相異相愛のはてに





ぼくには片割れがいた。

爪先から髪の毛一本までそっくりな片割れが。


母の腹の中にいた頃から一緒だった。
生まれてからも一緒だった。
幼い頃はもう一人の自分の手をよく引っ張っていた。
同じだった。
同じ、はずだった。

けど。
年を重ねるにつれて。
身も心も大人へと向かうにつれて。
“違い”が、“差”が、生じるようになっていった。


それを素直に受け入れればよかったんだ。

自分は自分、お前はお前。

姿形は同じでも違って当然と割り切ればよかっただけの話。  

なのに、精神が、心が未熟な自分はーーーー………。



***



三日月が浮かぶ夜。
山を一つ、二つ越えたところで春風は木から飛び降り、足の動きを緩めた。


「心ノ羽さま……」


不安が見え隠れする声で心ノ羽の名を呟き、周りを見回しながら歩いていく春風。
どこを見ても木、木、木……。
時折、遠くから夜鳥の鳴き声が聞こえるだけで、誰かがいるような気配はない。
それでも、もしかしたら。
この先を進めば、泣いて困っている心ノ羽がいるかもしれない。
ここは春になるとうさぎや小鳥が集まり、淡い色の花がそこらかしこに咲く心ノ羽の好きな場所の一つだから。
知らない場所は他の忍が探しているならば、自分は彼女が気に入っている場所、行ったことのある場所を一度見回ってみよう。
そう思って、春風はここに来た。


(………心ノ羽さま……)


神経を研ぎ澄ませて、些細な変化を見逃さないように、ゆっくり、ゆっくりと先へ進んでいく。
どうか無事であるように。
ただ迷子になってるだけであるように。
そう強く願いながら、春風は心ノ羽を探す。
彼女を助けるために。
安心するために。

春風は千染とは逆だった。
彼にとって心ノ羽の笑顔も、忍らしかぬ底抜けの明るさも素直さも、癒しであり救いだった。
血生臭い影の中にあるたった一つの陽だまり。
心ノ羽と言葉を交わすだけで、側にいるだけで、張り詰めた神経は和らぎ、穏やかな気持ちになれた。
心ノ羽と一緒にいる時だけが、自分の存在が許されているような気持ちにもなれた。
居心地がよかった。
心ノ羽がそこにいるだけで。


(………)


この流れからして当然のことながら、春風は心ノ羽が好きだ。
それは純粋な恋心だということを春風自身も認識している。
なかなか想いを伝えることが出来ないものの、心ノ羽の側にいたい、彼女を守りたい、そういった気持ちが春風の中にあった。
ずっと前から。
……だから。
だから、心ノ羽がいなくなったら、この先ずっと真っ暗闇になる気がして……怖かった。
きっと、世界が光も温もりないものに一変する。
心ノ羽のいない世界で生きるなんて想像出来ないし、想像したくもない。
だからどうか。
どうか、無事でいてほしい。
また笑顔を見せてほしい。
そして、いつか。
いつか……自分とーーーー。
と、心の奥底で密かに抱いている願望を言葉として表そうとした時だった。



「なつ兄さん」



鉄の匂いが鼻を掠めたと同時に声がした。
春風は目を大きく見開いて立ち止まる。
音もない、不気味な静けさが漂う。
呆然とその馬に立ち尽くしていた春風だったが、その表情はだんだんと強張っていき、大量の冷や汗が額から全身からと滲み出てくる。
気配を感じる。
後ろから。
心ノ羽ではない、気配が。


その気配を、春風は知っていた。


春風の体が震え出す。
体だけでなく呼吸も。
先ほどまで心ノ羽のことばかり考えていたのに、それが強い恐怖と……後悔の念によって覆われてしまう。
確かに“彼”の声がした。
そして、あの匂いも知っている。
頭の奥の奥にしまい込んでいた断片的な記憶が、浮かび上がってくる。
鋭い頭痛と共に。
春風に見せつけるように。
何故、どうして。
さっきまで何もなかったはずなのに、と片手で頭を抱えたところで春風はハッと気がつく。


(そういえば……ここ……)


春風が今いる少し開けた場所。
春になれば薄桃色や黄色の花が木の根元によく咲く場所。
その景色を見て、春風の顔色が一気に悪くなる。
ここは心ノ羽が好きな場所であると同時に……。
春風は恐怖に身を震わせながらも、ゆっくりと後ろを振り返っていく。
わかる。
感じる。
いるんだ、そこに。
自分を恨めしそうに見ている……血まみれの片割れがーーーーー。



「よぉ、はる」



後ろを完全に振り返る寸前で、また声がした。
春風の肩が大きく跳ねる。
少しの間固まった後、ぎこちない動きで体を前に向き直していく。
同時に、木の上から一つの影が春風の前に飛び降りてくる。
それは……春風の兄・冬風だった。
いつもなら見た瞬間に嫌悪を露にする春風だが、この時ばかりは違った。
動揺と焦りをむき出しにした目で、冬風を見ていた。
だが、明らかにいつもと違う春風を前にしても、冬風は相変わらずの冷たい目、そして優しい笑顔で彼を見つめた。


「どうしたぁ?こんなとこうろついて」


いつもの調子で問いかける冬風。
それに対して春風はしばらく冬風を凝視した後、一歩、二歩と退く。
何か、警戒するかのように。


「……兄さんこそ、なんで……ここに……」


喉からなんとか絞り出したような声で、春風は問い返す。
冬風は表情を一切変えることなく、首を少しだけ傾げる。
そして、


「確か、これくらいの時期だったよなぁ」


覆面の下で、口が鋭い三日月を描く。


「なつがここで死んだのは」


優しく、囁くような声。
だけど、その言葉は春風の耳に強く響いた。


「首を掻っ捌かれてさ。かわいそうだったよなぁ」


春風の瞳が揺れる。


「伸びしろがまだまだあったってのに。運がなかったよなぁ」


滲み出ていた汗がじっとりと肌に貼りつく。


「はるはなつを一番慕っていたから、思い出すだけでもつらいだろ?」


ぐちゅぐちゅ、ぐりゅぐりゅと胃の中で何か気持ち悪いものが渦巻いている感覚に襲われる。


「なつの亡骸を真っ先に発見したのはお前だったからなぁ」


平然としないと。
冷静でいないと、落ち着かないと。
そうわかっているのに、込み上げてくる感情がそれを許してくれない。


「まぁつまり、俺がここにいるのは」


そんな春風の心境を知ってか知らずか、冬風は変わらぬ調子で言葉を続ける。
そして、片手にあるものを春風に見せるように顔の近くに持っていくと


「かわいそうでかわいい弟への手向けに来たんだよ」


そう言って目を細めて笑うと、手に持っていたもの……一輪の真っ赤な彼岸花をすぐ側にある木の根元に放り投げた。
春風は少し遅れて、投げられた彼岸花を目で追う。
供えられた……というより、無造作に捨てられたように見える彼岸花。
それを見て、春風は不快そうに眉間に皺を寄せる。


「はるもそうじゃないのか?」


放り投げた彼岸花に目を向ける気配すらなく、冬風は依然として春風を見つめたまま問う。
言葉と行動が噛み合ってない冬風を前にして、ある程度頭が冷えたのか、幾分か焦りの色が消えた顔つきで春風は冬風の方に顔を向き直す。


「……違う。心ノ羽さまを探しに来たんだ」


冷たく、突き放すような声で答える春風。
その返答を聞いた冬風は少しだけ目を大きくした後、すぐにどうでもよさげに視線を何もない宙に向ける。


「ああ……もしかして迷子にでもなったのか?」

「……」


冬風はここしばらく里に帰っていない。
故に、今回の騒動を知らないのだ。
だが、冬風の問いに春風は答えない。
必要なことは答えたし、ここで心ノ羽のことを言ったとしても冬風は協力しないだろうか。
……協力してほしくもないから。
それよりも。


「兄さん」


春風は冬風を呼ぶ。
冬風は何も言わず、春風を見る。
冬風と再度目が合い、春風は全身に緊張が巡るのを感じながらも口を開く。
そして、


「兄さんは……どう思っているんだ?」


問いかける。
漠然とした問いを。
その問いに、冬風は目を細めて首を小さく傾ける。


「どう思っている、とは?」


少しの間を置いて。


「ぼくのこと」


春風は答える。


「たった一人のかわいい弟だと思ってるぜぇ?」


すかさず冬風も答える。
いつもの冷たい目、優しい笑顔を春風に向けながら。
その返答に、春風は両手を握りしめる。


「……それだけ?」

「……それ以上に何か思ってほしいのか?」 


春風の問いに問いで返す冬風。
冬風の声色も、表情も、雰囲気ですら、何の変わりもない。
それが焦れったくて、苛立たしくて、……不気味で、春風は眉間に深く皺を寄せる。


「………兄さんは」


春風は一旦口を止め、固唾を飲み込んだ後、再び口を開く。
そして、



「ぼくが“どっち”だと思ってる?」



僅かに震えを帯びた声で、問いかけた。

春風自身が知りたい、核心的な問いを。


その問いを聞いた冬風は、依然として笑みを浮かべたまま春風を見つめた。
じぃっと。
隅から隅まで見抜こうと、見透かそうとしているような目で。
否、もう既に見透かされているのではないかとさえ思ってしまう。
それくらい冬風の目はどこまでも冷たくて、温かみなんぞ一切なかった。


「………お前は春風なんだろ?」


しばらくして冬風は答える。


「なら春風なんじゃあないかぁ?」


疑いの気配も、責める様子すら全くない優しい声。
その答えというにはあまりにも曖昧な発言を聞いて、春風の目つきがみるみるうちに険しくなっていく。
だが、それもほんの一瞬で、すぐに諦めの色が浮き出た目になって視線を落とした。
自分は何を聞いてるのだろうと春風は呆れ混じりに思う。
『兄』という繋がりがあるだけのこの男に、まともな答えなんて返ってくるわけないのに。
……そもそも、もし真っ当な答えが返ってきたとしても、この男と会話したところで何になるというのか。


(………やはり)


自分には心ノ羽しかいない。


春風は改めて強く思う。
心ノ羽だけが救いであり、生の証であり、拠りどころだ。
この男と話している場合ではない。
早く探しに行かないと。
そう切り換えた春風は、そのまま何も言わずに歩き出す。
冬風を一切見ず、彼の横を通り過ぎていく。
そして、彼から数歩離れたところで。


「“どっち”であろうが」


冬風の声に春風は立ち止まる。


「唯一無二の……かわいい弟さ。お前は」


囁くような、無で上げるような、優しい声。
“春風”を受け入れていることを示す言葉。
その声に、その言葉に、春風は心底不快そうな表情をする。
そして、


「あんたにとっては……“どっちでもいい”、ってことだろ」


忌々しさが込められた低い声でそう言い放つと、歩を速めてその場を去っていった。

春風の気配が消え、その場に冬風だけが残る。
吹いてきた風に木々がざわめき、冬風の髪がさらりと小さく揺れる。
誰もいない、暗い、暗い闇の中へと向かう木の列。
それを見つめて、冬風は目を細める。
そして、どこからともなく夜鳥の鳴き声が聞こえたところで、冬風の視線が動く。
向けた先は、木の根元にある彼岸花。
寂しげに横たわっているそれを見下ろして、冬風は鼻で軽く笑った。



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