相異相愛のはてに




雲間から三日月が覗く夜。
鬱蒼とした山に囲まれた谷にある巣隠れ衆の里では、何やら落ち着かない空気が漂っていた。
眠っている子どもや非戦闘員の女を除き、下忍・中忍の忍達がひそひそと話し合い、一人、また一人と里の外へ向かう。
それと入れ代わるように、山の中の暗闇から千染が姿を現した。

長屋の屋根へと飛び降り、いつもと違う様子の下忍・中忍達に怪訝そうな表情をする。
何か、ただならぬことでもあったのか。
そう思っていた矢先。


「千染!」


大きな声が耳に飛び込んでくる。
千染が振り返ったと同時に、木から屋根へと飛び移っていた声の主が千染のいる長屋の屋根に着地する。
それは、芙雪だった。
芙雪が自分を嫌っているのをよく知っている千染は、意外そうな顔をする。
何が起きても、絶対に自分のところへは来なさそうな芙雪がここに、しかも自分の名前を呼んでまで来るなんて。
表情からして焦りの色も窺える。
余程のことがあったのだろう。
いつもは芙雪に嫌みの一言や二言を言い放つ千染だが、この時だけは茶化すのはなしで真剣に彼女の話を聞くことにした。


「どうしたんですか?」

「………が……」

「?」


芙雪は拳を震わせながら唾を飲み込む。
そして、


「心ノ羽が……いなくなった……!」


と、絞り出すような声で今起きてることを千染に伝えた。
それを聞いた瞬間、千染は真顔になる。


「三日前から帰ってこなくて……!他の者達も心ノ羽を見てないと……!」


汗をだらだらと流し、焦りと不安と困惑が混ざりに混ざった顔をして状況を説明する芙雪。


「心ノ羽がどこに行くとか、そういったことも誰も聞いてないらしくて……!もしかして川とか海に落ちたとか!或いは他里の忍に拐われたとか……!!」


だが、そんな芙雪とは対照的に千染はだんだんと冷めた顔つきになっていく。


「何よりも!独影と駆け落ちしたのではないかと!!そんな疑惑まで浮上しているんだ!!!」


耳をつんざくほどの大声。
目を見開き、鬼気迫った顔でそう叫んできた芙雪に千染は理解する。
芙雪が自分にわざわざ声をかけてきた理由を。


「お前!あいつと仲良しだろ!!何か聞いてないのか!?」


すかさず千染に詰め寄った芙雪が、彼の胸ぐらを掴み上げる。
誰もが目の前にしたら怖じ気づきそうな迫力の芙雪をものともせず、千染は彼女から顔を背けて心底鬱陶しそうにため息をつく。


「知りませんよ。仲良くしてる覚えもありませんし」

「昔からよく一緒にいて仲良くないは無理があるだろ!!!」


バカでかい声で耳障りなことを言ってくる芙雪に、千染は苛立たしげに舌打ちをする。


「そもそも何故独影とあいつが駆け落ちしたなんて馬鹿げた疑惑が浮上してるのですか?独影が糞餓鬼を女として見てる様子なんて欠片もなかったですが」

「心ノ羽を糞餓鬼呼ばわりするな!!というよりお前……!気にならなかったのか……!?」

「何をです?」

「独影に至ってはもう何日も前から姿を見せてないんだぞ……!!」


芙雪の発言に、千染は特に表情を変えることなく口だけを閉ざす。


「下手したら半月はもう……。一応、櫻世さまには調べたいことがあるからしばらく帰らないと伝えているみたいだが……」

「………」

「それに続いて心ノ羽も三日前から音沙汰がなくなった……」


芙雪は力無い動きで千染の胸ぐらを離し、顔をうつ向かせる。


「心ノ羽……、独影……」


震える声で二人の名を呟く芙雪。
千染は静かに顔を前に向き直し、依然と冷めた目で芙雪を見る。


「独影は……よく心ノ羽を遊びに誘っていたよな……。心ノ羽も……それに喜んで応じて……」

「……」

「櫻世さまも心ノ羽が帰らなくなって多少取り乱しているが……、独影と心ノ羽が駆け落ちしたかもしれないって疑惑が飛んだ際には『それならいいんだが……』と!!言っていたんだぁああ!!よくない!!何もよくなぁい!!!」

「………」


今度は頭を掻きむしり発狂しまくる芙雪。
櫻世が二人がそういう関係だったら快く受け入れる姿勢なのを知らされて、心ノ羽がこの世で一番好きな芙雪の心は掻きに掻き乱されたのだろう。
心ノ羽が心配なのか、二人の関係に恐れているのか。
とにかく取り乱しまくってる芙雪を前に、千染はどうでもよさげな顔をしてため息をついた。


「そういうわけだ!!」

「どういうわけですか?」

「わたしは今から心ノ羽を探す!お前は独影を見つけて問い詰めろ!!」

「なんで格下のあなたに命令されないといけないんですか。身のほどって知ってます?」

「黙れ!!お前あとでぶん殴ってやる!!!とにかく独影を見つけろ!いいな!?」


千染の見下し発言に腹を立てながらも言いたいことだけ言い放って、芙雪は瞬く間にその場から消える。
先ほどの騒々しさが嘘のように静まり返り、一人になった千染はかったるそうに何度目かのため息をつく。


「………」


里がやけに落ち着かない様子かと思えば、心ノ羽がいなくなっていたのか。
と、千染は里全体を見渡して思う。
そして、だんだんとその表情が気難しくなっていく。


(忍が帰ってこないなんて……)


そう珍しいことではないのに……。
千染は過去に里を出て、帰ってくることがなかった忍達を思い出す。
師を含めて。
そして、里もここまで騒いでいなかったことも。
ほぼ全員が淡々と状況だけを受け入れていた。
……なのに、大して役にもたってない、うるさいだけの小娘が帰らなくなっただけで騒ぐなんて大袈裟な。


(どうせ、どこかで迷子になっているだけでしょう……)


あんな糞餓鬼、少しは痛い目に遭えばいいんだ。
と、意地悪なことを思いながら、千染は自分の長屋に向かおうとする。
………だが。


(………)


数歩踏み出したところで、足を止める。
薄ら寒い風が吹き、千染の長い赤髪がさらりと揺れる。
風が落ち着いたところで千染は反対側を向き、里の奥にある屋敷を見る。
忍頭……櫻世の屋敷。
明かりが灯っているそこを、千染はしばらく見つめる。
そして静かに踵を返すと、そこに向かって足を踏み出した。










その一方で、屋敷の奥座敷には櫻世と雹我の二つの影があった。
櫻世は雹我に背を向けて文机の上に広げている巻き物に筆を走らせている。
少し離れた場所で正座している雹我は、包帯で覆われた目で櫻世の背中を見る。


「……櫻世」

「……」

「中忍・下忍の数人、それと芙雪が心ノ羽を探しに出た」

「……そうか」

「そう遠くに行っていなければ、直に見つかるであろう」

「………」


雹我の言葉を聞いて、櫻世は筆の動きを止める。
その気配を感じ取った雹我は口を閉ざす。
重い沈黙。
少しして櫻世は静かな動きで筆を置く。
そして、


「やはりわたしも探しに行く!!!」

「待て櫻世……!落ち着くのだ!」


次の瞬間、横を通り過ぎて外に出ようとした櫻世の前に、雹我はすかさず立ちはだかった。


「大丈夫だ……!あの子は危機回避能力に長けてる上、運が強い……!きっとどこかで迷子になっておるのだ……!」


いつになく取り乱している櫻世を羽交い締めにしながら説得する雹我。
ここでこのまま櫻世に行かせたらどこまで行くかわからないのと、今の状態の彼はまともな判断が出来ないと見越した上だろう。


「ええい離せ雹我!俳句を書いて気を紛らわせていたが、やはり心ノ羽が気がかりでどうしようもないわ!頼むから行かせてくれ!!」


だが、そんな雹我の考えをよそに櫻世は反発する。
文机の上にある巻き物には、ほとんど心ノ羽という字で埋め尽くされていた。
櫻世の心が乱れきっている決定的な証拠である。
さすがの雹我も困惑した様子で汗を一筋垂らし、どうするべきかと考える。
ここでもし櫻世が本気で暴れ出したら、止める自信は……正直ない。
だけど。
だけど、一つだけ。
確実に櫻世を大人しくする方法が、雹我にはあった。
雹我しか使えない方法。
雹我自身もよく知っている手段。
けど、とても使う気になれなかった。
それをしたらこうして羽交い締めにする必要もなくなるというのに。
だけど、そうとわかってはいても、雹我はそれを……目を覆っている包帯を外す気にはどうしてもなれなかった。
出来るのはならば、“目”を使わずに櫻世を落ち着かせたい。
それにはどうすれば……。
と、離せ離せと騒いでる櫻世を抑えながら雹我が頭を悩ましていた……その時だった。



「櫻世さま」



縁側から声と気配がし、櫻世の動きが止まり、雹我は顔を上げて反応する。
そして、二人揃って縁側の方に顔を向けると……そこにはこちらに向かって跪いている緑色の瞳をした覆面の青年、もとい巣隠れ衆上忍の一人・春風がいた。
驚いたように目を大きくしてこちらを見ている春風。
縁側に着くまで二人の状況に気づかなかったのだろう。
そんな春風を見て少しの間を置いた後、


「どうした?」


と、雹我に羽交い締めにされたまま、いつもの落ち着いた様子で春風に声をかけた。
櫻世の声に春風はハッとする。
このまま話を持ち出していいのだろうかと一瞬迷った後、とりあえず元の真面目な顔つきに戻る。


「件の任務、問題なく完遂いたしました。そして……心ノ羽さまの件、里の者から聞きました。そのことでですが……」


春風はどこか言いづらそうに言葉を詰まらせる。
櫻世と雹我は至って落ち着いた様子で、春風の言葉を待つ。
体勢は落ち着いていないが。


「その……任務に向かう前、一度心ノ羽さまにお会いしていまして……」


絞り出すように出てきた春風の発言に、櫻世の眉が小さく動く。


「軽く会話を交わした程度なのですが……その時、『わたしがやりたいと思えてかつわたしに出来ることを見つけに行ってきます』と言っていたのです……」


櫻世の眉間に皺が寄り、背後にいる雹我は何か理解したのか何とも言えないような表情をする。


「一応無理や無茶しない程度にと言ってそのまま送り出したのですが……まさか帰ってこなくなるなんて」


春風の声に震えが帯びる。
視線もだんだん落ちていき、不安に満ちた……まるで追い詰められたかのような表情になっていく。


「ぼくはが……あの時心ノ羽さまを連れて、一旦里に戻っていれば……。誰か付き添いをつかせておけば……」


春風の顔色が悪くなっていく。
その様子を見ていた櫻世は至極冷静に目を細めると、


「お前のせいではない」


櫻世の重みのある落ち着いた声が、座敷に聞こえる。
不規則になりかけていた春風の呼吸音がぴたりと止まる。


「心ノ羽の行動は心ノ羽が決めたことだ。責任は心ノ羽にある。お前はただそれを快く見送っただけだ」


春風は恐る恐るとした動きで顔を上げる。
困惑と後悔の色が浮かぶ春風の目と落ち着きはらった櫻世の目が合う。
こちらを見てきた春風を安心させるように、櫻世はふと小さな笑みを浮かべる。


「大丈夫だ。あの子はわたしの姉と同じ逞しい心を持った子だ。必ずいつものように平然と笑って帰ってくる」

「櫻世さま……」

「だから自分を責めるな。心ノ羽が帰ってきたら……変わらず話し相手をしてくれ」


優しくかつ力強くそう言ってきた櫻世に、春風は目頭が熱くなってくるのを感じる。
だが、込み上げてくる感情をなんとか抑えて、櫻世に向かって深く頭を下げた。


「ありがとうございます……櫻世さま」

「なに、当たり前のことを言っただけだ。……むしろ、そこまで心ノ羽を気にかけてくれるとは。こちらこそ礼を言う」

「いえ……そんな。ぼくこそ、何度心ノ羽さまに救われたことか……」


頭を上げた春風は、櫻世に聞こえるか聞こえないかの声で呟く。
そんな春風を、櫻世は優しくも……どこか観察するような目で見る。


「もう既に下忍と中忍、それと芙雪さんが探しに出たようですが……ぼくも探しに行きます。次の仕事まで日がありますので」

「……そうか。では頼んだ」

「はい」


春風は再度櫻世に頭を下げると、音もなくその場から消える。
静かになった座敷の中、再び櫻世と雹我の二人だけになる。
春風がいた方を見ていた櫻世は、ゆっくりと顔を前に向き直す。


「……雹我よ」


名前を呼ばれて、雹我は顔を少し上げて反応する。


「春風には……心ノ羽が必要と思うか?」


考えているのか、言いあぐねているのか、雹我は答えない。


「……この先、春風も“忍”という鎖から解放されて、日の下で自由に生きてくれればと思うのだが」


構わず、櫻世は言葉を続ける。 


「果たして、そのためには心ノ羽が必要なのか……。たまにそれを考えてはわたしの中で出る答えは……“否”だ」


座敷の隅にある蝋の火がゆらりと揺れる。


「心ノ羽に……春風は荷が重すぎる。そして、春風も心ノ羽に過ぎたものを求めているように感じる」

「………」

「わたしの思い過ぎだろうか」


春風に対して申し訳なく思っているのか、櫻世の声にほんの少しの暗さが帯びる。
少しの沈黙。
それから程なくして、雹我が首を横に小さく振った。


「お前の勘がそう訴えたのであれば、そうなのであろう」


雹我は静かな声で言う。


「春風……確かにあの子は一言では片付けられないほどの闇を胸に抱えておる」


雹我の言葉に櫻世は少しだけ眉間に皺を寄せる。


「だからといって、あの子を光明を導くために心ノ羽を犠牲していいわけがない」


そんな櫻世の心境を汲み取るように、雹我は強く言い聞かせるように言う。


「春風が心ノ羽を好いてるからといって、それだけが手段とはならない。生きていれば、いくらだって方法は見つかるはずだ」

「………。……そうだな」


櫻世の眉間から幾分か皺が消える。
そして、元の落ち着いた表情に戻ると


「ところで」

「?」

「いつまでこの状態でいるんだ?」

「………」


ずっと羽交い締めにされている状態に、さすがの櫻世も至極不満を感じた。


「いい加減離してはくれないか?」

「しかし……」

「先ほどのわたしの発言を忘れたか?心ノ羽は大丈夫だと。もう落ち着きも取り戻している。だから……」

「念は念というものがある」

「何の念だ!とにかく離せ……!お前に羽交い締めにされたままでは、頭としての面目が立たないではないか……!!」

「心配は無用。これしきのことで櫻世の威厳は失われぬ。………多分」

「多分とはなんだ多分とは!?」


と、雹我から離れようともがく櫻世と少し困っているような迷っているような様子で櫻世を抑え続ける雹我。
座敷内に二人の言い合いする声が響く。
……その一方で。


「………」


天井裏には千染の姿があった。
冷ややかな目をして話を聞いていた千染は、屈んでいた腰を上げる。
そして、出入口がある方を向くと


(……過保護め)


と、不愉快そうな表情をして胸の内でそう吐き捨てると、音もなくその場を去っていった。




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