相異相愛のはてに
一瞬のことだった。
一瞬のことだったので、山賊頭も他の仲間もすぐには気づけなかった。
仲間二人が殺られたことに。
ただ急に消えた千染に、驚いていた。
心ノ羽はすかさず村人達に合図を出して、一気に荷車を押した。
勢いよく進み出した荷車に、山賊達ははっとする。
「おい!お前ら……、!?」
荷車が向かってる方にいるであろう仲間に指示を出そうとしたが、そこに彼らはいなかった。
「うわあああ!!?」
「なっ……!?」
いなかったというより、立っていなかった。
首から流血し、血まみれの地面に突っ伏したままぴくりと動かない男が二人。
そこでようやく何があったのか、山賊頭は理解する。
あいつだ。
さっきの武士が殺ったんだ。
山賊達が仲間の死体に気を取られている間に、荷車は彼らの横を突破して、そのまま山道の先にある草道へと駆けていった。
「追いかけろ!」
「うぎゃあ!」
山賊頭の指示に返事をする間もなく、近くにいた男の腕が跳ね跳ぶ。
それを見て驚いた山賊頭だが、次の瞬間、ぞっと悪寒が走る。
そして持っていた湾刀を咄嗟に頭上に振り上げる。
直後、ガキィンと鋼と鋼がぶつかる音が響き、その衝撃で山賊頭の足が少しだけ後ろに下がる。
「おや、受け止めましたか」
その声と共に、荷車が去っていた方に一つの影が音もなく着地する。
山賊達は声が聞こえた方を振り返る。
すると、そこには小太刀を逆手に持った武士……千染の姿があった。
刀身にはべったりと赤い血がついている。
笠の下から見えた口元が、三日月のように弧を描く。
仲間二人の首と一人の腕をやったのは誰か明白。
怒りで打ち震えていた山賊頭だが、同時に一つの違和感に気づいた。
この武士の刀の持ち方……どう見ても武士のそれではない。
今まで武士というものもそこそこ襲ってきたが、こんな持ち方をする武士は誰一人としていなかった。
それに加えて、尋常ではない速さ。
こいつ、まさか……。
「てめぇ……、まさか忍か……!?」
山賊頭の口から出たその存在に、周りにいた仲間達は目を見開き、動揺する。
その一方で、千染は顔をうつ向かせて、押し殺すような声で笑った。
「ふふふふ……さすがに気づかれてしまいましたか。では、この格好も不要ですね」
弾むような声でそう言って、千染は被っていた笠を投げ捨て、身に纏っていた着物を一気に剥ぎ取る。
堅苦しい着物の下から、身軽そうな忍装束が現れる。
妖しい笑みを浮かべ、本来の姿を露にした千染。
その姿を見た山賊達は一瞬固まった。
何故なら、忍らしく野暮ったい見た目の男かと思ったらうっとりするほどの妖艶な美女だったからだ。
正確には美女の見た目をした男だが。
山賊達は思わず千染に見とれてしまう。
こんないい女(女じゃない)、ここで殺しちまったら勿体ない。
どうにか捕えてじっくり味わうべきでは……、と誰もが思ったが。
「ああ、ようやく解放されました。武士の着るものなんて窮屈で仕方なかったのですよ。これで存分に動けます」
男だ。
声はしっかり男だ。
千染の声を再び聞いてようやく目が覚めた山賊達は、先ほど抱きかけた劣情を掻き消すように殺意をむき出しにして千染を睨みつけた。
それを物ともせずに、千染は穏やかに笑う。
「さ、今度は逆になりましたね」
「は……?」
「ここを通りたければ、わたしを倒してから通りなさいってことです」
「……」
その場が静寂に包まれる。
息一つでも漏らしたら何が弾けるのではないかと錯覚するほどの張り詰めた空気。
山賊達は、ひやりとした汗を垂らす。
逃げるか。
いや、これは多分逃げられない。
こいつは自分達を逃がすつもりはない。
となれば、選択肢はただ一つ。
戦うことだ。
戦って、どうにかこいつを殺すこと。
それしか、自分達が生き延びる方法がない。
幸いにも、四対一で数的にはこっちに分がある。
一人、深手を負ってるが動けないわけでは……。
「あがっ!?」
山賊頭が状況を把握し策を練ってる途中で、肉が貫かれる嫌な音と共に情けない声がすぐ近くから聞こえた。
ドッと地面に何かが力無く倒れる音がする。
後ろ側にいた二人が小さな悲鳴をあげる。
山賊頭は目を見開いた後、嫌な音が聞こえた方に視線を向ける。
片腕がない男が倒れていた。
額に数本、両目に一本ずつと棒手裏剣が刺さった状態で。
「ああ、勝手にすみません。その方、つらそうでしたので楽にしてあげました」
一本何が起きただなんて考えるのは野暮だ。
山賊頭は表情に強い怒りと困惑の色を浮かべて、再び前を見る。
「まぁその腕だと使い物になりませんし、別にいいですよね?」
柔らかな笑みを浮かべてこちらを見ている千染の姿が、目に入る。
忍は飛び道具を使う。
それを使って殺したのは、説明されずともわかる。
どうやら、考えている余裕なんてないようだ。
山賊頭はそう判断すると、
「うおぉぉぉぉーーー!!!」
脅し文句も吐かず、怒気を孕んだ雄叫びをあげて、千染に襲いかかった。
山賊頭に続き、後の二人も得物を振り上げて駆け出す。
迫りくる三人に、千染は口の端を更に上げていく。
そして、山賊頭が首目がけて横に振ってきた湾刀を避け、その横を素早く通り過ぎて、後の二人に詰め寄る。
「が……っ!?」
「はい、一人」
「あ゙っ……!」
「もう一人、と」
一人は首を斬られ、もう一人は心臓を貫かれ、と……千染に得物を振り下ろす間もなく、あっさり殺された。
生者ではなくなった二つの人体が、虚しい音をたてて地面に倒れる。
後ろから聞こえたその音に、湾刀を振り切った体勢で固まっていた山賊頭は、目を見開き冷や汗を垂らす。
久々の大きな獲物を見つけて、毎度の如く脅すか殺すかして奪い取って、みんなで山分けをして終わりのはずだった。
そうなるはずだった。
だけど、気づけばそこら中血みどろで仲間の死体だらけ。
残るは自分一人。
こんなはずでは。
こんなはずでは……!
「さて、これで残すはあなた一人ですね」
受け入れ難い現実に打ち震えている山賊頭に、千染は追い打ちをかけるような言葉をかける。
意図せずに。
それを聞いた瞬間、山賊頭ははっと我に返る。
背後から千染の気配……否、仲間をあっさりと葬ったバケモノの気配を感じ、汗をだらだらと流す。
「わたしの不意打ちを防いだ辺り、他の方達より腕があると見定めましたので、残させていただきました。美味しいのは最後に食べたいですからね」
やるしか、ない。
やるしかない。
やれ、殺るんだ。
どうにかしてこいつを殺るんだ。
生き延びるんだ。
こいつを、こいつを……。
「おや?」
こいつを……、このバケモノを……。
「もしかして戦意喪失……しましたか?」
ーーーーーー殺す!!
千染の声が背後から耳元で聞こえ、ずっと自分を慕ってついて来た仲間の姿が思い浮かんだ瞬間、山賊頭は絶叫に近い雄叫びをあげて振り向き様に湾刀を勢いよく振った。
顔に向かって横一直線に振られた湾刀を、千染は体を仰け反らせて紙一重で避ける。
山賊頭は間髪入れず、湾刀を振り続ける。
千染を斬るために、殺すために、間合いを詰めては振り続ける。
だけど、その全てを千染は避けた。
柔らかな笑みを浮かべたまま、頭を下げたり、後方へ少し下がったり、体を傾けたりして、全部……紙一重で避けた。
当たりそうで当たらない。
そんなこっちの気を逆撫でるような避け方をする千染に、山賊頭は案の定激しい苛立ちを感じる。
「あぁ、これは当たったら一溜りもなさそうですねぇ」
湾刀が振られる度に風をぶった斬るような大きな音が聞こえ、千染は感想をもらす。
あからさまな余裕を見せてくる千染に、山賊頭は下唇を噛みしめる。
本当なら服でも髪でも掴んで、相手の動きを止めたいくらいだが、そんなことをしたら隙が出来る。
普通の相手だったら決して隙なんかにはならないが、この忍だと絶対その行為は隙になる。
掴んだ腕を斬られるのが容易に予想出来る。
となれば……。
山賊頭は千染に切りにかかりながら、閉ざした口をもごもごとさせる。
そして、湾刀を何度か大きく振り回した次の瞬間……千染の顔を狙って大量を唾を飛ばした。
一瞬の目潰し、または相手を怯ませて隙を作らせるために、山賊頭が使ってきた技だ。
その隙を逃さず、斬る。
斬って、斬って、斬り刻む。
そういう算段だったが、やはりというか。
予想通りと言えば予想通り、千染は山賊頭の前から消えていた。
消えて、いつの間にか、山賊頭の後ろにいた。
千染は狂気を滲ませた笑みを浮かべると、山賊頭の首目がけて小太刀を振る。
が、
ガキンッ!
「おや」
終わりかと思いきや、また小太刀を受け止められてしまった。
どうやらこの山賊頭、勘だけは鋭いようだ。
「っがぁ!」
前を見たまま湾刀だけを首後ろに回していた山賊頭は、大きな声をあげると小太刀を押し返しながら振り返る。
「は〜、すごいですねぇ。防御の面ではこの前お相手した忍達よりずっと上回ってますよ、あなた」
「るせぇ!死ね!早く死ね!死ね死ね死ね死ねぇええ!!!」
鉄と鉄のぶつかる音が響く。
上下右左と迫りくる湾刀を小太刀で受け止めながら、千染は後ろに下がっていく。
自分を殺そうと必死になってる山賊頭を見ながら、思う。
(うーん、すぐに殺しても能天気馬鹿女のところに早く戻ることになるだけですし……ちょっと暇潰しに付き合ってもらいましょうかね)
出来れば数秒でも心ノ羽達と一緒にいたくない。
その気持ちが良くも悪くも山賊頭を延命させた。
「っぐ!くそっ!くそぉっ!!」
(勝てるわけないのに必死でいじらしいですね。心ノ羽よりもずっと可愛いですよ)
時折湾刀を弾かれ、千染からの攻撃を防ぎながら、なんとか千染といい勝負をする山賊頭。
それが表向きとは知らず、一生懸命攻防を繰り返す彼の姿に、千染は必死に威嚇している子犬をふと思い浮かべ、動物的な可愛さを見出す。
今の千染の頭の中を山賊頭が覗いたら、ブチギレ待ったなしだろう。
こっちは死にものぐるいで殺しにかかっているのだから。
(体も頑丈そうですし……そうだ。殺すのは一旦やめて里のボロ家で飼うのもいい……)
かもしれない、と……千染が死ぬよりつらそうな案を浮かべたその時だった。
ザ……
「!」
足音が。
微かだったが、足音が聞こえた。
耳に入ったその音に千染は、目を見開く。
その目には、純粋な驚きが宿っていた。
誰もいない、いや、気配が全くなかったはずの山道外れの木の影から、一つの人影が出てくる。
それが視界に入った瞬間、千染は受け止めた湾刀を思いきり押して山賊頭を突きとばし、その人影に一気に詰め寄った。
ガキィンッ!!
「ぐわっ!」
山賊頭が尻もちをついて呻き声をあげたと同時だった。
その場に大きな音が響いた。
鉄と鉄……刀身と刀身がぶつかった大きな音が。
「……」
「……」
静寂。
異様な静けさが、その場を包み込む。
交差する刃越しに、千染と突如現れたその人影……着流し姿の青年は、お互いを見ていた。
見つめ合っていた。
お互いを観察するかのように。
「………」
千染の小太刀を刀で受け止めた青年。
癖のある灰色がかった白髪を後ろにまとめて、長く垂れた前髪が片目を隠しており、もう片方の目で千染を見つめる。
静かに沈んでいるような藤色の瞳で。
感情を宿していないような目で。
だけど。
それにしては、千染を見ていた。
まるで捕えるかのように、じっと。
逃さないかのように、じぃっと。
その目は、千染を捉えて放さなかった。
武士でも、忍者でもない……ただの町医である青年は。
寸前まで千染に気配を感じ取らせず、道外れから姿を現し、更にはその直後目に見えぬ速さで凶器を振られたにも関わらずそれを抜いた刀で受け止めた……その青年の名は、やくも。
夜の雲と書いて、夜雲という名前だった。
それを千染が知るのは、もう少し後の話。