相手が自分以上の実力者かもしれないとわかった以上、まずは相手の出方から見たいものなのだが……一向に動く気配のない青年に、千染は怪訝さを感じる。
さっきから自分を見るだけで、何もしてこない。
それどころか、喋ってくることすらも。
表情も全く変わらない。
ずっと無表情だ。
顔に余計な動きも歪みもないから、端正な顔立ちをしているのがよくわかる。
……じゃなくて、不気味だ。
何を考えているのかわからなくて、ただただ薄気味悪い。
そのくせ、目は。
目だけは、やけに……妙な圧があった。
まるで獲物に狙いを定めた獣のような……。
千染も一貫して表情を変えることなく、冷静な様子で青年を見上げていたが、幾年ぶりか。
己の神経が張り詰めるのを感じた。
青年の目を通して感じる気配。
どす黒い雲が唯一の接点である刀身を通して腕から全身にかけて覆い、侵食していくような感覚。
こんなの、初めだった。
千染にとって、初めての感覚だった。
故に、慣れていない。
前例にない。
だからって、千染が表立って動揺することなんてまずないのだが、それでも彼の中で微かな変化はあった。
胸の中にある小さなざわつきがおさまらない。
ずっと何かが静かに渦巻いて、ぞわぞわする。
気持ち悪いというか、苦しいというか。
とにかく、あまりよろしくない感覚なのはわかった。
とはいえ、それに気を取られる千染なわけなく、意識はしっかり青年に向け、自分がどう出るべきかと見定める。
が、その時。
「………ねぇ」
(……!)
青年の口が開いた。
ここでようやく見せた青年からの動き。
内心身構えながらも、千染は冷然とした様子で青年の次の言葉を待つ……が。
「!?」
次の瞬間。
千染は小太刀ごと青年に思いきり押された。
正確には突き飛ばされたといえばいいのだろうか。
攻撃的な気配が一切なかったため少し油断してしまった千染は、足元をふらつかせながら後ろに倒れかけたが、すぐに足に力を入れて軽く飛び、着地した。
その直後。
(!)
鋭い音が鳴った。
千染は反射的に顔を上げる。
すると、元いた場所から一歩踏み出したところて、湾刀を振り下ろした体勢で忌々しそうに青年を睨みつけている山賊頭と、その湾刀を刀で受け止めている青年の姿があった。
「ってめぇ……!邪魔しやがって!!」
振り下ろした湾刀に力を入れながら、山賊頭は憎しみに近い声で叫ぶ。
だが、それに対して青年は、何の反応も示さなかった。
無反応のまま、横目で千染を見ていた。
一方で、千染は青年の視線をよそに、平静を装いながらも内心少しだけ驚いていた。
山賊頭が今が好機と言わんばかりに自分に斬りにかかろうとしてきたのは一応気づいていたが、そこは棒手裏剣で足を刺すなりして対応するつもりだった。
千染にとって優先すべき脅威は青年で、山賊頭は適当にあしらうつもりだった。
だが、まさか。
まさか、青年が自分を押し退けて、山賊頭の湾刀を防ぐとは思わなかった。
一体どういうつもりか。
もしや目的は山賊頭の方だったか。
それか……まさかと思うが……。
こちらを庇ったのか。
……そんなわけない。
あり得ない。
何を野暮な予想を立てているのか。
だって庇われる理由がないではないか。
どこにもない。
思い当たりすらもしない。
攻撃される覚えはあれど、守られる覚えなんてない。
きっと偶然か、それとも本当に山賊頭目当てか。
千染は冷静に分析する。
冷静に状況を見定めて、的確な判断を見出そうとする。
だが。
「ねぇ、きみ」
千染の思考を遮るように、青年が声をかけてきた。
千染はほんの少しだけ顔を上げて反応する。
青年は湾刀を受け止めたまま、千染の方に体を向ける。
「きみ、名前は?」
「………」
「あぁ!?」
真っ直ぐに、一直線上に千染を見据えて……青年は彼に名前を聞いた。
その問いに対し、反応を返さない千染と苛立った声をあげる山賊。
一時の間が空く。
刀身と刀身ががちがちと押し合う音だけが、その場に聞こえる。
「……どこに仕えている忍?」
「……」
「どこの忍?伊賀?甲賀?それとも違う派生?」
「……」
「今、仕事中なの?」
「……」
先ほどのだんまりが嘘かのように質問の嵐を投げつけてくる青年に、千染は無言を貫く。
いつもなら冥土の土産にと快く応じるのだが、今回ばかりはそうならなかった。
ならなかったというより、なれなかった。
何故なら、青年は片手の力だけで山賊頭の湾刀を受け止めていた。
自分より確実に筋肉量がある山賊頭の純粋な力で押しつけられているはずなのに。
しかも、攻撃してきている相手から目どころか意識までも離しているような様子で、こちらに会話を持ちかている始末。
普通じゃない。
どう見ても普通ではなかった。
実力自体はまだ定かではないが、度胸は確実に常軌を逸していた。
この青年がいつからいて、どこからどこまで見ていたのか知らないが、もし千染の殺戮場面を見た上で今のように話しかけているのなら尋常ではない肝の座り具合だ。
下手したら肝らしい肝はないのかもしれない。
それくらいに、青年から戸惑いの色も恐怖の気配も感じなかった。
そんな異様と言える青年に、さすがの千染も少しばかりは警戒した。
一方で、青年も口を閉ざして黙り込んだ。
反応らしい反応すらも返してこない千染に疑問を抱いたのか、はたまたへそを曲げたのか。
全く変わらない表情から、その裏の感情を読み取ることは出来ないが、とりあえず千染を見ていた。
また沈黙が流れる。
青年の刀に振り下ろした湾刀を押しつけていた山賊頭は、まるでこっちの存在なんぞ無いモノとしているような様子の青年に、腸がぐつぐつと煮えたぎるような怒りを感じる。
せっかく好機と思って忍を斬ろうとしたのに邪魔されて、挙げ句にはこっちのことなんてどこ吹く風といったようにすぐに忍の方を向いて、会話を持ちかけて。
これが殺意を抱かずにいられようことか。
「んっの野郎ッッ!!!!」
山賊頭は刀を思いきり押して、その反動で再度湾刀を振り上げる。
そして、青年目がけて振り下ろすが………また受け止められた。
角度を変えて振り下ろす。
が、また受け止められる。
また角度を変えて振り下ろす。
が、また受け止められる。
それを繰り返した。
何度も、何度も。
強い力を入れて、青年をバラバラにする勢いで、湾刀を振り回した。
けど、どれも全て防がれた。
それだけなら、山賊頭は悔しげに歯ぎしりをするくらいだったろう。
なんとか相手の隙を作る策を考えただろう。
だけど、山賊頭は考えられなかった。
考える前に、信じられないものを目の前にして、思考よりも驚きが勝ってしまった。
何故なら、
青年は忍の方を見たまま、全ての攻めを受け止めていたからだ。
こっちをちらりとも見ずに。
目視なしでの防御なんて可能なのだろうか。
いや、一回や二回は可能だ。
実際、自分も忍からの奇襲を二回防いだ。
けど、それは一発攻撃に限った話だ。
こいつの場合は違う。
連続、連撃。
絶対に対面して対応すべき場面だ。
なのに、こちらを見ずして全て捌いている。
しかも片手で。
そう思うと、完全になめられきっている気がして、山賊頭の感情が驚きから怒り、怒りから殺意へとたちまち変わった。
「なめやがって!ぶっ殺してや」
る、と言い切る前に、青年の刀が湾刀を思いきり弾いた。
力が入りづらい部分を狙ったのか、湾刀は山賊頭の手から呆気なく離れて宙を舞った。
山賊頭は「え?」とまぬけな声をあげる。
そして、次の瞬間、首から胴体にかけて襲ってきた熱と肉の裂ける音と共に彼の目の前は真っ赤に染まった。